第9話 二人の将来において
どうやら、この時の、
「いや、昭和における二人の運命」
は、どうやら考えられる最悪のことだったようだ。
結果として、数日後に、笠原は、石松聡子から、
「あなたとはお付き合いできない」
と言われた。
これだけであれば、笠原は、
「ああ、フラれちゃったか、まあ、しょうがないわな」
という程度で終わっていたことだろう。
失恋のショックがどれだけ尾を引いたのか、彼の性格から考えると、普通の失恋であれば、よくて数か月、下手をすれば、半年以上、ショックから立ち直れないのではないかと思われた。
だが、今回は最悪だったことが幸いしてか、一月ほどでショックはなくなっていたのだ。
あの時、つまり聡子に、
「話がしたいので会いたいと言われて、ノコノコ出かけていった」
あの時である。
後から入ってきた川崎というやつは、やはり彼女の元カレだった。二人がどうしてそんなことをしたのかは分からないが、どうやら状況的に、二人は別れたくせに、偶然笠原が告白したことで、失恋のショックからが、何か冷静ではなかった聡子が川崎に、
「私に告白してきた人がいるんだけど」
とばかりに話をして、
「それじゃあ、俺が品定めをしてやる」
とでもいったのか、笠原が思うには、そういうことだったのだろうとしか思えない。
それを考えると、
「俺って舐められていたのか?」
としか思えない。
確かに、恋愛経験がなく、失恋した女性から見れば怖く感じたのかも知れないのだが、だからといって、別れた男に相談し、男の方も、別れたくせに、友達面なのか、それとも、今でいうマウントを取りたかったからなのか、出張ってくることもないだろうというものだ。
本当に間違いないとは言えないが、さすがに状況証拠は、これ以外を差してはいない。
じゃあ、笠原の立場はどうなるというのだ?
「俺は、こんな女を好きになったというのか?」
と考えると後から別の考えが頭に浮かんできた。
「その時まで俺は、聡子のことを何とも思っていなかったはずだ。友達としては、話をして楽しかったので、女性の友達の中で一番気心の知れる人だと思っていた。それは尊敬の念を感じていたからで、ひょっとすると、恋愛感情なんておこがましいとまで思っていたからなのかも知れない。しかし、それがどうして恋愛感情に変わったのか? そして、なぜ、偶然、彼女が別れたというタイミングで彼女に告白する気になったのか? ここには、よくも悪くも彼女に対してそれまでと違った感情が生まれたからだと感じた。彼女が彼がいたことで、堂々とした佇まいに、尊敬の念があった。余裕が感じられたからだ。しかし、彼女は失恋し、そのショックで、普通の女の子に成り下がった。それを見た時、俺はきっと、今の彼女なら、俺でも行けるんじゃないか? などという浅はかな考えが浮かんだのかも知れない。そう思うと、本当に好きだったのかどうかも怪しい気がしたが、少なくとも彼女の余裕のある凛々しい態度は好きだったのかも知れない。しかし、いくら余裕がなくなったとはいえ、二人とはまったく関係のない俺を、元カレに品定めをさせるなど、ありえないことではないだろうか?」
と感じたのだ。
その時の笠原は、怒りを通り越していたのかも知れない。自分に対しては、実に情けなく、自虐しかなかっただろうし、彼女に対しては、怒り? 恨み? 他にもありとあらゆる悔しいものが渦巻いていたに違いない。
「俺は、こんなやつに嫉妬をしていたんだ。バカバカしい」
と、自虐だった自分が恥ずかしいくらいだった。
ここまで思えたということは、意外とショックは少なかったようだ。一週間もしないうちに、立ち直り、
「そうだ、この思いをせっかくだから、小説にしちまえばいいんだ」
と感じた。
名前さえ伏せておけば、笠原と聡子の関係性や、ましては、品定めをされたなど、聡子が他人に話をしていない限り、分かる人もいない。
そもそも、誰かに話していていたのなら、聡子も大概な女だということになる。本当に救いようのない女だと言えるのではないだろうか。
笠原が書いた、その時の心境を描いた恋愛小説。結構人気があったのだ。
それから笠原は、自分が小説を書くことに自信が持てて、
「趣味としてこれからも書いていっていいんだ」
と思い、自分独自に、自己満足のために、ずっと書き続けることになった。
たまには、文学新人賞などにも応募してみたが、しょせんは、見る目があるのかどうなのか分からない。素人の、
「下読みのプロ」
と呼ばれる連中の、勝手な裁量で、ほとんどが一次審査通過すらかなわなかった。
「まあ、いいわな」
と考えていた。
前述の通り、大学卒業と就職活動を危ないところで何とか達成し、入社したのが、出版社だったというのも皮肉なことだった。
出版社で出版の仕事に携わっていると、それまで想像していたよりも、さらにブラックで闇も深そうだった。
プロの先生を見ていて、なかなかアイデアが浮かんでこないのを見ていると、
「アマチュアで勝手に好きに書いている方が、アイデアなんて湯水のように湧いてくるものだ」
と感じていた。
何よりも、出版社のいう通りにしなければならないということはなかった。出版社がどれほどのものか、考えてみると恐ろしかった。
プロ作家になるには、前述で記したように、新人賞に入るか、持ち込みでしかないというものだったが、新人賞に入選しても、そこで終わりの作家も結構いるのだ。
まるで、プロスポーツのようではないか。学生野球、社会人野球で活躍して、鳴り物入りでプロに入ると、すぐに消えてしまったという選手。
学生時代がピークだったのか、それとも、アマとプロの違いが歴然としているからなのか、事情によって違うだろうが、小説の世界は、アマであれば、いくらでも勝手なことができる。倫理や法律に違反さえしていなければ、どんなことを書こうとも自由である。笠原はそこを狙っていたのだ。
出版社での仕事のストレスも、彼の小説の恰好のネタになっていた。
嫉妬というのも実はあったりする。自分が相手にしているプロは、自分の好きなようにできないことで、
「自分はならなくてよかった」
と思うのだが、やはりそんな人たちを、
「先生、先生」
といって、おだて透かして、やる気にさせなければならない。
これが営業というものであり、編集者の本来の仕事は営業なのだ。
だから、相手がプロだと思っただけで、嫉妬するのだ。
「自分の作品が形になって、本屋に並ぶ。これが物書きの究極の喜びではないか。確かに缶詰めになったり、自分の意見が通らなかったりして辛い状態ではあるが、それでお先生先生と言われてヨイショされるのだ。嫉妬がないわけはないではないか」
と考えさせられるのだ。
嫉妬と、ストレスと、小説家になれないやるせなさ。そんなものが入り混じって、自分の中で、妄想を作り出す。
三十歳過ぎたあたりから、小説を書くのが楽しくなってきた。それまでは、妄想を書き連ねるということが楽しいと思っていたが、文章を捻り出したり、ストーリーを考えたりするのが苦痛であったのだ。
だから全体的に見ると、
「小説を書くことはきついという意識の方が強い」
と思っていた。
それなのに、三十を過ぎてから、三十五歳になるまでは、一日に一時間でも充実して描く時間が持てれば、それで十分だったのだ。
書く内容は、あくまでも、ストレス、嫉妬、それらから思いうかんできた妄想を書き連ねるだけだった。途中で考えてしまったり、筆が止まってしまうと、書くことができなくなるだろう。
三十歳になると、ワープロで書き始め、三十歳後半くらいからが、パソコンに移行した。今まで肉体的にきつかったのだが、鉛筆やペンではなく、キータッチでできるということで、一気に書ける量が増えていったのだ。
基本的には、推理モノであったり、SFモノというものを書くのが好きだったのだが、この時は、恋愛ものを書いてみようと思い、今までの恋愛経験からのどれかをモチーフにしようと思って考えていると、どうしても、最初の聡子との話に行き着くしかなかった。
ただ、この頃は、自分が本当に聡子のことを好きだったのかというと、今から思えば疑問であった。
よくよく考えれば、気になる女の子ではあったが、最初から好きだったわけでもないし、まわりから、聡子の彼氏の話を聞いて、それで嫉妬したのが最初だったような気がする。だから後で考えても、聡子への感情に、嫉妬抜きでは語れない思いがあるのだ。
だから、この時の小説も、恋愛物語というよりも、笠原のその時の心の葛藤と、聡子が何を考えていたのかというのを、自分なりに考えて書いた。
しかし、この話は、最終的には、事実と同じところに落ちなければいけないと思っていた。
落としどころが違うが、着地点は同じという感覚である。
つまりは、嫉妬からこの話が始まっているという結末にしないと、せっかくの事実を捻じ曲げてしまうことになり、この小説を書く意味がなくなるような気がするのだった。
変えてはいけないところとして、やはり、好きになった女性に告白した時、彼女も同じ時期に失恋したということ。そして、元カレに、彼女が自分に告白してきた男を検分させるというところ。この二つは絶対に外せない。
あの時の自分がどのような思いに至ったのか。
あれから、笠原は、案の定、聡子に交際を断られた。自分でも分かっていたことである。元カレの前で、一番してはいけないことをしてしまった。これが二人が仕組んだことであることが分かっていて、それをあたかも知らないふりをするのだが、自分が知らないと思われるのも癪だという思いもあってか、変に二人に媚びをうっているような素振りを見せたのだ
その時の自分がとにかく情けなかった。彼氏だという川崎は、見ていて精悍な青年だった。それに比べて、二人を探るような素振りをした自分が情けなくなってしまっていた。「分かっているのに」
と思いながら、相手が自分のことを、
「あんな、情けないやつやめちまえ」
と川崎がいうのを、
「そうね、分かったわ」
と、別れたくせに、勇気をもって告白してきた相手を嘲笑うような態度は、誰が見ても気持ちのいいものではないだろう。
どうせ、まわりの人もそんな自分たちのことが分かるわけもない。結局、笠原は、どうすることもできなかった。
それから、しばらくは、他の女性を好きになっても、告白することができなくなった。あの時のトラウマが残っているからだ。
そのトラウマを思い出しながら、
「何で、俺はあんなに情けない態度を取ってしまったんだ?」
ということが悔しかった。
あの二人を、
「どうせ、人を嘲笑うような連中は、不幸になるに決まっている」
と思うことで、自分の留飲を下げるしかなかったのだ。
その小説を書き始めたのは、三十五歳くらいからだっただろうか。その頃になると、学生時代のことがやたらと思い出されるようになっていた。ちょうど、ワープロからパソコンに切り替わった頃でもあった。
仕事の上では、三十歳を超える頃から、まったく仕事をしていて、面白いと感じなくなっていた。
「何で俺が人のために、気を遣ってやらなければいけないんだ?」
という思いがあった。
しかも、相手は先生なのであり、収入としての作品を生み出すクリエーターなので、こちらは、精いっぱいゴマをするしかないのだった。
そのうちに、仕事もどうでもよくなってきて、先生と呼ばれる人が缶詰めになっている間、自分も小説を書いていたのだ。
「これだったら、そこまで嫌な気分にならずに済むな」
と仕事を利用して、趣味に没頭していた。
どうせ、何をやっていても、作品を書くのは先生なので、出来上がりさえすればそれでいいのだ。
できなかったとしても、自分が叱られればいいだけで、別にプライドを持っているわけではないので、気が楽だった。
ただ、ストレスが知らず知らずに溜まっていたのだろう。今までの経験から、ストレスが溜まってきた時に、自分の小説がスムーズに書けたりする。つまり時間を短く感じることができる時ということで、そういう時間の使い方を有意義に感じたりするのだった。
この時に書いた小説も、ストレスに基づいたもので、ある程度、実話だということもあるので、書きやすかったと言ってもいい。かなり話を着色しているが、それだけ書いていて、楽しいという気分になるのは、自分の中にある嫉妬を吐き出しているという証拠でもあったのだ。
あれから、すでに十数年経っているにも関わらず、怒りは消えていない。ほとんど変わっていないと言ってもいいのは、それだけこの時の屈辱から、時間が止まってしまったということなのかも知れない。
何と言っても、自分が好きになった相手から、自分が見極めなければいけないものを、こともあろうに、それまで付き合っていた男性にさせるということ。さらに、それを分かっていたにも関わらず、変に気を遣っていると思いながら、媚びを売るかのように、情けない姿勢になってしまった自分への怒り。そういう意味では相手に対しても、そして自分に対しての怒りは、どう抑えればいいというのだろう? そう思いながら、解決できず、ただ後悔の念ばかりを抱いてきたことが、時間を止めてしまった最大の理由だったのではないだろうか。
小説では自分の気持ちを素直に出して、自分の中に潜んでいる怒りを、無意識に出していくと、小説を書くのが楽しくなってきた。
小説を書くのは好きだが、それはあくまでも、自分が小説を書けるようになった自信と、さらに、書きあげた時の、達成感というあ、充実感が溢れてくるからであった。楽しいというところまでは決していっていないのだった。
小説が出来上がっていくうちに、最後の締めをどうするかということを考えながら書いているのがいつものことだったが、今回は考えることもなく、スムーズにラストを迎えられた。
何しろ、ラストは決まっているも同然だった。怒りに任せた内容を、事実で締めくくればいいだけだからだ。そこから感情は爆発するものであり、書きあげることが、最大の喜びに繋がるのが分かったからだ、
最後に得られたのが、満足感だったのか充実感だったのか、今回だけはそのどちらかで、そして今まで最高のどちらかだったのだろうと感じたのだ。
この内容を、せっかくなので、他の出版社の新人賞に応募した。皮肉なことに、今回は受賞に成功したのだ。
さすがに大賞というわけにはいかなかったが、佳作程度には潜り込むことができた。それがよかったのか、書籍化の話が出て、いよいよ文壇デビューということになった。
今の出版社にいることはできないので、退社して、アルバイトをしながら、執筆活動に勤しむことにした。
今までは、プロになることを嫌だと思っていたのだが、それは、自分が出版社の人間として編集に携わりながら、作家に対して以前から抱いていたのと寸分変わらない内容のものを感じたことでストレスが生まれ、まさか自分がプロに対しての、
「縁の下の力持ち」
として働かなければいけないというジレンマが辛かったのだ。
「今の思いを続けることを思えば、この機会に文壇デビューし、生計はアルバイトでも何でもいいから、やっていければいい」
と思っていた。
さらに、今回の小説がデビューのきっかけにはなったのだが、この小説がここまで売れるとは思わなかった。
これは出版社の方でも思っていたようで、
「入賞したことで、本を出すことになったが、赤字が増えなければそれだけで十分だ」
と思っていた。
今回に限らず過去の大賞は、そのほとんどがエンタメ系の、sf、ホラー、ミステリーなのだったので、恋愛小説というのは珍しかった。
どうしても、スケール的には小さくなる。実際にこの話はドキュメントに近いのだから、余計であろう。
だが、そういうこともあって、映像化しやすいというのもまたしかりであった。
「地元のF放送局から、地元発信作品ということで、一時間もののドラマにしたいという話が持ち上がっているんですが、どうでしょう?」
と彼の担当者から、言われた。
「僕の作品がテレビ化されるわけでsか?」
というと、
「ええ、そうです。F放送局のディレクターから、是非にという話がきているので、私はいい話ではないかと思いますよ」
と担当編集者から言われた。
この編集担当者というのは、つい最近まで自分がやっていた仕事で、自分が以前編集単廊者だということを、自分から告白していないので、きっと誰も知らないことだろうと、思っていた。
「私の方でも、お断りする理由なんかありません。本当に嬉しいと思っています」
というと、
「それはよかった。私はこの作品が評価されたのは、親しみやすさではないかと思うんですよ。しかも、妙にリアルなところがある。それだけに小説を書いていた時の先生の小説にたいする姿勢に、素晴らしさや謙虚さが見えてくるようで、気に入った作品の一つだったので、テレビ化は正直嬉しいんですよ」
と言われた。
自分の作家としての意識は、この作品を書きあげた時に、一つの節目を感じていた。それまでは、次の作品までに、一度気持ちをリセットさせる必要があったのだが、あの小説を書くことができたことで、次回作を書くまでに、すぐに頭を切り替えられるようになったのが、それまでと一番違ったところだと思った。
「前のめりで小説を書けるようになった」
と言ってもいいのだろうが、自分の中では、
「小説を書くことに対して、覚醒できたのではないだろうか?」
ということを感じるようになっていた。
この小説を書き終えた時、
「小説を書けるようになった時のことを思い出した」
と感じたのだ。
「小説というのは、最後まで書きあげることができるようになって、初めて覚醒するものだ。そして、最初の覚醒から、何度も覚醒することになるだろう。それはまるでヘビが脱皮するようなもので、自分の中に前兆もあり、書きあげることを楽しみに感じることができる時がやってくる」
と、以前から考えていたのが、いよいよ現実味を帯びてきたのだと分かったのだった。
小説を書き終えた時のことを思い出した。
「満足感なのか、充実感だったのか?」
時々そのことを考えてみる。
「満足感だったような気がするな。だけど本当は充実感であってほしかった」
という思いがあった。
「大賞を取れなかった一番の理由は、書きあげた時に感じたのが充実感ではなく、満足感だったからではないか?」
と感じた。
つまりは、
「満足感と言われるものは、最初のステップで感じるもので、それがあってこそ、充実感を感じるための準備ができるというものだ」
と感じていた。
満足感は百パーセントではない。充実感を得るための一部を残したもので、実は充実感というのは、その余裕部分の小さなものではないか。
笠原はそう感じていたが、これは、ここまで来なければ、決して自覚できるものではない。逆にここまでこれたということは、それだけ、自分が節目を乗り越えたということであり、最初の脱皮だったと言ってもいいだろう。
そんな小説家としての第一歩はこの作品であり、映像化というのも、実に魅力を感じさせるものだった。
しかし、
「映像化すると、どうしても、原作からは落ちてしまう」
という法則のようなものがあり、学生時代から笠原も分かっていただけに、どう考えればいいのかを悩んでいるようだった。
「プロデューサーの話では、まだ脚本家は決まっていないけど、決まったら、先生に挨拶に来られるとのことですよ」
と、編集の人が言っていた。
脚本家にとって、原作があるということは、簡単そうに見えるが、実は難しいという。その発想は、小説家と脚本家の違いようなものだという話も聞いたことがあったので、
「この脚本家も大変なんだろうな?」
と感じたのだった。
しばらくして担当がやってきて、
「脚本家、決まったそうです」
というので、
「それはよかった。どんな人なんでしょうかね?」
と聞くと、
「私もハッキリとは知らないので、プロデューサーに聞いてみると、どうやら新人さんのようなんです。何でも、その人が自分から、この作品をやりたいと言ってきたそうで、すぐに決まったということです」
と言った。
「まあ、僕としても、初めての映像化なので、映像化デビューという意味では僕も新人だからね。新鮮でいいかも知れないね。それにしても、僕のような作品に、よくやりたいという人が出たものだ。この間のプロデューサーの話にあったように、また決まっていないというのは、誰もやり手がいなかったからなんじゃないかな? それを自ら引き受けてくれるというのは、かなりの覚悟があってのことなのか、それとも、モノ好きなのかということだろうね」
というと、
「どうやら、その人は女性らしいんです。女性として何か感じるものがあったんじゃないでしょうか?」
と担当は言った。
この話はどちらかというと、男性側から見た、女性のきついところ、悪いところを表現した作品になるので、本当なら女性から嫌われる作品だと思っていた。男性からも決して好かれる話でもないと思っていたので、新人賞応募も、ほとんど期待すらしていなかったのだった。
それなのに、そもそもこれが佳作とはいえ入賞したこと自体が信じられないし、しかも、佳作ということでの映像化というのも、かなりレアなケースであろう。それなのに、どうして、これのシナリオの仕事をしたいと思う人が女性だというのも、少しビックリであった。
「今度、お会いできるそうですよ」
ということで、会えることになった。
そこに現れたのは、何とこの話のヒロインのモデルである聡子ではないか。
聡子は、他の人には、まったく笠原とは面識がないような素振りをしたが、その後、二人きりになって、作品の話がしたいという聡子に言われて、彼女は初めて、笑顔を見せた。
「お久しぶりですね。このお話の主人公とヒロインって、私たちなんでしょう?」
とニコニコしながらいうではないか。
笠原が黙っていると、
「私、別に起こっていないからね。でもね、実は私も、このお話を自分なりに小説に書いて応募したことがあったの。今から十年以上も前ね。つまり、卒業してからするということかしら? でも、賞を取ることもできず、小説家になれなかったんだけど、途中からシナリオに方向転換したの。そうすると、二十代後半くらいから、舞台の演出のような仕事を主にやっていたんだけど、最近では、テレビ局からも呼ばれるようになって、今までにCSなどで書かせてもらったわ。今度はいよいよ地上波ということで、どんな作品が候補にあるのかと思って、その作品を読んでみると、まったく私の記憶と同じ作品だったわけじゃない。そう思った時、あなただってピンときたわ。だから、私が立候補したの。今度は私がシナリオを完成させて、あなたの作品を世に出すわ」
と言ったのだった。
「どうして、僕の作品を書いてみようと思ったんだい?」
「私はあなたに謝りたかったの。でもできなかった。たぶんあの時あなたは、私の当時の名声に嫉妬していたでしょう? それも大きかったわ。だから、私なりにあなたへの謝罪の気持ちと、シナリオであれば、もうあなたと競わなくてもいいからね。本当にあの時はごめんなさい」
と言って、謝ってくれた。
「いいんだよ。一緒にいい作品を作っていきましょう」
というと、
「そうね。でも私が脚本を書くと、内容が少し変わるかもよ?」
といって微笑んだ。
それからしばらくして彼女は作品を見せに来た。それを見た時、笠原は、
「こ、これは」
と唸ったが、
その脚本を見れば見るほど、あの時のことを思い出す。自分の作品では思い出さなかったのにである。
「この作品は、本当にリアルに描かれている。当時の話を一字一句捉えているようだ」
と感じた。
読めば読むほど、過去の記憶に引き戻される。まるで彼女が言いたいことがこの中に含まれているかのようだった。
「結局あなたはいつまで経ってもチキンなのよ。架空の話にしようとすればするほど、中途半端になるということを、分かっていないんだわ」
と言っているかのようだった……。
( 完 )
中途半端な作品 森本 晃次 @kakku
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