閑話・翻訳家の父は気づかないフリをする

 《バタン》


 レイジはシオンと見送り自室に戻り作業の続きをしようと椅子に腰かけた。


 「はー」


 深くため息をついて机に肘をついて頭を抱えた。


 シオンに呼ばれ作業中でつけたままだったパソコンの明かりで頭が照らされている。


 レイジの職業は翻訳家だ。


 現在、映画の吹き替えの翻訳作業をしているがうまくいっていない。

 映画などの映像関係の翻訳は吹き替え版と字幕版があり、レイジは字幕版の翻訳は得意であったが吹き替え版の翻訳はたまにうまくいかない時がある。

 字幕版の吹き替えは場面に合わせて表示されシーンが切り替わればまた次の字幕が出る。

 視聴者は映像と文字と両方を見ることになるので理解しやすく短い文章にする必要があるがこの作業については問題を感じたことがあまりない。


 ただ吹き替え版の翻訳はわかりやすく伝えると吹き替えをする声優さんや役者さんのための台本作りである。


 当然口の動きに合わせるため回りくどい言い回しや、言い換えが必要になる。

 過去の文豪がアイラブユーという言葉を月が綺麗ですね。と言い換えたように、通常の翻訳ではありえない言葉を口の動きに合わせるため考えなければならない場面が稀に登場するし口の動きに合わせるために削る必要もあるが後者は文字数制限のある吹き替えの翻訳でも考えることなので取捨選択には迷わないが前者は話が別だ。

あまりにも変えすぎると前後の台詞や役者の動きとの辻褄が合わなくなるし、物語そのものを曲解させてしまったりすべてをぶち壊しにしてしまうことも考えられる。

 もちろん無茶をすればOKが出ずやり直しとなるがもちろん納期もある、続けば仕事が来なくなる。


 できるだけ失敗をしたくないレイジは頭を抱えるしかない状態まで追い込まれていた。

 

 普段行う海外の実際に起きた事件などの再現ドラマは納期が短い反面視聴者に伝わればいいし、尺も短いが今行っているのは映画だから余計にだ。


 「はー」


 もう一度ため息をつくと今度は思い切り背もたれによりかかり頭の後ろで手を組んで天井を見上げる。


 「それにしてもさっきは失敗してしまったな…」


 レイジの言うさっきとは、シオンに車を貸してほしいと言われた時の事だ。


 それまですらすらと翻訳作業が進んでいたというのに唐突につまり煮詰まった挙句登場人物になり切り一人芝居をしていた。


 そのタイミングでシオンが来たから大変だ。

 受け答えをしてしまったのだ。

 映画のストーリーは、すれ違う男と女のラブストーリで話を最後までよく聞かずに誤解を生み喧嘩に発展してしまうという流れでそのシーンで行き詰っていたから余計におかしなことになってしまった。


 ________さっきの娘さん、大分若いように見えたけど詩音と同じくらいなのか。


 考えるのを放棄してミサキが顔を赤らめていたのを思い出す。


 シオンが全く気が付かないものだからと、妙なロマンスが始まる前に気が付かないフリをして遮ったが、なかなかどうしてあれであれで良かったのかと分からなくなっていた。


 「詩音は、あおちゃんと結婚するものばかりだと思っていたけど、あれからだいぶたつからねぇ。」


 あおちゃんと言うのはお隣に住むシオンの幼馴染のアイの事である。

 うまく自分をアイと言えずにあおと呼んでいて藍色とは大別すれば青だからとそのままニックネームになったのだ。

 付き合いの古い人間は大体アオと呼ぶ。


 「一時期だいぶ塞ぎ込んでいたのにね。全く子供が成長するのは、早いものだね。」


 ________よくスマホを見てニヤニヤしているけどあの子のおかげかな?


 「いや、でもそんな感じでもなかったな。」


 「そんなことよりも!」



 何かを思い出したのか唐突に体を起こして立ち上がる。


 「…ママはいつ帰ってくるのかなぁ?お義母さん早く良くなるといいけどね。」


 鳴きそうな顔でそこまで言うと何かをひらめいたかと思うと椅子に座り作業を再開した。


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バ先に入ってきた使えない新人♀(28歳)が推しなのに気づくわけがない na. @na1211ai

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