短編一気読み

異世界から来た人、伊瀬海人

「異世界から来ました。伊瀬海人いせかいとです」


 教室はその転校生の突然の発言に、笑うでもなく、どよめくでもなく、なぜかスッと受け入れた。


 伊瀬海人は中学二年のわりに背が高く、顔にクセがなく、ほどよい短髪で爽やかな印象。そのせいか、さっきの発言はボケやダジャレで言ったのかよくわからなかった。でも、真面目に言っているんだとしたら、その方がおかしい。


 おかしいと思う。おかしいと思っていた。


 ところで異世界ってたぶん人が亡くなった後とかに行きついて第二の人生を送ったりするアレだよな? 小説とかに出てくる。


 海人は私の右隣の席に着いた。私の席はこの前の席替えによって右端の二列、黒板から一番遠い後方の席で、右隣は誰もいなかった。ちなみに私の名前は伊瀬美波いせみなみ。同じ名字の人に出会うのは家族や親戚以外で初めてだった。


 頬杖をついて伊瀬海人のいない左側に目を向ける。遠い窓の向こうは雨。グラウンドはぬかるんでいそうで、体育は外で出来そうにない。やがて夏の日差しが照りつける頃には、外で運動するのも嫌になるだろう。



 本題には多少関係して、そんなに関係しないけど、海人は運動神経が良かった。雨の日のミニバスケでは高身長を活かして、ダンクシュート! とはいかないけど、安定してレイアップシュートを決めた。


 その姿はカッコよかった。でも、初対面であんなことを言われたから、どんなふうに海人を見ていいか、よくわからなかった。


 異世界から来ました、それだけでも十分おかしい。でもみんな、そのことはあまり気にしていない様子。私も、そこまで。


 だけど海人は、私の隣の席に着くとき、小さく呟いた。


「俺は君を救うために来た」

「へ?」

「時間の異なる並行世界から」


 このときも笑っていいのか、怖がっていいのか、わからなかった。ただなぜか海人は真っ直ぐ黒板の方を見ていた。かと思えば今度は机に向かってノートを広げて、何かシャーペンで書き、切れ端を破いた。そしてノールックで少し離れた私の机の方に手を伸ばした。


 訳もわからず受け取ると、そこに書いてあった文字はさすがに怖かった。




君は夏休み、交通事故で亡くなる。その運命を変えたい。




 私はどうしたらいい? 体育館にはシューズが擦れる音と、滝のような雨音が響いていた。



 海人は、未来について何かを知っている証拠のつもりなのか、転校してきて私とやりとりした後、ノートにクラス全員の名前を席の並び通りに書いた。


 夏休みの後、あいつは髪型をああするとかも書かれたけど、さすがにそれは今確かめようがない。


 それに、本当に私が夏休みの間に死ぬとすれば、その姿を見ることもないんだろう。


 だけど、仮に海人を信用したとしても、私はどうしたらいい。交通事故で亡くならないようにするって。夏休みに外へ出なければいいのか。


 海人は具体的な方法について語らない。横顔を見ても何を考えているのかわからない。


 もしも、普通にからかっているだけだとしたら。だとしても、悪趣味だし、よくわからない。


 ただ、私もこんなことを言われて、少し意地悪な心が生まれた。


「ひょっとして、私のこと好き?」


 たまたま掃除のとき、海人と二人になった廊下で聞いてみた。


 本気でそういうふうに考えたわけじゃない。でも、ちょっとはある。からかっているにしても、本気で言っているにしても、それは好きだからなんじゃないか。


 いや、動揺させて、真意を聞くのが目的だった。はず。


 そして海人は答えた。


「いや。美波じゃなくて、美波を好きな人が好き」


「それは、つまり?」


「俺がここと時間の違う並行世界に来たとき、美波はもう死んでた。んで、俺はたまたま美波を好きになった子を好きになった」


「んーと。ごめん、よくわからない」


「俺が好きになった子が、好きな子を失って悲しんでた。だからその運命を変えに来た」


 私を好きな子。それは誰? 思い当たらない。普段、友達として接している誰か? それとも、特に話したことがない子?


 海人はそれが誰なのかは教えてくれなかった。とりあえず、海人が私のことを好きじゃなさそうなのはわかった。


 それはそれとして、ちょっと気になる。


 海人がそこまでする気になるほど好きになった相手。


 てか、並行世界から来るってそんな簡単なの。


「できるってわかれば簡単だよ。でも誰も本気で信じられないだろ。信じる、感じる、それだけで行ける」


「じゃあ、私も?」


「ああ。ただ制限はある。俺がここにいられるのは、本来、俺が転校してきた時間まで。わかる?」


「いや、わからない」


「さっきも言ったけど、俺が本来ここに来たとき、もう美波はいなかった。でもそこから俺は、まだ美波のいる時間に来ている」


「うん」


「だけど本来の俺が現れる時間が来たら、今の俺はいなくなるんじゃないかってこと」


「なる。それで今度のそのときは、私生きてるかな?」


「あぁんと」


「あり?」


「まぁ、生きていたとしたら、世界が分岐するかも」


「分岐?」


「美波が生きてて、俺は元の並行世界に帰る。んで美波が生きた先は、本来の俺が現れた世界とも違うから、別物かも」


「え、でもそれだったら、海人が私を助ける意味ある?」


「あるさ」


 海人はそれからなぜか黙ってしまった。たいしてゴミのない中、ひたすら廊下を箒で掃いていた。



 私を助けられたら、それでいいのか。私を好きだという謎の子のために?


 でも海人が戻る並行世界が特に変化しないままだったら、その子は悲しんだままじゃないか? 違う世界で私を救ったとでも言うのか?


 それとも海人はその子のために私を救ったという経験が欲しいだけなのか?


 そして、私は夏休みを無事に過ごすことができたら、海人に会えなくなるのか? 今ここに来ている海人とも、本来の海人とも?


 申し訳ないけど、私のことが好きだという謎の子といられる日々が続くことより、海人に会えなくなることの方がまだ気になるかもしれない。



 試しに一度私は、時間の異なる並行世界へ来てみた。


 私は海人のおかげで本気で並行世界を信じることができた。と言っても正直、本気で信じることができたかというと怪しい。それでも実際来ることができたんだから、余計海人のことは信じられる気持ちになった。


 携帯を見ても黒板の日付を見ても、まだ本来の海人はもちろん、今の海人も現れていない時間の世界。ここでもう少し待てば、今の海人が現れて、また「異世界から来ました。伊瀬海人です」とあいさつするはず。


 そう思ったら誰も来ない。なんで?


 これができたら実質何度でも会えることになるから? 海人を最初から信じた状態で会っちゃうのはまずいから? そもそも今の海人が来た世界とは別の世界だから?


 てか、今更だけど本当に私、死ぬ予定だったのか。本来の海人が転校してきたときにはもう死んでたんだ。


 変な感じ。その運命は本当に変えちゃっていいの? 何かおかしなことにならない?


 私が生きたら、今の海人には会えなくなる。この前海人から言われたように、本来の海人も、私に会えないのが運命だったはず。


 じゃあ、私が生きた先で教室にいるのは誰? いつもの人たちと、海人が好きになった、私のことが好きな人?


 でも私はそれが誰か知らない。もしも海人が転校してくること自体は変わらなかったら、私と海人と、私を好きな子の三角関係が始まる?


 頭が混乱してきた。


 未知の話かもしれないけど、ちょっと海人に聞きたい。私が生きたその先を。



 ノートに書いて破いた。



私が生きたら、やっぱ海人にはもう会えない?



 返事が破られて来た。



たぶん



 短い返事だった。それにまた返した。



生きて、海人にまた会う方法は?



 少し返事までの間が長かった。



たぶんない



 その返事に、私はまた意地悪で返した。



そしたら、死んじゃうかも



 海人はそれを読むなり、ため息をついた。それから、ある告白が来た。



俺、異世界から来たんだ。

異世界では勇者だった。

元の人生では、嫌なことがあった。

転校生との恋愛に関するいざこざ。

それでわざとトラックにはねられた。

そしたら異世界に行けて、楽しめた。

でもそのあと、やり直したいって思った。

何かを奪われたような気がしたから。

それで時間の異なる並行世界を経て、

今はここにいる。

今俺は、私の右隣にいる。



 海人は、私だった。


 私は死んで、異世界で勇者になった。そして海人になった。私を救いに来た。


 私が夏休みを無事に過ごすことができたら、海人の運命も変わる。というか、私を救いに来ることまでが、運命だったのかもしれない。


 変な話だ。かつて私が死んだから、私は海人に会えた。


 私が生きるということは、そこのぐるぐるから抜け出すこと。もし死んでしまったらまた同じことが繰り返されるか、勇者になれなかったらそのまま終わりか。



 今のところ、私は決めている。


 海人は真実を告げ、まるで最初からいなかったように消え、なぜか机だけ残った。


 本来の海人が来る時間にはまだ早いはず。外は雨。海人が消えたのは私が、生きてほしいというメッセージをちゃんと受け止めたから?



 チャイムが鳴って、みんなが席に着く。廊下から足音がして、先生と誰かが扉を開けて入ってくる。


 入ってきた誰かは、海人とは似ても似つかない誰かだった。


 本来の私は、この人と誰かをめぐって、死んでしまうことになったのか?



 夏休みはまだ少し先。これからどんなことがあって、どんな気持ちになるだろう。


 今の私にはまだ、未経験なこと。


 辛くなったら、泣いてしまったりするだろう。


 異世界に行きたい気持ちにもなるのかな。


 そしたら心の中の海人が、止めに来るかな。


 今のところ、私は決めている。


 夏の日差しを浴びる。トラックは避ける。










「え、異世界って、あの?」


 海人の告白を見て、心の中で思ったこと。並行世界だけじゃなく、異世界は異世界で、本当にあるんだね。

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異世界から来た人、伊瀬海人 浅倉 茉白 @asakura_mashiro

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