第5話 攻防戦

「ハイジ、もう体調は良いのか?」

 新一は、リリアーヌと共に会議室に入ってきたアーデルハイトを見て、そう声をかける。

「あぁ、もう問題ない。心配をかけたな」

 そう答えるアーデルハイトに、特に無理をしている様子はない。あれから二日。やはり思ったよりも早く回復したらしい。

「それでは、全員揃ったところで、始めさせていただきます」

 そして、全員の入室を確認したクラウディアが、報告を始める。それは思ったよりも、深刻な内容だった。


「ご報告は以上です。何かご質問は?」

 クラウディアの事務的な口調が途切れ、会議室に静寂が訪れる。

「……まさか、陽動隊がまだそんな地点までしか進んでいないとは、思っていませんでした」

 リリアーヌが険しい顔で感想を述べる。それもその筈、彼らが出発して既に四十日以上が経過している。にも関わらず、未だ全行程の半分程度しか進んでいないのだ。

「妨害が想定以上ですね。まさか山まで切り崩すとは……」

 アーデルハイトが沈鬱そうに呟く。

 ちなみに、皆がここまで沈んでいるのは、その陽動隊の遅れが直接の原因ではない。

 元々、彼らは敵の目を逸らすための存在だ。そういう意味では、それは上手く機能していた。うまく機能して……やり過ぎてしまった。

「帝国議会の動向は、もう覆りそうにありませんか?」

 リリアーヌがクラウディアに問う。

「はい、ほぼ間違いなく。彼らは既にリリアーヌ様は期日に遅れると確信しております。恐らく明日中には、リリアーヌ様の皇位継承権剥奪が決定されるでしょう」

 それを聞いて、「チッ」とミヒャエルが舌打ちする。

「あと十日もあれば、何とか体裁整う予定だったのによ。流石に明日じゃ無理だぜ?」

 そう――それが問題なのだ。

 エル・オーラムで待機していた別働隊が壊滅した以上、リリアーヌは身一つで登上せざるを得なくなった。しかし現実問題、そんなことは許されない。次期皇帝と目されている人間が、碌な直参も付けず、見窄らしい格好のまま登上などしては、間違いなく彼女の権威は地に堕ちる。下手をすれば、それを理由にまたも難癖をつけられ、皇位継承権を剥奪されるかもしれない。

 だから、何とか残りの日数をフルに使って、ミヒャエルが最低限の格好を整える予定だったのだ。しかし、それも今や、不可能になった。

「一難去って、また一難だな。別働隊があんなことになった理由も、探らなければいけないのに……」

 新一のその発言により、場の空気が一層重苦しくなる。別働隊に降り掛かった『何か』は、もし仮にリリアーヌが首尾よくクラウン=プリンセスになれたとしても、それで消えるような問題ではない。

 現場に残された彼らの裏切りを示すサインは、この場にいる全員に、いくつかの恐ろしい仮説を連想させる。

「仕方……ありませんね」

 誰もが下を向き、沈黙する中、ようやくリリアーヌがその重い口を開いた。

「あまり良い手ではないのですが……もうこれしかないでしょう」

「お嬢様? それはどんな?」

 アーデルハイトが尋ねる。するとリリアーヌは、曖昧に微笑んだ。

「装いで誤魔化せないなら、中身でアピールするしかありません。ですから……与えてあげましょう。どんな煌びやかな一団にも引けを取らない、圧倒的なインパクトを」

 そしてその目を新一へと向けると、意味ありげに、ニッコリと微笑んだ。

「では新一様。存分にそのお力、発揮してください」


***


(とんでもないことになったな……)

 新一はラインシュタイン城に一番近い民家から正門の様子を眺めながら、そんなことを考える。こんな事態、あまりに想定外すぎる。

 新一の背後では、リリアーヌとアーデルハイトがブレスレットを片手に興奮気味におしゃべりしていた。

「凄い! こんなアニマ、どんなお伽噺でも見たことがありません!」

 リリアーヌははしゃぎながら、ブレスレットのとある一箇所を押す。するとスーとその姿が薄くなり、数秒後には綺麗さっぱり見えなくなった。

「どうですか? ハイジに私が見えます?」

 中空から、声だけが聞こえる。

「いえ、まったく……本当に不思議です。でもこうすると……」

 そう言って、アーデルハイトは手を伸ばし、見えないリリアーヌの肩に触れた。

「しっかりそこにいるのはわかる。やっぱり、本当に不思議です」

 二人が弄って遊んでいるのは、新一が渡した可視光回折領域発生装置(Visible Diffraction Generater:VDG)だった。正直、子供の玩具なのだが、何かの役に立つのではないかと考え、トライアドから持って来ていたのだ。まさか、こんな用途で役に立つとは、考えてもみなかった。

「しかしこれで、会議場まで誰にも気付かれずに潜入できそうですね」

 装置の電源を切り、姿を現したリリアーヌがそう言って微笑む。

(そんなにうまくいくだろうか?)

 しかし、新一は正直、半信半疑だった。

 リリアーヌの考えはこうだ。

 会議の最中に、誰にも気づかれず、むしろ近衛兵を適宜無力化しながらラインシュタイン城に侵入し、会議場に突如現れる。そうすることで、鉄壁の防御を誇るラインシュタイン城を僅かな人数で突破できるだけの武力を保有しているという事実を、その場に集まったすべての議員に見せつけるのだ。そしてその圧倒的なインパクトは、豪奢な大名行列の不在など簡単に覆い隠してしまうに違いない――という、まさに一石二鳥の策。

 この策を実行するために、新一たちはラインシュタイン城正門に最も近い民家(ミヒャエルが所有していた)に待機して、会議が始まる正午一時を今か今かと待っているのだが……

 聞いた時は、『これしかない』くらいに良い案だと思った。しかし、時間と共に、段々と不安が大きくなっている。

 まず、そもそもの話。近衛兵に気付かれず、適度に無力化までしながら、本当に会議場まで辿り着けるのだろうか? 確かに、今回新一が提供した装置は、この目的には非常に有用だろう。だがしかし、それも絶対ではない。なにせ、透明人間になれるわけではなく、単に人間に見えなくなるだけなのだ。触れれば分かるし、音も聞こえる。訓練された近衛を相手に、アーデルハイトや新一ならともかく、リリアーヌがそこまでの隠密行動が取れるか、甚だ疑問だった。

 更に言えばそもそもの話。突如会議場に現れるなどと言う暴挙が許されるのだろうか? 会議場には皇帝もいるらしい。どう考えても、不敬にあたる気がする。

 そんな新一の懸念が顔に出ていたのだろう。リリアーヌが悪戯っぽく問いかける。

「珍しく不安そうですね、新一様」

「そうだな……どうも無謀過ぎる気がしてきた」

 だから新一は、そう正直に答える。するとリリアーヌは「フフッ」と微笑む。

「だから良いのです。それくらいでないと、私の力を喧伝できず、この不利な状況を覆せません。今日一日で議員の皆さんには、私に逆らうべきではないと、思って頂かなければいけないのですから」

「何だか……独裁者のような言い草だな」

 リリアーヌらしくない言い草に、新一は少し驚く。そして意外なことに、リリアーヌはその言葉を肯定した。

「独裁者ですよ。議会はあれど、その人事権は皇帝が有します。統帥権もです。そうやってアジルバート帝国は、長きに渡り超大国として君臨し、そして平和を築きあげてきました。私は、崩れかかっているその体制を、今一度築き直すつもりです」

 その声は強く、淀みない。

「至高神エルの元、強力な君主が広く武を布き、良く人を使い、慈悲でもって民を治める。それが、我が帝政のあるべき姿です。そのために、まず私は強力な君主であらねばなりません。だから……」

 リリアーヌが手を伸ばす。

「新一様、私に力を――帝国の未来のために、そして臣民の安寧のために。どうぞ、その力をお貸しください」

 その姿は、どこまでも神々しい。衣服など関係なく、装身具など関係なく、ただ周囲に放つオーラだけが、それを雄弁に物語る。

 それは王者の風格だった。帝国に縁もゆかりもない、単にこの惑星を通りすがったに過ぎない新一ですらも、支え、助け、仕えなければいけないと感じるほどに。

(本当に……堪らないな)

 新一は目を瞑って、そう思う。

 徐々に浸食されている自分に、若干の焦燥を感じながら。そして同時に、それを少しだけ心地よいと感じてしまっている自分に、大きな戸惑いを感じながら。


 異変に気づいたのは、それから三十分後だった。

「……うん? 正門に立っていた近衛が二人減ったな……」

 ついさっきまで、正門には三名の近衛と五名の門番が立っていた。しかし、今そこには近衛一人と門番しか立っていない。

「そんな馬鹿な。正門から近衛が消える筈……」

 アーデルハイトの声が途中で途切れる。自身で、それが真実であることを確認したからだった。

「……何か起こったのかもしれませんね。ハイジ、このことをミヒャエルへ伝えに行きなさい。彼なら、何か情報を掴んでいるかもしれません」

「かしこまりました」

 アーデルハイトはサッと身を翻し、部屋から出て行く。その姿を目の端で確認した新一は、改めて正門へと目を向けた――その時だった。

 ラインシュタイン城の方向から、耳をつんざくような爆音が響き渡る。

「……爆発……だと?」

 新一は目を見張る。その爆音の大きさは、先日アーデルハイトを殺しかけたあの爆発よりも更に大きい。部屋の中にいるにも関わらず、空気の振動を感じるようだった。

「新一様、出ましょう」

 気づくと、リリアーヌが新一の横に立っていた。

「……あぁ」

 新一は頷き、リリアーヌの前に立って部屋を出る。どうやら既に、呑気に登上のタイミングを見計らっているような状況ではなくなってしまったらしい。


 家から出ると、丁度街の奥の方からアーデルハイトとミヒャエルがこちらに走り寄ってくるところだった。

「ハイジ、早かったですね」

 リリアーヌが少し驚いた顔で、早くも戻ってきた侍従に話しかける。

「はい。実はすぐそこまで、ミヒャエルが来ていたのです」

 アーデルハイトは、上がった息を整えようと荒い呼吸を繰り返しているミヒャエルの方を見た。

「ということは、何か知っているのですね?」

 それを聞いたリリアーヌも、すぐにミヒャエルへと目を向ける。

「はぁ……はぁ……あぁ、そうだ……丁度さっき、ラインシュタイ城に行ってたっていう商人が……一人帰ってきた」

「それで? 彼は何と?」

 リリアーヌが先を促す。

「詳しくは……分からないみたいだが……どうやら敵襲があったらしい……ふぅ」

 やっと息が整ったミヒャエルが、続きを説明し始めた。

「いつも通り、地下の食品倉庫で商品の受け渡しをしていたらしいんだが、急に叫び声が聞こえてきたらしい。その後すぐに、そこに近衛が飛び込んできて、城から出るよう促された。それで、一目散に逃げ出したって話だ」

「敵襲だと分かったのは?」

 リリアーヌが素早く質問する。

「なんでも、地下の倉庫から逃げ出す時に、近衛と斬り合っている集団を見かけたらしい。敵も近衛も、結構な人数が集まってたって話だ」

(成程……門の近衛がいなくなったのは、そのためか……)

 正門からも人員を抜き取るというのは、かなりの大事だ。そして何より、先ほどの爆音。そして――

「火の手が上がりましたね……」

 リリアーヌの声で、新一も城から立ち昇る煙に気づく。炎自体は見えないが、あの煙の量と色から考えると、かなりの量の炭素物質――恐らくは木材が燃えていると思われる。

「今、城の中にいる兵力はどの程度でしたか?」

 リリアーヌがミヒャエルに質問する。

「近衛だけだ。唯一兵力を持って帝都に止まっていた宰相閣下は、つい先日北方の諸侯に睨みを効かせるとかで、国境方面へ進軍しちまって今はいない」

「絶妙なタイミングですね。残った兵力は僅か、しかも政府要人は軒並み集まって……」

「リリア?」

 途中で言葉を途切れさせ、何事かを考え込み始めたリリアーヌの顔を、新一が覗きこむ。

「あ……いえ。何でもありません」

 しかし、リリアーヌは小さく頭を振る。

「それよりも新一様。少し……お願いがあるのですけれど」

 そう言って、上目遣いに新一を仰ぎ見るリリアーヌ。何だかとても嫌な予感を覚えて、新一は身構える。

「……なんだよ」

「私、思いますの」

 リリアーヌがニッコリと微笑む。

「頂いたチャンスを生かすのが賢者なら、それを逃すのが凡夫であり、それを不意にするのが愚者であると」

 リリアーヌが僅かに首を傾ける。

「私、この三者であれば、賢者になりたいと思うのだけれど……新一様、どう思われます?」

 新一はリリアーヌが言わんとしていることを察して、思わず、後ずさる。

「それが……チャンスとは限らないんじゃないか?」

 新一は取り敢えずそう反論してみる。対し、リリアーヌはクスクスと可笑しそうに笑う。

「新一様、チャンスとはそういうものでしょう? チャンスとは、単なる機会に過ぎません。賢者はそれを好機とし、凡夫はそれを日常に埋もれさせ、愚者はそれを危機へと変える。先程の言葉も、そういうつもりで発したのですけれど?」

 リリアーヌの視線が新一を貫く。それで理解した。リリアーヌが見ているのはチャンスではない。現実であり、可能性であり、理想像だ。それら三つを一致させることが即ち、リリアーヌが言う『チャンスを生かす』ということなのだ。

(ならば……是非もない。俺は、彼女が皇帝になるのを助けるために、わざわざここまで来たのだから)

「……はぁ。分かったよ。乗りかかった船だ。最後まで付き合うさ」

 その言葉に、リリアーヌは嬉しそうに顔を綻ばせる。

「ありがとうございます。それでこそ、新一様です。ハイジも……付いてきてくれますね?」

 今度はアーデルハイトに問いかける。だがこれは、聞くまでもないだろう。

「勿論です。お嬢様を守るのが、私の役目ですから」

 即答するアーデルハイトに、リリアーヌは優しく微笑むと、最後にミヒャエルに向き合った。

「では、ミヒャエル。貴方には別の仕事をお願いします。これから街に戻り、できる限り広範囲に今から言う内容を触れ込みなさい」

「お安い御用だ。それで? 触れ込む内容は?」

「そうですね……」

 リリアーヌの目が妖しく光る。

「第四皇女――リリアーヌ・フォン・アジルバートが皇帝の求めに応じて帝都に帰還。折しも発生したラインシュタイン城への敵襲を制圧するため、精鋭を引き連れて自ら城の救援に向かった――こんなところでお願いします」

 それを聞いたミヒャエルは、ニヤリと笑う。

「任してくれ。お前さん方が仕事を終える頃には、帝都中の臣民が、英雄の顔を拝みにここに集まってることだろうよ」

「それは重畳」

 そして、リリアーヌは踵を返す。帝都に来た目的を果たすため、迷いない足取りで、帝城に向かって歩き出す。

 その様子を眩しそうに見つめたミヒャエルは、彼らが正門へと到達するのを見届けることなく、自らの仕事を成すために街へと戻っていった。


 城門に残っているのは、既に衛兵だけだった。先程まで残っていた筈の近衛の姿も、もう見えない。彼もまた、援軍として城内に向かったのだろう。

 故にリリアーヌは、その場に残った衛兵の中で最も年長と思われる人物に近づく。その衛兵も、自分に近づく影にすぐ気が付いた。

「今、この城へは立ち入ることができません。また後日、通行証を持ってお越しください」

 その四十代ほどの衛兵は、自分に近づくリリアーヌに丁寧にそう告げた。今のリリアーヌは、動き易さ重視のため一般的なドレスと比べるとかなり身軽――というか露出度の高い格好をしているのだが、やはり雰囲気で、庶民とは違うのが分かるのだろう。

 そんな衛兵に対して、リリアーヌは優しく微笑みかける。

「お久しぶりです、クラウス。どうやら、出世されたようですね」

「……は?」

 クラウスと呼ばれた衛兵は呆気に取られた顔をする。しかし次の瞬間、その目は驚きで大きく見開かれた。

「も、もしや……リリアーヌ皇女殿下?」

「えぇ、そうです。覚えていてくれて、とても嬉しく思います」

 リリアーヌがニッコリと微笑む。それを見て、クラウスの顔が喜びでパッと明るくなった。

「あぁ……本当に、リリアーヌ皇女殿下……良くぞ……良くぞ戻って来られました」

 そしてその場で膝をつき、頭を垂れる。その姿からは、リリアーヌに対する敬愛の想いが滲み出していた。

「はい。私も貴方と、こうして再びお話ができて嬉しい。でも残念ですが……今は、他にやるべきことが。私はそのために、この地に戻ってきたのですから」

 その言葉に、クラウスはハッと顔を上げる。

「しかしリリアーヌ皇女殿下。今城内は――」

「勿論、存じております」

 リリアーヌはクラウスの言葉を遮る。

「知っているからこそ、来たのです。皇女として、為すべきことを為すために。ですからクラウス」

 威厳のある声が城門に響く。

「門を開けなさい。今から私自らが、賊討伐に向かいます」


 城門を抜け、広い庭に行き当たったところで、新一は後ろから付いてきているリリアーヌに肩越しに尋ねた。

「今の衛兵――クラウスっていうのか? は、知り合いなのか?」

 返事はすぐに返ってくる。

「はい。私がまだ城にいた頃から、あそこに立っていました。私は幼い頃は少しやんちゃなところがありまして、よく街にお忍びて出掛けていたのです。その時に、クラウスには大変良くしてもらいました」

「お嬢様。アレはお忍びで出掛けていたのではなく、『秘密で抜け出していた』というのが正しい表現です。その度に叱られていた私の身になってください」

「あら、そんなこと言って。ハイジだって楽しんでたじゃない? 良い社会経験にもなったし」

「どんな所に行ったんだ?」

 本当はこんなことを話している場合ではないことは分かっているのだが、気になってつい聞いてしまう。

「そうですね……市場には良く行きましたし……何度かは商人ギルドの本部にも。あとは……酒場……とかですかね」

「酒場?」

 意外な場所の名前が聞こえて、つい振り返ってしまう。

「えぇ。あそこは色々な人が集まりますから。どんな人がどんなことを考えているのか。皆はどんな生活をしているのか。何を不満に、そして不安に思っているのか。色々なことを知りました」

 驚いた。てっきり、リリアーヌの庶民慣れしたところは、皇族から島流しにあった後の生活で身に付いたものだと思っていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。

「……変わってるな」

 再び視線を前に戻して、そう答える。新一の知識の中にある王侯貴族とリリアーヌは、随分かけ離れていると、改めてそう感じた。

 しかし、そんな新一の言葉に対して、後ろからは小さな笑い声が返ってくる。

「ふふっ。新一様ほどではありませんよ」

 なんともコメントに困ることを言われる。新一は答えに窮し、誤魔化すように視線を周りに走らす。

 今、彼らがいるのは中央庭園。そのまままっすぐ進むとラインシュタイン城の天守キープへと行き当たり、左右には各種貯蔵庫や使用人の居住地、または兵舎などが立ち並んでいる。

 煙が立ち昇っているのは、その貯蔵庫付近からだった。

「お嬢様、雑談はこの辺りで。ここからは別れ道です。方向をお示しください」

 折良く、アーデルハイトが話を中断させる。リリアーヌもゆっくりと頷いた。

「そうですね。あまり時間もありませんから急ぎましょう。行き先ですが……」

 リリアーヌが周囲を見渡す。

「どうやらまだ色々な所で戦闘は継続中のようですが、それらを一つずつ相手にしていても埒があきません。それは近衛の皆さんに任せましょう。ですから、私たちは直接、天守内部の会議場へ。恐らくそこが、敵の目的地でもあるでしょうから」

「かしこまりました。では、私が先導を」

 そう言ってアーデルハイトは、新一の横をすり抜け先頭に出る。新一もその動きに合わせて一歩下がり、リリアーヌの横についた。


 ラインシュタイン城の天守は城門から更に三百メートルほど北にいった地点に存在する。そこまでひたすら一直線に大道が伸びており、それほど変わり映えしない景色が続くのだが、しかし今日に限っては、その様相は大きく違っていた。

 城門から離れて天守に近づくほど、明らかに戦闘の跡が見えるようになってきた。所々に敵味方の死体が散乱し、周囲の建物でも、被害を受けているものが目立ってくる。しかしそんな中、新一たちが歩いている路面には傷一つ付いておらず、それがまた何とも不自然だった。

「そろそろ、戦闘の音が近くなってきましたね」

 百メートルほど歩いたところで、リリアーヌが足を止める。

「正直、無用な戦闘で時間を取られたくはありません。天守に入るまでは、極力敵には見つからないようにしましょう」

「だが……こんな開けた所を歩いていたら、すぐに見つかるぞ?」

 新一が眉をひそめる。

「迂回しますか?」

 アーデルハイトが尋ねる。

「いえ、寄り道はしたくありませんし、迂回したところで敵に出会でくわさないとも限りません。ですのでここは、新兵器に登場してもらいましょう」

 そこまで言われて、やっと新一は思い出す。

「確かに……元々その予定だったな……」

 事態が急変し過ぎて、すっかり忘れていた。

「えぇ。折角の秘密兵器、使わない手はありません」

「だが……アレを使うと周りが見えなくなるぞ?」

 そう。あの装置は可視光を回折させる磁場を身体の周りに張ることで景色に溶け込む。故に、使用者の目にも可視光は届かなくなる。

「でも、新一様はそうではないのでしょう?」

 しかしそう。例外はある。いや、抜け穴はある。可視光を通さなくても、それは電波は通す。当然、紫外光や赤外光も。そして新一の網膜に定着した生体ナノマシンは、赤外光を捕捉する。

「……敵がウヨウヨする中を、盲目二人の手を引いて俺は歩くのか?」

 すると、リリアーヌはニッコリと微笑む。

「両手に花ですね、新一様」

 随分と、良い笑顔だった。

 

 不満を言うだけの時間も選択肢もなく、新一は仕方なく、二人の手を引いて歩く。

 案の定、道程の半分を過ぎた辺りから、チラホラと敵味方の姿が目に入るようになってきた。

 見たところ、形勢は互角。数は近衛の方が多いようだが、どうも個々の力では敵の方が上回っているように見える。何より、敵の動きはどう考えても足止めのそれだった。

 それ故に、近衛は押されもしない代わりに、攻め切ることができず、各所で膠着状態になっていた。

「どうやら、天守に戻らせるのを妨げているようですね」

 リリアーヌが小声で囁く。言われてみると、天守側に陣取っているのは、常に敵兵士だった。

「……普通、逆じゃないか?」

 その奇妙な光景に違和感を感じる。まるで、天守を守ってるのが敵兵士のようだ。

「思ったより、敵の侵攻が迅速だったのでしょう。最悪、天守には既に敵が雪崩込んでいるかもしれません」

「防御態勢を整える前に、天守まで突破されたってことか。聞いていた話と違うな」

 ラインシュタイン城は鉄壁の要塞。過去数千年で一度も落城したことがないと聞いていた。しかし現実は、こうもあっさりと攻め込まれている。いくら城に残っていた兵士が少なかったとは言え、あまりにも不甲斐なさすぎる気がした。

「それは私も疑問です。そもそもどうやって入り込んだのか……先程の商人の話を聞く限り、まるで地下から湧いてきたようですが……」

「地下道を掘られたってことか?」

「可能性はありますが……一朝一夕ではできないことです。どうして開通するまで気がつかなかったのか。そもそもどうやって開通させたのか……不可解です」

 リリアーヌが考え込む素振りを見せたので、思わず新一は注意する。

「おい、これから敵陣に突っ込むんだから、今からあまり頭を使い過ぎるなよ。知恵熱か何か知らないが、随分体温が上がってるぞ?」

 新一は今、赤外線で外界を見ている。そのため、リリアーヌの体温の変化も一目瞭然だった。一緒に歩き出してから、ずっと体温が上がりっぱなしなのだ。

「……ッ!?」

 しかし、新一のその指摘への返事は、息を呑むリリアーヌの声だけで、それっきり何も聞こえなくなってしまう。そして何故か、更に上昇する体温。

 もしかしたら、何か怒らせるようなことを言ってしまったのかもしれないと新一は想像するが、確かめる術はない。敵の眼前で、変な問答などする気にもなれず、新一もそれっきり口を閉じた。


 次に口を開いたのは、アーデルハイトだった。

「お嬢様。青銅の大扉が壊されています」

「……そうですか」

 依然として体温は高いままだったが、既に声はすっかりいつものそれに戻ったリリアーヌが小さくそう答える。

 対し、新一は危うく声量を間違えるところだった。

「!? 何でわかるんだ?」

 確かにアーデルハイトの言う通り、青銅の大扉は壊れている。何か鋭利なものでくり抜かれたように大きな穴が穿たれている。しかし、それをアーデルハイトは確認できない筈なのだ。何故なら、まだVDGを切っていないのだから。

 だがアーデルハイトは、そんな新一の考えを一笑に付す。

「舐めるな新一。少し慣れれば、目などに頼らずとも周囲の様子くらいわかる」

 新一は絶句する。

「それで? それ以外の状況は?」

 絶句する新一を置き去りにして、二人の会話は続く。

「敵兵士が五十名ほど、扉の前で陣を張っています。どうやら既に天守には敵が入り込み、更に味方の援軍が阻まれている状況のようです」

 確かに、天守に向かうように倒れている死体は近衛のものばかり。状況はかなり最悪の想定に近いようだ。

「そうですか……」

 リリアーヌはそこで一度言葉を切り、数秒、考える。そして――

「なら、仕方ありません。二手に……別れましょう」

 リリアーヌはそう言った。

「ここの守りを正攻法で抜いては時間がかかり過ぎます。増援も来るかもしれない。そうなったら、きっと間に合いません。ですので……ですから、新一様」

 新一は、リリアーヌの顔が自分に向いたのがわかった。

「私とハイジが先に進みます。ここを……お願いしても宜しいですか?」

 果たして、この時の彼女はどのような表情をしていたのだろうか? 可視光ではなく、赤外線で外界を見ていた新一には、その表情は見えない。彼女がどのような顔でその命令を発したのか、分からない。

 しかし、その命令が持つ意味については、新一にも理解できた。

 近衛を上回る力を持った五十人の敵兵を一手に引き受け、更に扉から引き離し、そこに経路を通す。それはもはや『死ね』という命令と同義だった。いくら新一の実力を知っていても、その覚悟無しで、発せられる言葉ではない。

 しかし、リリアーヌはそれを言った。それが必要であると判断した。新一はその意志を……とても清々しく感じた。

(まったく……毒されているな)

 明らかにその命令は、当初の新一の想定を超えていた。自身の目的のために協力はしても、そのために過度な危険を冒すつもりはない。そう思っていた。いや、決めていた。それなのに……

(ここまでの投資を無駄にしたくない……そういう考えもできるか)

 新一は無理やり、そう理屈を捏ねる。無理矢理だと分かってはいても、それで心が軽くなっている自分に、新一は少しだけ可笑しくなった。

(なんだ……結局今までもそうだったのか。俺は理性的に、感情的な判断を下してきただけだったのか……)

 だとすると、随分な道化だ。

(ならあくまで道化らしく、この大舞台で派手に演じてみせようか)

 心の中でニヤリと笑い、新一がリリアーヌの手を離す。瞬間、VDGの効果範囲外に出た。

「見返り、期待してるぞ?」

「はい、何なりと。貴方の願いは、私が責任を持って果たします」

 新一は頷き、彼女たちに背を向ける。

 数秒後、背後から人の気配が消えた。


「宜しいのですか?」

 新一の代わりにリリアーヌの手を引きながら、アーデルハイトが尋ねる。

「必要なことでした」

 リリアーヌが答える。新一の手を離して、我慢する必要がなくなったからだろうか。アーデルハイトが握るその小さな手は、今酷く震えていた。

(不器用なお人だ)

 アーデルハイトは嘆息すると同時に、そんな主人のことを愛おしく思う。葛藤の中でも、私情を捨てずに公の選択をし続ける姿を、彼女は誇らしく思う。

 だからこそ、アーデルハイトはここにいる。今も昔も、そしてきっと――これからも。

(新一。お前も、付いてこいよ?)

 アーデルハイトはそう願う。雷撃が迸り、地面が抉られる音を横に聞きながら……

 既に、戦闘は始まっている。


 敵は良く訓練されていた。

 突然目の前に現れた新一にも動揺せず、冷静に五名だけが隊列を離れ、こちらに近づいてくる。全員を扉から離すには、かなり敵陣を掻き乱す必要がありそうだった。

 新一は今回、手加減する気はない。というよりも、している余裕はない。だから新一は、早々に服の下に隠していたホルスターに手を伸ばし、コイルガンをその手に取る。

 銃弾は既に入れ替えていた。今回はコイルガン本来の役割に特化した銃弾を選んだ。殺傷用の生体ナノマシンが充填されている。

 まず新一は、こちらに進んでくる敵の向こう側。整然と並んでいる隊の前列に狙い定める。

 その姿に、一瞬だけ敵は動揺したようだった。恐らく戦闘の予備動作として、それは想定の範囲外だったのだろう。その隙に、新一は悠々と第一撃を放つ。このコイルガンの装填数は六発。そのすべてがコンマ一秒の間隔を空けて、銃身から発せられる。

 直後、銃弾を受けた前列の敵兵が倒れる。その音に、思わず振り返る五名の先発隊。その瞬間、彼らは彼らの防御を怠った。

 その隙を、新一は容赦なく突く。

 彼らが気づいたときには、新一はもうすぐ目の前にいた。

 彼らの一人が慌てて雷撃を発動する。不意を突かれたとはいえ、その反応速度は充分過ぎるほどに優秀だった。狙いも正確。新一が通るだろう予定地点に向かって放たれる。

 しかし、新一は更にそれよりも幾らか早かった。

 生体ナノマシンによって、通常の数倍の伝達速度を実現した電気信号が、各種感覚器官から得られた情報を中枢に届け、そしてそのフィードバックを末梢に届ける。この状態の新一にとって、敵の動きはまるでスロモーションだ。

 新一は飛来する雷撃を認識すると、素早く横に飛び、悠々とその射程から逃れると、そのまま敵の懐に飛び込む。

 一人目は反応すらできない。新一の掌底を顎に受け、その場に崩れ落ちる。新一はその結末を見届けることなく、掌底を打ち込んだ力を利用して回転。やっと剣を構えたばかりの敵に手刀を打ち込む。

 すると、意識を失った敵が新一に倒れ込んでくる。しかし新一は、それを避けることはせず、逆にそれを彼我を隔てる盾として利用して、その間にコイルガンに次弾を装填する。

 ここまでで、一人目が倒れてから既に二秒。その間に残り三名の敵が体勢を整え、新一を迎撃すべく三方に散開する。そんな彼らに、新一は装填を終えたコイルガンを向ける。

 直後、三名が倒れた。これで先遣隊は全滅。しかし、新一は即座にその場を離れる。直後、倒れた五名を巻き添いに、そこに大規模な火炎が巻き上がった。扉の前に残った三十九名が、新一を脅威として認識し、殲滅にかかった合図だった。

(さて……ここからが本番だ)

 新一は、残った三発の銃弾を間隔を空けて撃ちながら、バックステップで扉から徐々に距離を取る。

 敵がゆっくりと、移動を開始した。


「お嬢様、扉の前が空きました」

 新一が驚異的な立ち回りを見せたことで、敵全員が新一に釘付けになり、本来の持ち場から離れつつある。

 一瞬、(このまま自分も参戦し、新一と挟撃すれば敵を一掃することができるのではないか?)という考えがアーデルハイトの頭をよぎる。

 しかし、直後に目の前で展開された光景を見て、それは甘過ぎる考えだったと思い知らされた。

(まだあんなに予備兵がいたのか……)

 天守の中から、空いた穴を通じて出てくる十数名の兵士。彼らが、新一のルートを遮断するように、天守の前に壁を作る。

(……無駄なことは考えるな。お嬢様の想定通りに動け)

 アーデルハイトはそう自分に言い聞かせ、移動を開始する。空間中に満ちる万物の種子の偏重や動態を知覚しながら、盲目のリリアーヌをその手に連れて、ゆっくりと歩みを進める。

 先程は新一に大見得を切ったが、実際問題、この手探りの行軍は彼女の限界を超えた行為だった。進むたびに汗が流れ、身体がふらつく。そして次第に手足の感覚が希薄になっていく。まるでアーデルハイトの意識が空間中に溶け込み、万物の種子と一体化しようとしていくようだった。

 しかし、彼女は自身の手に握られたその温かな感触を頼りに、意識を繋ぎ止める。全てを知りつつ新一に陽動を任せたように、全てを知りつつアーデルハイトにこの任を任せた主人の信頼に応えることが、彼女のやるべきことだった。

 幸い、新一がアーデルハイトたちとは逆の方向に移動して行ってくれたお陰で、追加で作られた人の壁はアーデルハイトたちの方には向いていない。今ならば、気づかれずにあの穴から天守内部に侵入することは可能に思われた。

「お嬢様……今から穴を乗り越えます。少し早く動きますが、ついてきて下さい」

 アーデルハイトは小声でリリアーヌにそう告げると、意識をもう一段深く万物の種子に同化させる。

 一瞬、彼我の境界がぼやけた。自身が敵兵であり、敵兵が自身であるかのような、そんな変な錯覚に陥る。

 だがアーデルハイトはそれ以上の同化を拒み、堪え、本来の自身の身体を動かす。一歩一歩確実に、しかし少しずつ早く。それでいて地面を滑るように、舐めるように。

 敵兵は今、新一について考えている。

 近衛とは思えないあの人間は一体何なのか。あの特殊な技は一体何なのか。何故あれほど人間離れした動きができるのか。そういった思いが恐怖の感情と共に、彼らの心を支配している。こちらに注意を払うだけの余裕は、今の彼らにはない。

 今のアーデルハイトには、それが分かる。彼らが何を考えているのか、手に取るように。だから彼女は、迷わず進む。

 扉に空いた穴は、もう目の前だった。


 片腕を飛ばされたところで、リリアーヌとアーデルハイトが天守の中に入っていくのが見えた。

 これで一先ずの目的が達成されたと、新一は安堵する。あと少し――彼女たちが扉から離れ、扉を守る敵に捕捉されない所まで行けば、新一の任務は終了だ。

 本当は、その先にも待ち構えているだろう敵についても、新一の方で処理したかったのだが、現状では、それは困難であると言わざるを得なかった。

 敵の斬撃から頭を守るため、腕一本を犠牲にしてしまったおかげで、新一のアクティビティは大分低下してしまっている。先の戦闘でダメージを受け、更にアーデルハイトに移植したお陰で随分と数を減らしてしまった治癒用ナノマシンが、それでも必死で作業を進めているが、今の状況では雀の涙だった。精々、出血を止めるのが関の山だろう。

(あと……何人だ?)

 新一は、自分を斬りつけた敵を蹴り上げ、その拍子に奪った剣で敵の胴を袈裟斬りにしつつ、ざっと敵の人数を確認する。

 二十三人。増援で十三人が新たに加わったことを考えると、既に四十人を倒していることになる。

(良く奮戦したと……言っても良いんじゃないか)

 頭の片隅で、新一はそんなことを考える。

 実際、新一の理性はこれ以上の戦闘継続は困難であると告げていた。今の身体の状況から見て、どう考えても残り二十三人は多過ぎる。無理な行使を強いている彼の筋肉も、そろそろ限界が見えてきていた。

(だが……あと少し。あと……一分だけ)

 自分が戦っている間は、彼女たちに注意が払われることはない。彼女たちが無事に目的を達成できる可能性は高くなる。新一はそれだけを考えて、身体を動かす。ただただ目の前の敵に、次の一撃を――

(!?)

 直後、足を何かに掴まれた。慌てて下を見ると、先程殺した筈の相手が、必死の形相で新一の足にしがみついている。

(殺し損ねた!?)

 明らかなミスだった。そしてこの局面では、それは致命傷になり得る。

 バランスを崩した新一が、それでも何とか剣を振り抜き、目の前の敵の首を斬る。

 血を撒き散らしながら倒れる敵兵。その血のシャワーが視界を遮り、一瞬前が見えなくなる。

 これがとどめのミスになった。血のシャワーが邪魔になり、敵がアニマを発動したことに気づくのが遅れる。そして気づいた時には、もはやギリギリの距離にまで、幾重もの雷撃が迫ってきていた。

 新一は咄嗟に横に飛ぼうとする。しかし、足が地面を離れない。まだその足は、死に損ないの敵に掴まれたままだった。

 避けられるギリギリのタイミングも逃し、新一にはもう選択肢が無くなる。

(受けるしかない)

 到底、無理な話だった。前回は、二撃を受けただけで、片手が駄目になった。対し、今は既に右手を失い、そして同時に五撃を受けなければいけない。耐えられる道理がない。

 しかし……死を目前にした新一の脳裏に、一人の女性の笑顔が浮かぶ。それはリリアーヌでも、アーデルハイトでもない。

 今も一人、新一を待っている筈の女の子。新一が守ると決めた女の子。ここで自分が死んで、一体誰が彼女を守るのか――

 新一は残った左手を上げる。脳と内臓への感電を少しでも軽減するために。無理でも……生き残るために。

 雷撃は、もう目の前だった。


「お嬢様、一度VDGを停止させます」

 扉を抜けて更に直進し、大広間の階段を上り、三階へと繋がる階段の前まで来たところで、アーデルハイトはようやく足を止める。

 本当はもっと先まで、欲を言えば五階にある会議場までこのまま不可視状態を維持したかったのだが、精神的にもう限界だった。

「大丈夫ですか?」

 思わず膝をついたアーデルハイトの顔を、リリアーヌが心配そうに覗き込む。

「……はい、問題ありません」

 アーデルハイトはすぐに立ち上がる。新一が作ってくれた時間、こんな所で一秒たりとも無駄にできない。

「そう……では、行きましょう」

 そんなアーデルハイトの思いを理解して、いやそれ以上に同じ気持ちで、リリアーヌは足を前へと踏み出す。

 アーデルハイトも、すぐにその後に続いた。


 この天守は上層に行くほど、床面積が小さくなる。一階から三階までが最も広大で、四階と五階がその三分の二程度。六階と七階が更にその半分。最上階である八階が、更にその半分程度の大きさになっている。

 そのため、階段もすべてが最上階へと繋がっている訳ではない。二階から三階へと上がる四つの階段の内、四階へとそのまま繋がる階段は二つのみ。そしてリリアーヌたちが上ったのは、四階へと繋がっていない方の階段だった。

 一階にいる敵からできるだけ早く離れるための選択だったが、それがここに来て裏目に出ることになった。

 上階へと上がるため、リリアーヌたちが移動を余儀なくされた三階通路では、今、激しい戦闘が行われている。


「お嬢様! お下がりください!」

 通路に出た途端に襲ってきた雷撃を咄嗟に撃ち落としながら、アーデルハイトはリリアーヌを庇うように前へと出る。

「どうやら……近衛の生き残りのようですが……」

 リリアーヌが言葉を濁す。

 確かに彼女の言う通り、戦っている兵士は近衛の甲冑を身につけていた。それだけならば、近衛の生き残りとの合流を喜ぶところだったのだが、問題が一つあった。

「近衛が……何故近衛と?」

 目の前で激しくアニマの応酬を繰り広げている兵士は、共に近衛の甲冑を着ていた。近衛が、同士討ちをしている。

「成程……これが帝城の内部まで敵が攻め込むことができた理由ですか……」

 リリアーヌは合点が言ったように、しかし悲しげな顔で首を振りながら呟く。そして――

「ハイジ。こちらに背を向けている方が味方です。援護しなさい」

 と、指示を出す。

「かしこまりました」

 アーデルハイトも『何故?』とは聞かない。リリアーヌがそう判断したのなら、そこには確かな理由がある。アーデルハイトは、それを良く知っている。

 だから、アーデルハイトは前へと飛び出す。飛び出しながら、その十指に雷撃のアニマを宿らせる。敵の数も丁度十人。

(敵が十人以内で良かった)

 走りながら、ふとそう考える。これなら、不意打ちで終わらせることができる。

 

 近衛第二連隊の隊長を務めているアルベルト・フォルスターは、突如自身の後方から襲来し、敵に猛然と食いついた雷撃の軌跡を、呆気に取られた顔で見つめていた。

 この襲撃が始まった時、彼ら第二連隊は天守の警備に当たっていた。それ自体は、彼らにとって決して珍しい任務では無かったのだが、今の時期のそれは、少なからず特別な意味を持っていた。今開かれている帝政会議は、第一皇子によるクーデター以降初となる帝政会議だったからである。

 かのクーデターによって、ただでさえ落ちていた皇帝の権威は大きく傷ついた。クーデターの直接の目撃者であり、そして被害者でもある帝都に暮らす臣民は勿論、敵国による帝国への侵略を直接防いでいる辺境伯の多くも失望したことだろう。それは帝国の維持にとっては、由々しき問題だった。かつての帝国ならいざ知らず、今の帝国では、彼らに離反されれば恐らく、国を保つことはできない。

 だからこそ、今回は絶対に不手際があってはならなかった。帝国各地の領主の代理が議員として一同に会する帝政会議。ここで起こったことは、すべてダイレクトに領主に伝わることになる。

 故に、この会議の内容以上に、会議を無事に終わらせることの方が重要であり、そして近衛の威容を彼らに見せつけることこそが、帝国の未来に繋がると、アルベルトはそう考えていた。(実のところ、議題の中心にいる『忘れられた姫君』への関心が薄かったのも、そう考えた理由の一つだった。この帝国の一大事に際して、ノロノロと悠長に上洛しているような姫のことは、はっきり言ってどうでも良かった)

 そんなアルベルトの考えは、しかし、昼過ぎに伝令から伝えられた一つの報告を始まりとして、その後は岩が坂から転がり落ちるように、ゴロゴロと崩れていった。

 地下貯蔵庫への敵の侵入――乗っけから、パンチ十分だった。地下貯蔵庫は名前の通り、物資を保管しておくための場所である。故に、ほとんど人の行き来は無いし、そこへの入り口も地上に一箇所あるだけだ。要するに、本来は敵が現れるはずのない場所なのである。

 そんな場所への敵の侵入。アルベルトも、当初は俄に信じることができず、確認も兼ねて、三名の部下を援軍に向かわせた。何かの間違いだったと、呆れ顔を携えた部下が、すぐに戻ってくることを期待して。

 しかし、その後彼の耳に飛び込んできたのは、そんな部下の他愛ない台詞ではなく、天を突き破るような轟音だった。

 事ここに及んで、彼は事態の深刻さを理解する。即座に天守内に散らばっていた部下をかき集め、青銅の大扉の守護に向かう。

 それが今から四十分前。信じられないことに僅か四十分で、鉄壁の防御を誇るはずの青銅の大扉が破壊され、更には敵の侵入を許し、おまけに味方近衛の裏切りにも見舞われ、逆に上層へのルートを確保されてしまったのだ。

 しかもここまでの戦闘で、既に部隊の八割は死傷し、もう敵を撃破することは実質上不可能な状態に陥っていた。

 それでも、アルベルトは最後の反撃を試みる。何としてでもこの三階を突破し、五階に行き着き、そこを守っている筈の近衛第一連隊と合流しなければならない。もしそれも構わず、五階が敵に制圧され、皇帝と、そしてそこに集った議員に危害が及ぶようなことになれば、この最悪の状況は即座に、帝国の壊滅へと繋がるのだ。

 故にアルベルトは、自らの頭を通り越し、敵に襲いかかる雷撃を見て、思わず天に感謝した。

(まだ主は我々を――この帝国を見捨てられてはいなかった!)

「手を止めるな! まだ敵は全滅していない!」

 そんなアルベルトに女性の怒声が飛ぶ。そしてその瞬間、自分の横を駆け抜ける一人の女戦士。

 アルベルトは理解する。

(彼女の後に続けば、勝てる!)

「彼女に続け!」

 気づくと、言葉が口から飛び出していた。そしてその言葉の後を追うように、走り出す身体。諦めかけていた光明が、すぐ目の前にあった。


「どなたか存じませんが……ご助力、心から感謝いたします」

 頭を下げるアルベルトの言葉に、アーデルハイトは首を振る。

「私は主の命に従ったまでのこと。貴方に礼を言われることではありません」

「主?」

 アーデルハイトのその言葉に、アルベルトが頭を上げると、近づいてくるもう一人の少女の姿が目に映った。

「貴女が私たちに援軍を……どちらの領地の方かは存じませんが、お陰で光明が見えました。心より、お礼を申し上げます」

 アルベルトはその少女に向けて、改めて頭を下げる。すると――

「構いません。これは私の為すべきことですから」

 それは、まるで鈴を鳴らしたような、透明で綺麗な声だった。それでいて、芯が通ったその良く響く声は、このような殺伐とした戦場には似つかわしくないようでいて、その実、とても相応しいようにも思える。

 そんな不思議な感想を持ったアルベルトは、恐る恐る顔を上げ、彼女の顔をチラリと見る。そしてその瞬間、思わず飛び上がりそうになった。

「リ……リリアーヌ皇女殿下!?」

 そこに居たのは、他ならぬ今日の議題の中心人物。未だ帝都から遠く離れた地点でウロウロしている、この場にいる筈のない人間だった。

「な……何故……ここに?」

 帝族に対する態度としては、かなり礼を欠いた質問だったろう。だがしかし、リリアーヌはそれを咎めることなく、真っ直ぐに、ひたむきに、その質問に答える。

「私の存在は帝国のために――帝国に住まう臣民のために。故に、私はここにいます。それ以上でも、それ以下でもありません」

「……」

 思わず、声を失う。

 その言葉に宿るリリアーヌの想いが、アルベルトの心を強く揺さぶったのだ。

 心底では――落胆していた。失望していた。そして、悲壮な覚悟で身を固めていた。信頼していた第二皇子が亡くなった今、もはや帝族に期待できる事はあまりに少ない。そう考えていた彼にとって、そのリリアーヌの言葉は、福音以外の何物でもなかった。そしてそれは、彼が最も欲していた言葉だった。

 アルベルトは、目の前に立つ少女を見つめる。年若い、自分よりも随分と小さいその姿。しかしそんな彼女が、今のアルベルトには途方もなく大きな存在に映る。

(この方が……このお方が……リリアーヌ・フォン・アジルバート皇女殿下か――)

 アルベルトは、心の奥から湧き上がる強い激情に眩暈を覚え、そして気がつくと、リリアーヌの前で膝をついていた。

「リリアーヌ皇女殿下」

 彼の部下も、それに続く。

「今より、私たちは貴女の剣。何なりと、お使いください」

 些か以上に、気が早い言葉だった。まだ皇帝は別に存在する。それどころか、リリアーヌは正式なクラウン=プリンセスですらない。近衛が仕えるべき人間では、まだない。

 だからこそ、アルベルト本人すら驚く。自分の口から発された言葉に。そして、その言葉をすんなりと受け入れている自分の心に。

「その剣、確かに私が預かりました。働きに、期待します」

 しかし、リリアーヌはそうではない。それが当然だとでも言わんばかりに、膝をつくアルベルトを見下ろすと、静かにそう言い放つ。

 その威厳に溢れた姿は、アルベルトの視界を滲ませる。だから彼は、慌てて頭を下げる。その涙を彼女から隠すために。そして、この至上の喜びを、一人噛み締めるために。

 アルベルトは更に深く、頭を下げた。


 五階には、戦闘の傷跡が生々しく残っていた。恐らく、会議場護衛の任に就いていたという第一連隊が、ここで奮戦したのだろう。通路の至る所に破壊された調度品が散乱し、シャンデリアは落ち、そして各所に血溜まりができている。倒れている人の数も、十や二十ではきかない。

 そして今も、通路の先では激しい戦闘が繰り広げられている。

 いや、それはもはや、戦闘と呼べるようなものではないのかもしれない。会議場の入口を守るようにして、一人の近衛が立ち塞がっている。

 が、彼の身体は既にボロボロだった。

 立っているのが、奇跡だと思えるほどの傷の数。遠目からでも、それが良くわかる。鎧の至る所が焦げ落ち、胴には二本の剣が突き立てられ、今なお大量の血がほとばしる。

「シュナーベル……都督……」

 アルベルトが彼の名を呟く。そこに居たのは、彼らがリーダー。近衛第一連隊の隊長にして、近衛都督を務める男。

 その彼が、聞こえる筈のないアルベルトの呟きに反応する。もはや何も見えていないだろう潰れた瞳を、真っ直ぐにアルベルトに向ける。そして僅かに、口角をつり上げた。

 直後、彼の身体から電流が発せられる。その電流は空気を切り裂き、付近にいた敵を巻き込んだ。

「シュナーベル都督に続け!」

 それを見たアルベルトが、不意に剣を引き抜き、シュナーベルを取り囲む敵に向けて、突撃した。

 彼の部下もそれに従う。敬愛するシュナーベルの捨て身の攻撃を無駄にすることなど、できる筈がない。

「ハイジ! 援護を!」

 彼らのその行動を見て、リリアーヌもすぐに指示を出す。状況に流されている感は否めないが、こうなった以上、敵の不意を突いたというアドバンテージを最大限利用するべきだと、そう判断した結果だった。

 案の定、突然のシュナーベルの放電と、そして背後からの突撃に不意を突かれた敵兵は、浮足立つ。

 後ろは多数の仲間が守っているという安心感が、背後への警戒を怠らせていたのだろう。

 形勢が、リリアーヌたちに傾きかける。アニマの発動も、先に行動を始めたアーデルハイトたちの方が僅かに早い。数は敵の方が確かに多いが、先にアニマを撃ち込み、混乱したところに飛び込めば勝機はあった。

 だからこそ……リリアーヌは目を疑った。


(な……なに?)

 一瞬、光が迸る。そして次の瞬間には、リリアーヌを除く五人全員が、その場に倒れていた。

 静寂が辺りを包む。その静寂の頂点に立っていたのは、一人の兵士だった。彼は右手を前に差し向け、敵兵の中に立っている。どうやら彼が、何かのアニマを発動させたらしい。

「く……」

 不意に呻き声が上がる。その発生元はアーデルハイト。左手で右脇腹辺りを押さえながら、何とか起き上がろうとしていた。

「ハイジ!」

 リリアーヌが慌てて駆け寄る。

「お嬢様……駄目です。お下がりください」

 アーデルハイトがリリアーヌを制止するが、リリアーヌは止まらない。アーデルハイトを抱き寄せ、傷を確認する。

「……何ですか、これは」

 それはなんとも奇妙な傷だった。甲冑は丸く抉られたように溶け落ち、そしてその穴は身体をも貫いて完全に貫通している。にも関わらず、血は一滴も出ていない。ただ肉が焦げたような嫌な臭いだけが、周囲に立ち込めている。

「その顔……見覚えがあるな。例の……忘れられた姫君か?」

 不意に自らの通称を呼ばれ、リリアーヌが顔を上げる。その声は、例の男――アニマを使用した敵から発せられていた。

「だから……何だと言うのです?」

 リリアーヌがその敵を睨みつける。リリアーヌの剣幕に、何人かは怯んだように後ずさるが、その敵はそんなことは意にも介さず、薄ら笑いを浮かべる。

「本来、おまえを処理するのは俺の仕事では無いのだが……その首にも価値はある。折角だ。手柄は総取りさせてもらおう」

 そして、その手をリリアーヌへと向けた。それは、先程と同じ構え。一瞬で味方を全滅させた力。正体不明のアニマによる攻撃。

(逃げられない)

 リリアーヌは理解する。逃げる術がない。そして逃げても意味がない。ここで仲間を見捨てては、そして皇帝を、そして議員を殺されれば、もう帝国を救う目は無くなってしまう。そうなれば、もはや生きる意味はない。

(だったら……)

 リリアーヌは敵から目を逸らし、目を瞑る。そして、心の中で祈る。

(私に、まだやるべき使命があるのなら。生きる意味があるのなら――)

 リリアーヌは祈る。

(奇跡を……お与えください)

 直後、目の前で光が弾けた。


「ふぅ……危ない。いくらなんでも、レーザーは反則でしょ」


 何が起こったのか分からない。突然の光に驚いて、目を開けたリリアーヌの前に広がる光景は、彼女の理解を超えていた。

 空間が欠落していた。

 彼女の前の限られた空間だけが、ポッカリと穴が空いたように黒く染まり、そして時折、不規則な放電がその空間内を走り回っている。

 更にその先では、先程まで勝ち誇っていた敵が、目を見開いて呆然とこちらを見つめていた。その姿から、どうやら敵の攻撃が失敗したらしいということだけは見てとれる。

 そして、もう一つ。突然聞こえてきた女性の声。その声はあろうことか、リリアーヌの左側から聞こえてきた。

 そう――その声は、左側から聞こえてきたのだ。しかし、それはあり得ないこと。

 なぜなら……左には窓しかないのだから。そしてここは地上五十メートル。窓の外に広がるのは、広大無辺な空だけだ。

 だから、人などいる筈がない。

(いる筈がないのに……)

 呆然と、その声がする方へと目を向けたリリアーヌの瞳には、一人の女性が映っていた。

 その女性は、窓のヘリにちょこんと腰掛け、こちらを真っ直ぐ見つめている。

「あなたが」

 不意に、その女性がリリアーヌに話しかける。

「あなたが、リリアーヌさんかしら?」

 そして、その目がアーデルハイトへと移る。

「そして、こちらがアーデルハイトさん。傷口は大きいけど、急所は逸れてるし流血もないから、きっと大丈夫よね」

 リリアーヌには、一体彼女が何を言っているのか分からない。突然のこの状況が理解できない。だから、リリアーヌの口から出たのは、こんなありきたりな言葉だけだった。

「貴女は……一体何者ですか?」

 その質問に、女性はニッコリと微笑む。

「私の名前は東雲唯。新一と、共にここに来た者です」


***


「凄いおっきい……ちょっとビックリだな」

 五日間、延々とホバーバイクを飛ばして辿り着いたこの帝国の都は、唯が思っていたよりも数段立派な出立をしていた。特に今背後に広がる巨壁と、その眼前に聳えて見える帝城は、ここより遥かに優れた文明社会から来た唯であっても、圧倒されずにはいられない。

「それにしても……何でこんな真っ昼間からあんなに厳しく入都検査なんてしてるんだろ?」

 VDGを使ったお陰で、唯自身は難なく入り込むことができたが、普通だったらそうはいかない。あれでは、この街に入れる人間は相当限られてしまうだろう。いくら都だからと言っても、少々やり過ぎのように感じられた。

「まぁいいや。早く新一を探さないと」

 新一と唯が最後に連絡を取ったのが、七日前。

 その段階で、新一はエル・オーラムの目前に迫っていた。故に今頃は、既にこの都に入っている筈――というのが、唯の目算だった。

 唯はキョロキョロと辺りを見渡す。

 できれば、新一に気付かれないうちに彼を見つけて、驚かせたい――と、唯は考えていた。

 新一がトライアドを離れてからずっと取り組んでいたアニマ研究が、先日ついに完成し、早くその研究成果を見せたいと思って始まったのが、この小旅行だ。色々な意味で、新一には驚いて欲しかった。

「きゃっ!」

 そんなことを考えながら、ふらふらと歩いていたせいだろう。唯は前から走ってくる人に気づかず、思いっきりぶつかってしまった。

「だ、大丈夫か? 嬢ちゃん」

 その場で尻餅をついてしまった唯に、一人の男性が手を差し伸べる。

「えぇ、大丈夫。ありがとう」

 唯は、その男性の手を取って立ち上がる。

「すまねえな。急いでいたもんで」

「いえ、こちらこそ。しっかり前を見ていませんでしたから」

 そう答える唯を、その男性が不思議そうに見つめる。

「あんた、見かけない顔となりだな。もしかして、最近この都に来たのか?」

「はい、実はそうなんです。知り合いが何日か前から、ここに来ているみたいで。私はその後を追って」

「そうか、知り合いが……それにしても幸か不幸か、あんた凄いタイミングに来たよ」

「? どう言うことですか?」

 唯は首を傾げる。

「実はな、この帝国の皇帝となるべきお方が、丁度このエル・オーラムに到着したところなんだよ」

(あぁ、リリアーヌさんのことね)

 唯は新一から聞いていた話を思い出す。やはり、新一たちは、この都に入っているのだ。

「それだけじゃない。今、ラインシュタイン城内で発生している敵の襲撃を、その次期皇帝――リリアーヌ皇女殿下が鎮圧に行かれた。それも、僅か二名の直参を連れただけで。恐ろしいくらいに豪気なお方だよ。これからの帝国には紛れもなく、リリアーヌ皇女殿下のような方が――」

「ちょっと待ってください!」

 唯は、その男の言葉を途中で遮る。今の話は、聞き逃せる内容ではない。

「襲撃って、どういうことです!? 何か危険なことに巻き込まれているんですか!?」

「え? あ、あぁ……巻き込まれてると言えば……まぁ、そうだな。近衛が対応できないレベルの惨事を収めに行ってるんだから、そりゃあ危険じゃない訳がないし……だが大事なのは、そんな所に僅かな直参を連れて皇女殿下自らが鎮圧に行かれたってことで――って、おい!」

 言葉が終わるのも待たずに歩き出した唯を、その男が引き止める。

「おい! ちょっと待て! いきなりどこに行こうってんだよ!」

 男に腕を掴まれた唯は、煩わしげに振り返る。

「ラインシュタイン城に決まっています。情報提供ありがとうございました。それでは――」

 そして、再び唯は歩き出そうとするが、再度、男に引き止められる。

「いやいや! だから何でそうなる! 普通に危ないだろ! 今、城内じゃ殺し合いが起こってるんだぞ!」

 その言葉から、男が純粋に自分を心配してくれていることを知った唯は、はやる気持ちを抑えて、もう一度しっかりと男に向き直った。

「ご心配ありがとうございます。しかし、行かなければいけないんです。私の大切な人が、今あそこで戦っているんですから」

 できる限りの誠意を込めて、唯はこの親切な男にそう答えた。そして、驚いて声も出ない様子の男の手をそっと掴んで腕から外し、踵を返す。

(早く、行かなければ――)

 しかし、その足が踏み出されることはなかった。直後に聞こえてきた言葉が、彼女の足をその場に縫い付けたのだ。

「嬢ちゃん……もしかして、新一の連れか?」

 思わず振り返る。まさか、ここで彼の名前が出てくるとは思わなかった。

 恐らく、かなり驚いた顔をしていたのだろう。唯のその顔を見て、男は納得したように頷いた。

「やっぱりそうだったか。じゃあ嬢ちゃんも、宇宙から来たってことで良いんだな?」

「……ちょっと待って」

 いきなりの男の言葉に、唯は混乱する。

「何? どう言うこと? 何故、あなたがそれを知っているんです?」

(見た目? いや、そんな筈がない。それにさっきは『嬢ちゃんも』って……。ということは)

「新一から聞いたんだよ。俺は新一の親友だからな」

 そして、その男は相好を崩す。

「すまなかったな。普通の女の子だと思ってたんだ。だが、新一の連れって言うなら話は別だ。ついて来な」

 そう言って、男は歩き出す。唯も慌てて、その横に並んだ。

「ついて来なって……どこに行くんです?」

「あ? そんなの決まってるだろ? ラインシュタイン城だよ。正直俺も少し不安で、今から殴り込みかけようかと思ってたんだ。新一と同じ力を持った人間が一緒に来てくれるなら心強い」

(本当に良く知っているみたい)

 と、唯は驚く。

 新一の性格を考えると、ペラペラと自分のことを話すとは思えないのだが。

(てことは、相当この人のことを信頼してるんだな)

 唯はもう一度、その男性の顔をよく見る。言葉や態度は粗暴だが、どことなく頼りになる感じがする。悪い人では無さそうだった。

 だから唯も、この男性のことを信用しようと決める。

「分かりました。案内をお願いします。あと、申し遅れましたが、私の名前は東雲唯と言います。道すがら、あなたのことも色々と教えてください」

 唯のこの言葉に、男性はニカッと笑う。

「あぁ、任せとけ。俺の名前はミヒャエル・ハルトマン。これから宜しくな、唯嬢ちゃん」


 

 迫り来る雷撃を受け止めるため、決死の覚悟で左手を掲げた新一は、突如として消失した雷撃を見て、目を瞬かせた。

(何が起こった?)

 新一は何もしたつもりはない。いや、できなかった。アニマの使えない新一では、雷撃を迎撃することはできない。避けるか、自滅覚悟で受け止めるか。二つに一つだ。

 にも関わらず、雷撃は消滅した。しかもそれは、今まで見たどんな消え方とも違う。まるで突如として力を失ったように、進むべき経路が無くなってしまったかのように、いきなり空中で霧散してしまった。

(いや、この消え方はまさか……イオン化された大気を無理やり元に戻した……のか? そんなこと……一体誰が――)


「新一……どういうこと?」


 唐突に響き渡る女性の声。

 心胆を凍えさせる程に冷え切り、そして圧倒的な怒りを内包したその声は、この場にいる全ての者に向けられている。

「……唯」

 そこに現れたのは唯だった。トライアドにいる筈の唯が何でこんなところにいるのか……そんな疑問はしかし、唯のこの怒りを前にして、瞬く間に萎んで消え去ってしまう。

「あなたたちが、やったの?」

 そして唯は、新一を取り囲むようにして立っている。二十二人に目を向ける。

「あなたたちが、新一の腕を切ったの?」

 唯が、改めてそう問う。突然の唯の乱入に、そして初めて見せられた特殊なアニマに虚をつかれた敵は、ただ息を飲むばかり。

 ただその中に、一人だけ勇敢な者がいた。いや、この場合は、単なる蛮勇と言った方が良いかもしれない。

 彼は空気を読まず、唯が発する身を凍らせるような殺気にも怯むことなく、突然の乱入者を排除するべく、雷撃を放つ。

 しかし、その雷撃はまたも突然消失する。その繰り返される不可思議な現象に目を見張る敵の前に、更なる悪夢が現出する。

「……何だ……これは」

 敵の誰かが言った。

 唯の周りに次々と現れる雷の渦を目の当たりにして、敵の戦意は完全に喪失する。

「許さない……あなたたちは、絶対に許さない」

 直後、視界が真っ白になった。唯の周りに現れた雷の渦から雷撃が四方八方に放たれ、凄まじい音と光を生み出す。それは、この場にいた二十二人全員を呑み込み、一瞬にして全てを押し流した。


「……唯」

 新一は、一人戦場に立ちすくむ唯の横顔を見る。

 もうそこには、先程までの殺気は宿っていない。視線を真っ直ぐに、目の前の惨状へと固定して、口を固く引き結んだ顔が、そこにある。

「……唯」

 新一は、一人肩を震わせる唯の横顔に触れる。すると、その視線は静かに目の前の惨状を外れ、横に立つ新一へと向かう。

「新一……」

 唯の視線が、ゆっくりと新一の身体の上を走り、そしてある一点で静止する。

「新一……その腕……」

 先程までとは一転して、泣きそうな声を出した唯が、右腕の切断部付近を撫でる。

「あぁ、どうしよう……腕が、無くなっちゃった」

 唯の目から、ついに涙が溢れる。そんな唯を、新一は残った片腕で抱きしめた。

「まったく……怒ったり泣いたり、忙しい奴だな」

「だって……だって……」

 声にならない嗚咽をあげる唯。

 新一は、肩を震わせながら泣く唯の背中を優しく撫で、その耳元で呟く。

「ありがとうな。唯のお陰で助かったよ」

「……うん」

 泣きながら、唯は軽く頷くと、新一をぎゅっと抱き締める。

 新一はされるに任せつつ、暫くは唯の背中を撫で続けていたが、やがて、『ダンッ』と背中に軽い衝撃が走り、その手を止めた。

「二枚目も大変だな」

「なんだミヒャエル。おまえもいたのか」

 いつの間にか、後ろにはミヒャエルが立っていた。そしてその手にあるのは、細長い物体。

「ご挨拶だな。気が利く俺様が、折角お前の腕を見つけて来てやったのに」

 そう言って、ミヒャエルはその細長い物体を掲げる。

「お前のことだ。どうせくっつけとけば繋がったりするんだろ?」

「ミヒャエルの中での、俺の評価が酷いな」

 新一は笑う。

「だが、あながち間違いではない。幸い、まだ斬られてからそんなに時間が経ってないからな」

 そう言って、新一は抱きしめていた唯を離す。

「唯、ちょっと治療するから手を貸してくれ」

「……グスッ……分かった」

 まだ微妙に涙は止まっていなかったが、それでも素直に新一の指示に従う。そもそも唯は、傷の手当てが上手い。どこからともなく取り出した糸と針を使って、あっという間に切断された腕を繋げてしまった。

「繋げたけど……これで大丈夫そう?」

 唯が心配そうに接合部を見る。

「あぁ。すぐにとは言わないが、多分大丈夫だ。ありがとな、唯」

「そう……良かった」

 そこで初めて、唯が笑顔になる。そんな唯に、新一はやっと気になっていたことを尋ねた。

「それより……唯は何故ここに?」

 新一の問いに、唯は「これを見せようと思って」と、ポーチの中から四角いケースを取り出し、その蓋を開けた。

 そこに並んでいたのは、中身が入った五本のバイアル。それを見て、すぐに新一は理解した。

「もしかして……できたのか?」

「一先ず、だけどね。うまく培養ができたから、新一に見てもらいたくて。臨床試験も成功したし……だから、新一にもこれ、渡しておくね」

 そう言って、唯はバイエルを一つ取り出し、注射器とセットにして新一に渡す。

「ありがとう……ところで、臨床試験が成功ってことは、やっぱり……」

「そう、さっき私が撃ったのは雷撃のアニマ。この細胞――仮にアニマ活性細胞って呼ぶけど、これを増殖させて血液内に投与すれば、その細胞数に応じた威力のアニマを発動できるようになる。すぐに死んじゃうから、持続性はないけどね」

「成程……それであの威力か……凄いな」

 思わず、新一は唸る。正直、今の唯の一撃は、アーデルハイトのそれすらも軽く凌駕していた。

「凄いでしょ? 不思議なことに、力の使い方なんかも何となく分かるんだ。どうも、空間中に遍満してる素粒子の磁場を変えるみたいでね――」

「おっと。その辺りはまた今度聞くよ」

 嬉しそうにアニマの発動原理について話し始めた唯を、新一が止める。

「それよりも、今はまだやることがある。リリアとハイジが天守の中にいるんだ。五階にある会議場を目指してる」

「リリアーヌさんとアーデルハイトさんが?」

 唯が天守を見上げる。

「そこでも戦闘が?」

「あぁ。敵の主力もそこにいるかもしれないから、すぐに助けに行かないと」

 今にも走り出そうとする新一を、しかし唯が手で制する。

「待って。新一はその怪我でしょ? それ以上の無理は許しません」

「だがそうは言っても……」

「分かってる。だから、代わりに私が行くよ。まだ少しくらいはアニマも使えるだろうし、それに……」

 唯はその場でピョンっとジャンプする。

「私なら、上層階へもひとっ飛びだしね」

 空中に浮遊する唯を見て、新一は苦笑する。

「唯……危険だから反重力シューズはあまり常用するなと前から言ってるだろ?」

 新一の言葉に、しかし唯は口を尖らせて反論する。

「私は新一と違って高所恐怖症じゃないから平気です。それに、普段から調整しておかないと、いざって時に余計危険なんだよ?」

 そして、唯は軽く空中を蹴り、更に三メートルほど上昇する。

「まぁ何にしろ、私が援軍に行くから、新一はそこで大人しくしててね」

 そんな言葉を残して、天守に向かって飛んでいく唯。その後ろ姿を見ながら、隣にいるミヒャエルはこう溢す。

「今更かもしれないが……お前の周りにいる女は、どいつもこいつも、とんでもない奴らばかりだな」

 新一も、全く同意見だった。


***


 トンッという軽い音と共に、五階に降り立った唯は、驚きで目を見開いている敵の前に立つ。

「あなたたちに個人的な恨みはないんだけど……それでも私の大切な人の敵みたいだから、ここで倒させてもらうね」

 そう言って、唯は手を上にかざす。するとその周辺には先程と同様に雷の渦がいくつも出来上がる。その初めて見る現象に、敵はもちろん、リリアーヌも、そしてアーデルハイトすらも声が出ない。ただ呆気に取られて、その渦の中を廻る雷の威力が高まっていくのを見つめるばかり。

「……ごめんなさい」

 やがて、唯が誰にも聞こえないくらいの小さい声でそう呟く。そして、掲げる手を振り下ろすため、その手に力を込めた――

 ピカッ!

 しかしその直後、圧倒的な光の奔流が彼らの周囲を包み込んだ。そしてその中から姿を見せたのは、大量の雷撃。それは、唯の横をあっという間に駆け抜けて、訳も分からず立ち尽くしていた敵を呑み込む。

「唯。おまえは、もうあまりその力を使うな」

 そして聞こえてくる、慣れ親しんだ声。驚いた唯が振り返ると、廊下の奥から一つの人影が歩いて来るのが見えた。

「新一様!」

 リリアーヌが嬉しそうにその名を呼ぶ。そこにいたのは、階下にいる筈の新一だった。

「……下で待っててって言ったよね?」

(あんなに酷い怪我で……まだ絶対安静が必要なのに)

 思わず、そう続けそうになったが、それは何とか思い留まる。新一がリリアーヌとアーデルハイトに心配を掛けたくないと思っていることを、唯は理解していた。

「悪いな。だがこれは俺の役目だし、それに……」

 新一の目がスッと細くなる。

「唯、おまえは戦闘には向いていない。さっきのことだって、本当は後悔してるんだろ?」

 言われて、唯の心臓が跳ねる。確かに、唯は後悔していた。怒りに任せて、彼らを殺してしまったことを。しかしその感情は、表に出していないつもりだった。

「だからな……唯、もう逆はない。おまえのことは俺が守る。だからもう二度と、その力を人に向けるな」

 どこまでも真剣な新一のその言葉に、唯は思わず顔を逸らす。

「……うん。分かった」

 ぶっきらぼうにそれだけ言うと、唯はクルリと新一に背中を向けて、その先に倒れている味方の兵士の所に向かう。

 今の顔を、新一に見られたくなかった。

「ふぅ……大丈夫ですか?」

 唯は軽く深呼吸をして意識を切り替えると、倒れている兵士にそう声をかける。

「……はい、何とか……」

 少し間があったが、しかし案外としっかりした声が返ってくる。幸い、この兵士は意識を失うほどの重傷ではなかったようた。

 幾分か安心した唯は、注意深く、兵士の身体の状態を調べる。どうやら、右足の大腿部に穴が空いてしまっているが、それ以外に目立った外傷はないようだった。

 唯はポーチから包帯を取り出すと、それで患部を巻く。この包帯には、新一の治癒用の生体ナノマシンほどではないにしろ、細胞活性を促す作用がある治癒薬が塗られている。時間はかかるが、この程度の穴なら、きっと塞がってくれるだろう。

 そう判断した唯は、残りの三人の様子も見に行く。

 しかし残念ながら、彼らは最初の一人よりは総じて重症だった。心臓を射抜かれて即死が一人。残り二名もどこかしらの臓器を損傷している。危険とまでは言えないが、気を抜ける状態ではなかった。

 唯が急いで、かつ慎重に彼らの応急措置をしていると、廊下の奥から、大勢の足音が聞こえてきた。

「皇女殿下! ご無事ですか!?」

 見ると、先頭を走ってくるのはミヒャエル。その後ろに、ここで倒れている兵士と同じ甲冑を着た兵士が十名ほど続いている。

「はい、私は大丈夫です」

 新一の手を取り、立ち上がったリリアーヌがそう言って微笑む。すると、ミヒャエルは露骨に安心した顔になった。

「リリアーヌ皇女殿下。この度は殿下に救われました。近衛を代表して、御礼申し上げます」

 次にそう言って頭を下げたのは、ミヒャエルの後ろにいた兵士。続いて、全ての兵士が一様に頭を下げた。

「構いません。それが私の役目ですから。寧ろ、遅くなったこと、お詫び致します」

 リリアーヌのその言葉に、兵士たちは余計に恐縮してしまったようで、更に深く頭を下げる。恐らく、自分たちの窮地を救ったリリアーヌのことが、彼らには救世主のように映っているのだろう。

 そんな兵士を少し困ったような顔を浮かべて見つめていたリリアーヌだったが、やがてサッと踵を返し、この場の全員に聞こえるように、良く響く声でこう言った。

「では……会議場内の皆さんに、戦闘が終結したことを伝えに行くと致しましょう」



 果たして、どれくらいの時間が経っただろうか。

 帝国の東側辺境に位置し、カッツェ公国からの侵攻を一手に防いでいるバルシュミーデ辺境伯の推薦議員であるコンラート・ゼーベックは、いつ終わるとも知れない戦闘の音を聞きながら、帝国の未来について、心の底から憂いていた。

 先のクーデターから三ヶ月あまり。宰相の尽力もあり、徐々にその傷跡が癒えてきた最中に起こったこの出来事は、狙いすましたようなタイミングで発生した。

(せめて、宰相閣下がもうしばらく、この地に留まってくれていれば……)

 帝国への忠誠心が薄い諸侯への威圧、そして周辺国家への示威のためという宰相の考えを、コンラートも否定するわけではなかったが、それはもう少し帝都の軍備が整ってからの方が良いのではないかと、そう考えていた。帝都の兵士が少なくなったタイミングで、また不埒なことを考える輩が絶対に出ないとは言えないのだから――

 そして今回、それが案の定、いや、想像より遥かに悪い形で現実となり、あろうことか、建国以来一度も落ちたことがないこの難攻不落な城が、今や風前の灯となっている。

(もし、本当に落城するようなことになれば、その時は帝国の終わりだ)

 帝政の要たる議員の生命すら守れず、帝城さえ奪われるような体たらくを示した帝国に、一体この先誰がついていくと言うのか。それも、満足な後継者さえいない状態で――である。

(だがそう考えると、宰相閣下がいなかったのは、逆に光明かもしれない。万が一にでも帝国が復活できるとするならば、あのお方の下でしか考えられないのだから)

 コンラートが見る限り、生き残っている帝族の中で、大人物と言えるのは、宰相だけだった。今もこうして、帝国が軍事国家としての体裁を辛うじて保っているのも、平和主義の皇帝とは別に、宰相が軍事力を増強していたからだ。

(もし私がこの場を生き残ったら……皇帝の安否に関わりなく、宰相閣下を皇帝に推すように動いた方が良いかもしれない)

 その思考は、一歩間違えれば国家反逆罪にも当たるようなものだったが、しかしコンラートは本気だった。それ程、今の状況を深く憂い、そして悶々と、思考の悪循環の中に囚われていた。

 だから、コンラートは気づくのが遅れた。いつの間にか、啜り泣きの声くらいしか聞こえていなかった会議場内が、俄に騒がしくなっていたことに。

 そして、今まで絶え間なく続いていた戦闘音が、すっかり途切れていることに。

(ついに、この時が来たか……)

 コンラートは覚悟する。戦闘が終結して尚、味方がすぐに現れない時点で、外の状況は見なくても分かる。僅かな期待――あの近衛都督が、虎の子の近衛第一連隊を率いてここを守り切ってくれるという仄かな希望は、残念ながら叶わなかったらしい。

(敵が態勢を整えてここに乱入してくるまで、もう時間は殆どあるまい……せめて、最後くらい帝国臣民らしく抵抗しよう)

 コンラートは文官だから戦闘は苦手だが、アニマが使えないことはない。上手くいけば、敵の一人くらいは雷撃の餌食にできるかもしれない。

 そう考えたコンラートは、両手にアニマを集中させる。二十秒ほどの時間をかけて、やっと二発の雷撃の発射準備が整ったところで、ついに、会議場の扉が開いた。

(今だ!)

 まさに、絶好のタイミングだった。折よく完成していた雷撃が、コンラートの意思に従ってその手を離れ、前方へと飛んでいく。

 そして、同じように扉に向かって飛んでいく、十を超える雷撃の束。

 それは、コンラートと同じことを考えた議員が放った、雷撃の一斉砲火だった。

(敵に屈しない者が、まだこれだけ残っていたか!)

 想像以上に多くの同志がこの場に残っていたことに、コンラートは何とも言えない感動を覚えた。

(これならば……これだけの意志が引き継がれるならば、まだ帝国は立ち直れるかもしれない)

 最後の最後に、多くの同志の存在を知って、不思議なほど満ち足りた気持ちになったコンラートは、敵に向かって飛翔する雷撃を見守る。せめて、何人を道連れにしたのかくらいは知ってから、あの世に旅立とうと思ったからだ。

 しかし――その願いは実現しなかった。彼の願いを乗せた雷撃が、敵に届くことはなかった。

(……そんな……馬鹿な……)

 雷撃が消失していく。

 受け止められた訳ではない。まるで何かに吸収されてしまったかのように、まるで見えない壁に阻まれてしまったかのように、すべての雷撃が消えていく。

 そしてその雷撃の残滓の中から、一人の人間が姿を見せた。その姿を見て、コンラートは再び驚く。そこに現れたのは、女性――しかも神々しいほどに美しい人だったからだ。

「皆さん、ご安心ください」

 そして、その女性が口を開く。とても不思議な響きを持ったその声は、決して声を張っているわけではないのに、広い会議場内の隅々まで届いた。

 誰もが、口を閉じ、その女性に注目する。

「侵入者はすべて撃退いたしました。もう、あなた方に危害を加える者はおりません」

 その言葉の意味を理解するのに、数秒を要した。

(つまり……この女性は敵ではなく、むしろ我々を助けに来てくれた……と?)


「もしや……リリアーヌ皇女殿下ですか?」


 その時、入り口付近にいた議員が驚くべき事を口にする。

(リリアーヌ……皇女殿下だと?)

 コンラートは、その人物の顔を見たことがない。しかし、当然名前は知っている。何と言っても、彼女は今日の議題の中心人物。帝都から遠く離れた場所で情けなく立ち往生している、頼りにならない帝族の一人。

(それが何故、この場所に?)

 混乱したのは、コンラートだけではないようだった。会議場内のあちこちから、喧騒が湧き上がる。それは、助かったかもしれないという安心感が触媒となり、瞬く間に部屋中に広がった。

「……静かに」

 しかし、次の瞬間響き渡った声が、それらの雑音を一掃する。

「本当に……リリアか?」

 その声は、現皇帝のもの。今の今まで一言も喋らず玉座に座っていた、フェリクス・ジ・アジルバートが立ち上がっていた。

「はい、お父様。リリアーヌ・フォン・アジルバート、只今、帰参致しました」

 リリアーヌは優雅にその場で膝を折り、皇帝に頭を下げる。

「おぉ、リリアよ。もう来ないかと思っておった……其方の帰参、心より嬉しく思う」

 皇帝はそう言って、嬉しそうに顔を綻ばせる。

 リリアーヌはそんな皇帝に一度微笑みかけると、すぐに視線を周りにいる議員たちへと移した。

「皆さん、一先ず帰参の手土産に、この帝城を犯していた不埒な襲撃者は鎮圧いたしました。これより、ここにいる近衛であなた方を宿舎まで誘導いたしますので、お従い下さい」

 堂々たる態度でそう述べるリリアーヌ。コンラートはその指示に従おうと、言われた通りに腰を上げ……そして驚愕した。

(近衛に案内……だと?)

 近衛は皇帝の親兵だ。その指揮権は皇帝のみが有する。他の人間の指揮下に入ることなどあり得ない。

 コンラートは思わず周囲を見渡す。彼の目に移ったのは、彼女の言葉に従って入口へと歩き出す、議員たちの姿だった。幾人かはコンラートと同じように立ちすくんでいるが、その多くは素直に彼女の言うことに従っている。

(ちょっと待て……この場には、皇帝陛下もいらっしゃるんだぞ?)

 いくら権威が失墜しているとは言え、皇帝は皇帝だ。その権力は他を超越する。にも関わらず、この場を支配しているのは、どう考えても、リリアーヌだった。

(今の今まで、皇位継承権すら剥奪しようとして相手に、こうもあっさり……)

 いくらなんでも、信じられなかった。

 確かに、先程見せられた力は想像の埒外のものだった。この事態の最中に、近衛を引き連れてこの部屋に入ってきた時点で、外の戦闘を終結させたという言葉も本当なのだろう。

 文句なしの武力。皇帝に相応しいだけの実行力と胆力。嫌と言うほど、それは分かった。

 だがしかし、それにしてもこれは異常だった。そしてその異常事態の真の原因に思い至った時、コンラートの身体に電流が流れた。

(本能が……無意識で……認識したのか? 彼女が、自らの主であると……)

 だとすれば、それはカリスマなどという生優しいレベルの話ではない。ほとんど洗脳に近い類の何か。それほどの何かが、この皇女にはある。

 目を見張るコンラートの目の前で、リリアーヌは議員の誘導を近衛に任せると、自らは会議場の中心――皇帝の玉座へと向かう。

「お父様、お手を」

 そう言って、玉座に座る皇帝に差を差し伸べる。

「おぅ……リリアよ」

 感極まった面持ちの皇帝がその手を取り、立ち上がる。そんな皇帝に、リリアーヌは付き添うようにして歩く。その姿は紛れもなく、親と子。皇帝と、その後継者。


(……決まった)

 コンラートは目を細める。

(今……今日、この時をもって、次期皇帝は決まった。もうこれが、動くことはあるまい)

 劇的だった。

 まるで、戯曲の中の一幕のようだと、コンラートは感じた。

 実は知らないうちに、良くできた戯曲の中に迷い込み、強制的にその端役の一人として組み込まれてしまったのではないか――そんな奇妙な錯覚すら覚える。

 今回の襲撃自体が、まるでこの瞬間を現出させるためだけに整えられた、壮大な舞台装置のようだ――そんな馬鹿げた妄想すら頭に浮かぶ。

(だが……それでも……)

 コンラートは前を往く王の姿を眺める。

(帝国は……)

 前を往く、新しい王の横顔を眺める。

(帝国は……救われたのかもしれない)

 王の後に続いて、コンラートも歩き始めた。

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