りんご飴

緋雪

夏祭り

 涼やかなグラデーションを成す薄い水色の生地に、赤紫色と濃い青の朝顔の花。今年初めて袖を通す浴衣。



「姉ちゃんは行かないの?」

「姉ちゃんはいいんだよ」

「何かお土産買ってきてあげるよ」

「何がいい?」


「りんご飴」


 祖母に連れられて、弟の晴輝はるき達哉たつやが港町中通りの夏祭りに行った。

 二人とも浴衣を着せられていた。もっとも達哉のは兄ちゃんの御下がりで、随分なお端折はしょりをしないと引き摺る長さだった。端折ったってあの子のことだ、帰りは引き摺って帰るに違いない。帰ってきて、母親が、「ばあちゃんは、また人の仕事を増やしてくれる」と小声で嘆くに違いない。茅乃かやのは、想像して、ふふっと笑った。


 茅乃は夏祭りに行けない。 

   

 いや、小さい頃に何度か行ってみたことはあるのだ。けれど、その度に高熱を出すので、親からついに禁止令が出た。だから、祭りの日に浴衣は着せて貰えるけれど、友達に見せたこともない。


「はぁ」 

 大きくため息をつく。

洋子ようこ美咲みさきは行くって言ってたなあ。一樹いつき航平こうへいたちに誘われたって言ってたな。」


 そして瑠偉るいも、きっと……。


 瑠偉が、みんなと一緒にはしゃぐ姿を想像した。浴衣は着てないかな。いつものTシャツにジーンズ。白い歯で笑う彼が眩しくて、女の子は、ついスマホのカメラを向けるけれど、瑠偉は写真を撮られるのが苦手で、笑いながら、すぐにげてしまう。


「はぁ……」

 また、ため息ひとつ。高校生にもなって、祭りだの花火だの、どうでもいいことじゃない。



 気を紛らわせようと机に向かう。英語の課題を解き始めた。そんなに急ぐ物でもなく、今やらなくても全然構わなかったのだけれど。


「あら、茅乃、起きてて大丈夫なの?」

 母が様子を見に来てそう言った。

「うん。平気」

「そっか。動けるんなら、ちょっとだけ、花火だけでも見に行ってみる? お父さんに近くまで車で送ってもらってもいいし」

「いい」

「あら、いつもは行きたがるのに」

「英語の課題が出てて。私、休んでたからやっとかないと」

「そっか。無理しないでよ。疲れたら休みなさいね」

 そう言って、母は部屋を出ていった。



「はぁ……みんなと一緒に行きたかったなあ」


 そんなことを思っていた時だった。


 コンッ


 何かが窓に当たった。なんだろう? そう思っていると、スマホにメッセージが入る。


「窓から外見て」


 外? 茅乃は窓を開けて下を見た。瑠偉がいた。

 えっ?! ドキッとする。


「調子はどう? 少しだけ祭りに行ってみない? 花火だけでも」


 メッセージが届く。


 瑠偉と……瑠偉と二人きりで行けるの? 胸のドキドキが止まらない。


「うん。行く」


 茅乃は返信した。



「しっかりつかまっててね」

 自転車の後ろに乗って、瑠偉に後ろから抱きついて、祭りの会場へと向かう。茅乃が余分に歩かなくていいようにとの瑠偉の心遣いが嬉しかった。それよりもなによりも、瑠偉の体温を感じていられることが泣きたいほど嬉しかった。


 家は、こっそり抜け出していた。


 

 縁日に来られたのはいつぶりだろう。

 たこ焼きや焼きそば、イカ焼きの匂い。あっちからはベビーカステラの甘い匂い。大きな綿あめを顔じゅうで食べている子供が可愛くて笑ってしまう。射的で腕を振るうお父さんは、息子よりも夢中になっていたり。沢山の人がそれぞれに出店を楽しんでいる。


「金魚すくいがしたい!」

 という茅乃。

「持って帰って、ちゃんと育てられる? 最終的に鯉みたいなでかさになるよ?」

 と、瑠偉が笑うので、ヨーヨー釣りにした。

「あー! もう! 取れないっ!」

 悔しそうにする茅乃に、瑠偉は、ひょいっと1つ釣り上げて、

「はい」

 と、渡した。淡い赤紫色のヨーヨー。

「茅乃の浴衣によく似合ってる」

 照れくさそうにそう言って。


「あっ!」

 茅乃が見つけたのは、りんご飴。お祭りの出店で買える物の中で、いちばん好きな物。

「大きい方でいい?」

「待って、お金出す」

「いいよ。茅乃と俺の『祭り記念』な」

「なんだそれ」

 茅乃は思わず笑ったが、そんな特別なりんご飴が嬉しかった。



 茅乃が、瑠偉からりんご飴を貰った直後、花火大会の放送が流れた。

 皆、海の会場の方へ、ぞろぞろと向かう。

「茅乃?」

 瑠偉が手を引いて、会場へと向かおうとした時、茅乃が立ち止まった。

「どうした?」

「ごめん。人混みに入ると体調が……」

 申し訳無さそうに言う。

「……そっか。わかった。じゃあさ、神社の方から見ようか」

「……う、うん」

 実は、茅乃は、それも心配だった。縁日で十分はしゃいでしまった。神社は丘の上にあるのだ。それを登る体力など、残っているだろうか。


「ほら、乗って」

「え?」

「おんぶ」

 瑠偉は笑う。茅乃も笑う。

「なんでだよ。恥ずかしいよ」

「花火、一緒に見たいから。早く」

 瑠偉に急かされて、茅乃は瑠偉におぶさった。


 神社までは、そう遠くはない。丘と言っても、そうきつい坂でもない。茅乃は背も低く華奢だ。それでも……、

「ごめんね、瑠偉。重いでしょ? 歩くよ、私」

「筋トレです」

 瑠偉は笑う。茅乃は嬉しさと申し訳無さで涙が出そうになった。深く抱きつく。

「……好きだよ」

 聞こえないように呟く。

 瑠偉は、ふふっと笑うと、「よいしょっ」と背負い直した。


 

 みんな港側の会場に集中したらしく、神社にいる人はまばらだった。

 腰を降ろせる場所に、二人並んで座る。

「よかった。間に合ったね」 

 茅乃に差し出されたハンカチで汗を拭いながら、瑠偉が言う。

「うん。ありがとう」


 花火が上がり始めた。

 夜空に開く大輪の花。菊に牡丹、柳。小さく沢山咲く花のダダダダダンという連続音。大きな花火が咲く時の、腹に響くドーンという音。

「綺麗……」

 茅乃の目からは自然と涙がこぼれていた。

「……だよ、俺も」

 瑠偉が言った。花火の音で前半分は聞こえなかった。

「え?」

 瑠偉の方を向いた茅乃の唇に、瑠偉の唇が重なる。涙はきっと、さっきとは違う色で流れていたに違いない。

 



 中学の3年の時、同じクラスになった時から好きだった。でも、瑠偉は、サッカー部。体が弱く、運動などやらせてもらったことがない自分を見てくれているわけがないと思っていた。

 茅乃は、大抵、放課後の教室で、本を読んでいるか、出席できていない時のノートを友達に借りて勉強していた。



 その日は急に大雨が降った日で。


「あー、もうマジかよー」

 そうボヤいて、タオルを頭に被ったまま、Tシャツを半分脱ぎながら教室に入ってきたのは瑠偉。

「えっ……」

「あ、わりい。茅乃いたんだ?」

 彼は慌てた様子もなく、脱ぎかけていたTシャツをおろして、タオルで頭を拭いた。

「えっ……あの……」

 いきなり名前で呼ばれて、驚きを隠せない。

「あ、ごめん。みんなそう呼んでたんで。ダメ?」

 ふるふると茅乃は首を振る。

「じゃ、俺のことも、『瑠偉』でいいから」

 そう言って笑った瑠偉が眩しすぎて、うん、うんうん。緊張のあまり、口も聞けず頷くだけの茅乃だった。


 また別の大雨の日には、


「あっ、そこ! そこなんだよね、俺、今度のテストヤバいの」

「えっ?」

「一緒に勉強していい? っていうか、教えてください」

 拝むようにする瑠偉が可笑しくて、二人で一緒に勉強した。


「見て見て見て、茅乃!! 数学87点!! 俺史上最高!!」

 テストを返してもらって、すぐに駆け寄ってくる瑠偉。

 そんな子供っぽいところも凄く好きだった。


 そう、一緒にいるほど、彼のことが好きになっていく。


 けれど……


 茅乃は知っているのだ。自分の病気のことを。だから、瑠偉のことを好きだということは、自分の胸にしまっておいた。きっと一生言わないで終わる。辛かったけれど、そう言い聞かせていた。



 でも……


 ダメだよ。好きが止められない。


 茅乃は、瑠偉との初めての優しいキスのあと、ぽろぽろと涙がこぼれてこぼれて、止めることができなかった。



 ――涙でにじむ花火も綺麗



 流石に瑠偉におんぶされて丘を下るのは危なかったので、彼に支えられながら、ゆっくりとゆっくりと歩いて降りた。


「ここで待ってて。自転車、取ってくる」

 丘の下まで降りたところで、瑠偉がそう言って、駐輪場まで走って行った。


「おまたせー。……あれ? ……茅乃?」

 茅乃の姿がない。

「茅乃? 茅乃? 茅乃、おーい!」

 探していると、木の陰に座り込んでいる彼女を見つけた。

「大丈夫? 疲れちゃった?」

 茅乃は動かない。

「茅乃? 茅乃?! 大丈夫か?!」




 夜の病院の廊下は、人気ひとけもなく静かで、時が止まっているかのようだった。

 瑠偉は廊下の椅子に座って、項垂うなだれていた。


 連絡を受けた茅乃の両親がバタバタと足音を立て、走ってくるのが見えた。

 瑠偉は、立ち上がって、彼らを待った。


 パチン!!


 言葉を交わす間もなく、母親に頬を引っ叩かれた。

「なんで……なんで勝手に連れ出したりしたの?!」

「……」

「そうでなくても、もう……あの子は……茅乃は……」

 泣きながら、母親は、瑠偉の胸を叩く。

「やめなさい。ほら、落ち着いて。そこに座って」

 父親が止めて、泣いている母親を椅子に座らせた。


「茅乃は、お祭りを楽しみにしてたからね。連れて行ってくれたんだね」

 父親が瑠偉に優しく話しかける。責めて、殴ってくれた方が良かったのに……。とてつもない罪悪感に苛まれ、瑠偉は頭を下げた。

「すみませんでした!! あの……俺……」

「茅乃は楽しそうだったかい?」

「はい……」

「そうか。よかった」


 もう遅いから帰りなさい、と言われ、トボトボと病院をあとにした。自転車が神社の丘のふもとに倒れていた。そこで倒れていた茅乃のことを思い出して、瑠偉は泣いた。声を出して。わあわあ泣いた。




 茅乃が亡くなったのは二日後のことだった。


 通夜はその翌日だった。


 制服を着たクラスメイト全員が参列した。女の子たちは殆どの子が泣いていて、過呼吸を起こすなど、途中で退席した子も何人かいた。

 瑠偉は、にこやかに笑いかける茅乃の遺影を一目見て、席について、項垂れていた。時間が経つほどに、自分自身を責める気持ちが強くなっていた。



 通夜が終わって、皆が殆ど帰った後も、瑠偉は席を立てなかった。


「君が、『瑠偉』君だったのか」

「顔を、見てあげて」


 見上げると、茅乃の両親が自分の目の前に立っていた。

 促されるまま、茅乃の眠るひつぎのもとへ行く。


 眠っているだけのような、声をかければ起きそうな茅乃がそこにいた。

「茅乃……」

 彼女の周りには、彼女が生前好きだったものが並べられていた。

「あ……」

 花のように2本リボンで束ねられていたのは、りんご飴。

「茅乃は、お祭りのりんご飴が大好きだったの。この前の夏祭りのときも、弟たちにお土産を頼んでいてね」

「そう……だったんですね」

「一本は、『瑠偉から貰ったんだよ』って、最後に意識が戻ったとき、この子、嬉しそうに言っててね。だから、持たせてあげたくて」

「……」

「茅乃、たくさん、たくさん、あなたのことを日記に書いてた」

 母親は、優しい眼差しを瑠偉に向ける。

「お祭りにも……花火大会にも、私達も誘ったの。でも行くって言わなかったの」

 そして、黙って、最後に書かれた文章を見せた。


 瑠偉と一緒に夏祭りに行きたい。

 りんご飴買って、花火を一緒に見て

 好きだよ、って言おう。

 今度こそ、言おう。



 その場に泣き崩れる瑠偉の身体を支えながら、父親が涙声で言った。


「ありがとう……茅乃を幸せに逝かせてやってくれて。本当に……ありがとう」

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りんご飴 緋雪 @hiyuki0714

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