3.6 夢に血を混ぜれば固まるだろうか
「どう...なってんだ、コレ......」
そこに記憶と同じ部屋は無かった。地下一階と同じ構造のはずの部屋は、いつか連れて来られた、大魔女のいた部屋に変わっていた。
「アタリ。やっぱり今日はここだった」
当然のような独り言を溢した入陽に、イヅモは疑念と驚きに満ちた視線を向ける。
それから目を擦って部屋を見直してみるが、どうやら正気を疑う余地はない。
イヅモは至って正常。変わっているのは、この部屋自体だ。
「どうやって、フロアを丸ごと入れ替えたんだ......」
「別に可笑しなことじゃないよ。加々宮先生の部屋だって毎回変わってたじゃん」
扉の正面。部屋の奥に設置されたデスクの背後。
縦長の、窓のような照明を一枚一枚確認しながら、入陽はイヅモの疑問に答える。
「学堂は実は、重なった二つの縦の円柱から出来ていて、それぞれ芯の部分が階段になっているの。そしてその芯の部分と、重なり合った部分は、それぞれが独立して自転できるようになってる」
無言で目を見開いたイヅモ。そんな彼女を見ていなかった入陽は、そのまま滝のように情報を流し続ける。
「自転によって、
つまりイヅモ達が生活する学堂は、知らぬ間に別の入れ物に丸ごと移し替えられていたということだ。
「加々宮先生の部屋が毎回違っていたのはブラフ。一つを明らかに変化させることで、全体が変化しているという憶測を切らせた」
幾ら神経を研ぎ澄ませて生きていれど、環境の変化というのは探知しにくい。
それは環境というモノが数多の要素、状況によって構成されているからであり、その全てを観察し続けるのは不可能であるからだ。
大気に充満する元素の比率が、昨日とどう違うかを説明できる人間はいない。
ありふれすぎているからこそ、
視力がいくらあろうが、人間は生きるために無意識に盲目になる。
命に、大きすぎるモノの構成物で観察している暇はない。
さらに、地下の全体像を把握している学徒は、今ここにいる
敢えて明瞭な変化を起こして、変わっているという意識をその部屋だけに向けさせて、全体から視野を外させる。
間違い探しをする時、誰もが並んだ二つの絵に集中する。誰もその絵の入った額に興味はない。建物全体というスケールが大きすぎるがために思考の視野に収まらず、毎回変化する部屋という小さな点に眼を奪われ、大局を見逃す。
大きすぎるモノは見切れる。
発想が無いから見落とす。
明快な変化が視野を狭める。
生活が変わらなければ、誰も違和感は持たない。
入陽から送られた唐突なネタばらしにイヅモは硬直する。情報の精査と解読に思考を奪われ、インプットが滞る。
目の前にある布地の物体がソファであることも、今は理解できていない。照明窓を確かめる入陽の輪郭も分からず、入ってくるのはその動線だけ。
視覚も聴覚もこれまでになく濁っている。代わりに、脳はエンジンを吹かして高出力、高回転で回り続ける。
踊場の扉は全ての階で同じ方に設置されている。つまり私たちは普段使っていたのは円柱の片側。学堂全体の4分の1の空間だけ。
扉と向き合った時、背後は必ず壁だった。その奥に空間があるとは誰も考えない。
そんな空間があれば、デバイスを管理するサーバーを設置する場所には困らない。指導員一人消すのも、また然り。
不可視の空間が半分あるだけで、これだけの
その恩恵を一番に受けているのは、言わずもがな大魔女自身だろう。
地下に於ける、大魔女の全能性。
駒だけでなく、盤面だけでなく、盤の置いてある空間ごと支配する諦観。
────殺せるわけがない。
渾身の力を込めた長刀でも、空間を隔てた相手は斬れない。
かなぐり捨てて銃を握っても、その弾丸では空間を跨げない。
机上に、戦場に、掌に。空間ごと支配する掌握。
抗うとかの次元じゃない。
脱獄の方法を考えている場合じゃなかった。
私はまだ、自分がどんな牢に閉じ込められているのかさえ知らない。
「本来なら、この部屋には連れて来られた最初しか入ることはない。けど、それは
察する事さえ出来ないのは、秘匿の最大級の形。
足跡はおろか、僅かな残り香さえない。
影より薄く、嘘より霞んで、夢より淡い。
しかし今、その亡霊を人間せしめているのは、亡霊自身が生み出した、
その綻びが始点となって、イヅモが抱いていた疑念を解いていく。
解けた糸が肉体を編んでいく。
入陽が言い終えると同時に、先ほどと同等に、再び地下が揺れ始めた。
「自転は普段は時間をかけて回すから、音がなくて気付かれない。けど今は速く回している上に、建物ごと傾かせてる。騒音はそのせい。これで全員の意識を外に向けさせられる」
パラパラと天井から破片が落ちてきて、ソファと机が独りでにジリジリと位置をズラしていく。イヅモは思わず膝をついた。
絶望と焦燥とが心境を満たす。
地下の全容を知った今、練磨してきた強さの全てが"つもり"だったことを痛感させられる。
殺すことも、生き残ることも。持ち帰ってきた結果が
勝敗どころの騒ぎじゃない。同じ土俵に上がることも、武器を持って向かい合うことも出来やしない。
空間も次元も、
けれど、そんな奴からでも。私は
未聞の地下の変動の最中。予期せぬが連続し続ける不穏の渦中。
だけど、いつだってそうだった。
こんな明確に浮かんで来ることがないだけで、生きている間はずっとそうだった。
いつだって
精神に傷として彫り込んだ、姉の責務を抱えている。
罪のない二人を、光の当たらない場所へ連れてきてしまった罪人として、その身を斬り続けろ。
他人は、死にたきゃ勝手に死ねばいい。
でも
そして
やがて、足元から伝わる地響きが止まると、イヅモは長刀を杖代わりにして立ち上がる。
目元に影が差しこみ、修羅をも切り裂いてしまいそうな鋭利な覇気を纏う。
怒りのように粗雑で、恐怖のように重たくて、骸のように儚い。
生きた結果で消えるのではなく、消えるために生きているかのような、乱暴で惨い命の費やし方に溺れている。
鞘をから刃を抜いて、入ってきた扉へと向かうイヅモ。それを止めたのは、背を向けたままの入陽だった。
「何処に行くの、イヅモちゃん。イヅモちゃんが此処にいてくれないと、わたしすごく困るんだ」
「......うるせぇよ。テメぇの都合なんざ関係ェねぇ」
一蹴して、そのまま立ち去ろうとするイヅモに、入陽は構わず言葉を続ける。
「なら、イヅモちゃんの都合も、わたしには関係ない。わたしはイヅモちゃんにここにいて欲しい。それでも行くって言うなら、命懸けでも。半殺しにしてでも止める」
「知るかよ。好きにしろ。いつまでもかまってちゃんの相手するほど、お人好しじゃねぇよ」
まるで男のような声に、殺意に乗った気迫が圧となって押し寄せる。けれど入陽は一歩も動じない。照明窓から、イヅモの方へ振り返って。後ろ手に手を組んで、いつものように笑う。
「いつになく感情的だね。こんな状況だけど、新しいイヅモちゃんを知れて嬉しいな」
状況的に場違い。感情的に不快。楽観的でうざい。
反射的に動いた足は、瞬時に2人の間合いを詰める。
喉元に差し向けられた刀。切先から垂れた赤い雫が刀身を濡らす。
異常に日常で居ようとする入陽に、イヅモは声を荒げた。
「──お前の都合なんかどうでもいいって言ってんだろ!! お前が死のうが生きようがどうだっていい! コッチは、死んでも、殺されても、2人を助けなきゃいけない!! お前の命なんざ犬のクソよりどうでもい!! お前の命に割く時間はないんだよ!!」
「知ってるよ。だからここに連れて来たんだもん」
突然、背後の扉が開く。
瞬時に顔をそちらに向けると、そこには両手にズタ袋を抱えた加々宮がいた。
「すみません、遅くなりました。何しろ、お二人とも博識でいらしたので、お話を聞くのがとても楽しすぎて腰を据えてしまいました」
「いえいえ、ナイスタイミングですよ! 加々宮先生」
そして入陽は切先を押し下げると、腰に据えた拳銃を構えて照明窓を端から撃ち抜いていく。
窓は段々とヒビを増やしていき、やがてその身の保つことが出来なくなると、細かな破片が音を立てて床に散らばった。現れたのは、全体が黒で塗りつぶされた、三つ目のエレベーターホールだった。
「イヅモちゃんは、これからこれに乗って
入陽は優しく微笑んで言う、状況を理解できないイヅモは刀を下げたまま、エレベーターホールを見つめている。
加々宮がイヅモの肩を指で叩いて、ズタ袋の中身を見せる。其処には、入学願書と教材を抱えて眠る、弟達がいた。
ヴィオラ≒マゼンタ はねかわ @haneTOtsubasa
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