第6話 暁の時

 その日は、雲一つない快晴だった。

 天に昇る恒星が、その光を燦々と大地に投げかけ、世界が持つ彩りを色鮮やかに浮かび上がらせている。

 そのような善き日に、コンラートは一般の臣民に混じって、城内庭園の中でその時が来るのを待っていた。

 しばらくして、宮廷楽団の演奏が始まる。演奏されるのはカンタータ。曲名は『愛の大河の中で咲く、一輪の白百合』

 本来は、至高神エルに捧げる奉納曲だが、今日に限って言えば、そこには違う意味も含まれていることを、コンラートは理解していた。

 そう――今日はこの帝国に咲いた麗しき白百合の叙任式。今日をもって、リリアーヌは正式にクラウン=プリンセスとなる。

 その姿を一目見るために、この広大な城内庭園に多くの臣民がつめかけていた。

(流石、救国の英雄と言ったところか……)

 コンラートは、さもあらんと一人頷く。三日前の襲撃事件を鎮圧した功労者として、彼女の存在を知らぬ者は、既にこの帝都にはいなくなっていた。


「では、そろそろ行ってきますね」

 外の音楽に耳を傾けていたリリアーヌが立ち上がる。

「あぁ、俺たちはここで見ているよ」

 そう返した新一に微笑みかけたリリアーヌが、ドレスの裾を翻し、バルコニーへと歩いていく。

 先日の帝城襲撃事件の際は、動きやすさを重視して、軽装を身につけていた。露出が多く、身体のラインも強調されたその服装も中々魅力的だったのだが、今の華麗なドレス姿も良く似合っている。リリアーヌ本来の高貴さが滲み出しているようだった。

「クラウン=プリンセスを、あまり変な目で見てはいけませんよ?」

 不意にそんな声が聞こえて振り返ると、先程まで唯と話し込んでいた筈の女性がすぐ後ろに立っていた。

「失礼しました、セラフィム」

 恭しく頭を下げる新一に、「冗談ですよ」と悪戯げに笑ったセラフィムは、そこで少しだけ口を尖らせる。

「それに新一さん、私のことはアーニャで良いとお伝えした筈ですよ? リリアのお友達は、私にとっても大事な友人なのですから」

「……そうだったな、アーニャ」

「えぇ」

 今度は優しげに微笑んだセラフィムは、視線をバルコニーへと向ける。その先にいるのは、臣民に対してにこやかに手を振っているリリアーヌだ。

「こんな日が来ることを……待ち望んでいました」

 ポツリと、新一にだけ聞こえるような声量でセラフィムがそう漏らす。

「貴女には、未来が見えるのでは?」

 新一も、セラフィムにだけ聞こえる声量でそう返す。

「えぇ、見えます。けれど、未来とは可能性です。無数の不確定因子が存在する中で、望む未来が到来するとは限りません。それに――」

 新一の隣に並んだセラフィムが、横目で新一を見る。

「貴方という存在は、私にとってもイレギュラーでした。どうやら貴方は、熾天使の力が及ばぬ何かであるようです」

 その言い方に、新一は苦笑する。

「『何か』とはご挨拶だな。まるで、同じ人間ではないみたいだ」

 そんな新一の苦言に、セラフィムは「フフッ」と笑う。

「失礼しました。珍しいことなので、つい」

 そしておもむろに、セラフィムは机の上に厳かに置かれた小箱を手に取る。

「では……私もそろそろ」

 そう言い残し、セラフィムもバルコニーへと出て行く。

「何を話してたの?」「何を話してたんだ?」

 途端に、両側から聞こえる二つの声。古くからの馴染みの声と、新しく馴染みになった声。いつもは新一を安心させてくれる響きだが、今は少し不穏な空気を纏っている。

「……別に。ただの世間話だよ」

 だから新一は、そんな二人の追求をやんわりかわすと、一人後方の椅子に気楽に座っていたミヒャエルの隣に腰を下ろす。

「相変わらず、お前の周りには凄い女が集まってくるな」

「セラフィムを凄い女扱いなんかして、祟られても知らないぞ?」

 新一はミヒャエルの軽口に軽口で返し、再び目線をバルコニーへ。

 そこでは、膝をつくリリアーヌの頭に、セラフィムが丁度ティアラを冠せているところだった。


「これからが、始まりだな」

 いつの間にか隣に立っていたアーデルハイトが、真剣な面持ちで新一に語りかける。

「そうだな」

 新一は言葉少なく答える。今の帝国が抱える問題は深刻かつ膨大だ。ここまで来るのも一筋縄では無かったが、これからの道のりが今までよりも楽ということは決してないだろう。

「新一なら大丈夫。私も手伝うから」

 唯の手が、そっと新一の手に重なる。

「商人はもう抑えてんだ。何も心配することはねえよ」

 ミヒャエルがドンっと新一の背中を叩く。

「新一」

 そして、アーデルハイトが剣を差し出す。

「私はお嬢様の盾となる。お前が、お嬢様の剣となれ」

 新一は、差し出された剣をじっと見つめ、やがて観念したように立ち上がった。

「任された」

 そう言って、新一はその剣を受け取る。

 アーデルハイトが愛用していた片手剣。見た目よりも重いその剣の感触を確かめるように、新一は柄を強く握りしめる。

 その時、一際大きな歓声が外から上がった。どうやら、セラフィムからのティアラ貸与の儀式が終了したようだ。

「リリアの晴れ姿、もっと近くで見てこよう」

 唯が新一の手を取って、バルコニーへと歩き出す。新一も手を引かれるがままに、その後に続く。


 バルコニーでは、光が踊っていた。

 上空から降り注ぐ光が、リリアーヌの赤いドレスを綺麗な薔薇そうび色に染め上げ、セラフィムの白い司祭服を真珠色に輝かせている。そして、リリアーヌの頭上で鮮やかに輝く純白のティアラ。

 すべてが幻想的であり、そんな彼女たちに喝采を送る臣民も含めて、まるで一枚の歴史画を切り出したような光景だった。

「……綺麗」

 唯が隣で呟く。それは、とてもありきたりな言葉でありながら、どんな美辞麗句を並べるよりも、この光景を表す形容詞として相応しいもののように思える。

 新一は、目を輝かせる唯の手をそっと握り返し、目の前の光景を見続ける。

 まるで、その美しい世界の一幕を、永遠に留め置こうとするかのように……


 新しい創世の歴史が、今始まった。

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とある惑星における、はじまりの物語 -新・創世記- @Yukari_Kamisiro

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