ケムスト

高黄森哉

ケムスト


 これは私が小学生の時の話である。


 学校の校門に大きな桜が二本植わっていた。確かその木の下に池があって、ウナギが一匹住んでいたはずだ。こうして文章にすると、とてもうさん臭いのだが、確かに池にウナギが居て、それは学校内では有名だった。


 二本の桜が春になり、開花して、雨が降って、直ぐに散って、葉桜に移り変わった頃合いだったと思う。毛虫が大量に発生した。真っ白のフワフワした幼虫だ。これが毛虫でなければなんというのか分からないくらいに、毛の虫といった形をしていた。


 いかにも刺しそうな見た目だが、実はこの蛾、毒を持たない。この毛は、毒針毛ではないのである。それを発見したのは生き物好きのY君でだった。彼は記憶の中で、指に乗せた幼虫をいとおしそうに撫でている。


 それで、その虫が自分達にとって脅威ではないと判ると、毛虫を潰す者が出て来る。最初はごく少数が石を当てて潰すだけだった。二、三人だっただろうか。これがケムスト初期といえよう。


 この遊びが流行り始めた。


 グラウンドからある学年が消え、代わりに蟲のいる校門へと移動した。確か、この遊びは私の学年以外には伝播しなかった。それでも一学年の一部の男子、つまりざっと四十人くらいが、この娯楽に熱中していたことになる。


 私もそのトレンドに誘われた。普段、鬼ごっこで遊ぶ仲間たちが軒並みそちらへ移り、そして、その仲間から参加しないかと声を掛けられたのだ。見物に現場へ行くと、それはもう異様な光景だった。


 男衆が、桜と、桜の周りの石や池の周りにしゃがみ込み木の棒を幼虫ごと地面へ押し込んでいる。アスファルトに半分になった死骸が大量に落ちており、断面から緑の汁を流している。彼らは葉っぱを食べるから、その液体は未消化物だろう。地獄絵図だ。


 さて、私はその惨状を見て、どうしたか。


 私も参加することにした。つまり、この流行りに乗るべく、適当な木の棒を見つけ、毛虫潰しに取り組むことにした。仲間内では、何匹殺したかが自慢の種となっていて、負けず嫌いな私は一日二十匹くらい殺したと思う。


 良い木の棒は、毎日、取り合いになった。太くて先が二股になっているのが、もっとも良いとされ、もしも見つけたら、誰かに盗られないよう石の下に隠しておく。良い石というのもあった。木派と石派がいたようだ。


 さて、ここまでがケムスト中期の模様となる。次は後期の話になる。


 この時代にケムストという言葉が生まれた。それはケムシとクエストのかばん語である。クエストという名称の採用は、当時モンスターハンターが親しまれていたことが一因かもしれない。K君が言い始めた記憶がある。


 今までは、無目的に毛虫が虐殺されていて、ゲーム性もへったくれもなかったのが、終齢幼虫の登場により、この空虚さは改善されることとなった。つまり脱皮後の巨大な幼虫ほど高い点数が付けられたのだ。


 終齢幼虫を殺した人間は英雄視された。あの惨劇を終齢幼虫まで生き延びた個体は稀だったから、英雄は沢山は生まれなかった。英雄は余ったプリンなどを優先的に食べる権利があった。


 しかし流行は長くは続かなかった。


 いつの間にか、毛虫が全て消えてしまったことを、うっすらと私の脳みそは覚えている。恐らく全て蛾になったのだろう。ケムストはこうして終焉を迎えた。曖昧だが確かそんな結末だったようだ。


 蛾がどこかに消えたとて、我々はここにいる。かつて持っていた残虐な心が、まさか蛾と共に飛んで行ってしまったとは思わない。きっと蛹のまま、眠っているのだろう。私は桜の木の下にしゃがみこんで、一つ一つ潰さなければならない。蛾の蛹が羽化しないように。

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ケムスト 高黄森哉 @kamikawa2001

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