第9話

  ふとした瞬間に目に入る、意味のない会話と惰性な動き。

 そんなことをしたって、僕は治らないのだ。誰にも、治せないのだ。

 ポンコツになったような気分を、ずるりと引きずりながらうたた寝をしている。

 大人になって、良かったことなどない。

 母は死んで、僕は一人になってしまった。

 そして、あの場所は取り潰され、僕は責任の所在を無くしたまま、ただ床に臥せることしかできない。

 「君さあ、何か間違ってない?」

 「…?」

 体を動かすことすら億劫だった。

 だから僕は視線だけを彼女の方へ投げ、反応を示した。

 「はあ、まあいいけど。別に、私仕事であなたのこと看病しているだけだから、関係なんて無いから、気にする必要なんて無いんだけど。」

 僕は、その言葉を聞いて体の中が沸騰するような感情に駆られた、しかし、一旦止まって、これは彼女のいつもの言葉なのだと解釈しなおす。

 この人は、本当に馬鹿らしく笑い転げている。

 何が面白いのか、本当に説明してほしいくらいだった。

 でも、そうか。

 そりゃそうか。

 この人はとても自由な人だった、外にも出れず、死ぬような気持ちで生きている私には、何も見当たらない。

 間違っているのは、誰でも良かった。

 別に、そんなことなど、どうでも良かった。


 寝たきりになったのは、大人と子供の間ごろの話だった。

 学校へ行けるか、という話になり、しかし貧しいから無理だ、となったことだけは覚えている。

 その話がまとまった後、僕はあの場所へと駆けこんだ。

 みんながいる場所へと逃げ込めば、全てが救われるような気がしていたからだ。

 でも、その後のことを僕は覚えていない。

 目が覚めると時間が進んでいて、ずっと寝たきりだったのだという。

 そして、僕は一人ぼっちになっていた。

 母が死んだ、ということは人づてに聞いた。だから本当のことは分からない。僕の体調がおかしくなったのも、あの場所のせいなのだと、とても客観的で冷静な目で、眺めることができた。

 僕は、つまり今現実を生きている。

 しかし、体は不自由で、それだけで世界は黒く重苦しかった。

 「…この前、僕が間違っているって、言ってましたよね。何が、ですか?気になります。」

 「ああ、うん。」

 彼女はいつも積極的ではない僕が、急に喋り出したことに違和感を覚えたようだった。

 「分かったよ、そんなこと分かっているよ。」

 「え?」

 何を、言われたのかが分からなかった。見当もつかなかった、だって、彼女は僕の方を見ず、下を剥きながらぼそりと呟くだけだったから。

 「君は、いつもそんな感じ、でもそれだって仕方ないよね。私も、体が不自由になってしまったら、そうなるかもしれない。けれど、それは、やっぱり不幸せだ。って、さ。」

 彼女は語尾に詰まる、言って良いのかどうかって、そういう感じ。

 でも、僕だって。

 「君は、とか、そんなこと上から言ってくるけれど、だったらもっと物理的に、救ってくれよ。救われない人間だって、いるんだ。あんただって分かってるだろ?あんただって今、自分がぼくと同じ状況になったら、嫌だって、言ったじゃないか。それが真実なんだよ、だったら黙ってろよ。そのくらい、したっていいだろう?」

 そして、それを聞いた彼女は、黙って去って行った。

 それは仕方がない、僕はどうすることもできない。

 この閉塞感を、打破するすべを、僕は持っていない。

 持つことを、許されていない。

 その事実が、ただそこにごろりと横たわっているようだった。

 

 

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