第28話 気まぐれな著書⑤
ペン回しをしながら、俺は次なる戦いに備えて単語帳をめくっていた。
数学が終わり、最後は英語だ。実を言うと、一番自信がある。言葉というものは、本を読む者にとっての基礎である。鵜瀬先輩に負けず劣らず、俺もたくさんの本を読んできた。数学という最大の山場を超えた今、気分的にも晴れている。
「ふぅ、落ち着け」
これは勝てる戦だ。気持ちを落ち着かせろ。
改めて、俺は今日までの勉強会を思い出す。例の気まぐれな本に惑わされ、一度先輩を疑ってしまった俺はスパルタ課題を突きつけられ、地獄のような時間を過ごした。それは同時に、第二の自分へと覚醒することに成功した。今の俺に敵はいない。今回のテスト、間違いなく過去最高得点となることだろう。
そうだ、俺はそれに見合うコストを捧げたのだ。迷うな、突き進め。
チャイムが鳴り、各々が机の上からシャーペンと消しゴム以外のものを取り払う。配られた用紙に名前を書き、俺は今一度精神を統一させる。
よし、いける。
元より、他の教科よりも得意という自覚はあったが、その日の英語は教室にいる誰よりも早く、それでいて誰よりも高い点数で解けたと、終わった瞬間に確信した。
「そうかそうか、出来が良かったか。なら、感謝してもらわないとな」
全てのテストを終え、できる限り可能だった自己採点の結果を伝えると、非公認教師は満足げに頬を緩めた。
「先輩、本当に勉強できるんですね」
「失礼だな。できないと思われていたなんて心外だ」
第二多読室の主、鵜瀬先輩は不服そうに眉根を寄せた。
失礼なことを言った自覚はある。
「小説とかだとお約束じゃないですか。探偵役が実は普通の勉強できないって」
「そうか?
「あー、それはあるかもしれません」
「まあ、あれだって本当は入試問題歴代トップなんだけどな」
「にわかファンとかに言っても信じてもらえなさそうですよね」
「そりゃ、普段は頭のいいクラスメイトを利用して点取ってるからな。現実じゃ絶対不可能なカンニング方法だけど」
「何でしたっけ? たしかカーボン紙を間に挟んで成績のいい生徒の答えを写させてもらったとかでしたっけ?」
「ああ、あんなの絶対バレるけどな。フィクションだし、真似されても困るからあれくらいがちょうどいいんだろうけど」
たしかに、あまりにも完成度の高いカンニングだと世間的に問題がありそうだ。
「しかし、図書委員の仕事はいいのか? カウンターの方には光一人しかいないだろ」
先輩が指摘する通り、今は放課後で担当図書委員は俺たち三人だ。だが、今俺は先輩が独占する第二多読室で先輩と一緒に自分たちの好きな本を読んでいる。テストを終えた己へのささやかな褒美だ。
「羽原が言ったんだ。勉強会の時のレファレンスで迷惑かけたからって」
「はぁ、真面目なやつだ」
「俺、少し悔しいです。結局、また先輩に頼って、何も役に立てませんでした」
「そんなこともないだろ。割といい線行ってたじゃないか」
「結果が全てです。俺の推理は間違っていて、先輩は合っていた。ほんと、まだまだ追いつけませんね」
「ん? 私に追いつきたいのか?」
先輩は不思議そうに俺の顔を覗き込む。
「俺だって、本に関する知識はあります。なのに、毎回頼ってばっかりで、なんかいつも負けてるような気分なんですよ」
「くだらないな。男ってのはすぐに比較したがる。私は天才で博識なんだ、負けることは当然だろう」
「えー、それ自分で言います?」
「事実だから仕方ない」
「うっ、何も言い返せない」
「まあ、これから少しずつ頑張るといい。この図書室には、いつだってレファレンスが届くんだからな」
先輩は己が勝っているということに優越感があるのか、嬉しそうに目を細める。
ああ、やっぱり悔しい。
歳だってそんな変わらないのに、本だって同じくらいたくさん読んでるのに。
いったい、どこで差がつくのだろう。
もしかして、それだけ愛されてるってことなのかな。
先輩は、本に。
「すいません鵜瀬さん、榎戸さん! お楽しみ中のところ申し訳ないんですが、またお願いしたいことが」
そのお楽しみ中のところって言い方やめろ、間違ってないけどなんか語弊がある。あくまで読書な、楽しんでたのは読書だから。
「ほら、早速来たぞ、私たちの大好物が」
「じゃあ先輩、勝負とかしてみます?」
「ふっ、面白い。受けてやる」
己が負けることなど露ほども想像せずに、先輩は自信満々に承諾した。
「え? なんか二人、勝負するんですか? リアルファイト的な?」
まさかのそっち路線かよ、普通にイメージするなら絶対ありえないだろ。
「光は冗談が上手いな」
「上手いとかそういう話ですかね?」
「まあいい。じゃあ、聞かせてもらおうか。今回のレファレンスを」
第二多読室の扉は、またも開かれる。次なるレファレンスを解き明かすために。
多読室のレファレンス 江戸川努芽 @hasibahirohito
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