2 ようこそ、【デスクエスト】へ。

 取り入れた酸素とともに回り始めた脳が、少女の悲鳴とともに回路を切り替える。

 

「だ、誰かっ、助けて……っ!」

 どうやら他の客に押し飛ばされたらしい件のJKが、地面でくたばっていた。足を痛めたらしく、彼女は冷や汗を垂らしながら必至に腕を使って這いずっている。友達はどこに行ったのか。車両には既に俺と彼女と、事切れた死体のいくつかしかなかった。

 

 JKと視線が交錯する。彼女はだらだらと涙を流しながら、縋るようにこちらを見上げていた。苦痛に顔を歪める彼女は、震える声で、絞り出すように言う。


「助け……て」と。「死にたく、ないよぉ……」

 

 ああ、ああ……。

 なんでだよ。なんで、今日なんだよ。明日、好きなアニメのグッズの発売日なのに。なんでだよ。なんで、俺なんだよ。アホだ、どいつもこいつも。助かる見込みなんてないのに、下らない偽善にいつまでもがんじがらめに振り回されて、正解を知りながらそれを選択しないなんて、アホだ。

 

 そうだろう。知っているはずだ。ここでの正解は、見捨てて逃げることだろう。

 

 死ねばいいと、思ってたのに。いざ前にするとひどく恐ろしくて。己の臆病さに、思わず笑いが込み上げそうになる。 


 ああ、ああ……。


「人生……」

 

 ……俺は、阿呆だ。


「人生、楽しんでますかぁっぁああああッ!」

 

 がむしゃらに地面を蹴った。JKに手を伸ばす。


「手を取ひぇッ!」

 うわずった声。

 瞬間、ミノタウロスの眼光が赤くきらめいた。数m先の化け物が、すかさず獲物に向かって走り出す。肝っ玉が冷えて、差し出した手を引っ込めそうになって、舌を噛んで堪えた。

 

「ひ……ぐぅ……あっ」

 苦痛に顔を歪める彼女の白く細長い指先が空を切る。咄嗟に地面を蹴って、少女を最大限の力で抱え上げた。お、おもてぇ……。


「片足だけでも歩けるか……?」

「なんで、なんで……」

「いいから、痛くても歩いてくれ、頼むからッ!」

 

 JKに肩を貸して、二人三脚の千鳥足で歩く。

 何してんだ。何してんだ俺。……何してんだよ、俺ぇ。


 ゲロを吐きそうになって歯を食いしばる。人は死を前にすると、恐怖と不安に吐き気を催すらしい。

 

 ミノタウロスの気配が迫りくる。影が俺たちを覆い隠した。距離はすぐそこ。腕を振りかぶられれば、一瞬で死ぬかもしれない。 


 なんで、なんでなんでなんで、俺、何やって――


「――大丈夫ですかっ、篠崎さん・・・・ッ!」

 

 声とともに、二人の少年少女が車両に駆け込んでくる。ハッとなって顔を上げた。つい先程の魔石騒動で助けたビギナーの二人だった。男の子の方が胴ほどの長さの大剣を引きずりながら、がむしゃらに雄叫びをあげて突っ込んでくる。

 

 その背から伸びる影に隠れるようにして、少女がまっすぐに杖の先をミノタウロスに差し向けた。杖先に埋め込まれた赤色の宝石が輝く。


「【ファイア・バレット】ッ!!」

 

 頼りない炎の弾丸が宙を走り抜け、ミノタウロスの顔面で弾けた。

 威力は低いが、良い目眩ましだ。実際、ビギナー男子はミノタウロスの懐まで潜り込めた。


「【スラッシュ】ッ!」

 

 剣を振るというよりも、振られていた。ぐわんと大剣に引っ張られるように上体ごと動いて、ビギナー男子は「うおっ!?」と体勢を崩す。

 あの剣、さっき携えていたものと違う。どうやら誰かが落としていった大剣を拾ってきたらしい。

 

 そりゃ、慣れないことしたらそうなるって……。

 

 しかし、剣はミノタウロスの横っ腹を運良く捉え、10cmほど食い込んだ。

 

「グアァッ!!」 


 ミノタウロスは短い悲鳴をあげながらも、蝿をはたくようにビギナー男子を振り払う。指先が掠めるのが見えた。


「どぅえッ!?」 


 指先だけで呆気なくぶっ飛んだビギナー男子は、あろうことか、するすると隣の車両まで吹っ飛んでいく。

 

「ヒ、ヒバリっ!?」 

 

 ビギナー女子が叫ぶ。

 この車両には、すでに俺と、女子高生、ビギナー女子のみ。

 

 ……そりゃ、ビギナーが来て、何が変わんのって話だ。

 

「走れるか……?」


 肩にもたれ浅い呼吸を繰り返す女子高生に聞く。


「つか、走れ……っ!」

 

 返事を待たずに走り出して、首だけ振り返らせた。

 ミノタウロスはすでに駆け出して、こちらに。

 そそくさと逃げようとする俺の横を、ビギナー女子が颯爽と通り過ぎていく。

 

 ……は?

 え? なんで?


「篠崎さんはっ、逃げてッ!」


 杖を捨てダガーを引き抜いたビギナー女子は、「てりゃぁあああッ!」とそれらしい雄叫びをあげてミノタウロスに突っ込んでいく。

 いや、いやいやいや……。勝てる相手じゃ、ないだろって……!

 

 振りかぶられた棍棒がビギナー女子にぶち当たる。

 ぶちゅっ、と音が鳴って、額に何かが飛んできた。肉だった。脂肪やら何やらがへばりついて、赤黒くて、ときどき黄色い。誰の……? ビギナー女子のだ。え? あの女の子の?

 

 ……死んだ? 見れば分かるか。死んでるよ、そりゃ。だって、もう、ぐちゃぐちゃじゃんか。立ち込める異臭で、嗅覚が上手く機能していない。けれど、ああ、人は死ぬとこういう臭いを発するのだと、本能が理解した。

 

「くそっ」情けない悪態が漏れる。「くそ、くそくそくそっ」

 

 なんで、なんでこんな目に遭うんだよ。遭わないといけないんだよ。

 がむしゃらに走って、隣の車両まで転がるように逃げ込んで、何やら名前らしき単語を泣き叫ぶビギナー男子の腕を引っ張って、走った。 


 彼はずっと何か叫んでいたが、声は耳から耳を通過するだけで、情報がうまく脳で処理されない。

 少しずつ、背後から迫りくる足音が大きくなっていく。じわりと目の縁が熱くなって、「くそぅ」と絞りカスみたいな声が漏れた。 


 つまらない人生だった。きっと、この先もつまらなかった。どうせ生きても、くたびれたおっさんになって、誰にも気づかれず死んでいくのがオチのような。

 ……だったら、こっちのが、マシなのかなぁ。

 

 どっと力が抜けて、気づけば女子高生とビギナー男子をさらに奥の車両へと放り投げて、ミノタウロスを振り返っていた。 

 

 柄じゃないなぁ、と思う。

 俺、今日、なんかおかしいよ。いつもおかしいけど。おかしすぎて、女子に引かれてばかりの人生だったけど、そういうおかしいじゃなくて……いや、そうなのかなぁ。そうだったのかなぁ……。どうすれば、女の子と付き合えたかな。結局、彼女、作れなかったなぁ。

 

「走れッ!」

「いや、でも、あんた――ッ!」

「俺はッ!」 

 

 ほんと、俺、頭おかしーんだな。


「俺は、人生で今が、一番楽しいんだ! だから、邪魔すんなッ! お前は、そのJKを連れて逃げろっ! ここは、ここは……」

 

 ちょっと恥ずいな、とか、こんな窮地にも思っちゃう自分が、あまりにも情けない。


「ここは俺に任せて、先にいけってんだい!!」

 

 恥ずかしいのを誤魔化したくて、語尾が変にってるのも、ほんと、俺キモい。 


 素手のトーシローに、何が出来るだろう。まあ、死ぬよね。死んだよな、これ。まあ、一撃も食らわせなくていいから、せめて、避けまくろう。そんで、時間稼ぐ。……よし、やるか。

 

 息を吸って、止めた。頬を膨らませて、腹に力を込める。覚悟、決める。

 って、待った。待てって。……ミノタウロス、速すぎじゃねーっすか? なんで、もう、棍棒振るってんだよ。んで、なんで、もう、棍棒が目の前まで迫ってきてんだよ。

 

 走馬灯のように記憶の情景が駆け巡る。シネマのように、1コマずつ。

 高校時代。情けない思い出ばかりだった。

 友達居なくて、文化祭は図書室で眠ってた。昼飯のときは陽キャに席を奪われるから、湿った臭い体育館裏で菓子パンを貪ってた。放課はラノベ読んで、憧れてたな。「ここは任せて先にいけ!」とか、平気でやっちゃう主人公。……今の俺、それっぽく、やれてる? どうだろ。

 ……ろくでもない思い出ばかりだ。その中に、ふと、見覚えのない記憶があった。


『――起きてたんだ、ラルフ』

 鈴のような綺麗な声だった。

 霞がかった記憶の中、俺の隣。黄金を溶かして流したみたいな、艷やかな金髪の少女が体育座りをして笑っている。この世のものとは思えないほど、綺麗な少女だった。

 制服なんて着ちゃいない。彼女は御大層な甲冑を身にまとい、物騒な剣を傍らに置いていた。

『――カリンは、眠らなくていいのか』と、ぶっきらぼうに答えたのは、じゃあ、俺か。

『――最後の夜はね、ラルフと一緒に眠るって決めてたから』

 

 意気込んだように少女は両拳を握りしめ、ふんすと鼻を鳴らす。

 

『――そうか。……だが、最後の夜には、させない』

『――え?』

『――そう不思議な顔をするな』

 

 視界が持ち上がった。どうやら、俺は立ったようだ。ここは、城壁の上? やっぱり、ここは城らしい。それに地上が遠い。遥か地平線の先から、黒黒とした何かが迫ってきている。大地が揺れ、風のざわめきを肌に感じる。ゴゥゴゥゴゥ。不気味な音を立てて、何かが、来る。

 カーン、と鐘の音が何度も鳴って、誰かが叫んだ。


『――来たぞぉぉおぉおおッ! オーク軍が、攻めてきたァァああッ!』


 記憶の中の俺は剣を抜いて、少女に笑いかけた。


『――最後の夜にはさせない。言葉通りの意味さ。……そのために、俺はこの世界にもう一度来たのだから』

 

 ヴゥゥゥ。エンジンの駆動音が耳をつんざく。”俺”が上空を見上げると、空には、かつて歴史の授業で見たような、古びたヘリが飛んでいた。

 

 リン、とどこからともなく鈴の音が鳴って、気づけば、俺は放課後の無人の教室の中央で、座っていた。

 向かい合うように机が並べられていて、まるで二者面談のようだった。対岸には懐かしい顔が座っている。

 彼だ。神様が座っていた。

 

 これが記憶なのかどうか、何もかも曖昧だった。

 

『――それで、答えは出た? 僕が、ダンジョンを作った理由のさ』

『――いやーね、一夜じゃまるで……。というか、そんなん普通、分かるもんかな?』

『――分かるさ。君は……大切なことを見落としている。目をよく澄ますんだ。見逃さないよう、全部。だって君は、目がいいのだから。そうやって、僕が君を作ったのだから。ほら、目を覚ませ。行くぞ? せーのっ』

 

 神様は脈絡もなく拳を振りかぶると、こちらに思い切りそれを突き出す。

 

「うぉわっ!?」

 咄嗟に叫んで身をそらすと、気づけば電車に戻っていた。 


 無意識のうちに、体が紙一重で棍棒をかわしている。

 そのまま転がるように逃げて、呼吸を整えた。 


 ……夢を見ていた。俺じゃない誰かの夢。ラルフ。身に覚えなどないはずなのに、胸騒ぎがずっとする。ラルフ。名を呟くと、きゅっと胸が痛くなった。

 お前、誰なんだよ。俺なの? 分かんないけどさ。つか、痛すぎる妄想だったら、どうしよ。 


 でも、なんだよ。……もしかして俺の人生、楽しくなってきた?

 

 目を澄ませ。そうだ。俺は、目が良い。見落としていること。何か、大切なこと。  

 点滅する蛍光灯、大破した奥の車両、ATSUGIの看板、冒険者――プレイヤー……プレイヤー?

 

 灯台下暗しとは、このことか。床に転がるスマホの画面に映る迷惑メールが目に留まる。

 

『おめでとうございます! あなたは、世界に選ばれた28091人目のプレイヤーです!! 詳細はこちらをチェック→【URL】』

 

 咄嗟に誰のかも分からないスマホを拾い上げて、URLをタップした。

 画面が切り替わる。と、同時、確認する間もなく棍棒が走ってきた。

 

 歯を食いしばって前転する。ぶっ転がる。前後不覚のまま起き上がって、宝物よりも大切にスマホを抱えて走る。 

 

伊藤いとう治重はるしげ様、ようこそ、【デスクエスト】へ! あなたの職業は、【バックパッカー】。与えられた特殊能力異能スキルは、【持ち運ぶアイテムの重量を0にする】です!』

 

 なんだこれ。デスクエスト? 意味不明だ。


『チケット所有者の死亡を確認。お疲れ様でした。死亡処理続行――完了しました』

 

 画面がひとりでに切り替わっていく。

 ジジジ、と画面にノイズが走った。

 

「ッゔぁ”ッ!?」

 ミノタウロスの振るった棍棒の風圧でふっ飛ばされて、地面を転がる。

 スマホが手から離れ、つるつると奥へ滑っていく。

 

 這いつくばって、なんとか指先でたぐりよせて、画面を覗いた。


『ようこそ、【デスクエスト】へ。篠崎春人様、あなたは30//28/12//039人目のプレイヤーです』

 

 ……なんか、バグってる?


『伊藤治重様のチケットを、篠崎しのざき春人はると様に譲渡完了。篠崎春人様に特殊能力――【持ち運ぶアイテムの重量を0にする】が譲渡されました』

 

 

 

 

 

 

 

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モブキャラ社畜・底辺魔石鑑定師だったはずが、【魔物討伐デスゲーム】とかいう意味不明なデスゲームに参加させられてバズってる。 ~秘密裏に開催されるはずが、デスゲームがバグりすぎて表社会で目立ちすぎる話~ 四角形 @MA_AM

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