第8話 大団円
聖羅と吉塚は、心の上で結びついていることを、お互いに自覚していた。相手も自分のことを快く思ってくれているということも分かっている。しかし、年齢差なのか、それとも遠慮からなのか、お互いに気持ちを打ち明けることはできなかった。
特にその思いが強かったのは聖羅の方であり、
「あの子を、私のようにしてはいけない」
と思っていたのだ。
「私のように」
というのはどういうことなのだろう?
聖羅には、大学時代に、
「道ならぬ恋」
と重ねていた。
それは恋というわけではなく、半ば強引なものであったが、聖羅はその背徳感を敢えて身に感じることで、自分の存在価値を見出していたと言ってもいいだろう。
相手は、恩師の本山教授。奥さんを亡くしているので、不倫ではないのだが、最初はまったく気にもしていなかった本山教授がら、ほぼ強引に男女の関係にさせられてしまった。
「資料の整理があるんだが、教授室まで来てくれないか?」
と言われて、教授室に行くと、そこには、今まで見たことのない形相で、本山教授が待ち構えていたのだった。
薄暗い部屋で、息遣いだけが聞こえてきた。隠微な香りが室内には充満していて、これから何が起こるのか、想像がついただけに、恐怖で声も出なかった。
「坂上君。私は君を愛してしまったのだよ」
と、セリフは落ち着いているような感じだったが、明らかに息遣いは、ヤバかった。
「教授、一体……」
と、そこまで口にできたのだが、そこから先は何を言っても同じ気がして、思い浮かびもしなかった。
教授は荒い息を浴びせながら、唇を奪いにくる。聖羅は自分の気持ちがどうなのかを考える暇もなく、とりあえず抗うしかなかったのだ。
しかし、抗えば抗うほど教授の興奮度は増してくる。まるで、聖羅の抵抗を待っていたかのような雰囲気に、聖羅はどうすることもできなかった。
「私は最初から、教授のことが好きだったのだろうか?」
と、後から思っても、その時の心境を思い図ることはできなかった。
羽交い絞めにされて、抵抗ができない状態で、自分はこれ以上、どうすればいいのか、自分の気持ちを冷静になって確かめたいと思っていたが、それどころではなかったのだ。
教授の力は想像以上に強かった。見た目は初老であるが、その力は、まだ三十代ではないかと思うほどで、力がそれほどあるわけではない聖羅に抵抗は不可能だった。
蹂躙されて、辱めを受けるのだが、次第に嫌な気はしなくなっていた。
「教授は、ここまで私のことを好きだったんだ」
と思うと、抵抗する力は失せてきて、滲んでくるが心地いいくらいに感じられた。
「坂上君、坂上君」
と言いながら、蹂躙しているというよりも、聖羅の身体を貪っている姿は、まるで子供が母親のお乳をせがんでているかのように思えるのだった。
それを思うと、子供がいるわけではないので、そんな経験はないはずなのに、教授の態度に癒しを感じるほどになっていた。
蹂躙されていると思うか、それとも、自分の身体が男を惑わせているのかということを考えただけで、嫌な気分にはならなかった。
だが、その時、結局最後までは行かなかった。教授が途中でできなくなってしまい、とたんにトーンダウン、二人の間にやるせない空気が流れていて、どちらからも声を掛けられないという、気まずい雰囲気になってしまっていた。
「すまない、坂上君。だけど、私が君を好きになってしまったのは事実なんだ。私にもどうすることもできない感情なんだよ。本当に申し訳ない」
と言って、ひたすら謝っている。
その様子を見ていると、気の毒という感情と、かわいいという感情の二つが入り混じっていた。
「いいんですよ、教授。今度からは、こんな強引なやり方はしないでくださいね」
と言った。
相手に誤解を受けさせるような表現であったが、聖羅は誤解を受けてもいいと思った。
それから二週間ほどが経ってから、教授が、
「この間のお詫びに、夕食をごちそうさせてください」
と言ってきた。
有名ホテルの展望レストランを予約してくれていたので、
「たぶん、その後、部屋を取っているとか何とかいうんだろうな」
と、聖羅は思った。
ホテルの展望レストランなど、今までにほとんど経験したことはなかった。
「さすがに教授ともなると、こういうところをよくご存じなんでしょうね?」
と、若干の皮肉を込めていったつもりだったが、本山教授には分かったであろうか。
教授は苦笑いをしながら、
「教授会などでは、よくこういうところを利用したりするからね」
と、皮肉を分かっているのかどうか、まったく意識していないかのように、普通に返答していた。
豪華な食事を、夜景を見ながら過ごす時間は、実に贅沢で、しかも相手が教授という知識人ということで、この後どうなるのかということは別にすると、これほど豪華な時間の過ごし方もないと思うのだった。
教授の話も結構楽しく、学問の話がこれほど、興味をそそる話になるなど、思ってもみなかった。いつもの講義室で受ける抗議のように、相手がその他大勢ではないということに、優越感を与えられた。
大学生というだけで、優越感のようなものがあるのは、時間を贅沢に使うことができる唯一の立場だからだと思っていた。
せっかく時間を贅沢に使えるのだから、無駄に使うほど、バカなことはない。それを思うと、教授と時間を共有するというのは、贅沢な時間の遣い方でも、有意義なことだと思った。
それが、肉体関係においても、という感覚であった。
実際に、食事でお腹が飽和状態になっているところで、
「今夜は一緒にいたいのだが」
と教授が、恥ずかしそうに言った。
教授室でのあの時のことを思い出してのことなのだろうが、聖羅はあの時の教授をかわいいと思いこそすれ、責める気になどまったくならなかった、
「私は、教授を癒しの世界に連れていってあげたい」
と思っているのだった。
部屋も、高層階にあり、無駄に広いと思わせる部屋だったが、それだけ空気がきれいな気がして、教授がそのことを分かっていて、ここに部屋を取ってくれたのだと思うのだった。
「坂上君は、こういう部屋には、余裕を感じるのかな? それともプレッシャーを感じるのかい?」
と、教授が言った。
教授が何を言いたいのかすぐには分からなかったが、
「どちらもかもしれませんね」
と聖羅がいうと、
「じゃあ、私とであればどうかな?」
と聞かれて、
「余裕を感じるとは思いますが、緊張もあります。でも、プレッシャーを感じることはないと思います。そもそも私はプレッシャーを感じるくらいなら、このような部屋にご一緒したりはしませんからね」
と聖羅は答えた。
聖羅のその答えに教授はニッコリ笑って、
「君ならそう答えると思っていたよ。この間の教授室で、君が私の興奮した状態を見て、逃げ出そうとしなかったことで、君も気持ちが高ぶっているのだということが分かったからね。おかげで、私も君のことを誘うのに、緊張することもなく、誘えるようになったというもので、そこに肌の触れ合いがあれば、心地よさが生まれることが分かり切っていることのように思えてきたんだよ」
と、教授は言った。
教授は奥さんと早くに死に別れているので、身体が寂しいことくらいは分かっていた。だが、教授という立場上、それを表に出すということは普通ならできない。学生に対して、後ろ向きになるわけにはいかないからであろう。
「私は、一種の匂いフェチでね。君の匂いがとても好きなんだ。変態だと思われるかも知れないね」
と言って、苦笑いをしたが、聖羅には教授を変態だとは、どうしても思えなかった。
聖羅は教授に抱かれながら、誰かを思い出していた、
「前に付き合っていた男だろうか?」
そんなバカなことはなかった。
前に付き合った男は、明らかに物足りない男で、お互いに合わないことを分かっていて、合わせているような感じであった。
教授には尊敬の念こそあれ、自分とは合わないとは思わなかった。
考え方も近いところがあり、言葉などなくとも、分かり合える相手だと思っているのだった。
教授にとって、聖羅がどういう存在なのか、正直なところ分からなかった、
「君と一緒にいると、生きている糧が見つかるような気がするんだ」
と言っているが、言っていることは、格好のいい言い方にしか聞こえないが、嫌味があるわけではなかった、
「君が、文芸サークルの機関誌に載せている作品は、とても私を啓発させてくれる内容なんだよ」
と言ってくれる。
「どういうところがですか?」
と聞くと、
「私も小説を書いたりするんだけど、君の作品をいつもライバル意識を持って見させてもらっているんだ。一種の仮想敵とでもいうべきだろうか」
というではないか、
ライバルを仮想敵と呼ぶのは少し違う気がした、基本的には、好敵手というべきなのだろうが、仮想敵というのは、ある意味本当の敵ではないという意味で、この言葉を使ったのだとすれば、
「さすがは、教授の言葉のチョイス」
と言えるのだろう。
教授がいうには、
「僕は言葉に関しては、人には負けないと思っているんだけど、君のようなフレッシュなアイデアが浮かんでくるわけではない。そのアイデアを思い浮かべていると、僕にとって君はいかに輝いて見えるかということを自分では分かっているんだ。作品を見ていると、やっぱり、自分が好きになった人の作品だと感じてくるんだよ」
というのだった。
教授の言葉を、
「口に出すよりも、文章にする方が、数段うまいのではないか」
と感じていた。
だから、話をするのが苦手なのだろうと思っているが、それでも普通の人よりも会話は十分に上手である。それだけ、文章にすると素晴らしいということでもあり、聖羅が教授を好きになった理由の一つは、そのあたりにあるのだろうと思うのだった。
聖羅はそれからしばらく、教授と付き合っていた。大学を卒業して、母校に赴任してから少しの間もm付き合っていたのだが、お互いに自分の仕事が忙しくなってくると、次第に二人の距離は遠ざかっていった。
だからと言って、寂しいというわけではない。最初から、こうなることが分かっていたうえで、付き合いが始まったと聖羅は思っている。教授の方は少し寂しいと思っているようだったが、感情は聖羅が感じたことと、ほぼ変わらない。
本山教授と別れることになったのだが、付き合い始めたことも、破局を迎えたことも知っているのは、親友の由衣だけだったのだ。
実は、今教授が誰と付き合っているのかということを聞いた時、一瞬、椅子から転げ落ちそうになったが、それも当たり前といえば、その通りであり、何とその相手というのは、由衣だったのだ。
「火事場泥能」
にも見えるが、決してそんなことはない、
聖羅と完全に別れた後での、二人の付き合いだったのだ。それだけに二人には聖羅に対しての遠慮はない。
「男女の関係なんて、こんなものだ」
と思っているほどだった。
後になって、教頭から、
「君の出身大学に知り合いがいる」
と言われて、それは本山教授だと聞かされた時はさすがにビックリした。
ただ、その時に、一つ気になっていた疑問が解消されたのも事実だったのだが、それは自分が機関誌に載せた小説の内容のことだった。
「小学校から、部活を行う」
という発想は、教頭が言い出す前に、大学二年生の頃、聖羅が小説のネタとして書いたものだった。
それ以外にも教頭が発案していることに、聖羅が書いた小説の内容が当てはまることがあった。
「教頭とは気が合うんだ」
と思っていたが、実際にはそうではない。
自分が小説で書いたことだと分かれば、別におかしなことではないのだ。ただ、その後に聞いたのが、教頭と本山教授が知り合いだったということだ、ただの知り合いだったら、教頭が名前を出すことはないだろう。しかもその時に、少ししまったという顔をした。
「ひょっとすると、本山教授の口から、教頭に何でも筒抜けなのかも知れない」
と思うと恐ろしくなった。
さらに、もう一つ、後から聞いた恐ろしい話であるが、中学時代からの腐れ縁と思えるくらい、今は仲の良い由衣は、何と、火事場泥棒になる前は、教頭と付き合っていたという。
そもそも、おじさん好きだったことは知っていたが、教頭と知り合ったのは、ある学会での時のことだったようだ。
その学会の会場設営を手伝っていた由衣は、自分の方から教頭に近寄ったということである。
教頭の方もまんざらでもなかった。しかも、由衣は自分のとても好きなタイプの女性で、お互いに気も合ったのだという。
由衣と実に気が合う聖羅が、教頭とも気が合うのだからそれも当然であろう。
聖羅は気持ちの上で、年上との恋愛に望んでいたが、由衣の場合は違う。快感や身体が最初にあって、それを確かめ合ったうえで、気持ちがついてくるのだった。それを知った聖羅は、年上に嫌気がさしていた。そんな時に目の前に現れたのが吉塚である。
聖羅は吉塚を少年として見ていた。まるで、由衣がおじさんを見る時の目になっていることに気づいていない。
少年である吉塚も、聖羅の魅力にすっかりと魅了され、何をどうしていいのか、完全に金縛りに遭っているかのようである。
それでも二人は結ばれて、お互いの愛を誓いあった。
その時から、吉塚は覚醒した。高校を卒業すると、大学へは主席で突破、さらに、大学時代に、発明をすることで、全国に名前が知られるようになった。そこに聖羅の影が潜んでいることを知っているのは、四人だった。
教頭に、本山教授、由衣に、そして本人である吉岡であった……。
( 完 )
少年の覚醒 森本 晃次 @kakku
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