第2話 『古びたレターケース』-3
動くと汗ばむ外と違い空調の利いた事務所で、古道は応接スペースに通されて目の間に座る女性へ窺うように視線を送っていた。ショートボブの黒髪に細く四角い眼鏡の奥で文字を追う目は穏やかさと困惑が同居している何とも言えない色を浮かべている。それは二人の間を隔てるテーブルの上で軽快に紙面を走る羽根のついた万年筆のせいもあるだろう、最初こそ手品を疑われたが古道に宛てた手紙と、筆跡に懐かしさを感じたらしく最初に比べて警戒心は少し薄れたようだった。
「……本当におじいちゃんなの?」
”うむ、ひさしぶりだね
「俄かには信じられないわ……じゃあ私が小さいころ好きだった本は?」
”
書かれた文字を見てはっと息をのむ文香と呼ばれた女性はどうやらこの万年筆が綴ることを信じたようだった。古道はしばらく久しぶりの祖父と孫の会話を出された茶をすすりながら眺め、文蔵が示した本のタイトルを帰りに調べてみようと思っていると会話が一区切りついた様子の文香が古道に向かって声をかけてくる
「ごめんなさい、古道さんでしたっけ。こうして祖父とまた話せたのは貴方のおかげです、このレターケースは祖父が特に気に入っていたもので……質に流れたと聞いて肩を落としていたのです。」
「そうだったんですね……よかったら、これお返ししますよ。」
「そんな、古道さんが買われたものですから……せめてお幾らで買われたんでしょうか」
「いやいや、文蔵さんも嬉しそうだし遺産が欲しいっていうより、気になったからこちらに来ただけなので。再会というにはちょっと変わってますけど、微笑ましい様子がみられて俺もすっきりしました。」
その後、文香に何度も頭を下げられながら見送られ古道は帰路についた。ちょっと不思議な体験をしたが、肩の荷が下りた頭にふと浮かんだのは文蔵が言っていた文香の好きだった本のことだった。絵本か何かだろうか?危険だと知りつつも歩きながら携帯端末で検索をかけるが、検索には引っかからずよほど古い本なのかと思って携帯端末の画面を閉じて立ち止まる。画面を凝視しすぎて少しだけ痛みを訴える首筋をほぐすように上を向くと
「……古本屋、か」
看板の意匠はボロボロになって見えないが、軒先に本が溢れてきているため本屋であることがかろうじてわかる。検索にかからないほど昔に絶版になった可能性はあるだろうか。そんなことを思いながら足を踏み入れると、古紙の香りとともに古道を包む雰囲気が外とは変わったことを肌で感じる。これはいつぞやのリサイクルショップで感じていた独特の雰囲気に通じる、そしてそれは声をかけてきた人物によって裏付けられるのだった。
「おや、古道殿。……なるほど、あの道具は縁者の手に渡ったのですな」
「廻さん!?やっぱりここはあの店と……そんなこともわかるんですか……まぁ、これでよかったんですよ」
「それもまた縁ですな、ところでここにおいでになったということは何かお探しですか?」
「あ、そうなんです。廻さん黒珈琲っていう作者の『甘くない男』っていう本、聞いたことあります?」
廻は古道の問いに顎髭をしごきながら思案する素振りを見せると、傍らにあるバインダーに手を伸ばす。何かの目録だろうか、と少しの間本棚に囲まれた空間にページをめくる音が一定のリズムで流れ、あるところで止まった。
「なるほど……此度の
「どういうことです?」
「私から申し上げられるのは、まだあのレターケースとの縁は切れていないということ、そして『甘くない男』という本はおそらくどこの書店でも置いていないということです。」
「そうですか……絶版になっちゃったんですね、
廻の言葉を受けて残念そうに古道が言うと、静かに首を振り絶版ではないと否定を示す。首をかしげて問いを続けようとした瞬間、店のドアについている鈴が第三者の来店を告げる。思わずそちらを振り向くと、学生が流れるように参考書のある棚の間へ消えていった。古道が向き直ると廻は既にそこにおらず、代わりに舟をこいでいる初老の男性の姿があり、入店の時に感じた不思議な雰囲気もなく普通の古本屋に戻っていた。
「うーん……わからん。」
本もレターケースもわからない事だらけで、キツネにつままれたような顔をした古道は店を後にするのだった。
セカンドハンズ・メモリー koge @riucross
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