第8話 大団円

 そんな光景を見た時、その老人がどうなってしまったのか分からなかった。

 今では、

「認知症」

 という言葉を知っているので、

「年齢からくるものか」

 ということが分かるが、その時はよく分かっていなかった。

 認知症などという言葉はあったのだろうが、その頃だから、言葉が世間に浸透していなかったのか、自分だけが、その言葉を知らなかったのかのどちらかなのだろうか、よく分からない。

 ただ、その時感じたのは、

「ああ、あんな風になりたくないな」

 という目で見ている自分と、

「ああ、何があっても、あんな風に何も分かっていないという態度が取れるのは羨ましいな」

 と感じることであった。

 その両方は実に極端で、前者は、

「世間一般の目を代表したかのような表現」

 であり、後者は、

「自分がもし、あんな風になってしまったら?」

 という感覚であった。

 どちらがいい悪いという問題ではなく、自分の見方により、両極端な状態を、自分の中で想像できるのだということを示している。

 これは、不幸な人間に対しての感情であるが、幸運を掴んだり、努力をして栄光を掴んだ人間に対してどう感じるかというのも考えてみた。

 例えば、スポーツなどで、その人の素質と努力で、栄冠を勝ち取った人がいるとして、その人がマスコミなどで引っ張りだこになって、ニュースなどで、

「おめでとうございます。あなたの活躍が、世間に希望を与えています」

 であったり、ある芸能人同士が、共演したことを機会として結婚するという、ベタな光景をよく見るが、それも、お似合いのカップルだとみんなが言ってるとして、

「あめでとうございます。あなたたちの結婚が、世間に明るい話題を振りまいています」

 などと言われているとして、果たして、自分も、そのいわゆる、

「世間」

 として、彼らを心から祝って、希望を与えられたり、明るくなれるだろうか?

 もちろん、そんな人もいるだろうが、人間には嫉妬という感覚がある。確かにその人は努力を怠っていないかも知れないが、だからと言って、嫉妬を感じるのか感じないのか分からないが、手放しに祝福などできるというのだろうか?

 茂三には、

「絶対にそんなことはできない。確かに嫉妬することで、自分の秘めた力を呼び起こすことはできるかも知れないが、手放しに祝福などできるわけはないじゃないか」

 と思うのだった。

 しかし、それでも、マスゴミは、そんな連中を煽って、しかも、

「切り取った報道」

 とするのである。

 だから、マスゴミと言われるのであって、

「そんな煽りには乗るものか?」

 という反感を余計に感じさせるのではないだろうか。

 それが贔屓のチームであったり、地元のチームならなおさらで、

「下手に優勝なんかするものだから、裕書パレードや、バーゲンなどといって、人が溢れてしまい、交通渋滞を巻き起こしたり、その日には交通規制がかかったりと、仕事になりゃあしない。いい加減にしてしてほしいものだよ、まったく」

 ということになるだろう。

 まわりは、狂気のように、パレードを見に行って、手を振ったりして喜んでいるが、熱が冷めれば、皆どんな気分になるのだろう? 何もなかったかのような気分になれるのだろうか? 茂三にはよく分からなかった。

 祝ってもらった方は、しばらくは、その余韻に浸れるが、バカ騒ぎを他人のためにした方は、どんな気分になるというのか、それを想像しただけで、ゾットするような気分にさせられるのだった。

 茂三には、嫉妬や妬みは結構あったと思う。それが彼にとっての、

「生きるための一つの感情」

 だったのではないだろうか。

 彼には、出世欲のようなものがあったわけではない。どちらかというと、仕事に対しては淡泊で、一所懸命に仕事をしてもどうなろものではないということを、バブル崩壊の時に思い知ったのだ。

 しかも、バブル崩壊の時、まわりが趣味を探したように、彼も小S手鵜を書き始めた。その時に、前述の詐欺出版社のいくつかを利用していた。

 だが、お金がなかったのが一番の理由であったが、小説を書いては送り、書いては送り続けた。

 実際に、それらのいわゆる、

「自費出版系の出版社」

 はどれくらいあったのかまでは把握していなかったが、その中の三社くらいの有名どころに絞って小説を送り続けた。

 やっていることはどこも同じことなので、たぶん、そのうちの一つが始めたことを、他がマネしたのだろう。

 送り続けて半年ほどが経った頃、つまりは、一つの出版社に対して、三回目か、四回目に原稿を送った頃だっただろうか、電話が入ったのだった。

 郵便でのやり取りだけだったのだが、電話が入ったことで、何事なのかと思った茂三だったが。内容としては、向こうがいつも提案してくる、協力出版を飲むようにといいう勧告であった。

 内容としては完全に、最後通牒であった。しかも、宣戦布告に近い内容のもので、こちらがとても容認できるはずのものではないことを言ってきたのだ。その出版社から、いつも茂三の担当者ということで、その人から小説を読んだ結果が送られてくる。つまりは、批評もその人の感想であり、見積もりもその人がしているものだった。その人がいうことには、

「今までは私の一存(いわゆる社内における力)で、あなたも作品を優先的に出版会議にかけて、協力出版をしてもらえるようにしている」

 という前提のもと、

「今後は、もうあなたの作品を出版会議にかけることはないので、今回本を出さないと、あなたの作品を出版会議にかけることはない」

 というものだった。

 協力出版というのも、怪しいものだった。

「定価が千円の本を千部発行するのに、筆者の方には、百五十万をお願いする」

 というものであった。

 協力出版というのは、出版社と筆者がお金を出し合って、本を製作するという建前になっている。定価に部数を掛けたものが、製作費であるのだから、全額でも百万円ではないか、それなのに、協力出版であれば、少なくとも百万以下の手出しにならなければおかしいはずだ」

 と主張すると、

「いや、宣伝費や、本屋においてもらうのに、かかる費用もかかるから、その分、高くなる」

 というではないか。

 それを聞いた時、

「詐欺だ」

 とはっきり分かった。

 原価が千円であれば、確かにそうかも知れないが、定価が千円であるばらば、千円の中に宣伝費も製作費も、経費すべてが入っていて、それでも、定価との差が出れば、それが利益となるはずではないか。これが経済学の基本中の基本であり、この見積もりを見て、

「誰もおかしいと思わないのか?」

 と思ったほどだった。

 しかも、その時、相手の担当者は、

「こいつは、自分のところで本を発行する意思はない」

 と見たのか、恫喝を始めたのである。

「とにかく、あなたの作品は今発行しないと発行する機会はありませんよ」

 と言い続ける。

 こっちとすれば、

「ここがダメでも、他の出版社がある」

 という気持ちもあったので、そんな口車に乗る気はなかった。だから、

「いや、出版社が全額持ってもらえるような作品を作れるようになるまで、送り続けますよ」

 とこちらも、怒りに任せてそういうと、

「いやいや、それは不可能ですよ」

 というではないか。

「どうしてですか?」

 と聞くと、

「いいですか。そういう企画出版をするようなことは、今の出版不況ではほぼありません。こちらだって、いかにリスクのない経営をするかというのが至上命令のようなものなんですよ。素人の名前も知られていない作家の本を、誰が売れると思いますか? 作家としてのプロでなければ、もし、出版社が本を全額負担で出すとするならば、少なくともその人にネームバリューがなければあり得ません。つまり、企画出版できる人は、芸能界にいる人か、犯罪者くらいしかいないんですよ」

 とハッキリと言い切ったのだ。

 それこそ、詐欺集団が、カモにしようとしていた相手に痺れを切らせて、怒りに任せ、相手を恫喝してきたのと同じである。

 つまり、これは最後通牒という名前の宣戦布告に違いないといえるのではないだろうか。

 当然のことながら、こちらも、最後になんていったのか覚えていかいくらいの捨て台詞を吐いて電話を切ったのだが、しばらくは怒りで震えが止まらなかった、

 そこで、茂三が考えたのは、

「こうなったら、こっちが利用できるだけ利用してやれ」

 ということであった。

 宣戦布告をしてきた出版社とは、完全に国交断絶をしてしまったが、他の出版社には原稿を送り続け、批評をもらうことにした。

 批評は相変わらず適格で、

「ただで、通信講座の小説教室を受講している」

 という感覚だった。

 一度、宣戦布告を受けているので。もしまた同じことが起こっても、心の準備もできているので、今度はこっちから宣戦布告をしてやるというくらいの気持ちでいれば、気分は相当楽だった。

 詐欺集団をこっちから利用してやろうと考えるのだから、これはこれでいい作戦ではないだろうかと思うのだった。

 出版社によっては、かなり儲かっているところがあるのか、自分たちが発行した本だけを置いている喫茶店を経営していた。そこでは喫茶コーナーでコーヒーWを飲みながら、本が読めるというもので、執筆活動をする人に対しても、電源などを貸してくれるので、パソコンを持ち込んで書けるということもできたのだ。

 当時としては、喫茶店で電源が借りれるなど、なかなかなかった。

 そもそも、電源というのは、勝手に使うことは犯罪である。電気というものを盗んでいるのと同じで、窃盗罪が成立するのだ。

 だから、電源があるところでも、勝手に使うことはできなかったが。常連になったところでは、許可をもらって使うことができる。

 ちなみに、喫茶「ロマノフ」には、十年以上通ったが、その頃はまだパソコンを持ち歩くということはなかったので、電源を使うこともなかった。

 喫茶「ロマノフ」は、ちょうど世紀末をいい機会として閉店した。常連さんが多かったので、惜しまれながらの閉店であった。あの店も、

「昭和の風物詩」

 として、ずっと頭の中に残っているのだった。

 令和になっての今でこそ、喫茶店で電源を借りたり、ネット環境が整っている店があったりと、今さら感が結構ある。令和三年から見ると、ネットや電源の拡充は、十年くらいの歴史になるのだろうか。それまで普及していなかったことが、不思議なくらいだ。

「ネット環境という意味では日本は後進国だからな」

 と言われているが、まさにその通りであろう。

 携帯電話やスマホの普及が一つはそれを妨げたのかも知れないが、今では昭和の喫茶店はほとんどなくなり、チェーン店のカフェが、所せましと都会の駅前なのにはいくつも点在している。違うチェーン店でも、看板がなければどこのチェーン店なのか分からないほどの似たような店構えで、目立つことは何もなく、正直、コーヒーの味も濃いばかりで、

「電源やネットが完備され、使えなければ、自分にとっては、入る価値はない」

 とまで思うほどだった。

 都心部の駅周辺は、どんどん新しく開発されているが、

「前の方がよかった」

 と思うのは、茂三だけだろうか?

 おかげで、変な詐欺にひっかららずに済んだが、考えてみれば、数百万もあるわけもなく、出版するとすれば、家族に頼るから、借金しかないではないか。

 実際に、協力出版を言われた時、

「お金は何とかなるでしょう。親に頼るとか……」

 などと言われたのを思えば、相手が最初からどれほどいい加減だったかということは分かりそうなものだ。実際に本を出版した人の多くは借金をしてでも出版したりした人も多いだろう。

 何しろ、主婦や学生が、

「にわか小説家」

 になることの多かった時代である。学生は無理としても、主婦であれば、旦那に内緒で、サラ金からお金を借りるなどということはあっただろう。

 しかも、ギャンブルに明け暮れたり、ホストに溺れたわけでもない、れっきとした趣味の範疇なので、それほどの罪の意識もなかったかも知れない。担当の人から、

「あなたの作品は優秀だ」

 などと煽てて、有頂天にさせるくらいは、それほど難しくはないのかも知れない

 それが、出版社の手腕であり、さらにお金を出す方の罪悪感がないとすれば、お金を作るくらいは、困難ではない。

 まさか、

「あなたの本は、すぐに売れて、元が取れるようになるのはあっという間ですよ」

 なんて言葉を言われたりはしていないだろうと思う、

 なぜならそんなことを言ってしまえば、

「だったら、企画出版にどうしてしてくれないんですか?」

 と言われて、そこから先の説得が難しくなるからであろう。

 それを思うと、詐欺を行う方も、ぐうの音が出なかったりするかも知れない。さすがにそこまではできないだろう。

 それにしても、あれだけの出版の数、ブームというのが恐ろしいというべきか、それとも、集団意識の恐ろしさか、今のサイバー詐欺などは、このあたりからが発端だったぼかも知れない。

「タバコを吸いたい」

 と言っている老人、その老人の顔を見ていると、その顔がいかに情けない顔をしているのだろうかと思って、いったん目を離してからもう一度見ると、実に感極まったかをしている。真剣さが身に染みているようで、老人が何を言いたいのかが、伝わってくる気がした。

「まさか、この老人、俺の将来の姿なのだろうか?」

 と考えたが、その人が何も分かっていないのだとすれば、これほど幸せなものはないのかも知れない。

 孤独であれば、まわりのことなど気にする必要もない。孤独の中の幸せというものを、茂三は垣間見た気がした。


                (  完  )

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孤独の中の幸せとは 森本 晃次 @kakku

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