第7話 シェーリーと彼女の……
市街のアパートメントに移ってからというもの、クライアントとの取引や面談場所は、すぐ前の通りを挟んだ向かいのカフェになった。
それでも、依頼人のなかには、直接に部屋までやってくる者もいた。
その日は、仕事の予定もなく、シェーリーは買い物ので出かけていて、僕は部屋の片づけと書類の作成に手をつけていた。
そんななか、玄関の呼び出しベルがなる。シェーリーだったならば、気をかけることなんて構わず、さっさとカギを開けて入ってくるはずだから、来客か、大家さんか、あるいは何かしらの苦情を言いにきた隣人か、といったところだ。
だが、過去には、しつこい営業のセールスマンが来たこともあった。
ほんの少しばかり逡巡していると、ドアを直接ノックする音と、男の声が聞こえた。
「シェーリー、私だ。ここに住んでいることは知っているんだぞ」
落ち着いた感じの男の声だ。どうやら、知り合いかなにからしい。
しかたなく玄関に向かい、ドアを開けると、そこにいたのは、きっちりとしたスーツ姿で、どことなくシェーリーに似た感じのするキツネ風貌の初老の男だった。
その男は、僕の姿をみて、少しあっけにとられているかのようだった。
「申し訳ありません。シェーリーは今、外出中です」
「君は、何者だね?」
「僕はレインと言います。彼女の仕事の、助手です」
「なるほど。探偵ごっこに磨きがかかっているわけか」
「はい?」
「ところで、シェーリーはいつ戻ってくるのか、把握しているのか?」
「買い物ですので、長くはかからないかと。ええと、仕事のご依頼でしたら、申し訳ないのですが、通りの向かいにあるカフェで、」
男は、言いかける僕をなかば押しのけるようにして、部屋に入ってきた。
「あ、あの、すいません。勝手に入られては、」
「私は構わん。彼女が戻ってくるまでは、ここで待たせてもらおう」
男はリビングに入っていくと、ためらいもなくソファに腰を下ろした。
「あ、あの」
「なんだね?」
「お名前をお伺ってもよろしいですか?」
「シェーリーが戻ってくれば分かるさ」
なんだか尊大な感じの男だと思った。いったい何者だろうか?
でも、きちんとした服装に身を包んでいるということは、上流階級か、あるいは政府系の仕事についている獣人の可能性が高い。
少なくとも、チンピラの類ではなさそうだし、無下に扱うような真似をして、後で問題になるよりは、ここでおとなしく待っていてもらうほうがいいかもしれない。
それでとりあえず、来客用の紅茶の用意にとりかかる。その途中で、ふと思った。男の横顔、シェーリーと雰囲気が、とてもよく似ている。もしかすると、親族か? あるいは、もしかして父親なのか?
そういえばシェーリーとは、彼女の親のことや、兄弟姉妹がいたりするのか、そういった話は、これまでしたことがなかったし、僕もあえて聞こうとはしてこなかった。
名前も名乗ろうとしない謎の男と、しばらく沈黙の時間を過ごしていると、やっとシェーリーが帰ってきた。
「レイン、ただいま帰ったわよ、って、え?」
彼女は、男の姿を見るなり、抱えていた買い物袋を落としそうになった。
「な、な、なんで、お父さん……」
それから買い物袋を僕に押し付けながら言った。
「ちょっと! レイン、なんでこいつを部屋に入れたのよ! 基本的に依頼人には通りの向かいのカフェで待ってもらうことに決めていたでしょーが!」
「いや、でも、シェーリー、だって」
「シェーリー、やめなさい! 私が無理を言って、ここで待たせてもらったのだよ」
シェーリーは、軽く頭を抱えるようにして、大きなため息をついてから言った。
「はぁ……もう、しょうがないわね。レイン、一応は紹介しておくことにするわ。この人は、私のお父さんよ。名前はヴェルデ。まあ、お役人といった大そうな仕事をしておられるわ」
「シェーリー、私の仕事はただの役人とは違う。この街のインフラにかかわる重要な仕事を取り仕切っているんだぞ」
そしてヴェルデは、僕のほうを見て言った。
「というわけだ。レイン君。よろしくたのむよ」
そしてシェーリーは、またしてもため息をつく。
「それにしても、いまさら私に会いに来るなんてどういう風の吹きまわしかしら?」
「親が、自分の子どものことを気にかけて、なにか問題があるのかね?」
それを聞いたシェーリーは、挑発的に鼻を鳴らした。
「気にかけるですって? 今まで気にかけてくれたことなんてあったかしら?」
おっと、これはよくない展開かもしれない、と僕は思った。
このやりとりからするには、どうみても、シェーリーと彼女の父親ヴェルデ氏とは、過去になにかしらの確執があるにちがいない。
まあとにかく、少なくとも取っ組み合いの喧嘩までには、発展しなさそうなので、二人が言い争いを続けるのを横目にして、あらためてお湯を沸かして、紅茶の準備にかかる。それで、シェーリーの分には砂糖とミルクを多めに入れる。
「シェーリー、そのズボンと上着だけなどというのは、貧民街に暮らす人がする恰好だ。きちんとしたシャツも着なさい」
「いやよ、めんどくさいから。それに今日はオフだもの。クライアントと話をするときくらいはちゃんとしてます」
「それから、なぜこのような人間臭い
「わけあって私の仕事の手伝いをしてもらうことになったのよ。少なくとも最低限の教養と礼儀はわきまえているでしょ? 器用だし、私が苦手な仕事も片づけてくれるから」
そこで僕が間に割って入った。
「まあまあ、シェーリー。買い物でお疲れだよね。とりあえず、お茶でも飲んだら? それとヴェルデさんも、おかわりをいかがですか?」
僕の声で、二人は我に返ったように、お互いに言い争いを止めた。
それからヴェルデ氏は、二杯目の紅茶を口にして
「ふん、なるほどな。少なくとも、安物の紅茶でもマシな入れ方を知っているようだからな」
とつぶやくように言った。
はたして、それが素直でないがゆえの表現の仕方なのか、たんに皮肉を言っているのかは、わからなった。
「それで、お父さん。私たちの部屋に押しかけて来てどういうつもりなの? あるいは私に結婚相手でも紹介するつもりなのかしら?」
「違う、シェーリー。今日は、お前がどうしているかと、ようすを見に来ただけなんだ」
それから彼は、自分の腕時計に視線を向けて言った。
「すまない。そろそろ行くよ」
「ええ、それは良かったわ」
悪びれもなく言うシェーリーの態度に、彼女の父親はどこか物悲し気にも思えるため息をついた。
そして
「今度来るときは、お前に仕事の依頼でもするよ」
とだけ言い残し、部屋をあとにした。
「やれやれやっと静かになったわね」
「ところでシェーリー、もしかして良いところの家柄の、お嬢様だっりするの?」
するとシェーリーは僕ののど元に爪を突き付けてきた。
「レイン、今度私のことをお嬢様なんて呼んだら、この爪であなたの首を掻き切って裏路地のゴミ集積ボックスに放り込むからね」
「あ、はい。ごめん」
どうやらシェーリーを怒らせたいときは、お嬢様と呼べばいいらしい。
FOREIGN BODY 八重垣みのる @Yaegaki
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