神獣官 シェハリ

茶々子々

第一部 アニジェロの戦い

序章

1. 告白

「俺、シェハリのことずっと好きなんだけど」


 畑を風が吹き抜ける。

 シェハリは無表情のまま、自分の黒髪が風に踊るがままに、真剣な顔のカイを見つめている。

 見つめると言うより、ぼうっとしていた。驚いて。

 

 カイが、焙煎したてのタンム茶と野菜を分けてあげるからおいでと言い、シェハリはカイの農場に来てタンム茶と野菜を受け取って、さあ帰ろうと思ったところだった。

 頭が回らない。私の幼馴染は突然、どうしたのだろう。


「……そんなに固まる?」


 私は固まっているの……そうか、動いているのは髪の毛だけか。何も言葉が出てこない。


「……とりあえず俺から一方的に話すけど」


 どうぞ。


「一人前の農夫になるまでは、って思ってたんだ。ちゃんと夫としてシェハリが安心して暮らせる場所を作らないとって」


 おっと……。


「で、もう安定して収穫できるようになったから。俺ももう十九歳だし。本当は十五になった時に言ってしまいたかったけどさ。十五なら婚約だけはできるし」


 そうだね。この村ではそうだね。


「子供の時から好きだったからな。随分、我慢して来たんだよ、俺。でももういいよな」


 カイは陽の光に輝く金髪を肩に届くくらいに伸ばしていて、後ろで一つに束ねている。ああ、髪紐が新しくなってるな、とそんな事に気付きながらシェハリはぼんやりしている。

 身動きできないシェハリをそのままに、微笑を浮かべたカイは目の前に広がる畑をゆっくり見渡しながら言葉を続ける。

 

「タンム茶の焙煎技術だってこの辺りじゃ俺が一番だ。おかげで金にも困らなくなった」


 シェハリはまだぼうっとカイを見つめていた。いつの間にカイの肩はこんなに大きく、胸は分厚くなったのだろう。

 誇らしげに自分の農場を見渡すカイは、今では立派な農夫だ。



 ここヌータシア国は元々自然豊かな国だが、人と自然の営みをさらに豊かにする特殊な存在がいる。

 神官と、それに次ぐ能力を持つとされる神獣官だ。

 「大いなる命の橋」とも呼ばれる彼らは、動物、植物、そして土地そのものが持つ力と、人間との橋渡し役としてこの土地に根付いている。


 神官または神獣官の祈りの儀によって、農地と強く「命の流れ」を結び付けられた農民はその土地の恵みを受けやすく、また日々の管理の手間も少なくなる。

 育てたい作物や家畜にその時必要な土壌内の微生物、昆虫、植物等は次々と生まれ成長し、役割を終えたものや不必要なものは自然に淘汰される。

「大いなる最善の力」が強く働き、全体的に収穫量が上がるのだ。

 ……祈りの儀を受ける人間が、よこしまな煩悩に支配されていなければ。



 カイがこの農場を始めた際は、シェハリが神獣官として農地の祈りの儀を執り行った。とは言え、それなりに広いこの農場をほぼ一人で管理できるのは、カイの幼い頃からの努力と実力があってのことだ。


 タンム茶作りも今では誰よりも上手で、遠方からカイのタンム茶を買い付けに来る商人もいる。


 この国ではタンムは育ちやすい穀物で、土が良ければ一年に二度、場合によっては三度も収穫できる。食糧になるのは勿論のこと、お茶にすると香ばしく美味で、様々な効能がある。この辺の住民はほぼ毎日タンム茶を飲んでいる。

 常に需要があるタンム茶を最高の味に仕上げられるカイは、お金も安定して入ってくるのだろう。


 カイは一人前以上の農夫になったとシェハリは思っている。

 ……が、それとこれとは話が別だ……。


「そろそろ一言くらい喋ってくれて良くない?」


 今度は苦笑を浮かべたカイがこちらを向いた。シェハリの体が小さくピクッと動いた。

 つい先程までいつも通りの、幼馴染の男の子だったカイが、今はなんだか違う人のように感じる。

 この村では珍しい明るい金髪も、綺麗な緑色の瞳も、少し丸みを帯びた優し気な顔も、見慣れたそばかすも、いつもの幼馴染の姿そのままなのに。

 シェハリはぼそっと呟くように言葉を発した。


「……すぐには返事できない」


「うん。わかってる。俺のこと男として見てなかったんでしょ?ソイと同じ弟扱いで」


「………」


 ソイロニは十六歳になるシェハリの弟だ。言われた通りで、シェハリにとってカイは完全に弟分だった。またもや言葉が出ない。

 カイがフッと一瞬笑って明るい口調で話し出す。


「待つよ。シェハリが自分自身ではっきり答えを出せるまで。別に無理やり自分のモノにしようとか思ってないし。できねーし」


 カイは近くの草叢くさむらの上で大人しく寝そべっていた二頭の豹に体を向けて声を掛けた。


「なあ、お前らのご主人を勝手に嫁にするなんて言い出したら、お前らが俺を喰っちまうよな!」


 急に話しかけられて、豹たちもピクッと小さく顔を上げた。その様子を見てカイはいつものようにハハッと軽やかに笑った。

 豹たちの額には獣晶じゅうしょうと呼ばれる青色の石のような物が光っている。菱形の宝石のようなそれは、神獣である証だ。

 カイの後ろで戸惑う主を気遣うように、二頭はシェハリを見つめていた。



 帰路の足取りは重かった。カイの自宅がある農場からシェハリの家まで徒歩で五分もかからない。が、今までで一番長く感じた。


 カイの気持ちに、全く気付いていなかった。


 むしろ……カイならそろそろ良いお嫁さんをもらえるだろう、結婚の儀も良ければ私が執り行って、二人の未来を祝福しよう! と思っていた。能天気に。


 はあぁぁ…と大きな溜め息が漏れた。

 胸の前で抱えていたタンム茶と野菜がたっぷり入った籠を持ち直す。タンム茶がパンパンに詰められた麻袋から香ばしい香りが漂う。


 カイは本当に熱心に農業に取り組んできた。

 カイと、彼の姉のファネイはこの村で一番問題視されていた夫婦の元に養子として連れて来られ、苦労の連続だった。

 カイが幼い頃からシェハリの家族に畑を教わり早く独立したのは、その里親から一刻も早く逃れる為だったのだろうけど……。


 シェハリは、両腕に抱えた籠の中をじっと見つめた。


 カイ自身と姉のファネイの為だけではなく、私の為でもあった……?


 祈りの儀の恵みがあるとは言え、汗水流して土を耕し見守り育てて来たカイの姿を、シェハリは知っている。


 タンム茶と野菜の重みが胸からお腹の奥へと入ってくる。

 言いようのない感情が込み上げて、涙が一粒、シェハリの頬を伝い立派に育った野菜たちの中へと落ちていった。そして何粒か、その後を追った。


 淡い黄色の毛並みに独特な黒い斑紋を持った豹と、その豹より一回り大きい黒豹が、とぼとぼと頼りなく歩く主の後ろをそっと付いていった。







 たくましい二頭の豹を従えながら覇気なく歩くシェハリの後ろ姿を、カイは見送っていた。

 少し傾き始めた太陽がシェハリの艶やかな黒髪を照らす。


 どさくさに紛れて髪くらい、ひと撫でできたら良かったのに。

 ……いや、どさくさも何も無かった、俺がただ一人語りして静かに終わった……。


 小さく溜め息をつく。少し、焦っている自覚はある。


 もうすぐ姉のファネイと、シェハリの兄であるディルカがこの村で結婚式を挙げる。


 カイは子供の頃からシェハリと結婚する気満々だったが、まさか自分の姉とシェハリの兄が結婚するとは。

 その二人の間にそういった空気を全く感じない訳ではなかったのだが、大人になってからの二人は疎遠になっているように見えていたので、正直驚いた。


 ディルカは幼い頃から体も態度も大きな子供で、村の子供達の中では一番強くしっかり者でもあった。身勝手な里親に苦しめられるファネイとカイをいつも助けてくれた。彼が姉の夫となるなら、心の底から安心して任せられる。


 苦労してばかりだった姉が幸せになることは本当に嬉しい。嬉しいのだが。


「幼馴染の兄弟同士が結婚して二組の夫婦ができるとか、俺聞いたことねぇんだよな……」


 自分とシェハリがその二組目になれるのか。なんだか不安だ。


 そしてもう一つ、カイを焦らせる事案があった。


 ディルカは十二歳頃から兵士の準訓練生として剣や兵術等の勉強を始め、十五歳から兵士訓練生、十七歳には新人兵ながら衆目を集める活躍をして、その後あっという間にこの地域の兵団の上層部に昇り詰めた。

 二十五歳の今では、ここピウリャ村を含むアニジェロ領の次期領主であるセノード・カツァーヤ・アニジェロ付きの護衛団長だ。


 領主の居城であるアニジェロ城で働く兵士は、城があるタドスの街で結婚式を挙げる者も多いのだが、ディルカは地元の村で結婚式を挙げることにした。

 それが、カイにとっては大問題なのだ。


 ディルカの仕事仲間……つまり屈強な兵士が何名も結婚式に参加すると言う。

 しかも、その兵士たちの半分以上が独身者だと。


 大きな城下町に比べたら、独り身で年頃の女性が少ない村で……結婚式とその後の宴が催される……

 シェハリが独身野郎たちから狙われかねない。不安しかない。


 シェハリは生まれつき右目が紺色、左目が薄い青色の瞳という珍しい特徴を持つが、綺麗な顔立ちをしている。

 派手な美人ではないが、女性らしい柔らかさと知的な雰囲気を併せ持った魅力的な女性だ。そして誰をも癒してしまうような美声の持ち主だ。

 普段が穏やかな分、怒ると死ぬほど怖いが。


 そのシェハリが神獣官として祈りの歌を捧げる結婚式に、結婚適齢期またはそれを過ぎた野郎どもがやってくる。しかも数日間この村に滞在するとか言っている。不安しかない。


 カイは眉間に皺を寄せる。

 本当は、姉の結婚式が終わってからシェハリに話そうと思っていた。


 シェハリはこの辺りでは唯一の神獣官で、新郎の身内で新婦の幼馴染だ。

 神獣官として結婚の儀を執り行う大役に加え、亡き母に代わりディルカの新郎としての準備の手伝いがあり、また幼い頃から親しい新婦のファネイからもあれこれと結婚式の相談をされている。間違いなく今、村で一番忙しい人だ。

 そんなシェハリに、自分の気持ちを優先して想いを告げてしまった。そして困惑させた。


「小せぇ男だなぁ……」


 今度は大きな溜め息をつき、頭をブンッと横に振った。

 考えて不安になっていたって仕方ない。俺はこの俺で生きるしかない。


 に、しても。

 あんな反応をするほど、男として見られていなかったとは。


 カイは再び大きな溜め息をついて、いつかシェハリを迎えたいと増築し手を加えてきた我が家へと入って行った。







 当のシェハリ、困惑真っ最中である。

 兄とファネイの結婚式が迫っていると言うのに、こんな精神状態で大丈夫だろうか。


 シェハリが自宅近くまで帰って来た時、薬草屋を営む父のベイディンが厩舎へと入っていくのが見えた。馬の世話をするのだろう。

 薬草屋は先祖代々続いており、父の家系の姓を屋号とし「デラルニ薬草屋」と看板を出している。


 父方は祖父母ともに神官の家系だが、神官としての血はあまり濃い方ではないらしい。三〜四世代に一名か二名、神官系の能力を持つ者が生まれるくらいで、それも濃い青色の瞳の者が多かったそうだ。


 神官と神獣官の「神力こうりょく」と呼ばれる能力の強さは、瞳の色に現れる。シェハリの右目のような紺色や濃い青色の瞳は神力が低めと判断されるし、ほぼ全員が神獣官だ。

 そしてシェハリの左目のような薄い青色や、限りなく色素の薄い水色の瞳は神力の高い神官が持つ瞳の色だ。

 

 この国と近隣諸国に広く神官と神獣官は存在するが、時代と共にその人数は減少している。

 彼らの力は国益と密接に結び付いていることと、過去に戦争に悪用された経緯から、神官及び神獣官の存在は各国で厳重に管理されている。

 その色の濃さに関わらず青い瞳を持つ者が誕生した場合、国に申告する義務があり、故意に申告しなかった場合は罰則が科される。


 神官と神獣官の育成や派遣業務などを担う響錬館きょうれんかんという施設が国内に点在しており、シェハリはそこで


「片目が薄い青色ではあるが、神獣官以上の能力は無し」


と判断された。

 実際21歳になる今も能力に変わりはないので、そうなのだろう。

 


 シェハリは雌の豹のカーミャと、雄の黒豹のワーシュに


「外で自由にしていなさい」


 と声を掛け、自宅に入った。

 カイにもらったタンム茶を、自宅用と祖父母用に分け入れる作業を始める。


 カイはいつも、畑の作物の出来やタンム茶の生産に関して向上したことなどを、事細かにシェハリに話してくれた。

 薬草屋の娘としても神獣官としても、植物は切っても切れない関係のシェハリにとって、カイの話は勉強になることも多くしっかり耳を傾けてきた。


 カイは、どんな想いで自分に話していたのだろう。

 

 なんだか胸の奥が重い。これは罪悪感から来ているのだろうか?

 長い時間、誰かをずっと想い続ける幸せも痛みも自分は知っている。


 十七歳のあの日……あの彼も、今の自分と同じように少しは胸が痛んだのだろうか。



 シェハリの中に様々な想いが駆け巡り混乱している。

 こう言う時はエシェ婆が頼りだ。大失恋した後も、そして母を亡くした時も、彼女の言葉と眼差しがシェハリを支え、救ってくれた。


 シェハリはエシェ婆の元へ持っていく分のタンム茶を麻袋に分けながら、空をつん裂く雷鳴の中、痛いほどの雨に打たれた日を思い出していた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神獣官 シェハリ 茶々子々 @chacha2_2coco

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ