狐の嫁入り―2
*
年の暮れ、黄昏座は無事に修理を終えた。あさぎたちは数週間ぶりに帰ってくることが出来た。客たちが、おかえり、と花をたくさん贈ってくれた。人間も妖もどちらからも。
久しぶりに大部屋に集まった座員たちは、琥珀の言葉に耳を傾けている。
「さて、黄昏座の再出発の芝居は、あさぎを主役に据えようと考えてる。役者になれる素質は充分、ここで一つ看板となる芝居を、と思ってな」
「ええと思うわ」
「前々から、狐の話、考えてた」
佐奈が、ゆっくりとした口調でそう言った。最近、佐奈は少しずつだが自分の声で話すようになってきた。皆ともっと話したいから、と言っていた。通達のおかげで、家のことも少し気楽に思えるようになったのかもしれない。
「じゃあ、その芝居を新春公演とする。皆、よろしくな」
その後、佐奈から脚本を受け取り、さっそく稽古に入った。
物語は狐の少女が中心となって描かれる。この少女をあさぎが演じる。少女は家からお見合いをするように言われている。だが。
『私は、家に縛られるのは嫌。相手は自分で見つけたい!』
『ちょっと、待ちなさい!』
花音が演じる家族の制止を、少女は振り切る。
ある日、立ち寄った神社で、一人の青年と出会う。この青年は琥珀が演じる。
『こんにちは、お嬢さん』
『こ、こんにちは』
少女は、不思議な雰囲気を持つ青年に一目惚れをする。それは青年の方も同じだった。少女は神社の息子である青年に会うため、毎日神社に通い、交流を深めていく。二人はどんどん惹かれ合っていく。
そして、少女は決意をする。
『お願い。お見合いを断って欲しい。私には大切に思う方が出来たの』
『狐の相手は狐でなければならないのですよ。何者かも分からない者より、狐であるこのお相手にしなさい』
『私はあの人と一緒になる。絶対に』
最終的に家族が根負けして、お見合いは断ることとなった。少女は、青年に想いを伝えるために神社へと急ぐ。しかし、青年には会えなかった。何度会いに行っても会えない。少女は、神主に尋ねる。
『どうして、あの人はいないのですか』
『お見合いを断られて、落ち込んでいるのだよ』
この神主は寧々が演じることになっている。男性の役なのだが、寧々が男装に挑戦してみたいとのことで、この配役になったらしい。最初は驚いたが、案外合っている。
『あの人にお見合いの話があったのですか……』
『はい、あなたとの』
『えっ』
ここで、家が用意していたお見合いの相手が、神社の青年その人だったと発覚する。青年はそれを知っていたため、正式な見合いの前に、少女が会いに来ているのだと思っていたという。そして、振られたのだと。
『違う、私、知らなくて』
少女は、神社の真ん中で、青年に向けて言葉を紡いだ。
『私は、お見合いとは関係なく、あなたに出会って、あなたに惹かれた。お願い、もう一度私と会ってはもらえませんか』
少女の呼びかけに、青年が顔を出す。
『お見合いをすることは、正直憂鬱だったけれど、あなたみたいな人となら、と思いました』
青年は、少女に手を差し出した。琥珀のこの動きは初めて芝居で見たものだ。それが目の前にあるのは何だか不思議な気持ちになる。
『もう一度、あなたにお見合いを申し込みます。受けてくれますか』
『はい。もちろん』
少女と青年は、鳥居の下で互いに手を取り合い、再び心を通じ合わせた。
ここで幕が下りる、予定だ。
「よし、今日はここまでにしよう。お疲れ様」
稽古の最後に、通しをして、今日は解散となった。
あさぎは、台本片手に立つ琥珀に手招きで呼ばれて、その隣に並んだ。
「どうしたの?」
「この脚本、佐奈さんが、俺かあさぎの心の声聞いた上で書いてるよな」
「ああ、この初めて会ったときに『お嬢さん』って声を掛けるところとかね。佐奈ちゃんに聞いてみたんだけど、無言で笑顔返されて終わっちゃった」
「佐奈さん、最近遠慮がなくなっているというか。まあ、いいことではあるが」
「そうだね」
ふと、琥珀はきょろきょろと辺りを舞台上と客席を見回した。誰もいなくなったことを確認してから、さらに声を潜めて聞いてきた。
「えっと、その、今回も、相手を見立てて演技をしているのか?」
「えっ、なんでそのこと知って。雪音くんから聞いたの?」
「ああ」
まさか雪音が本人に言っているのは思っていなかった。どうしよう、見立てるも何も、本人が相手なのだから、演技には何も困っていないのだが。今、とても困っている。
「相手が誰なのか知らないが、そうか、本当だったのか」
「ん?」
相手が誰か知らない、と言った。つまり、あさぎの想い人が琥珀であることは、まだ伝わっていない、ということだ。あさぎはほっとため息をついた。
だが、百鬼夜行のことが解決したら、想いを伝えると雪音に宣言しておきながら、ずるずるとここまで来てしまっている。言わなければ、ちゃんと伝えなければ。
「あのね、琥珀」
「――だめだ」
「え」
琥珀の低い声がしたと思った次の瞬間には、あさぎは琥珀の腕の中にいた。力強く、逃がさない、と言っているような。
「あさぎに誰か想い人がいるのだとしても、渡したくない。一番近くにいるのは俺がいい。あさぎ、好きだ」
「琥珀……」
あさぎの胸の中に、花が一気に咲いたかのような華やかで幸せな想いが広がった。琥珀が、あさぎのことを好きだと、そう口にした。あさぎの一方通行な想いではなかったのだ。こんなに幸せなことはない。
だが、琥珀は、あさぎに別の想い人がいると、勘違いをしてしまっている。
「琥珀、待って」
「待たない」
ぐっと抱きしめる力が強くなる。あさぎは、懸命に背中を叩いて、一旦離して欲しいと訴えた。渋々、といった感じでようやく離してくれた。
あさぎは、琥珀の目を真っすぐに見つめて、めいいっぱい想いを乗せて、伝える。
「私が見立てていた想い人は琥珀だよ。私は、琥珀のことが好き。これからも、傍に居たい」
「ほん、とうか……?」
「うん」
今度はあさぎから、琥珀に抱きつく。この想いが伝われ、と回した腕にぎゅっと力を込めた。琥珀が、そっと優しく柔らかく抱きしめ返してくれた。一方の手が、あさぎの髪飾りに触れた。しゃらりと、綺麗な音を立てる。
「琥珀、私を見つけてくれて、ありがとう」
「こちらこそ、俺と出会ってくれて、ありがとう」
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