第7話 オールオアナッシング

 その日は、偶然を装っての「待ち伏せ」であった。

 今であれば、「出待ち」などという言葉になるのだろうが、今の時代、芸能人でなければ、許されないことである。芸能人でも許されないことではあるのだが、今なら、

「ストーカー」

 などと言われるのだろうが、当時にはそんな言葉はなかった、

 もちろん、

「怪しい気持ち悪い人」

 ということで、白い目で見られるのは当たり前だったが、今ほど陰湿な事件が起こらなかっただけ、節操があったというべきであろうか。

 ただ、笠原が待ち伏せをしていたのが、何となく分かっていたのかも知れない。聡子には聡子で、何か納得したような気持ちがあったからだ。そんなことを笠原が分かるはずもなく、待ち伏せしていたくせに、偶然出会ったよりもさらにぎこちなく接していること自体が、

「待ち伏せしていました」

 と、自らで言っているようなものである。

「どうしたの?」

 と笠原の顔を見ると、目を見張って驚いているように見えたが、その実、すぐに安心した顔になったのは、変質者ではないことが分かったからであろうか? 

 しかし、次の瞬間には、明らかな落胆の表情が浮かんだ。笠原は、この落胆の表情から意識したのである。

 さすが、嫉妬をしている相手だけのことはある。考え方だけではなく、見え方までネガティブになっているではないか。

 しかし、この表情が何を意味しているのか、お互いに考えていることは違っていたが、結論としては会っていたのだ。

 聡子にはウワサ通り付き合っている男性がいる。

 だが、その時、ちょうど二人は別れ話をしていた。その話の真っ最中であり、聡子の方では、

「もうダメなのかな?」

 と思っているところであり、自分の気持ちが納得いっていなかったということであったのだ。

 だから、聡子の方で、どうして落胆した顔になったのかというと、

「ひょっとして、彼が来てくれたのではないか?」

 という思いを持ったからであって、笠原の方としては、

「聡子は僕を見て彼氏が来てくれたと思ったが、違ったのでガッカリした」

 という解釈だった。

 結果としては同じ発想なのだが、そのプロセスが正反対だったのだ。

 それだけ、聡子は彼氏のことしか頭になく、笠原の方では、嫉妬している相手に対して後ろめたい気持ちを持っていたという証拠であろう。

 ただ、二人とも、違った意味で覚悟を決めていたと言ってもいい。聡子の方としても、すでに別れに対しての覚悟は決めていたに違いない。

 男性の方から、女性をふるという感覚は、今でも笠原には分からないが、その時は恋愛経験がほとんどゼロだっただけに、失恋ということすらどういうことなのか、理解できていなかっただろう。

 だから、人を好きになると、まわりが見えなくなってしまい、

「相手に対して、尊厳を持つ」

 ということが分からないのだ。

「人を好きになるということは、少なからずの自己犠牲を伴うものだ」

 と言っていた人がいたが、何度人を好きになっても、そのたびに何度失恋を経験しようとも、その気持ちを納得できないでいた。

「だから、恋愛と失恋の回数が絶えず変わらないんじゃないだろうか?」

 と考えるのだ。

 その時も、当然のごとく、笠原には聡子の気持ちを考える余裕はなかった。

 だが、相手を見る目は持っていたのだろうと思う。なぜなら、後になって考えると、その時は緊張から何を考えているのか分からなかったはずなのに、経験からなのか、それとも時間の経過によるものなのか、辛かった思いなのに、冷静に考えられるのだ。

 きっと、後から考えている時の方が、精神的に楽だからなのかも知れない。

 笠原を見つめる聡子の目は、

「まるで、迷子の子犬が、雨に濡れて、弱りかけている時のようだ」

 と、笠原は感じた。

 聡子がその時どうしてそんな顔をしたのか、すぐには分からなかったが、聡子はその時、明らかに迷っていた。迷っていることで、見た目が弱気に見えて、その様子が笠原には、

「自分に対して助けを求めている」

 という風に感じたのだった。

 それこそ、おこがましいというものであるが、覚悟を決めた人間が見れば、その勘違いもおこがましさも、無理もないことだろう。そのおかげで、告白への覚悟がさらに固まったと思ったのだが、その前に聡子から言われたことで、受けたショックにより、覚悟が揺らいだとも言えるかも知れない。

 どうして聡子がその時に、自分にそのことを言ったのか、こればかりは後から考えても分からない。

「きっと、その時でなければ理解できないことだったのかも知れない」

 と感じたが、まさしくそうだったのだろう。

 後から考えれば考えるほど、脇道に逸れていき、真実を見失ってしまうということを本能で分かった気もした。だから、余計なことを考えず、

「脇道に逸れると分かっていることに、自分から飛び込む気持ちはない」

 と考えるのだった。

 聡子は、次第に覚悟を固めていた。よく見れば、身体が震えていたのかも知れない。

 彼女の中にも

「こんなことを言えば、自分が情けなくなるんじゃないか?」

 という思いもあっただろう。

 それこそ、

「恥を晒すようなものだ」

 ということだからである。

 だが、誰かに聞いてもらいたかったという思いがあり、それが笠原だったのかも知れないと思う。目の前に現れたのが笠原でなければ、こんなことを話すはずはないと思ったのかも知れない。

 もちろん、そう考えることこそ自惚れなのかも知れないが、そうでも思わないと、その場を受け入れられないと感じたのだろう。つまり自分を納得させられないということである。

 笠原は、覚悟を決めた。

「聡子さん」

 と声を掛けた時、それまで震えていた聡子の身体から震えが止まった。

「はい」

 この返事も、果たして笠原の耳に届いたのかということも、聡子には自信がないほどの蚊の鳴くような声だったに違いない。

「僕は、前から聡子さんのことが好きでした。本当は告白するつもりはなかったんだけど、どうしても自分が納得いかないと我慢できない気がしたので、告白しました。君には迷惑かも知れないけど、僕の気持ちを察してほしい」

 という言葉で収めた。

 聡子は、たぶん、そんなことだろうと思っていたのかも知れない。

「ありがとう。私のことをいつから気にしてくれていたの?」

 と聞かれて、

「たぶん、最初にテキストを見せてくれたあの時からではないかと思っているんだけど、本当に忘れられなくなったのは、聡子さんが小説を書けるようになって、それが皆の評判になるのを見て、自分の気持ちがハッキリした気がするんだ」

 と言った。

 この告白は、本当なら情けないと自分で言っているようなものだったが、せっかく覚悟をして告白したのだから、もう恥も外聞もあったものではない。逆にここで偽ったり、ごまかそうとすることは、却って見苦しい。気持ちを素直にいう方が、自分の気持ちを相手にハッキリ伝えるということでいいことなのだと思った。

 それができないことの方が、

「情けないことであり、見苦しい」

 と思った。

 この告白を聞いて、聡子がどう考えるかであるが、実はその前に、聡子からの話があったのだ。その話を聞いて、告白するかどうかを迷ったくらいだったが、ここでやめてしまうという選択肢は、すでにプレイボールが掛かった状態で、投手がボールを投げないのと同じことであった。

 聡子は少し訝った気持ちになっていた。少し盛り上がった気持ちが急に冷めてしまったと言っていいだろうか。本人は気付いていなかったが、言い方の問題だった。

「本当はいうつもりはなかった」

 と言われてしまうと、せっかくの告白が冷めてしまうのは当たり前だ。

 こn言葉は、

「もしフラれてしまっても、告白するつもりがなかったと言えば、恥ずかしくない」

 という伏線が含まれていた。

 それを聞かされると、まるで最初から計算された告白を聞いているようで、少し気分も悪いというもんだ。

「自分が同じ言葉を言われたらどんな気分になるだろうって、思わなかったのかしら?」

 と普通だったら感じるのではないかと、聡子は思った。

 聡子の方も、自分に気持ちをぶつけてくれるくらいの気概があった方が、きっと今の自分だったら、告白が成功していたかも知れないと思ったのだ。

 少し、いやかなり気落ちした聡子だったが、そこは大人の対応。

「告白してくれてありがとう。私も少し考えさせてもらって、それからお返事させてもらっていいかしら?」

 といった、

 ダメな時は即答だと思っていただけに、

「考えさせて」

 という言葉は、かなりの進展だと思わせた。

 素直に嬉しかった、有頂天とまではいかないが、まあ、最低ラインではあるが、次のステージに進展した。あるいは、一次審査を通ったというような気持ちであった。

 ただ、まさか自分が、聡子に対して冷めるような表現をしていたなどという意識があったわけではない。それでも、自分としては、

「生まれて初めての女性への告白。しっかりできた気がするので、やりきったという感はある」

 と考えていた。

 ただ、笠原が感じていた、

「小説の評判に対しての嫉妬」

 というのは、聡子に対して皮肉に感じたわけではない。素直に嬉しかった。

 自分を小説の世界に引っ張って行ってくれた相手が、嫉妬心からであるとはいえ、認めるような発言をしたのだから、嬉しい思いがまず最初にくる。それが嫉妬であろうが何であろうが、

「先生を抜いた」

 という思いから、してやったりの気持ちで、思わずどや顔になってしまっていないかということすら感じたほどだった。

 それよりも聡子は、

「どうして、告白するつもりはなかったなんて言ったのかしら?」

 と感じたが、それが笠原が自分の中で隠さなければいけないのだが、

「相手にも自分と同じジレンマを感じてほしいという捻じれたような感情が含まれていることから、言ったのではないか?」

 と笠原が感じているのではないかと思うのだった。

 聡子は、笠原の告白を聞いて、その場での即答を避けた。そうなってしまうと、之雨情のその場で、同じ空気の中にいることはお互いに苦しいだけだった。

「まるで、まな板の上の鯉のようだ」

 と笠原は感じていたし、

「相手の顔をまともに見れない」

 という思いを聡子の方では感じていた。

 告白というものがこのような雰囲気をもたらすということは、聡子の方はよく知っていたが、笠原の方は初体験だった。よく知っている聡子の方が気を遣わなければいけないのだろうが、すぐに反応できなかったことで、その場が凍り付いてしまった。

「しまった。その場から離れるタイミングを逸してしまった」

 と、聡子は感じていたし、笠原の方では、

「何とかしないといけないけど、ここで僕が何かをいうと、すべてが言い訳にしか聞こえないので、ここで負の連鎖を起こすわけにはいかない」

 と感じたのだ。

 それでも、どうやってその場から逃げ出すことができたのか、二人とも意識がなかったが、何とか離れることができた。聡子の方は、やっと我に返ることができて、

「それにしても、彼にフラれたその日に、別の人から告白されるなんて」

 という思いを抱いていたのだ。

 もちろん、笠原にそんなことが分かるはずもない。ただでさえ、

「女性の気持ちなんか分かるはずがない」

 と、自虐的に思っている笠原なのだから、それも当然のことであろう。

 それから少しの間、授業でもサークルでも、聡子と会うことはなかった。

「偶然、会えなかっただけなんだろうな」

 と思っていたがそうでもないようだ、

 彼女は、サークルに顔を出すことも、授業に出ることもなかったようで、

「あんなに真面目な石松さんが、どうして……」

 と、まわりは、おかしいと言っていた。

 まわりが彼女のことを把握しているのに、笠原が把握できていないのは、笠原が、彼女のことを誇大評価してしまっているからなのかも知れない。自虐的な性格である笠原には、「自分のようなだらしない男が、聡子のような女性は似合わない。高嶺の花なのではないだろうか?」

 と思っていたことだろう。

 その思いは彼女に小説の才能があるということを知ってから余計に感じるようになった。似合うか似合わないかということよりも、才能のあるなしで考えれば、

「男のくせに、女に負けるなんて」

 という、いかにも昭和の考えがあったからだろう。

 まだまだ、男尊女卑が残っていた時代、何と言っても、令和と昭和では、まったく街の様相も全く様変わりしていたと言ってもいいだろう。

 令和に生きる若者に、昭和の頃の話をすれば、

「そんなの信じられない」

 ということがたくさんあるだろう。

 たとえば、タバコの文化を取っても、大きく様変わりしている。

 今では、タバコを吸える場所はほとんどなく。電子タバコなるものだけが、公共の場で、分煙という形で吸えるだけになっている。

 昭和の頃は、逆にいえば、どこでも吸えた。喫茶店やレストラン、電車の中にだって、灰皿が壁に設置されていて、いくらでも吸えた時代だった。

「煙が辛い」

 などというと、タバコを吸っている連中から白い目で見らるくらいである。街中にも灰皿が配備されていて、歩行者天国にも、灰皿があったくらいだった。

「灰皿があるから、タバコを吸う。タバコを吸うから、灰皿を置かなければいけない」

 基本的に今のようにタバコを吸う人間が悪であるという見方をするような時代でなければ、このスパイラルは解消されない。ずっと、

「タマゴが先か、ニワトリが先か?」

 という禅問答が繰り返されることで、永遠の負の連鎖で終始することになるだろう。

 もう一つ感じるのは、やはり世間の風潮に、世論というもが動き、さらにsこから法改正や、新たな法案が通ってきたことであろうか。

 笠原が感じている変化の顕著なものとして、

「男女雇用均等に関わっているものではないだろうか?」

 と思うことだった。

 さらに、猟奇的な犯罪が増えてきた。いや、以前からあったが、途中からそれが陰湿になってきたことで問題になってきた、いや、言葉まで生まれた、

「スト^カー犯罪」

 というものの対処が急務だったこともあるだろう。

 男性の勝手な思い込みで、女性のプライバシーやや、酷い時には自由や命までも奪ってしまうストーカーという犯罪、昔は確かに好きな女の子の痕をつけてみたくなるというのは、男性であれば、一度くらいはあっても不思議ではないが、それがエスカレートして、ほぼ犯罪に結びついてしまうことから、ストーカーからの救済が急務となった。

 さらに最近では、ストーカー犯罪がに絡んだところで、女性の精神的なトラウマに対してのケアも問題になったことから、その手の犯罪には過敏になっているのだ。そして、ネットの普及によるプライバシーの侵害であったり、詐欺等が起こることから、

「個人情報の保護、情報セキュリティ」

 というものが問題となり、さらには、会社での上下関係、男女関係などの、

「立場や権力による暴力」

 という、ハラスメントが問題になり、

「コンプライアンス違反」

 が、社会問題になることで、下手をすると、会社でも、

「仕事を回すのが難しくなった時代だ」

 と言われるようになっていったのだ。

 次の日になって、部活の修了後に聡子に話掛けられて、

「まだ、お返事というところまではできないかも知れないんですが、今日はちょっといろいろと気軽にお話でもできたらと思ってね。だって、私、笠原さんのこと、考えてみるとm何も知らないような気がして」

 と言われた。

「そうだね。僕もそういえば、聡子さんの性格は分かっているつもりでいるのに、好きになったので付き合ってほしいというわりには、気を遣っているからか、もっと知ろうとしなかったこともいけないんじゃないかと思うしね」

 と、笠原は言った。

「うん、だから今日は気軽にお話ができればいいかなと思って、普通のお友達のように」

 と言われて、

「そうだよな、何もかしこまることなんかないんだ」

 と思いながら、口では、

「うん、そうだね」

 としか言えなかった。

「学校の近くに私の知っている喫茶店があるので、そこに行ってみましょう」

 と、場所は彼女が指定した。

 最初に声を掛けてくれたのだから、当然場所も考えてのことであろうから、別に違和感はなかった。その喫茶店は、駅前から少し入ったところで、最初に一緒に行った喫茶店とは少し場所が離れていて、駅を通り越すことになるので、あまり立ち入ることのないエリアだった。

 そのあたりにも喫茶店がたくさんあるというのは、大学に入った時、駅前のマップを見て確認していた。

 店に入ると、コーヒーを注文すると、

「まずは、笠原さんにはお礼を言わないといけないと思っていたの。ありがとうございます」

 という意外なところからの切り出しだった。

「どういうことなんだい?」

 と聞くと、

「笠原さんがこのサークルを勧めてくれていないと、自分が何をやりたいのかっていうことに気づかなかったと思うの。それに何かやりたいことがあれば、何か辛いことがあったとしても、乗り越えられる気がするのね」

 というのだった。

 その話を聞いた時、笠原が、聡子に告白してからすぐくらいの頃、サークルの女の子がウワサをしているのを耳にしたことがあった。

「石松聡子さん、彼女、最近様子がおかしいでしょう? どこか上の空っぽいところがある」

 と言っていたのを聞いて、その理由が自分の告白を真剣に考えて、悩んでくれているのかと思ったが、彼女たちに、笠原が聡子に告白をしたなどというのが分かるわけもなく、想像もできていないだろう。そう思って何を言い出すのかと思って聞いていると、

「彼女、たぶん、彼氏と別れたんじゃないかな? 彼女が前にしていた指輪、最近してないもん。私は指輪のことが気になっていたんだけど、そのうちにどこか挙動不審になったのが分かったので、これはきっと失恋ではないかって思ったのよ」

 というではないか。

「えっ? あれだけ仲が良かったのに、別れるとかあるの?」

 と言っていた。

 どうやらこの二人は、聡子が誰と付き合っていて、どの程度の付き合いなのかということも分かっているのではないだろうか。どういう意味frhs、この二人の話は信憑性がある。

 聡子に彼氏がいるという話をしていた人も、結構聡子のことを分かっていたような気がした。

「聡子って、結構まわりから見ると分かりやすい人なのかな? だとすると、俺は好きな人のことでも分かっていない鈍感ということになる。というよりも、分かろうとしていないのだろうか?」

 と、またいろいろなことを考えてしまった。

 だが、間違いないだろうと思うのは、

「彼女が、ラブラブで付き合っていた彼氏と別れることになってしまった」

 ということなのだろう。

 彼氏がいるということを聞いた時、認めたくないという思いから、

「限りなくゼロに近い信憑性だと思ったのが、この話を聞くと、限りなく百に近いということか?」

 と考えてしまう。

「物事は、オールオアナッシング。百かゼロのどちらかでしかないんだ」

 と言っていたが、その言葉をいまさらのように思い知らされた気がしたのだった。

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