狐の嫁入り―3
*
年が明けて、本番当日となった。
本番前に、外の空気を吸おうと思って玄関から出た。頬に触れる空気が冷たくて、思わず体を震わせる。ふと視線を動かすと琥珀がいた。同じように本番前に外の風に当たりにきたのだろう。寒いが、よく晴れていて心地がいい。
「あれ、雨?」
空は晴れているのに、はらはらと雨が降っている。あさぎが生まれたあの日のようだ。あさぎは、玄関に置いてあった傘を手に取って、琥珀のもとへと駆け寄っていく。
「濡れちゃうよ」
「あさぎ、これは」
「小道具じゃない、ちゃんとした傘だよ。凪には怒られないよ」
琥珀はあさぎの手から傘を受け取ると、二人の間に持って肩を並べた。二人は並んであの日のことを思い出していた。
「あの日も、天気雨だったね」
「そうだな。天気雨は、狐の嫁入り、ともいうらしいな」
「そうなんだ。狐……。ちょっと親近感沸くね」
琥珀の視線が、あさぎの手の甲に注がれていることに気が付いた。そんなところまで、再現しなくていいのに、と思っていたが、そうではないようだ。
「琥珀?」
「ああ、いや、あさぎは、自分が狐だと分かってからも黄昏の苗字を使っているな、と思っただけだ」
あさぎは、花紋がはっきりとしてからも、山吹とは名乗らず、黄昏を使い続けていた。黄昏の方がしっくり来るし、凪とお揃いなことも気に入っている。だが、一番の理由は別にある。
「山吹は取っておくの」
「取っておく?」
「うん。琥珀がお嫁にもらってくれた時に、ね」
琥珀の顔を見ると、言えなさそうだったから、前を向いて雨を見たまま答えた。ちらりと肩越しに琥珀の顔を見てみたら、目を見開いて固まっていた。その顔が面白くて、あさぎは笑ってしまう。
「ふふっ」
「こら、笑うな」
「だって、琥珀の顔が面白くて」
「くそっ」
琥珀は悔しそうに言葉を吐いたかと思うと、あさぎの腰に手を回してぐっと引き寄せた。
「わっ」
「さっきの言葉、やっぱりなし、とか言うなよ?」
「もちろん」
平然と返したが、顔が近くて体も密着していて、心臓がうるさくて鳴りやまない。まともに顔を見られなくて、そわそわしていたら、耳元で琥珀が小さく微笑む声がした。あさぎの反応を見て楽しんでいたらしい。お互い様といえばそうだが、やはり悔しい。
「もう、琥珀!」
「なんだ?」
さらに顔を近づけてくる。手のひらで押し返そうと奮闘する。
「ちょっと! 二人とも何してるのよ、もう始まるわよ!」
玄関先から、凪の声が勢いよく飛んできた。二人は弾かれるように急いで芝居小屋の中に走って戻った。結局、また凪に怒られてしまった。
開演の時間になり、舞台袖に行くと、花音と雪音に衣装を濡らして、と怒られてしまった。佐奈と寧々には、落ち着いて頑張れ、と励まされた。
あさぎは、大きく深呼吸をした。
今日の芝居の口上は凪が担当だ。凪が幕の前をゆったりと歩く。
『昼と夜の狭間、黄昏時にだけ語られる物語。あやかしものがたり。さあ、本日も幕が上がります。――狐ものがたり』
黄昏座の芝居の幕が上がる。
「よし、いってきます」
観客の待つ、そして琥珀の待つ舞台へと、あさぎは駆け出した。
(了)
明治あやかし黄昏座 鈴木しぐれ @sigure_2_5
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます