第8話 大団円

 二人がいるその部屋は、桑原の部屋であった。

 その前の晩、二人は結ばれた、本来であれば、温泉宿で結ばれるはずだった二人なのだが、まさか、殺人事件が起こるなど思ってもみなかったので、その日はそんな雰囲気になれなかった。

 しかし、二人の気持ちは決まっていたので、二人が愛し合うということは決まっていて、

「いずれ、近いうちに」

 とお互いに思っていた。

 それも、本当に近いうちにと二人ともが思っていて、それが昨夜になっただけのことだった。

 この時、それまですれ違っていた気持ちも一つになった気がした。さくらにとって、桑原が、桑原にとってさくらが、かけがえのない存在であり、

「もっと早く、こうなっていたかったわ」

 とさくらは言ったが、

「そうなんだけどな。でも、僕の気持ちが整理をつけられなかったのさ。たぶん、それはさくらさん、君も同じなんじゃないかな?

 と、桑原は言った。

「ええ、そうなの、お兄ちゃんが死んでから、ずっと蟠りのようなものがあったの。それが何かということを、今知ったような気がする。今の桑原さんのその顔、私は今懐かしいと思って見ているんです」

 というさくらの話を聞いて、

「やっぱりそうだったんだね。君のお兄さんは、君を愛していたんだろうね」

 と言って寂しそうな顔をした桑原だった。

 しかし、この悲しそうな顔は、兄が妹を愛していたことに対して、兄なりに悩んでいたということに対しての、寂しそうな表情ではない。まるで、お兄ちゃんが、捕らわれていたものを、いかに解釈できるかということを、今さらながら、桑原は考えているようだった。

「さくらちゃんが、僕のことを、今になっても、桑原さんと呼んでいるわけが分かった気がした。君はどうしても、お兄ちゃんと僕とを切り離して考えたいんだね? つまりは、今までは僕の後ろにお兄ちゃんを見ていたのではないかと思うんだけど、違うのだろうか?」

 と、桑原は感じ、それをさくらに正直に聞いてみた。

「そうかも知れない。桑原さんが、お兄ちゃんと同じ、博人であると知った時、私は桑原さんの中に無意識に死んだお兄ちゃんを見てしまっていたのね。桑原さんは、それを知っていて、敢えて、知らないふりをしていてくれたのね?」

 とさくらがいうと、

「僕は、さくらちゃんの気持ちも分かる気はするんだけど、いつまでも、僕にお兄ちゃんを見続けるのは、さくらちゃんにとって、いいことではないと思ったんだ。最初は、そのトラウマのようなものを取り除いてから、さくらちゃんと一つになりたかったんだけど、そうじゃないと思ったんだ。この僕が取り除いてあげるために、さくらちゃんを抱くんだという気持ちになることが大切だと思ったんだよ。だから、僕は躊躇しなかった。今日という日を選んで、さくらちゃんと一つになったのさ」

 と桑原がいうと、さくらは顔を真っ赤にして、何もいわずに、桑原の胸に抱きついたさくらだった。

 桑原も、さくらも、お互いに何もかも、分かってしまったような気がした。だから、警察から、

「旦那の死体が発見された」

 と言われた時、ビックリはしなかったが、

「死体はどこかに隠されていたのか?」

 ということを桑原が聞いた時、さくらは少しびっくりした。

 さくらは、完全に事件のすべてが、白日の下に晒されたとは思っていなかった。

「さくらだけが知っている事実」

 もあると思っていたからだ。

 ただ、それも、いつまでも隠しておけるものではないと感じていたが、さくらの中で感じている思いは、

「毒を食らわば、皿まで」

 という思いであった。

 ただ、この思いが微妙に違っているかも知れないということをさくらは分かっていなかった。さくらだけが知っている事実、それは、他に言い表すには微妙な事実だったからであろう。

 警察の方とすれば、

「旦那の死体が発見された時点で、関係者にいろいろ聞いてみたい」

 ということだったようだが、二人はお互いに、

「これと言っては何もないです」

 とおいうのだった。

 ただ警察は、桑原が、

「死体は隠されていたんですか?」

 という質問を敢えてしてきたことを気にしていた。

 今まで見つからなかったのは、普通に考えて、簡単に見つかるようなところにはなかったということを示しているはずなのに、それを敢えて聞いてきたということは、何かを意味していると思ったのだろう。

 さくらはさくらで、桑原は桑原で、思うところがあったはずだ。しかし、さくらは今回、桑原からショッキングなことを聞かされたのだが、そんなにショックではなかったということは、どうやら最初からさくらはこのことを知っていたのだろうと、桑原は感じたのだ、

 それがどういうことなにかというと、

「桑原は、兄の博人を知っていた」

 ということであった。

 桑原は、だから、さくらと会うのは初めてではない。一度だけであったが、兄の知り合いということで、兄に紹介されたことがあったが、まったく桑原に対して意識はなかった。その時は、兄も視線が気になって、友達どころではなかったというのが本音だっただろう。

 そして、桑原は、兄の葬儀にも来てくれた。その時、桑原が、何かを知っていて、それを言いたくて仕方がなかったが、まさか、葬儀の時、家族が悲しみに打ちひしがれている時にいえるものではないと考えていた。

 さくらの方も、頭の中では兄の死にパニックになっていて、自分の考えだけで、精一杯だった。

 さくらは、ずっと兄を、いや、兄の目を避けてきた。

 兄の目は日増しに、さくらを、

「一人の女」

 として意識するようになっていた。

 そのことを、兄も意識していたに違いない。

 だからさくらは、兄が無謀な運転で事故を起こしたと聞いた時、

「無理もない」

 と感じた。

「私のことを考え、悩みながら走っていたので、それであんな事故を……」

 という思いから、さくらは自分を責めた。

 それが極度の自己嫌悪に陥ってしまい、兄に対してのトラウマは、一生消えないのではないかと思うようになっていた。

 だが、それは間違いであったことを知ったのは、それから半年ほどが経ってからだった。

 桑原が、さくらの前に現れて、さくらのことを意識し始めたのを感じると、兄のような慎重な性格の人が、事故を起こすということに、不可思議な違和感を覚えた意識が、また戻ってきたのだった。

「お兄ちゃんは、本当に事故だったんだろうか?」

 と感じた時、桑原から、温泉の誘いが来たのだった。

 実際に温泉に来てから、さくらは、自分の人生が変わったことを自覚した。

 桑原が、夕食後、

「少し散歩してくる」

 と言って、出かけたのだ。

 その時の桑原の表情が、少し上の空でありながら、何かを思い詰めているように見えたのが気になった。

 そもそも、この旅行は彼が言い出したことであり、なぜ、あんなに思い詰めているのかが気になっていた。

 そういえば、さくらは、今回殺されていた女性を、どこかで見たことがあると、後でずっと考えていた。それがどこだったのかを思い出したのが、家に帰ってからのことだった。

 さくらは、実は、この旅行に行く少し前に兄も事が気になってこの部屋に入った。母親はまだ、兄の死を受け入れられない様子だったのか、それとも面倒臭いと思ったのか、兄の部屋を片付けようとはしなかった。そこで、兄のアルバムを見ていると、そこに今回亡くなった、堀越いちかが写っているではないか。しかも、仲睦まじくである。(時系列的には合わないが、それは後述で分かることである)

 それなのに、兄の葬儀に顔を出した様子もない。彼女の端正な顔立ちから考えれば、もし見ているとすれば、忘れることはないだろう。

「これは一体……」

 と思っていると、この間の温泉旅館での桑原の行動が頭によみがえってきた。

 彼は、旦那の方を呼び出した。そこで、何やら言い争いをしている。その喧噪な雰囲気は、今まさに掴みかからんとしているようで、近づくことができなかった。

 かなり大きな声で言い争いをしているようだったが、何しろ待ち合わせが滝つぼの近くだったので、声が聞こえるわけはなかった。

 すると、桑原はおもむろにナイフを取り出し、男の胸を突き刺した。

「わっ」

 とさくらも声をあげたが、その声が通るわけもない。

 その声の大きさに、さくらは自分でビックリしただけだった。

 桑原は、我に返ったのか、ナイフを手に持って、急いでその場を立ち去った。ナイフを最初から持っていたのだから、相手を殺すつもりではいたのだろうが、実際に殺してみると、急に心細くなって逃げだしてしまった。きっとそんなところだろう。

 さくらは、怖いという気持ちよりも、好奇心の方が強かった。

 その場所に行ってみると、すでに男は事切れていた。そして、その手には封筒のようなものが握られていた。それをこわごわ覗いてみると、さくらにも、なぜ彼がこの男を殺さなければいけなかったのかということが分かった気がした。その手紙は脅迫文だったのだ。

 さくらは、我に返ると、

「私が、桑原さんを助けないといけない」

 と感じた。

 なぜなら、さくらは、自分の気持ちの中で、

「本当のことが分かっていれば、私がこの男を殺していたのだろう。それを桑原さんが身代わりになってくれた」

 という意識があったのだ。

 ただ、

「どうして、桑原さんが?」

 という疑問もあったが、それも、兄のアルバムを見ると分かった気がした。

「桑原さんと兄は、ずっと以前から親友だったんだ」

 ということであった。

 ただ、それを桑原は話してくれなかった。それは、さくらをこの事件に巻き込みたくないという思いからなのか、それにしても、兄の存命中ですら、紹介もしてくれなかったではないか。

「でも、名てよ?」

 とさくらは感じた。

「桑原さんが口止めしていたのかも知れない。桑原さんが私のことを好きだから、それを自分から告白したいと思いがあったのか、それともサプライズでも考えていたのか、自分の口からいうつもりだったのだろう」

 それなのに、なぜさくらを連れて、わざわざここに来たのだろう?

 桑原は、二人がここに来ることを事前に知っていたのだろうか?

 ただ、実はさくらも、一週間前にこの宿に一度来ていたのだ。その時は日帰りでの温泉だったのだが、その時は、招待状が届いたからだった。

 さくらはそれを、かずさのサプライズだと思っていて、ありがたく受け取った、かずさには問い詰めても口を割ることをしないのは分かっていたからだった。

 だから、さくらは、この滝のことも知っていたし、奥に祠があるのも知っていた。知っていて、祠に、男の死体を隠し、一時的に、死体が発見されるのを遅らせたかった。

 その理由は、

「犯行時刻を分からなくしたい」

 ということであった。

 実は、さくらが一週間前に来た時、毒殺された彼女もちょうど来ていて、温泉で一緒になった時、彼女は自分が、昔付き合っていた男がバカな男で、美人局をすると、簡単に金を持ってきたなどと自慢話をし始めた。だから、男湯と女湯の暖簾が一週間で変わってしまい、男湯と女湯が入れ替わることにビックリしたのだった。

 そして、その男性はかわいそうに、交通事故で死んだということを言った時、さくらはビックリして、その人のことを少し聞き出したが、大学が兄のいっていた大学だということと、さらに自分が今度結婚した男性も共犯であるということを、ほとんど自慢話のようにいうのだった。

 この手の女は、悪いことだと分かっていても、自分の自慢話だと思うと、話すことを我慢できなくなってしまうのだろう。まるで湯水のごとく、口から彼女の本性が語られる。それを聞いて、さくらは、

「絶対に許せない」

 と思った。

 彼女の旦那になる男にも近づいてみたが、結婚したことを後悔しているという。そして、自分の彼女のことを恐ろしいと思うようになったということで、さくらは色仕掛けで、この男を騙し、

「あの恐ろしい女に、私とのことをいう」

 と言って脅かせば、彼も女を殺すことに同意した。

 そこで、この男はやくざともつながっていたので、毒薬を手に入れることも難しくはなく、彼女に毒を盛ることで、復讐を考えたのだ。

 しかし、まさか桑原さんが、自分の復讐を、別の形でアシストしようとしていたなんて……。

 と思った。

 だから、彼を助けなければいけないと思ったのだが、一体何が彼をここまでにしたのだろう?

 さくらは、二人が親友だというだけでは、ここまでのことはないと思ったのだろうが、後から考えると、

「あの旦那が、さくらのことを狙っていたのかも知れない」

 と思えたのだ。

 だから、さくらは、彼を抱き込んで仲間に引き入れたつもりだったが、桑原はそれを知らないので、彼がさくらに接近しているのを、危ないと思って、彼の殺害を計画したのだろう。

 そういう意味では、桑原は誰も殺すつもりはなかったのかも知れない。しかし、さくらが企てたことを、桑原が知らなかった。桑原はさくらのことも、事件のことも自分が一番知っていると思っていたことが、桑原の大きな間違いだったのではないだろうか。

 さくらは、それを知ると、どうしていいのか迷っていたが、さくらの様子を見ていて、桑原は気づいたのだろう。

「ある程度まで、さくらが分かってしまった」

 ということをである。

 そこで、彼は自首することにした。さくらも賛成で、二人で自首をした。

 さくらは、あくまでも、自分からいちかを殺害したわけではないので、罪としては、殺人の事後工作くらいだったので、情状酌量が適用され、執行猶予付きに軽い刑だった。

 しかし、桑原は実行犯でもあるので、そうもいかない。情状酌量の余地はあるが、収監されることは免れない。

 それでも数年で出てくるので、二人は、すぐに元に戻れるだろう。

 しかし、この事件の真相はこれですべて解明されたのであろうか?

 いくつかの謎に秘められたものがあったが、敢えて誰もそれを追求しようとはしなかった。簡単ではあるが、複雑な事件。こうして、事件は終わったのだった……。そう、事件は、

「交わることのない上に伸びるスパイラル」

 だったのだ。


                 (  完  )

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交わることのない上に伸びるスパイラル 森本 晃次 @kakku

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