3.5 灰となる熱を諫める恋慕
長さの違う刀を二本。身体のラインにピッタリ張り付く黒い服。微かな隙間に分解した銃を隠し、受け取ったデバイスを手首に付けながら、階段を上がる。
普段通りの事前準備。違うのは、いつもは下ろしているセミボブの髪を結っていること。
先ほど、加々宮達といた時には無かったはずのハネ業務の準備をしている最中に、急に現れたソイツはいつもイヅモの邪魔をする。
指導員以外女だらけの地下だが、そこに女らしさというモノはなく、この世で最も無縁な環境といっても過言ではない
長いも自由。短いも自由。
他の学徒に切ってもらう美意識とコミュ力の高い奴もいれば、業務の際に焦げた箇所をそのまま放置しているやつもいる。というか、この手の方が地下では多数派だ。
イヅモも例に漏れずそちら側なのだが、その中でも飛びぬけて自身の身だしなみに関心がない。
年頃、といってもイヅモには分からないのだが。髪を気にしたり化粧に興味を持ったりというのは、地上だとイヅモくらいの歳からだと何処かで聞いた。
それが? だからどうした? というのがイヅモの主張なのだが、厄介なことに、イヅモの過敏な性格は至るところから過度なストレスを運んで来る。
現状、イヅモの髪は真っ黒な直毛。手櫛で梳いても、スムーズに指が毛先から抜けるくらいには整っている。しかし、これは後天的なモノ。本来のイヅモはかなりの癖毛であり、無頓着なのも相まって常に縮れて絡まっていた。
生活環境が荒れていたせいもあるだろうが、それを考慮しても酷いモノだった。ペンを差せば毛ごと切らないと取れなくなるし、水をかけても地肌まで水が届かない。
ドライヤーで乾かそうとしても必ずムラが出来るし、一回梳いただけで櫛歯が殆ど折れてしまう。
地下に来て、最低限人並みの生活が出来るようになったことで、徐々に今の髪質に変わっていった。初めて、髪が指に絡まらずすり抜けた時は、さすがのイヅモも人並みに感動したのを覚えている。
しかし偶に、今日みたいに毛先から当時のようなのうねりが現れることがある。あらゆる箇所からぴょんぴょん跳ねて、蒸したタオルを押し付けても、フォークで逆巻きしても治らない。
どうしようもない事柄のせいで"いつも通り"が出来ないことに、イヅモは大きなストレスを感じる。その為、せめてもの調整として髪を結うようにしているが、縛られている感覚もまた窮屈で好きじゃない。
過去、こういった煩わしさを全て解消するために丸坊主にしたことがある。手間と無駄からの解放に、一時的に有頂天になったモノだが、万にめちゃくちゃ泣かれたせいで、最終的に忘れ去りたい苦い思い出となっている。
楽だったんだけどなぁ、あの髪。
洗うのも楽だし、癖とか全無視できるし。
でもそれで泣かれるくらいならと。以来、万が一番似合っていると言ってくれた今の髪型で固定していた。
結うこと自体、かなり久しぶりのこと。うなじが風に晒されてムズムズする。小さなストレス因子のせいで万全ではないが、それでも放置するよりかはマシだと思い込みながら、階段を上る。
エレベーターの前には、髪を指先に巻いた入陽が、気の抜けた表情で待っていた。
随分ボーっとしているようで、イヅモが到着したことにも気づいていない様子。
悪戯に思いっきり両手を叩くと、入陽は声をあげて驚く。その拍子にいじっていた髪の2,3本が抜け落ちた。
「もう! いるならいるって言ってよ! あとそのくるりってる髪可愛いね!!」
怒りながら褒める
「気付かないお前が悪い。外に出てそれだったら即アウトだぞ」
「そんなの知ってます~! ちゃんと集中するために気を抜いてたんです!」
「別に上で気ぃ抜いたっていいよ。安心しろ、ちゃんと助けず見捨てるから」
「『俺が守ってやる』的なセリフ待ってたのに裏切られた!?」
頬を膨らませる入陽を横目に、イヅモはタイプのように出張ったボタンを押してエレベーターを呼ぶ。相も変わらず、身体を破壊しそうな轟音をたてながらエレベーターが降りてくる。
そろそろ、この音に乗って細胞レベルで身体を壊してきそうな振動が伝わってくる頃。ところが、エレベーターは突如として轟音を収めると、そこからピクリとも動かなくなった。
「エレベーターが、降りてこない......? 」
蛇腹扉越しに上を覗くと、四角い暖色の物体が遥か頭上で停止しているのが見えた。再度ボタンを押しても動き出す気配はない。
機械が壊れた時は叩けば治ると相場が決まっているのだが、ここまでオンボロになった機械を叩く勇気はない。絶対にぶっ壊す自信がある。
「もしかして、エレベーター壊れちゃった?」
背後から肩越しに上を見上げた入陽が問う。その胸元まで伸びた艶やかな黒髪から漂う、嗅いだことのない甘い香りが、イヅモの鼻先を掠めた。
「みたいだな。ンッたく、めんどくせぇ。これじゃあ業務ドコじゃねぇぞ」
「中身は新しいはずなのに、こんなこともあるんだね。やっぱり外側が古いままだから?」
「最新だろうが旧式だろうが、壊れる時は壊れるし、動くモノは動く。文句を言いたいのは、機械はこっちの都合を考えない事だ」
チッ、と大きく舌打ちをしたイヅモはデバイスの画面を動かす。
大概のことは自分で出来るのが
出来るモノなら、とっとと中の基盤を取り出して直すなり、壁伝いに上って行って地上に出てやるのだが、それをすると面倒とややこしいが付いてくる。
情緒的な障害物を避けるために、別の障害を越さねばならない。
このシチュエーションだと、それは加々宮とコンタクトを取ること。
手早くデバイスを操作し、加々宮の端末に
一分経っても応答しない為、一度切ってエレベーターが止まったことを伝えるボイスメモを送り、事態の進展を待つ。
その間、入陽の方の端末でも
「加々宮先生、お腹でも壊しちゃったのかな」
「だとしても、あの人なら出るはずだ。便所にいることも察させずにな」
「なんだか、
ドグォォガン──!!!!!!
突如として、爆撃のような轟音が地下中に響き渡る。
殴打のような地響きは、空気の細胞を破壊しながら伝播し、骨の髄まで流れ込む。そしてすかさず、子どもが虫の入った虫かごを振り回すような揺れが襲い来る。
自力では立っていられず、壁と階段の手すりに交互に衝突を繰り返す。態勢を整えることも叶わない為、とにかく身体を屈めて揺れが収まるのを待つ。
現実の時間としては、恐らく十秒にも満たない僅かな時間。しかし我を忘れた理性は感情に縋りつく。呆けて過ぎてしまうような微かな瞬間は、記憶の中では何十分モノ鮮明なものとして記録された。
「......っつたく、何が起こったらこんな揺れんだよ」
天井から、パラパラとコンクリートの粒が落ちてくる。
立ち上がったイヅモは目尻を鋭く尖らせ、服の隙間に腕を突っ込んで隙間を作ると、分解されていた銃の部品たちがバラバラと落ちてきた。
「全身にめり込みやがって。だから銃持ちたくねぇんだよ」
「でも、そのお陰でイヅモちゃんの可愛いおへそゲットだよ。うへへへへへへへへへへへへ、いたたたた......」
左足をさすりながら、入陽はゆっくり立ち上がると自身の武器の状態を確認する。イヅモも、喉まで出かかった言いたいことをぐっと押し込んで、腰に背負った刀を見やる。
二本とも歪みはない。鞘に引っかかって詰まることもなく、いつも通りスムーズにその
身体もあちこちぶつけたせいであちこち痛いけど、折れたり千切れたりはない。十全に動ける。
とりあえず、本当に業務に出ている状況ではなくなった。いまの揺れでエレベーターは完全に停止したろうし、地上に出る手段は閉ざされた。
下方から微かに香ってくる焦げた匂いを、イヅモはいち早く感知する。硝煙が混ざった感じはしない。シンプルな黒い煙の匂いが、階下から静かに上ってきているのが分かる。
冷静でいようとする理性に対して、肉体は秒単位で感覚を研ぎ澄まし、脳は得た情報全てを鯨のように飲みこんでいく。
細く、鋭く、そして熱く。
これから壊れようとする野生。
無謀に落ちた恒星。
放っておくと瞬く間に。それこそ文字通り火照ってくる。自分が火になった気分がするくらい、身体が熱くなっていく。
危機的な状況に面した時の人間の本能。逃走と闘争が同時に押し寄せている。
瞬きが止む。呼吸が消失する。指の先から心臓の音が響いてくる。
「行かないと──」
喉の奥から、ほろりと零れ落ちた言葉。何処とも分からなかった行先は、あとからやってきた。その行先を口に出すよりも早く、イヅモは加速しようと重力共々抑えつけるように脚を踏み込む。
それを許さなかったのは、隣にいた入陽だった。全身から血を抜いたかのように冷めきった身体で背後から抱きつき、イヅモの身体を抑え込む。
暴走しかけの獣と、冷徹にも慈しみで抑え込もうとする人間。
身体を密着させ、節々を的確に捉えて拘束する。
そこに悪意もなければ善意もない。まるで大義を成すかのような入陽の表情に、イヅモの天秤が傾く。
「とっとと退け。かまってちゃんの相手してる暇ねぇんだ斬り殺すぞ」
眼を血走らせ、入陽を押しのけんと発する圧。辺りの空気がイヅモの殺意に侵食される。しかし入陽は一切動じず、安穏としていた。
まるで、全能でも得たかのように。
全てを意のままに動かせる自信と力。
それらを行使できる実力を持った、大魔女のように。
「大丈夫。イヅモちゃんの気持ちは、分かってるから」
入陽の声にイヅモの緊張が怒髪に変貌する。しかし入陽は力づくでイヅモの身体を起こすと、その豊満な胸をイヅモに押し付け拍動を共有する。
いつもなら壁に蹴り飛ばしているはずのイヅモが、いまはただ為されるがまま。怒りながらも抵抗せず、入陽の抱擁を受け入れた。
しばらくして、熱の抜けた赤だけが身体に充満した頃。入陽はようやくイヅモの身体を話し、瞳を合わせる。
「それじゃあ行こっか! イヅモちゃんの会いたい人が待ってるよ!」
そういって、入陽はイヅモの手を引いて階段を駆け下りていく。
付いていくだけのイヅモの頭は、脳ごと抜き取られたかのように軽くなっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます