狐の嫁入り―3


 年が明けて、本番当日となった。


 本番前に、外の空気を吸おうと思って玄関から出た。頬に触れる空気が冷たくて、思わず体を震わせる。ふと視線を動かすと琥珀がいた。同じように本番前に外の風に当たりにきたのだろう。寒いが、よく晴れていて心地がいい。


「あれ、雨?」


 空は晴れているのに、はらはらと雨が降っている。あさぎが生まれたあの日のようだ。あさぎは、玄関に置いてあった傘を手に取って、琥珀のもとへと駆け寄っていく。


「濡れちゃうよ」

「あさぎ、これは」

「小道具じゃない、ちゃんとした傘だよ。凪には怒られないよ」

 琥珀はあさぎの手から傘を受け取ると、二人の間に持って肩を並べた。二人は並んであの日のことを思い出していた。


「あの日も、天気雨だったね」

「そうだな。天気雨は、狐の嫁入り、ともいうらしいな」

「そうなんだ。狐……。ちょっと親近感沸くね」


 琥珀の視線が、あさぎの手の甲に注がれていることに気が付いた。そんなところまで、再現しなくていいのに、と思っていたが、そうではないようだ。


「琥珀?」

「ああ、いや、あさぎは、自分が狐だと分かってからも黄昏の苗字を使っているな、と思っただけだ」


 あさぎは、花紋がはっきりとしてからも、山吹とは名乗らず、黄昏を使い続けていた。黄昏の方がしっくり来るし、凪とお揃いなことも気に入っている。だが、一番の理由は別にある。


「山吹は取っておくの」

「取っておく?」

「うん。琥珀がお嫁にもらってくれた時に、ね」


 琥珀の顔を見ると、言えなさそうだったから、前を向いて雨を見たまま答えた。ちらりと肩越しに琥珀の顔を見てみたら、目を見開いて固まっていた。その顔が面白くて、あさぎは笑ってしまう。


「ふふっ」

「こら、笑うな」

「だって、琥珀の顔が面白くて」

「くそっ」

 琥珀は悔しそうに言葉を吐いたかと思うと、あさぎの腰に手を回してぐっと引き寄せた。


「わっ」

「さっきの言葉、やっぱりなし、とか言うなよ?」

「もちろん」


 平然と返したが、顔が近くて体も密着していて、心臓がうるさくて鳴りやまない。まともに顔を見られなくて、そわそわしていたら、耳元で琥珀が小さく微笑む声がした。あさぎの反応を見て楽しんでいたらしい。お互い様といえばそうだが、やはり悔しい。


「もう、琥珀!」

「なんだ?」

 さらに顔を近づけてくる。手のひらで押し返そうと奮闘する。


「ちょっと! 二人とも何してるのよ、もう始まるわよ!」


 玄関先から、凪の声が勢いよく飛んできた。二人は弾かれるように急いで芝居小屋の中に走って戻った。結局、また凪に怒られてしまった。


 開演の時間になり、舞台袖に行くと、花音と雪音に衣装を濡らして、と怒られてしまった。佐奈と寧々には、落ち着いて頑張れ、と励まされた。

 あさぎは、大きく深呼吸をした。


 今日の芝居の口上は凪が担当だ。凪が幕の前をゆったりと歩く。


『昼と夜の狭間、黄昏時にだけ語られる物語。あやかしものがたり。さあ、本日も幕が上がります。――狐ものがたり』


 黄昏座の芝居の幕が上がる。


「よし、いってきます」


 観客の待つ、そして琥珀の待つ舞台へと、あさぎは駆け出した。


(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

明治あやかし黄昏座 鈴木しぐれ @sigure_2_5

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ