第8話 告白の結末

「ところで、聡子さん。お付き合いしている人がいるんだよね?」

 といまさらであるがカマをかけてみた。

「ええ、そうだったんですけど……」

 と、声を詰まらせるように言った。

――やっぱり――

 と思ったが、

「というと?」

 と分かっているくせに最後追い詰めるように確認してみた。

「実は、この間別れたんです」

 というではないか。

 一瞬、心の中で小躍りをしてしまった自分が、情けなかった。それは、彼女に対して本当は失礼なことを思っているにも関わらず、自分に少しでも有利になったことが嬉しかったからだ、

 しかし、冷静に考えてみれば、彼女が失恋したからと言って、自分にすぐ靡くわけではない。本来なら、

「そんな尻軽な女、こっちから願い下げだ」

 と言ってもいいくらいであってしかるべきなのに、彼女を見ていると、尻軽であろうが、純粋な彼女と付き合えるのであれば、それでいいという矛盾した思いを、不思議に感じることもなかった。

 今までにも何人かの女性を好きになったことがあったような気がしたが、その都度、失恋をしたわけではない。告白をしたこともないので、ただの片想いで終わっていた。一種の通りすがりの恋だと言ってもいいかも知れない。

 そんな感情は、いつもあっという間に通り過ぎるので、

「失恋も、そんなに大した感情ではないのかも知れない」

 と思っていたのだ。

 だから、聡子だって、失恋しても、数日で立ち直って、他の人をまた好きになる。それのどこがいけないというのか?

 という思いを抱いたことで、彼女に対して失礼だとは思いながら、自分にとっては有利だと思うと、思わずほくそ笑んでしまう自分がいるのだった。

――好きって言われて、嫌な気がする女性がいるわけはない――

 という思いもあって、自分の告白が、彼女の失恋の痛手の中で、癒しを感じてくれれば、必ず靡いてくれるなどと考えていた。

 まさしく、恋愛未経験者ならではの考え方だと言ってもいいだろう。

 そんな時、彼女から誘われたのだから有頂天になってしかるべきだ。

 しかし、不安がないでもなかった。彼女がいうように失恋をしたことで、自分に相談のようなものをしてきたら、どう答えればいいのだろう? そんな不安を抱いていたが、それよりも、誘われたことでの有頂天の方が大きかったのだ。

 だが、彼女は何かモジモジして一向に話しかけようとはしてこない。

 笠原としても、

「誘いかけてきたのは向こうからなので、なるべく向こうに話をさせなければならない」

 という思いがあり、ちょっとくらいの沈黙は、自分の方が待ってあげるしかないと思い込んでいた。

 二分、三分と沈黙の時間が増していく。

 彼女がすぐに話をしてくれると思っていただけに、この沈黙は想定外だった。

――どうすればいいんだ?

 と思った時には、すでにどうしていいのか分からなくなっていた。

 最初から、沈黙が長引くことを想像していなかったのがいけないのだろうが、そもそも、自分が女性に誘われるわけはないという思いがあったからなのか、まったく想定していないことだったのだ。

 自分が謙虚な性格だからなのか、それとも物事を自虐的に考える性格だからなのか、とにかくどうしていいか分からず、すべてが後手後手に回っている気がしてきた。

 逃げ出したいくらいの気まずさであったが、男として何かを言わなければいけない場面であることは分かっているくせに、何もそうすることもできない状況に、

――どうすればいいんだ?

 と、定期的に考えるだけで、その都度、時間が今一度、リセットされているのではないかと感じるのだった。

 時計を気にしているのを悟られるのは恰好悪いと思って。最初は気にしていなかったが、何度目かの、どうすればいいという思いに至った時、さりげなく時計を見ると、

――うわっ、ここでの沈黙がすでに十分近くにもなっていたんだ――

 と感じたのだが、それにしても、この十分間というもの、彼女っは苦痛に感じなかったというのかという思いが頭をよぎった。

 普通だったら、十分もの沈黙が、そう耐えられるものではないだろう。しかも自分から呼び出していてのことだっただけに、

「相手に悪い」

 と思ってしかるべきではないだろうか。

 十分も経っていると思ったその次に感じたことは、

「十分しか経っていない」

 という考え方も頭をよぎったという、不自然さだった。

 十分という時間が、自分の中で中途半端な時間だと感じたのかも知れないとも思った。

 ただし、それはその時によるであって、

「シチュエーションによって、長いと感じる時もあれば、短いと感じることもある。今回は本当はどっちであり、どっちを感じなければいけないのか?」

 と感じると。

「どちらも今一緒に感じているのかも知れない」

 と、思ったのだ。

 その時、思ったのは、

「俺は、ここにきて、彼女をまともに見ていないのではないか?」

 ということであった。

 視線が彼女を捉えたという感覚はあったが、それは、見たという感覚とは程遠いものではないかと思ったのだ。

 そう思って彼女を見ると、彼女もこちらを見ているわけではない。どこを見ているというわけではないこの時間を、持て余しているのか、それとも、何かを考える時間に充てているのか、いろいろと考えてみたが、笠原にとっては、彼女がいろいろ考える時間に置いてくれていた方が気は楽だったのだ。

 だが、その感情がどちらも違っていたということを、後になって知ることになるのだが、この時の感覚は実に微妙な時間だったこともあり、それ以降、女性と二人きりになった時に、沈黙が生まれると自分から話かけることができなくなっていた。これを一種のトラウマというのだろうと思ったが、そのトラウマがどこから来るのか、正直分かっていなかった。

 ゆっくりと起算でいる時間の中にいると、小学生の頃だったか、アニメの一場面を思い出した。

 あれは、ヒーローアニメのようなものだったが、人間界を征服しようとして、悪魔族が人間界に災いをいろいろな方法でもたらすのであったが、その中に、

「時間を自在に操れる妖怪」

 という話があった。

 その時のシチュエーションとして、ある一定の区域にバリアを貼り、その中だけ別の世界になるように施していたのだが、その一定の空間はバリアの膜に隠されていて、中はどうなっているのか分からなかった。

 しかし、ヒーローが変身することで、その不思議なバリアに穴をあけて、中に入ったのだが、そこで見たものは、

「凍り付いた世界」

 だったのだ。

 それを見た主人公であるヒーローは、

「何だ、この凍り付いた世界は?」

 と感じたのだが、すぐに凍り付いていると思った世界が違っていることに気づいたのだ。

 警官が、どうやら何かを見つけて、たぶん、この世界を作った悪魔である妖怪を見つけたのであろうが、ピストルの照準を合わせて引き金を引いたのだろうが、その球がゆっくりと空気中を移動していた。それを見た時、主人公は感じた。

「この世界は凍り付いたわけではなく、ものすごく時間の進みが遅い世界なんだ」

 と思った。

 そして、それが想像以上の遅さなので、ぶっぱなしたピストルの弾がゆっくり動いている以外は、凍り付いて見えるのだった。

 そう、あの時の凍り付いた場面を今の状況に当て嵌めて思い出していた。

「俺は、どうすればいいんだ?」

 と思うのだったが、どうすることもできなかった、

 アニメで見た凍り付いたと思った世界は、その世界自体が真っ青であり、いかにも凍り付いたというう演出が見事であった。

 今の目の前の世界も、同じように真っ青な世界であった。

 しかも、アニメと違って実写だと、色付けがむずかしい。それだけに、凍り付いているという意識よりも先に、

「時間の進みがあまりにも遅い世界なんだ」

 と、直接考えさせられた。

 それを思うと、笠原は急に、

「あの時のアニメを描いた作者は、今の俺のような世界を垣間見ていたのかも知れないな」

 と感じた。

「ということは、俺も小説で似たようなシチュエーションが書けるかも知れない」

 と思ったが、書けるとすれば、、

「自分ではなく、聡子の方がふさわしい」

 と思った。

「いや、実際にすでに彼女の中の世界として描いているのかもしれない」

 とも感じた。

 アニメの世界において、時間を自由に操るというシーンは何度か見たことがあったような気がしたが、今から思えばこのシーン、拳銃の球がゆっくりと飛んでいるというこのシーンが一番印章的だったというのは間違いないことであった。

 そう思うと、

「時間が遅いというシチュエーションのアニメを見たのは、その時が最初だったので、センセーショナルなイメージが鮮明に残ったのかも知れない」

 と、感じたのだった。

 だが、この時間が遅いという感覚、自分の作品の中で感じたわけではなく、本当にリアルな感覚として残っているような気がした。

 それがどこから来るものなのかと考えていると、

――そうだ、小説を書いている時の感覚だ――

 ということを感じたのだった。

 小説を書いている時というのは、いつも同じようなわけではない。

 ストーリーが頭に浮かんでいて、どんどん書き進めることができる時と、まったく進まず、頭を掻きむしりたいと思う時と、それぞれである。

 明治の文豪が苦しみながら作品を紡いでいる時の様子を、よく写真で見ることがあったが、自分も同じような苦しみを感じている時、

「昔の文豪になったかのようだ」

 と感じる時もあり、そう感じた時、結構その後、筆が進んだりしたものだった。

 前者と後者ではまったく時間の感覚が違う。あっという間に進む時は、実際には一時間くらい経っているにも関わらず、自分で感じているのは、五分くらいだったりすることもあったりする。

 それは当たり前というもので、実際には一時間かかっているのだから、五分しか経っていないと思っているスピードが実際には一時間では、別に自分がスーパーマンになったわけではなく、時間の感覚がマヒしていたことで、勝手に時間を操っていただけのことであった。

 それでも、次々に発想が出てくるのだから、自分に自惚れるくらいの時間だったとしても無理もない。

「ずっとこんな時間が続けば、俺はベストセラー作家になれるんじゃないか?」

 と思うほど、マヒしていた時間の感覚というのは、自分にとって、大切なことだったのではないだろうか。

 と感じたのだ。

 ただ、今は一人で妄想している時間ではない。二人の時間を過ごしているのだが、この時、ふと感じたのだ。

「これって、本当に二人の時間なのだろうか? ひょっとすると、お互いの時間をお互いが共有していると勘違いしているのではないか? それよりも、もしそれぞれの時間が存在しているとすると、その時間は、同じものなのだろうか。それぞれで微妙に時間の進みが違っているとすれば、自分が十分と思っていることを、彼女は、二、三分くらいにしか思えていないのだとすると、すべてが自分のお思い過ごしなのかも知れない」

 と感じたのだった。

「ガランガラン」

 と、少し鈍い鐘の音が聞こえた。

 この重低音の音は、店の扉についている鐘の音だった。令和ではそんな喫茶店は珍しいが、昭和の頃には、珍しいののではなかったのだ。

 さすがに、客の皆は、音に慣れているのか、誰もそっちを振り向く人はいなかった。しかし、聡子がそちらを見たので、反射的に笠原のそっちを見たが、そこにいたのは、一人の青年だった。

 どう見ても大学生。それだけにまったく目立たなかった。気になったのは、聡子とその青年の目が逢った時、懐かしそうな眼をしたからだった。どうやら、二人は知り合いのようだった。

 笠原がドキッとしないわけもない。

「聡子は彼氏と別れたんだ」

 と思っていたが、それが間違いだったのか?

 と思ったが、顔を合わせてニコッと笑った割には、それ以上のリアクションはなかったことから、二人が付き合っているのかということに関しては、信憑性は感じられなかった。

 だが、付き合ってはいないが、友達であることには違いないようだ。

 すると、今入ってきた男は空気が読めないのか、こちらに近づいてきた。

「やあ、石松さん。こんにちは」

 というと、聡子の方も、

「川崎さん、お久しぶりです」

 と言って、お互いにニコニコしている。

 その表情はいかにも懐かしそうで、二人が一体いつから会っていないのか、興味深いものだった。

 だから、気になったので、

「そんなに会っていなかったんですか?」

 と聞くと、

「そうね。二週間くらいになるかしら?」

 と言われて、笠原はビックリした、というか、呆気にとられた。

――二週間? そんなもの、久しぶりの範囲に入らないではないか――

 と感じた。

「聡子さん、今日はデートですか?」

 と聞かれた聡子は、

「いえ、お友達なんですよ。こちらは、同じサークルの笠原さん。そしてこちらは、大学に入って一番最初にお友達になった川崎さんです」

 と、お互いを紹介してくれた。

 笠原と川崎はお互いに相手に頭を下げたが、お互いに探りあっているように見えて、二人とも相手の目線から視線を逸らすことはしなかった。

 他人から見ると、実に滑稽なことだっただろうが、他の客はこの状況を知ってか知らずか、まったく無視していた。

 当事者である聡子も、二人の間に関してのことは口を出してはいけないとでも思ったのか、何も言わない。しかし、それは卑怯な気がした。そもそも、今日は笠原と一緒にいるのだから、いくら知り合いが入ってきたとしても、無視を決め込むくらいのことがあってもいいのではないだろうか、

 そもそも誘ったのは聡子の方である。それなのに無視ができないどころか、自分もニッコリと笑って返事をするなどありえないと、笠原は思っていた。

――聡子がこんな女だったなんて――

 とまで思ったほどで、普段なら思わないのかも知れないが、何しろ告白した相手であり、その返事を待っている状況だ、

 いや、待っているというよりも、

「待ってあげている」

 と言ってもいいくらいではないか。

 それなのに、一体、聡子は何を考えているというのだろうか?

 そもそも川崎という男は、何者なのだろうか? 彼は一人で店に入ってきた。別に常連なら一人で入ってくることがあってもいいだろうが。

 そんなことを考えていると、厚かましくも、川崎という男は、自分たちの近くに座った。遠くにはたくさん空いている席があるというのに、おこがましいにもほどがあると思ったのだ。

――いや、俺が気にしすぎているせいなのかも知れない。友達くらいの関係であれば、別に普通のことだ。きっと、俺が聡子に対してすでに独占欲を持ってしまったからではないだろうか?

 と思ったが、

――独占欲を持つのも無理もないことだ。告白した相手から、返事はまだできないとは言われたが、会いたいということで誘われたのだ――

 デートだと思っても差し支えないのではないか?

 川崎というやつもやつだし、聡子も聡子だと思ってしまった。

 すでに、冷めた気分になってしまったことで、ここから先の展開を、自分中心で持っていくことはもはや不可能な気がした。

 完全に調子を狂わされた気がした笠原は、聡子が少しずつ会話をしてくるが、どうして川崎を意識してしまって、いつものような歯切れのいい回答ができなかった。

 笠原は以前から、誰かに相談された時の回答は結構歯切れのいいもだということで、サークル内でも有名だった。

「何か相談事があったら、笠原さんに相談してみるといい」

 と言われていたのだが、それはきっと、他人事だと思うと気が楽になるのか、そのおかげで的確なアドバイスができるのであった。

 そういう意味では、その人の身になっての相談というよりも、アドバイスを的確に受けることで、そのアドバイスをいかに自分で噛み砕いて判断するかということであるが、結局は最後には自分の考えを生むためのアドバイスだということであった、

 だから、人から相談を受けるたびに、今までの自分からは考えられないような発想が生まれてくるのが、魔力のように思えるほどだった。

 今日、聡子が会いたいと言ってきたのは、どういう目的があったのことだろうか?

 まさか、告白をしてきた相手の、恋の悩みをぶつけてくるはずもなく、何をどうしていいのか、戸惑っているのだった。

 いろいろ考えていたが、聡子は話しかけてくる様子はなかった。

――俺が今、戸惑っている印象が伝わって、何も言い出せない雰囲気になっているのだろうか?

 と考えた。

 だが、この膠着した雰囲気をさすがにまずいと思ったのか、聡子が切り出した。

「笠原さんは、どんなタイプの女性が好きなんですか?」

 と、何を今さらと思えるような質問をしてきた。

 もし、ここに川崎がいなければ、

「君のような女性に決まっているじゃないか」

 というのだが、川崎がどういう人なのか知らないだけに、当たり障りのことしか口にできないような気がした。

 頭の中では、この男が元カレではないかと思っているのだが、そう思うと、笠原には不審に感じられることが多かった。

 元カレだとすれば、別れてからすぐの状態のはずなのに、こんなにアッサリと会えるものか? しかも、そばから相手が離れないのに耐えられるというものか。

 どちらからフッたのかということが大きいのかも知れないが。聡子に限って、どちらがフッたのかということは、あまり関係のないことのように思えた。

 しかも、笠原がフラれたすぐ後に告白してくるという偶然をどう考えているのか。

――ひょっとすると、俺の告白は、彼女がフラれた時を狙っての姑息な考えではないか――

 とでも思われると、心外ではあったが、そう思われたとしても、無理もないことのように思える。

 そう考えてくると、もう一つの考えが浮かんできた。

――あの川崎という男は元カレだったのかも知れない。二人がどのような形で別れたのかは分からないが、ひょっとすると円満に別れたのかも知れない。そんな時、彼女の方に言い寄ってきた男がいたとして、少し寂しさを感じ得ない彼女としては、自分が流されてしあうかも知れないと感じ、元カレに相談したが、その時元カレから、自分が見定めてやるとでも言われたのだとすれば、辻褄は合うような気がする――

 もしそうであったのなら、笠原は手玉に取られているのかも知れない。それも、あまりにも自分の告白のタイミングがいいために、勘違いされたのだとすれば、無理もないが、こんなやり方は、他の人であれば、しょうがないと網が、自分が好きになった相手である聡子からされたのだとすれば、屈辱以外の何者でもないだろう。

 そんなことを考えていると、次第にその感覚が強くなってくる。せっかくの彼女からの誘いだというのに、これ以上一緒にいると、耐えられない気分になってくる。

 よほど、真意を確かめてやろうかとも思ったが、そこまでやると、大人げない行動に、自分が情けなくなり、情けなさに屋えられる自信がなかった。

「今日は、これ以上話すこともなさそうだな」

 と言って、その場を立ち上がったが、それは、聡子に自分の行動を後ろめたいと思ってほしいと思ったからなのだが、彼女にはそんな気持ちは欠片もないようで、態度に普段との変化はなかったのだ。

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