第10話

 間違っているよって、そういう風に、あなたはいつも強気な口調を使うことをやめなかった。

 「じゃあもう行こうか。」

 すごく、すごく冷静なトーンで、そう呟くあなたは、ちょっとだけ怖い雰囲気を醸し出していて、私は足がすくむ。

 髪の毛を王子様のようにふんわりとさせ、イケてる感じを演出している、ダサいからやめなよって言ったのに、聞く耳すら持っていなかった。

 はあ、まあそうか。

 心の中でため息をつき、私は手を握る。

 あなたが行くというのなら、私はついていくことしかできないのだから。

 

 「しいちゃん、そんなに頑張らなくていいよ、みんな、手伝ってくれるんだから。」

 「うん、でもさ。あとちょっとだから、明日に作業を残したくないの。それは分かるよね。」

 「分かる、分かる。すごくよく分かるよ。」

 「でもさ、しいちゃんが倒れちゃったら、それこそみんなもっと困るんだよ。」

 そう言ったら、彼女は表情を揺らがせ、しばらくした後納得したのか、「じゃあ、お先に。声かけてくれてありがとう。」と言って、帰っていった。

 しいちゃんを採用したのは、それは彼女が可哀想だったから。

 彼女は美人だし、学歴もある。だからこんなド田舎の工場に、似つかわしくないという感覚ももちろん持っていた。

 けれど、「お願いします。働く、理由があるんです。」と頭を下げられてしまったから、私は自ずと受け入れざるを得なかった。

 「………。」

 しいちゃんのような、訳アリの女は毎年、幾人かは現れる。そしてそのみんなが困窮していて、助けずにはいられない。それに、実際にその人たちはよく働いてくれていて、私も助かっている。

 工場を経営し始めたのは、数年前のことだった。

 町の大きな産業を担っている会社が、潰れてしまったのだ。

 そして、その会社を親族経営でこなしていた一族もろとも、ここからは出て行ってしまっていて、生活基盤がここにしかない人間は、仕事を失い、ただ途方に暮れるしかなかったのだ。

 けれど、私が工場を作るという話は、その急な出来事が発生する、随分前から決まっていた。

 私は、ずっと都会で人生を歩んできた。

 暇で、退屈で、どうにかなりそうだった。

 私は、大きな企業に勤めて、年収も多く、余裕があった。けれど、そんなものでは賄えない、心の暗さがどこかにあったのだ。

 知人がそういう、事業を立ち上げたという話はよく耳に入るような環境で、でも私はお金を稼ぎたくなかったのだ。

 何か、もっと泥のように働いて、もう利益折半くらいの感覚で、そこに関わる人たちと共有する。

 それが、この工場になった。

 産業が無くなり、困窮を極め始めていたここに、私は自分の事業を継続していくことを決意した。

 「あの、今いいですか?忘れてました。」

 「え?」

 あれ、帰ったはずのしいちゃんが、戻って来たらしい。

 そして、「これあげる。あのさ、塚野さん、あなたが一番大変でしょ?私みたいな、ワケわかんない女ばっかだっていうのに、いつも親切にしてくれてありがとう。」

 と、手作りのお菓子をくれた。

 私が、家族がいなくて、だからそういう人間らしい生活をあまり送れていないということを、実は彼女は知っているのだ。

 だからこうやって、たまに手作りの、料理をくれたりする。

 私は、「ありがとう、いつもおいしいから、プレッシャーになってるならやめていいからね。」と言ったのに、「何言ってるのよ。私子どもがいるのよ?塚野さんにお菓子作るくらい、何でもないんだから。」と笑っていた。

 私は、彼女が去った後、一人でぼんやりと歩いていた。

 良かった、この場所を作って良かったのだ。

 私は、これでもう何か、満たされない何かに心が蝕まれることは無い。

 そんなことを、思っていた。


 「だから、おかしいだろ?」

 「何が。」

 「もう、俺たちはちゃんと、見ていないといけないって、お前も分かってるはず。」

 「分かってるよ、でも無理でしょ?私たちにはできない。何もすることができない。見ることすら、本当は許されない。」

 「でもこれが与えられた仕事だから。」

 「それも、分かってる。」

 私と、彼はいつも一緒にいた。

 離れてしまったら、生きていくことができない。それは、本当に文字通りで、

 「行こう、これ以上ここにはいられない。」

 「うん、そうだね。」

 私は頷いて、彼は前を歩く。

 おかしなことになっている、それはちゃんと分っている。

 けれど、どうすることもできなくて、だから私は彼の手を握り、前へ進むことしかできなかった。

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よそ見はしない @rabbit090

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