ゲルマニュウムラジオの夏
岡田旬
ゲルマニュウムラジオの夏
夏休みの昼下がり。
街は白く燃えるように暑い。
僕は公園の柵に張られた金網の前でしゃがみこんでいる。
野球帽を被っているのに額から流れ落ちる汗が目に入る。
半ズボンのポケットにハンカチは入っていない。
鼻から出入りする空気は熱風のようだけど僕の口は閉じたままだ。
耳に差し込んだイヤホンからはブツブツと何処かのおっさんが話す声がする。
いつもならピアノの音を探すのに今日はおっさんの声を拾ってしまい、そのまま聞き続けている。
どうしてもおっさんの声に耳を傾けてしまう。
他の音を探しに行けない。
鉱石ラジオは一部の昭和の男の子にとっては、必須アイテムではなかったかと思う。
鉱石ラジオとは検波回路に鉱石検波器を使ったラジオのことだ。
検波っていうのは、ラジオが受信した高周波の電気信号から音声信号だけを取り出すことだ。
検波には、ある種の鉱石が一方向にのみ電流を通す性質、整流作用を利用する。
検波器の鉱石には半導体のゲルマニウムを使ったものが上等とされた。
ラジオと言ってもゲルマニュウムラジオは電源を持たず、増幅器がなかったので聞こえる音は小さい。
イヤホンから辛うじて聞こえる音が全てで、もちろん音量の調整は出来ない。
当時、僕の年齢くらいでも気の利いた奴は模型屋でキットを買ってきて自作していた。
僕はと言えばそんな能力の持ち合わせがないので完成品を手に入れて愛用していた。
愛用のゲルマニュウムラジオは小さなロケットの形をしていた。
古めかしいイヤホンとコードで本体に繋がるワニ口クリップが付属していた。
アンテナとアース代わりのワニ口クリップで屋外の金属を挟む。
それからロケットの先端についた棒を上下に出し入れしてチューニングする。
首尾よく放送局の電波を捕まえることができれば、イヤホンから音が聞こえてくると言う仕掛けだ。
その日僕は、朝から良い音を求めて街中をさ迷い歩いていた。
電信柱から道路に向かって張られた支線や空き地の鉄条網などは、アンテナとしてうってつけだった。
金属製の門扉や柵も結構いけた。
そうして正午を過ぎ、そろそろ昼ご飯を食べに帰ろうと思った頃のことだった。
僕は帰り道の途中にある公園の金網にたどり着いた。
するとそこで、今まで聞いたことのない程鮮明な音が拾えた。
それが音楽なら、特にピアノだったら良かったのに、残念ながら何処かのおっさんの声だった。
「2023年の12月31日世界は滅びます。
皆さんその日に備えて悔い改めましょう」
ゲルマニュウムラジオとしてはありえないほどに大きくハッキリした音がイヤホンから聞こえた。
おっさんは馬鹿の一つ覚えのようにそのフレーズを延々と繰り返した。
今思えば何処かのカルト教団がでっち上げたプロパガンダかと思うが真相は分からない。
ただなぜか、あの時の僕はピアノの音よりも何よりも、おっさんの声に魅入られた。
直射日光の元でおっさんの声に集中したせいで、軽い熱中症になったのだろう。
気が付くと自宅の居間に寝かされて、三つ上の姉が額の濡れタオルを変えてくれていた。
扇風機が強で回っていた。
僕は公園脇の道路に蹲り朦朧としていたらしい。
折よく軽トラで通りかかった酒屋の兄ちゃんがそんな僕を見つけて、家まで運んでくれたと言う。
あれから半世紀以上の年月が経った。
僕があの夏の日にゲルマニュウムラジオで聞いたおっさんの声。
プロパガンダめいた地球滅亡のラジオメッセージは、世間では全く話題にならなかった。
ことあるごとに大人に尋ねたり友達にも聞いてみたが、誰一人としてそんな放送のことは知らなかった。
公園にたどり着く前、僕は既に熱中症気味になっていた。
だからイヤホンで聞いたおっさんのメッセージは幻聴だったに違いない。
僕は次第にそう思うようになっていた。
子供の頃に体験したひと時の記憶など、普通は忘却の彼方に置き去られるものだろう。
だが、幻聴とおぼしきおっさんのメッセージは、僕にとり何処か普通ではなかったのだろう。
何十年たってもおっさんの幻聴メッセージは、ふとした折に僕の脳裏に蘇った。
そうして半世紀以上の時が経ちおっさんが予言したあの2023年12月31日がやってきた。
除夜の鐘が鳴り始めた大みそかの夜空が突然真昼のように明るくなる。
そうして、あの夏の日のように街が真っ白になった。
ゲルマニュウムラジオの夏 岡田旬 @Starrynight1958
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