三年二組
増田朋美
三年二組
「お前を追放する。そう言われてしまったんです。」
杉ちゃんとジョチさんの前にいる、制服を着た少女は、おいおい泣きながら言った。
「誰に言われたんだよ。」
杉ちゃんに聞かれて、少女は、更に涙をこぼして泣き出してしまうのだった。
「泣いてたら、何もわからないでしょ。ちゃんと何があったのか、しっかり話してよ。」
杉ちゃんは、彼女の全身を見渡した。まあ、見かけは、普通の高校生というか、少し真面目過ぎるのではないかと思われる高校生である。制服のスカートは、膝のところにあり、短くはしていないようだ。ネクタイもしっかり結んで締めているし、スカートから、ワイシャツが出ていることもない。かえって、この時期にきちんと正装し過ぎていて、ちょっと暑いのではないかと思われるくらいだ。髪も染めているような痕跡はなく、ポニーテールにしばっている。
「もう一回、ちゃんと話してくれよ。いくら学校から追放されたと言われても、そのときの状況を話してくれなかったら、よくわからないままになっちまうぞ。」
杉ちゃんがそう言うが、彼女は、泣きはらすばかりで、何も言えなかった。
「まったく、素足のまま、学校から逃げてくるなんて、どういうことだ。カバンも靴も持たないで、よくこんな暑いなか、学校からここまで走って来られたな。」
杉ちゃんは呆れた顔でいった。
「もしかしたら、パニックになっていらっしゃるかもしれませんから、影浦先生を呼びましょう。」
ジョチさんは、製鉄所においてある固定電話で、影浦先生に電話した。影浦千代吉先生は、すぐ行きますのでお待ち下さいと言ってくれた。とりあえずお茶でものんで落ち着いてもらうかと杉ちゃんは言って、彼女に冷茶をあげたが、彼女は冷茶を床の上に撒き散らした。このときに何をしているんだとか、そう言う反応をしては行けないということを杉ちゃんたちは知っていた。こうなってしまうときに、最も効果的に止める方法は、黙って抱きしめてやるしかないのだった。しかし、杉ちゃんは車いすでそれはできないし、ジョチさんも足が不自由であったため、それはできなかった。泣き叫んでいる彼女の隣に、水穂さんがやってきて、彼女の手をそっと握りしめてくれたので、大事にはならなかった。ひどい例では、製鉄所の備品を叩き壊すほど大暴れした例もあるが、今回はそうはならなかったから、よかったのかもしれない。
数分後に、影浦先生がやってきてくれて、ジョチさんから説明を受けると、影浦先生は、彼女の肩に安定剤を注射した。それによって彼女は、やっと落ち着きを取り戻してくれた。
「それで、ちゃんとはじめから話してくれよ。お前さんはどこのだれで、誰から追放すると言われたのか、ちゃんと話してくれ。」
杉ちゃんがそう言うと、水穂さんが、彼女にタオルを渡してくれた。彼女はそれで、涙を拭き取ると、
「杉澤育美と申します。吉永高校、三年二組に所属しています。」
と、やっと名乗ってくれた。
「吉永高校、またですか。以前こちらを利用していた利用者が、吉永高校だったんですが、彼女もひどいパワーハラスメントを受けていました。たしか、問題のある担任教師がいて、へんな発言をしたと言われました。」
ジョチさんは、そう言ってあげた。
「私もそうなんです。担任の先生がすごくひどい人で、私立大学を志望した私のことを差別して、挙げ句の派手には、お前を追放すると言ったんです。」
そう言う育美さんに、
「その担任教師は、もしかしたら、長橋真理子とか言う教師ではありませんかね?」
と、影浦先生が言った。
「どうしてその名前を知ってるの?」
育美さんが聞くと、
「はい、実はうちの病院に入院していた患者さんで、キーワード的なことを言うと大暴れをするという、いわゆるPTSDの患者さんがいました。その、暴れるキーワードを作ったのが、長橋真理子と言う女性だったんですよ。その患者さんから、よく話を聞きましたから覚えています。なんでも、生徒さんのお宅に直接電話して、国公立大学に行かないと、地獄を見るとか、まるで新宗教の手口と同じ様に脅かしてくるとか。」
「そうなんです。私も同じことをされました。私は、早稲田大学に行くと言っていて、家族も納得してくれていましたが、長橋真理子先生が毎日電話をよこして、家族に国公立大学にいかすように、そそのかしていました。」
育美さんは泣きながら言った。
「あまりにも威圧的にいうから、私の家族は先生のいう通りにしろと言い始めたのです。国公立大学にいけば、お金もかからないから災害を免れるって。」
「正しく洗脳教師だな。こないだの大雨で、国公立大学を出ても被害にあった人はいっぱいいると思うけど?」
杉ちゃんが呆れた顔をしてそう言うと、
「平気でそう言う事を言う教師を雇う学校も、また問題ですね。ちょっと教師として、情ないと思いますよ。」
と、ジョチさんも言った。
「そうですね。うちの病院にくる患者さんで、そう言うへんな教師の言葉に傷ついている方もいますが、それを解除するのは難しいですよ。」
影浦先生は、彼女を困った顔で見た。
「まあ、そういう教師自体が本当に呆れるんですが、あなたもそういう担任のクラスに入ってしまったのは、不運でしかありませんでしたね。今更組み替えもできないでしょうし、あまりにもそういう事を言われるようであれば、おかしくなってもそれは仕方ありません。本当は、あなたのせいではないと言ってくれるような強い人がいてくれたらまた違ったんでしょうけどね。あなたは、そういう人を求めても、不在だったということでしょうから。そういう不安なとき、思いっきり大丈夫だと言ってくれる存在があればまた違うでしょうけどね。でも、何処に生まれたかを変えることはできないですよね。人間は、変われるって言いますけど、実際は変われないことのほうが多くて、それに妥協するほうが多いんじゃないかな。そういうことがもしかしたら、変わるということなのかもしれませんよ。」
水穂さんは、そういう彼女にそっと言ってあげた。
「まあですね。僕が見てきた患者さんで、似たような境遇でいらっしゃる方は意外に居るんですよね。皆さんそういうところは隠そうとしてしまうけど、そういうところは隠さないでオープンにしちゃうほうがいいと思いますけどね。いずれにしても、これ以上精神障害を悪化させないために、学校へはしばらくいかないほうがいいでしょう。まずしばらく安全なところにいたほうがいいと思いますよ。それから、次のことをまた考えればそれでいいと思います。」
と、影浦先生は言った。
「そうだねえ。まず靴も履かずに、学校から飛び出してしまうほど、自分を追い詰めるくらいだからな。本当につらいってこともよく分かるよ。それなら、少し休みな。」
杉ちゃんに言われて、彼女、杉澤育美さんははいと言った。
「製鉄所に空き部屋があるからさ、そこで休ませてもらいな。後でカレーを作ってやるから、カレーを食べて帰れ。」
そう言って、杉ちゃんは、一つ南京錠を渡した。南京錠には、萩の間と書いてある。つまり、萩の間へいけということだなと分かった杉澤育美さんは、ありがとうございますと言って、立ち上がった。その前に水穂さんが、
「その前に、体を拭いて、その泥だらけの足をなんとかしたらどうです?」
と言ったため、杉澤育美さんはまた涙を流した。ちなみに製鉄所には、風呂も用意されている。それを利用している利用者も居るので、風呂を貸し出すことは、よくあることだった。
「風呂は、食堂の右隣。」
杉ちゃんに言われて、育美さんは、風呂に行った。多分、そういう物があって初めて緊張と言うものが取れるのだと思う。できれば、今日は不安が強いので、ちょっと席を外すよ、と気軽にいうことができる環境に居られたら、病んでしまう人も少なくなるのではないか。最近の人は、無理してそばにいなければならないと考える人が多すぎるような気がする。完璧に、良い人なんて何処にも居るわけ無いのだしという啓発文が最近明るみになっているが、そういうことが現実になるのはもう少し先のようである。
「やれやれ、本当に困ったやつが居るもんだねえ。学校の先生というのも、なんだか困った職業になりつつあるな。」
「ええ。先程彼女が出した名前、長橋真理子ですが、結構僕の病院で最近良く出てくる名前なんですよ。僕はどんな女性なのかよくわかりませんが、少なくとも、教員として素質がないというか、そういう女性であることは間違いありません。まあ、今の教員採用システムは、試験さえ受かれば可能ということになっていますので、偶にそういう変な人物でも採用できてしまうことはあります。」
杉ちゃんと影浦先生はそう言い合った。
「そうですね。もしくは人権侵害ということで、訴えてもいいのではないかと思いますよ。こういう学校の問題には弁護士をつけると効果的だと言いますし。逆に、そういう強い人を入れたほうが、彼女も、安心してくれるのではないでしょうか。」
ジョチさんは、スマートフォンで電話番号を調べながら言った。
「でも、結局は、ほとんど変えることはできなくて、余計に落ち込ませるだけなんじゃないですか。精神関係の事業って、大体はそうでしょう。何か、できそうで実はできない。そういうものですよね。」
水穂さんはいかにも現実的に言った。
「結論から言えばそういう事になりますが、でもこういうときは、僕らが動けるというところを示さないと、人間を信じなくなる症状にまた繋がってしまう。だから、まずそういうふうに彼女に寄り添ってあげることをしなければならないと思いますね。たとえ結論が出なくてもです。」
ジョチさんは組織の理事長らしく、そういった。
「そうなると、彼女にも、僕らが何かしているところを見せなくちゃなりません。口で言うのではなくて、見せることのほうが重要です。とりあえず、彼女からまず何があったのか聞き出しましょう。」
ジョチさんがそう言うと、風呂場のドアががちゃんと開く音がした。多分育美さんが風呂から出たのだろう。そして、鶯張りの廊下がキュキュとなって、育美さんが戻ってきたのがわかった。
「お風呂貸して頂いてありがとうございました。」
と丁寧に頭を下げる彼女は、決して、追放をされるような不良生ではないなと杉ちゃんたちには見えた。
「ほんなら今からカレー作るから、そこで待ってろや。その間に、ジョチさんから話があるみたいだぜ。」
と言って杉ちゃんは、カレーを作るために食堂に行った。他の人達は応接室に残った。
「それで、その吉永高校で起きていることを知りたいので、もう少し詳しく何があったのか話してみてください。どんな状況で、お前を追放するという言葉が出たのかを知りたいのですよ。場合によっては、その教員に問題があることも考えられますからね。」
「別に怖がる必要はありません。僕たちは、そういう教師のせいでおかしくなった人間をいつでも見てますから、有害な事はしませんので。」
ジョチさんと影浦が、彼女に優しく聞いた。
「ええ、はじめは、進路説明会とかそういうものがあって、私は、体育館で、先生のお話を聞いていたんです。」
やっと彼女は状況を説明できるようになったらしい。
「その時に、話をしていたのが長橋真理子という問題の教師ですか?」
ジョチさんが聞くと、
「いえ、それは違います。長橋先生が司会をして、塾の講師の先生がお話をしてくださいました。その時、行っていい大学と、行っては行けない大学というテーマで話されて、行っていい大学は、国公立の医療や福祉の大学で、行っては行けない大学は、私立の文学部とか、芸術学部であると話しました。」
と、彼女は言った。
「わかりました。それで、あなたは、先程も聞きましたが、早稲田大学を目指していたそうですね。それであなたは、行ってはいけない大学のことを聞かれて、」
「はい。思わずパニックになって、泣き出してしまったんです。」
影浦先生がそう言うと、杉澤育美さんは言った。
「そうしたら、長橋先生が、お前を追放すると怒鳴ったので、それで、私は思わずわーっと叫びながら、体育館を飛び出してしまいました。誰も私の事を止めようとする人はいませんでした。きっとそれだけ私は、学校で厄介者だったんだと思います。だから、誰も止めるひともいなかったのでしょう。もしかしたら、私を退学とかそういう事にしたかったのかもしれません。私は、一番先生に反抗していたのかもしれないし。だから、もう退学にさせてしまえばそれでいいと思っていたのかも。」
「そうですね。若い人は色々考えてしまいがちなんですけど、年上の人間から見れば、意外に真実は単純なことでもあるんですよ。その長橋先生がお前を追放すると言ったのなら、その通りにすればいいのです。それが、精神疾患の予防にも繋がります。それは、大変なことのように見えますが、自分を守るという意味では、大切なことでもあるんですよね。それをそのままにして、そのまま学校に在籍しようとしてしまうから行けないんですよ。追放するのなら、そうすればいいだけのことです。それが、長橋という教師の発言に対する答えでもあるんです。あなたは、それができる立場でもあるのだからね。だからそれを利用すればいいだけの話ですよ。」
不意に、水穂さんがそういう事を言った。
「考えないで、そのとおりにするのが答えなんじゃないですか。あなたは、それができる身分でもあるのだから。」
「確かに、退学してしまうのはカッコ悪いと言う方もいますが、それは、精神疾患の予防の上では、良くないことでもありますね。僕の病院に支援学校のリーフレットもありますし、何なら差し上げましょうか?」
影浦先生は、医者らしく言った。
「不安になるとか、そういう症状があるのであれば、不安を打ち消す漢方薬などもありますし、他の精神療法も紹介いたします。」
「本当に私が、そんな事していいのでしょうか。逃げてしまえなんて。」
育美さんは、小さな声でそういうのだった。
「だって、そうならないために、逃げるということを使うのであれば、それでいいのではありませんか?」
ジョチさんがそう言うと、
「少なくとも、私だけじゃないですから。あの、長橋という先生に、酷いこと言われて、学校をやめていった子は結構居るんですよ。そういう子が居るのに、私だけ一人こういう支援を受けられていいのでしょうか?」
これは今の若者の典型的な考え方なのかもしれなかった。
「いいんじゃないですか。自分の事しか考えられない人は、結構いますよ。」
ジョチさんがそう言うが、
「でも、私だけ幸せになって、他の人がまた長橋先生に追放するとか言われて苦しくなったりしたら、またつらいのではないかなって思うんです。私は、毎年こう言われてました。学校というのは、身分を表すところでもあって、お前たちは身分が低いから、お前たちを愛しているのはこの私だけだって。身分の高いやつは、お前のことなんか誰も見てはくれないって。だから私は、長橋先生に酷いこと言われても、耐えてきたんですよ。」
育美さんは言った。
「そうかも知れませんが、現にあなたは、学校がつらくなって外へ飛び出していらっしゃるんですから、それをもうちょっと、考えたほうがいいと思いますね。そんな事を教師が言うんじゃ、吉永高校も悪質ですよ。そういう事を言うのは、虐待をする親とかそういう人でなければ言いませんよ。そこに入ってしまったから悪いとか、そういうことではなくて、まず初めに何が一番大事なことなのかを考えないとね。一番大事なものは、丈夫な体と健康な心。これがなければ何もできません。もっと平たく言えば、これがないと生きていけないんですね。それを得られないで、病んだまま生活しているのでは、いつまで経っても生きがいなど持つことはできません。それなら、もうそんな不運なことばかり押し付けられてる環境から逃げてしまったほうがいいと思うんです。それはかっこいいとか悪いとかそういう問題じゃなくて、あなたがまず初めに、何を得たいかを考えることじゃないかな。」
水穂さんが、そう育美さんに言った。育美さんは、なんだか複雑な思いをして、なにか考えているような様子であったが、
「おーい、カレーができたよ。たくさん作ったから、みんなで食べよう。」
と、杉ちゃんの声がした。それと同時に、食堂からカレーの匂いが充満してきた。杉ちゃんのカレーというものは、不思議なもので、どんなときでも食べたいと思ってしまうことが不思議なものであった。
「行きますか。決して、杉ちゃんの作るカレーは悪いものではありません。栄養満点でものすごく美味しいのが、杉ちゃんのカレーです。決して彼の作るカレーを嫌う人はいないと思います。」
とジョチさんはそう言って、みんなに、食堂へ行くように促した。全員が食堂へ行くと、すでにカレーが大皿にたくさん盛られていた。思わず、食べたいなと思ってしまうほど、うまそうなカレー。
「じゃあ食べようぜ!いただきまあす!」
と、杉ちゃんがでかい声で言ったため、みんな食堂の席に座ってカレーを食べ始めた。育美さんも杉ちゃんからお匙を渡されてカレーにかぶりついた。時々水穂さんが、肉さかなを食べれないため、少し具材を彼女に分けてくれたりした。流石に育美さんは高校生というだけあってやっぱりカレーにガツンとかぶりついていくものだ。そんな食べ方をしてくれるのを見て、杉ちゃんたちは、
「彼女は正常だ。ちゃんとカレーを食べれるんだから、おかしな教師に負けないで、行きていけるよ。」
と、彼女を励ましたのであった。
お前を追放する、という言い方は確かにきついというか、言われると大変ショックなものになるものだ。だけど、それを逆手に取ってしまえば、なにか新しいところへ行くための、大事な足がかりになるのではないかと思われるのだった。
三年二組 増田朋美 @masubuchi4996
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