かみのまにまに

佐藤山猫

かみのまにまに

 恋愛:思い成就す。行動すべし。


 神様にそう告げられて、わたしは舞い上がって慌てて身支度を整えた。

 このままだと実家の石潰ごくつぶしコースまっしぐらだし、父と兄と頼れるバイトさんたちがいるから家業の心配も不要。身を案じてくれた家族もいつしか見限り出して、婿を取れとすら言わない。親身になってくれるのはもう神様たちだけだったからこれはもうそのものズバリ天啓じゃん! と兄の部屋から勝手に借りた登山用のザックを背負ってわたしはダンジョンに赴いた。


 ダンジョン。

 数年前のある日突然世界中に現れた、ファンタジーのモンスターがいっぱい出現する縦穴の洞窟。まあゲームでよくあるやつだ。

 ダンジョンで現れたモンスターはダンジョンの外に出ることはないし、中で採れた物やら素材やらも外には持ち出せない。死骸や素材は、持ち出そうとすると光の粒子になって消滅してしまうのだ。

 役所と警察と自衛隊の調査で判明した事実から、「入らなければ危険性なし」という扱いに格下げられたダンジョンに、群がる人種がいた。

 動画配信者である。

 ダンジョン内の様子を配信するY〇VTuberやTlkT〇kerが溢れ、それ専用のライブアプリやマネジメント会社まで現れる始末。

 わたしの推しも、そういったライバーのひとりだ。


 名前はみゅーむちゃん。大学生くらいの──つまりわたしと同年代の──女の子だ。ダンジョンの中で獲得した素材やモンスターの肉を使って料理を作る内容がメインで、ゆるっとした雰囲気で売っている。同時接続数は最大で20。業界の中では埋もれた存在と言える。

 他の視聴者どもの目が節穴なせいで、人気が上がらないのはすごく遺憾。だけども有名になりすぎて親密度がバグった人たちが「ファンです」なんてぶったりして民度が低くなったりしたものならそれを面白く思わないわたしたちみたいなのが指摘して「古参」「老害」なんてフルボッコにされてそれにみゅーむちゃんの心が傷ついたりなんかしてなんて想像するだにわたし他数十人の限られた人たちだけが知ってる方がいいのかななんて思ったりもしてすごく複雑な心境になる。


 みゅーむちゃんを知ったのは一年前。

 高校三年生の受験期に友達と大喧嘩して、わたしが一方的に悪いことにされて、いたたまれなくなって学校に行けなくなった頃のことだ。


「今日は、オーガの肉を使って料理していきま~す」


 見た目。声。もちろん最高。やんごとない。特に笑顔が素敵。

 女の子ひとりでダンジョン探索なんて大変に決まっている。なのにそういった大変な面を見せず、つまり笑みを絶やさず料理に挑戦していく姿。

 生きる気力が湧いてくる、だなんて言い方をしたら大袈裟だろうか。

 以来、わたしは引きこもって推し活に人生を捧げている。

 みゅーむちゃんはわたしにとって、聖女みたいな存在なのだ。


 到着するまでの電車の中で活動をチェックしていたらちょうど生配信していたので、これは今日会えるかもというワクワクが止まらなくて口角がだるだるに下がった。ボックス席。前の客が不気味がって違う席に移っていった。気にせず赤スパを投げ銭する。


 着いた無人駅から徒歩10分の廃ビルがダンジョンの入口だ。「許可証は?」と尋ねる職員さんに印籠のようにででどん! と紙を提示する。「どうぞ」とお許しが出たので、わたしはゆるゆるとダンジョンに踏み入った。肝試しにでも使われそうな暗い廊下の奥の地下階段を下りると、そこはもう異世界だった。


「暗い、ジメっとしてる」


 やはり動画と現地では印象が違う。

 わたしは手元の動画を見て、みゅーむちゃんの様子を確認した。獲れたモンスターを捌いているところだった。見た目は巨大魚だ。「どうにもアンモニア臭がして、なんだか不味そうですけど料理してみます!」とかわいい声で述べていらっしゃる。聖女だ。料理の邪魔になるからと後頭部に括られた艶やかな黒髪が大層美しく目の保養だ。配信でも分かるのだから現実はいかほどのものか……!


「確か上層第四区とか言ってらっしゃったよな……」


 ここは上層第一区に当たる。わたしはがさごそと懐から取り出した式神様に尋ねた。


「階段はどちらですか?」


 白紙の短冊に切れ込みを入れただけの御姿の式神様はぴょこんと導いてくれる。さすがは神様だ。深く畏敬の念を忘れずに。なむなむ。

 わたしは誘導されるままにふらふらとダンジョンを進んでいった。





「きゃーっ!」


 上層第一区。

 その階段付近にモンスターはいた。


 見た目は鬼だった。背丈はバスケットボール選手くらい。つまり2メートルくらいで、人間にしてはちょい高めくらい。おでこから二本ツノが生えている。実家で飽きるほど見た和装で、すり切れた長着ながぎは薄柿色、はかまは茄子紺色をしている。血色の朱が白い肌に浮き出ている。ツノさえなければ仮装した日本人にさえ見える。

 そのツノがピカっと光った。かと思うと部屋中にパルスが走り、雷が落ちたような衝撃が走った。電撃を使うらしい。


「フ、フロアボスってやつ……?」


 配信で見たことある。スレでも読んだことがある。


「た、倒さないと……」


 と言いながら倒せるかは自信が無い。


「できるかな……」


 困った時の神頼みだ。

 懐から一枚の折り紙を取り出し床に置いた。


「増殖」


 折り紙が分裂し、一枚が何千枚もの厚みに変わる。引き続いて祝詞オーダーを唱える。


「硬化」

「浮遊」

「展開。壁となれ」


 折り紙でできた盾がわたしの周りを飛び回り、結界をつくる。

 次いで折り紙でできた蜘蛛を垂らすと、同様に「増殖」と命じた。「動け」「ひしめけ」と続けざまに唱える。

 ふう、と一呼吸おいて、わたしは腹筋にちからを込めて声を張り上げた。


西木にしき楓乃ふうのの名においてこいねがう。我の矛となり盾となり、かの敵をほふれ!」


 わたしの紙様かみさまたちが進軍を開始し、戦いの火ぶたは切られた。


 蜘蛛に象られたかみさまたちがカサコソと鬼に向かい、その足元から這い上がっていく。

 鬼も足踏みをして蜘蛛を潰したり避けようとしたり必死だけど、増殖を続けながら進軍する紙製の蜘蛛はフロア中を埋め尽くさんばかりだ。見苦しいタップダンスを踊っていた鬼は直に蜘蛛に対応するのを諦めたみたいで、使役者たるわたしに殺意を向けてきた。背中に担いでいた金棒を振るい、ブンと空気が裂かれた途端に雷が発生した。

 しかし、そこはかみさまのちから

 オートシールド化した紙の盾が電撃に対する防衛として機能する。

 放射状の稲妻がわたしにも当たらんとして、紙に塞がれて消えた。焦げ臭いにおいだけを残して、しかし紙はまだ無事みたいだった。


「ぉ゛ぉ゛……」


 蜘蛛にまとわりつかれ噛みつかれ、鬼は鈍い悲鳴をあげて膝をつく。ついには全身を紙の蟲に覆われた。くぐもった断末魔が途絶え、粒子となって隙間から霧散していく。

 戦いには勝ったらしい。


「元に戻って」


 散々鍛えられた神術がこんなところで活きるとは。

 わたしは安堵の溜息をついた。

 紅葉野神社。平安の頃には既にあったという由緒正しき大社で、わたしの生まれ育った実家でもある。神職なんて細々とした生業と怪しい妖術で今日まで永らえてこられたのは不思議なくらいで、これは多分かみさまのお陰なのだろう。

 わたしは一族の中でも、特にかみさまを使役する才能があった。「女にしておくのがもったいない」と父は言い、「時代の流れだ。この際女人禁制なんて古い風習もんは変えるか」などとぶつぶつ呟いていた。


「神様、ありがとうございました」


 式神様に礼を言い、わたしは背中まで垂れた髪を一房手に取った。

 いつのまにかわたしの肩にちょこんと乗っていた式神様はおもむろにわたしの髪先を掴んで、短冊みたいな顔の下の方に持っていくと、ちゅーっと髪を吸い始めた。


 式神様は髪が好きだ。特に、わたしの髪が好きだ。兄のより父の白髪より、わたしの方が好まれている。だからわたしが一番、有能な術者なのだと思う。


「神様、それでは引き続き、よろしくお願いいたします」


 式神様はちょこんと頷いて、肩から降りてまた案内を始めてくれた。


 早く推しに会わなくては。

 逸る気持ちを堪えて、神様の後をついていった。








「うーん、アンモニア臭がどうにも抜けないですね〜。臭み消しのハーブもかき消されちゃいます。カレー粉でも厳しいし、ムニエルにしても臭みが気になります。

 もっと長く塩漬けにしてから水気を切れば何とか食べられるかも! 今度検証してみます!

 あ、触感はコリコリしていて、歯応えがある感じです。刺身にできたら一番美味しいんだろうな〜

 じゃあ、今日はこれで終わりますね〜!

 見に来てくださってありがとうございました!」


 上層第四区の奥。既に下部への階段が覗ける広間で、わたしは推しを見つけた。

 みゅーむちゃん!

 かわいい! 小さい!! 好き!!!


 語彙力が吹き飛ぶ。尊みを伝える言葉がおおっっと嗚咽みたいにしか出てこないのはどうして? 弛む頬を引っ提げてわたしは推しに近付いた。


「みゅーむちゃん、ですよね」


 配信のスイッチを切ったばかりのみゅーむちゃんはひゃあっとかわいらしい悲鳴をあげた。


「あ、あの、冒険者さんですか?」

「い、いえ」

「じゃあ、動画配信者ダンチューバー?」

「いえ、ち、違います」


 あ、あなたに会いに来ました。


 しどろもどろになりながらそう伝える。


「わ、わたしに?」

「はい! みゅーむちゃんはわたしの推しなので! 推し活です!」


 さっきまで見ていた配信の画面を見せると、「あ、ふーのさん。いつもありがとうございます」と丁寧に礼を言われた。認識されていた? 恥ずかしいやら誇らしいやらでひょーっと舞い上がって、ふと気付く。もしかしてすごく迷惑じゃない? 厄介なオタクになってない?


「会えて嬉しいです! それじゃあこれで!」


 ピッと回れ右で立ち去ろうとしたところに、さっきまで調理されていたモンスター料理が目に飛び込んできて、考える前におなかが鳴った。


「よかったら、食べていく?」


 口に合うか分からないけど……。

 上目遣いがいじらしくて仕方がなかった。少し潤んだ大きな瞳に負けたと思った。あ、髪もすごくきれいだった。



「ごちそうさまでした!」


 手を合わせて完食。すごくおいしかった。


「口に合ったかしら?」


 食事するわたしを、何が楽しいのか瞳を輝かせて観ていた聖女様みゅーむちゃんの質問に、わたしはあたう限りの笑顔で応えた。


「はい! とても!」


 魚肉みたいだった。差し出された焼き物料理は舌平目のムニエルに似ていた。バターを垂らした身のしっとりとした脂身が、レモンのさっぱりとした酸味とよくマッチしている。みゅーむちゃんは「臭みが気になる」なんて言っていたけれど、全然気にならなかった。


「おいしかったです! みゅーむちゃんはやっぱり料理上手なんですね!」

「……ほんとう? 嬉しいな……!」


 みゅーむちゃんは破顔して両の手の平を合わせた。


「わたしは料理が得意じゃなくてね。むしろ苦手で、動画を撮りながら練習しているようなものなのよ」

「そ、そうなんですね……!」


 謙虚だ……! わたしは感動した。

 もちろんみゅーむちゃんフリークのわたしは、みゅーむちゃんが初回配信からクオリティの高いダンジョン料理動画を投稿していたのを知っている。だから料理が苦手というのは、みゅーむちゃんの中ではどうか知らないけど、客観的事実とは反しているはずだ。

 美味しいものの匂いを嗅いで、ポケットの中で式神様ががさごそと暴れた。自分にも食事を摂らせろと言わんばかりだ。まさか一般人の前でかみさまを顕わす訳にはいかない。しばらく我慢してください、とわたしはポケットを抑えた。


「ふーのさんはこの後どうするの?」


 てきぱきと撮影機材を片付けていたみゅーむちゃんの質問に、わたしはそういえば何も考えていなかノープランだったことを思い出していた。躊躇いがちにそう伝える。


「えっ、そうなの?」


 みゅーむちゃんはわたしが想像していた以上に驚いた様子で呆気にとられたように口をぽかんと開けた。そのちょっと抜けた顔がとてもかわいかった。


「ふーのさん、ダンジョンは初めてなの?」

「はい、初めてです」

「じゃあ思った以上に疲れているでしょうから、帰って休んだ方がいいかもしれないわね」

「分かりました」


 親し気な感じで送ってもらえるアドバイスに、わたしは一も二もなく「はい、そうします!」と飛びついて最敬礼した。回れ右で来た方に向き直る。


「あれ? みゅーむちゃんは?」

「私はもう少し奥まで行ってみようかなって。新しいモンスターに出会えたら、どんな風に料理出来るか確かめたいし」

「予習ですね! さすがです!」


 みゅーむちゃんの表情はどこか憂を帯びたように真剣で、料理をしている最中の悪戦苦闘とも違う類のもので、初めて見る表情だった。初めてを観れたのが嬉しくてわたしの胸はドキッと鳴った。

 その胸の高鳴りと歓びを勇気に変えて、わたしは言った。


「あ、あの」

「ん? どうしたの?」


 機材をすべて、年季の入ったリュックサックに詰め終わったみゅーむちゃんに声をかける。


「また会いに来てもいいですか?」

「え? 私に」

「はい! だってわたし、みゅーむちゃんのこと、大好きなので!」


 みゅーむちゃんは今日一番驚きと困惑がないまぜになった表情で、しかしあまり悩みもせずに、


「うん! ぜひ来てね!」


 と言ってくれた。


 みゅーむちゃんが下の階に降りるその瞬間まで、わたしは手を振り続けた。


 恋愛:思い成就す。行動すべし。


 かみさまのいうとおり。

 わたしは足取り軽くフロアを後にした。






















「ああ、どうしようかな」


 ひとりごとが宙に浮いて、淀んだ空気の中に溶けた。


 登録者の伸びない我が『みゅーむちゃんねる』。ダンジョン料理をコンテンツとした動画配信チャンネルだ。

 数日前、そんなチャンネルのヘビーリスナーと会うことができた。しかも、どうやらわざわざ会いに来てくれたという。

 ふーのさん。

 いつもいつも、コメントと投げ銭をくれるリスナーさん。

 初めて会ったけれど、多分生まれて20年くらいじゃなかろうかと思う。若い女の人。同性とは思っていたけれど、あんなに若くて、あどけなさや無邪気さが出ているとは想像もしなかった。か弱い感じなのに、どうやって数層突破してきたのだろう。


 全く知らない人から「大好きです」と言われる。私からは何もしていないのに。これは、想像以上に嬉しかった。


「また会いに来ていいですか、か……」


 心情的にはもちろんYESだ。全面に向けられる好意が嬉しくないわけがない。


「けれどなぁ……」


 ダンジョンの最下層。まだ前人未到とされる空間で、私は溜息をつく。せめてこの身体が同じまともだったらな、と。


 ここがどういったところで、この国の仕組みがどうだとか、そういったのは全部この機械で調べた。

 冒険者の遺物から手に入れた機械。スマートフォンというらしい。動画配信で人間社会で暮らすための元銭も稼いでくれる素晴らしい装置だ。

 撮影機材を持って階段を上がっていく。人間からはまるで程遠い見た目の、ゲル状になったスライム様のモンスターや、打撃に強い殻を持つ巨大な蟲などに交じって、ツノが生えただけの人型のモンスターなど『人型』のモンスターとすれ違い、恐れをなして逃げていく。たまに知恵のないモンスターが襲い掛かってくるのを、軽くのして、今日の配信に相応しい階層まで上がっていく。


 私は、人間が言うところの、モンスターである。


 ダンジョンの深層で生まれ、人間と同じ見た目と脳を持ち、探索者たちの会話を聞き、物をとり、人間に擬態するモンスター。

 こんな正体、バレるわけにはいかない。ボロを出さないように配信でも気を遣っている。彼女ふーのさんにも隠し通さないと。


 今まで他の探索者と顔を合わせた時は何とも思わなかったし、場合によっちゃ殺して料理しても良いかなって思っていたのにな。


 敢えて冷たく接する?


「……できないなあ」


 私に会えた時の表情豊かで喜に溢れた様子。ムニエルを頬張る幸せそうな笑顔。私と離れる時の、名残惜しそうに眉を下げた表情。

 交わした時間は短い。けれど鮮明に思い出せる。


「はぁぁ…………」


 長い髪の毛を指先でいじくりながら、溜息をこぼすばかりだ。階段を上る足取りは重い。


「……今日のごはんは、中層ここ地鶏コカトリスにしよう」


 なんとなしに足を止めたフロアのボス。毒霧を息のように吐いてくる鶏だ。筋肉質で脂身は少ないけれど、その分旨味が強く触感もコリコリとしている。

 闘争心の強いモンスターではあるけれど、私とはまともな戦闘になったことがない。だって。

 ちからの差が歴然だから。


 巨大なコカトリスを締めて持ち上げ、脳天から真っ逆さまに叩きつける。時間をかけるとストレスで旨味が減るから、手早く作業をしなければいけない。


 息絶えたコカトリスの血抜きを始め、捌いたところでスマートフォンのカメラを向けた。配信を予告していた時間ちょうどだ。我ながら完璧な時間感覚。

 私は、カメラにとびきりの笑顔を向けた。


「こんにちは~! みゅーむちゃんねるのお時間で~す! 今日は、コカトリスを料理していきたいなと思いま~す!」

















「あわわ、始まっちゃったよ~」


 上層の第四区。前にみゅーむちゃんに出会ったフロアまで辿りついて、どうやらみゅーむちゃんは下層にいると知った。

 通りすがりの探索者を捕まえて動画を見せる。コカトリスは巨大な軍鶏みたいなモンスターで、中層第三区に棲息しているらしい。


「中層まで行くのか? 危ないからやめた方がいいぞ」


 上層と中層の境目に鎮座するフロアボスはサラマンダーという粘液を纏ったドラゴンで、炎のブレスをく上に身体を傷つけても瞬く間に再生するのだとか。


「中層なんてほんの一握りの冒険者しか行ったことないんだ。無茶すんな」


 そして、動画をしげしげと眺め、


「こんな女の子が、こんな軽装備で中層にいるなんて……コラじゃないのか?」

「ち、違うもん!」

「てか、視聴者数少なっ。コメントもひとりだけじゃん。えっと、『これから会いに行きます』……って、これあんたか」

「そうですよ、これから行くんです。推しですから。だいだいだ~い好きなので!」


 ご忠告ありがとうございました! と適当に手を振って、わたしは第五区に続く階段を下りて行った。大丈夫、わたしにはかみさまがついている。


 と、思っていたのもほんの数十分前の話だ。


「サラマンダー、勝てん……」


 話に聞いていた通り、サラマンダーは手強かった。

 紙の手裏剣も粘液でぬめって通らず、粘液の無いところも硬くてキンッと弾かれる。

 では生き物を折って、と蜘蛛やら何やらを試しても、粘液で濡れて動きの遅くなったところに炎のブレスだ。展開させているシールドだって元々は紙だ。燃えたり濡れたりすればひとたまりもない。


「これ、私の方も危ないんじゃ……」


 出口はすぐ背後にある。ほんの十メートルくらい。じりじりと後ろ歩きで下がろうとするけれど、サラマンダーは狡猾で、ちまちまと牽制するようにわたしに対しても火球をいてくる。

 自然と涙が出てきた。


「ごめん。みゅーむちゃん……」


 推し活はもう終わりか。と悔しい気持ちが湧きあがる。


「勝てないよ……」


 諦めるのが早い、と父の声で叱咤の幻聴を聞く。

 かみさまたちが蹴散らされたのが分かる。ブレスの前兆。息を吸い込む音。っ覚悟を決めて、ぎゅっと目を瞑った。

 ひきのばされたような数秒。

 ブレスは来なかった。


 そして、


 ズドンッ!


 代わりに大きなものが勢いよくぶつかったような衝撃。岩壁が揺れて、天井からパラパラと石が降ってくる。


「諦めるには早いよ」


 親の声より聞いた声。聞き間違えるはずがない。


「みゅーむちゃん!?」


 土煙の奥から、人影が現れる。


「『いまから行きます』ってあるのに来てくれないからね、迎えに来ちゃった」

「あ、あっ」

「サラマンダーね。あんまりおいしくないんだけど、脚の肉が意外と珍味なんだよね~」


 みゅーむちゃんだ。ヒーローみたいに颯爽と、サラマンダーが塞いでいた中層への出口から現れる。


「下でコカトリスの鶏鍋用意してるから、早く一緒に食べよ?」


 みゅーむちゃんはなんだか怒っているみたいだった。文字通りに怒髪天を衝くって感じ。髪をゆらゆら揺らし、というか長くて艶やかだった黒髪が、こんなにボリューミーだったっけ、というくらい膨らんでいる。心なしか、対峙させられたサラマンダーが怯えているような。


 みゅーむちゃんは一房髪を伸ばした。

 しゅるしゅると、重力やら何やらを無視してサラマンダーの方へ一直線。尖った毛先が、粘液を貫通してサラマンダーの喉を突いた。フェンシングみたいな刺突。赤い血が噴き出るより、みゅーむちゃんが髪を引く方が速かった。


ざんっ


 二の矢は斧。

 膨張した髪を縦に振り下ろすと、それもまた斬撃となってサラマンダーの片前脚を削ぐ。骨さえも両断する一刀だった。


 サラマンダーは怯んだ後、立ち直るように大きく息を吸った。ブレスだ。炎のブレスが吐き出される。


 否。

 その直前。

 伸ばした髪を丸めてまとめて、炎を蓄えた喉元を殴った。

 殴打音は重低音バリトン。爆発音は中低音テノール

 ブレスが口腔内で弾けたのだった。自爆したような恰好だ。


 口から漏れた火の塊が、霰のように降ってくる。


「危ない!」


 呆けていたわたしの頭上に展開される髪の傘。焦げた臭いが広がって、しかしわたしは無事。あんなにきれいな髪だったのに、と的外れな絶望感に襲われる。


「大丈夫!?」

「はい! 大丈夫です!」

「よかった!」


 みゅーむちゃんはこんな時までわたしの心配をしてくれる。早鐘をうつ心音がうるさいけれど、この興奮の原因はひとつじゃない。


「じゃあ、とどめを刺すよ!」


 なしくずしてきにみゅーむちゃんのそばに寄った。甘酸っぱいにおいがした。


 髪をひとつにまとめて、みゅーむちゃんはサラマンダーのしっぽを掴んだ。

 尻尾に巻き付けた髪をブンブン振り回す。サラマンダーの身体は、大きな力でそらに浮かんだ。


「ぶっ飛べ!」


 わたしは思わず叫んでいた。


 勢いよく放たれた身体は、見事な放物線を描いて天井にめり込み、地鳴りを立てながら地面に落下した。


「やった!」


 興奮してわたしはみゅーむちゃんに抱き着いていた。

 何事もなかったかのように髪の毛は元通り艶やか黒髪で、抱き着くわたしにみゅーむちゃんが困っているような気配がする。

 控え目に深呼吸してクンカクンカして、わたしはみゅーむちゃんに抱き着いていた腕を解いた。


 みゅーむちゃんは、なんだか泣きそうな顔をしていた。


「ああ、やっちゃった……」

「ど、どうしたんですか」


 崩れ落ちそうになるみゅーむちゃんを支える。あれだけ酷使されたはずの髪の毛は着々と自己再生している。


「引いたよね? あんな髪の毛をばっさばっさ振り回して、絶対引いたよね!?」

「え? ぜ、全然」


 私バケモノなんだモンスターなんだとさめざめと泣くみゅーむちゃんの前に屈んで、わたしは姿勢を正した。


「みゅーむちゃん」

「…………ぐすっ」

「助けてくれてありがとうございました。ほら、泣かないでください。なんで泣いているんですか」

「うぐっ、わっ、わからないよ……」


 きめ細やかな肌に伝う涙。わたしの服で拭う。憧れの聖女様はなんだか幼く見えて、いくら人間離れしたものを見せられようと本人が化け物と言い張っても、やっぱりわたしと同じ人間なのだと実感する。最推しみゅーむちゃんのそんな一面を知れたことが、なんだかとても、言いようがなく、嬉しい。


「みゅーむちゃん。わたし、お腹が減りました」


 わたしはおどけて、わざとらしくお腹を押さえてみせた。わたしの肩に乗っていた式神様も同じように下部を抑えてみせている。

 みゅーむちゃんは目を丸くして、「そうだったね」と呟くと、急速に調子を取り戻した様子で立ち上がり、わたしの手を取った。


「ご飯、一緒に食べよっか」

「はい!」











 

 

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