終章

 目覚まし時計の音で、私は目を覚ましました。

 殺風景な自室。服装もパジャマでした。

 私はベッドの上で身体を起こしました。冴えない頭で思考します。これは漫画やアニメで見覚えのある展開でした。一部のギャグ漫画でしか許されない、物語の禁じ手と呼ばれているオチではありませんか?

「……まさかの夢オチですか?」

 私は独りごちました。

 あれは本当に夢だったのでしょうか?

 記憶はあります。夢にしては鮮明なくらい残っています。

 ユウさんのオフ会に参加して、誰もいない寂しい世界で心細くなって、よくわからないまま鬼ごっこをして、二人で旅に出ることになって、ユウさんといい雰囲気の学園生活を送りました。しかし私がその世界を否定すると、なんだか意識がぼんやりとしてきて現在の状況に至るわけです。

 現実的に判断すれば夢以外に考えられません。孤独な世界とか人が消えたりとか光の欠片が降り注いだりとか幻想的すぎます。それにユウさんが理想的な美男子だったというのも都合が良すぎです。本当にすべては想像上の出来事だったのでしょうか?

 予感めいたものを感じながら、私はパソコンを立ち上げて「鬼語」にアクセスします。画面には虚しくエラーと表示されました。タイミングが悪かった可能性もあるので、何度か更新ボタンを押したのですが結果は変わりません。

「……困りました」

 私はパソコンの前で途方に暮れました。ついに中二病をこじらせて、とてもリアルな妄想をしてしまうようになったのでしょうか? だとしたら、いろいろと末期です。

 ユウさんは私が生み出した想像上の人物または団体だったのでしょうか?

 私の中に隠された別人格がホームページを作ったりしていたのでしょうか?

 もしかすると霧島さんさえ架空のクラスメイトだったのかもしれません。不安になって部屋を見回すと、Yシャツとカーディガンがハンガーに掛かっていました。フリフリのミニスカートもその下に置いてあります。

 これで少なくとも霧島さんの実在する可能性が高まりました。ふらふらと立ち上がって私は壁まで歩いていきます。Yシャツを手に取ると湿った感触がありました。

 これは私の汗なのでしょうか?

 それとも?


 リビングで母と出くわしました。朝食の準備が終わったところのようです。

「あら、いつの間に帰ってたの?」

「いつの間にか帰っていたのです」

 正直に答えると、母は怪訝そうな表情を浮かべて私の朝食を用意してくれました。どうやら今日は和食のようです。食卓には新聞を手に気難しい顔をしている父の姿もありました。私は父の対面の席に腰を下ろします。烏龍茶を一口飲んでから焼き魚に箸をつけました。新聞を読みながらこちらの様子をうかがっていた父と目が合います。わざとらしい咳払いをして父は新聞に視線を戻しました。

「里依紗、ちょっと座りなさい」

「がっつり座っています」

「間違えた。少し話を聞いてくれないか?」

「あ、はい」

 朝一から父と会話を交わすのは珍しいことです。私は食事を休めて耳を傾けました。

「まあ、その、なんだ」

 こほんと咳をして父は語り始めました。

「里依紗は感受性が豊かというか、ちょっと考えすぎるところがあるからな。もうちょっと肩の力を抜いて、友だち付き合いをしてもいいと思うわけだ」

 それから父は懐かしそうに私の想い出を聞かせてくれました。仕事が忙しくて私なんかに興味がないと思っていたのですが、私より鮮明に昔の出来事を憶えていることに驚かされます。きっと父にも知らぬ間に心配をかけていたのでしょう。

「だからな、友達を大切にするんだぞ」

 私は無言のまま首肯しました。顔を上げることはできません。

 朝食まで塩味になってしまいました。塩分の摂取量が気になるところです。

 しばらくして私は朝食を食べ終えました。自室へ戻ろうと席を立ちます。

「ご馳走様でした」

 そこで私は素晴らしい提案を思いつきました。様子に気付いた母が首を傾げます。

「どうかしたの?」

 ここで黙り込んではいけません。私は大きく深呼吸をして告げました。

「今度、友だちを連れて来てもいいですか?」

「ああ、もちろん」

 両親は声を合わせて承諾してくれました。私は手短に支度を済ませて学校へ向かいます。もちろん私の気持ちとは裏腹にバスは定刻にしか来ませんでした。


 教室に着くと、私は霧島さんの席を目指しました。善は急げです。

「おはようございます、霧島さん」

「あっ、おはよう」

 挨拶もそこそこに霧島さんは前傾姿勢で好奇の目を向けてきました。

「昨日の初勝負はどうだったの? 勝負服は役に立った? ねえ、ねえ、ねえ!」

「ちょ、ちょっと落ち着いてください」

 私は荒ぶる霧島さんを制しました。昨日とは少し雰囲気が違うような気がします。ちょっとの勇気さえあれば、私たちはきっといい友だちになれるはずなのです。

「その話はプライベートなので、ここでは話したくありません」

「ぶぶぶぶぶーっ! ぶぶぶぶぶーっ! ぶぶぶぶぶーっ!」

「ブブゼラか!」

 反射的に突っ込むと、霧島さんは愉快そうに否定の動作を表しました。

 プライベートを聞くことは、他者を受け容れるということです。簡単なようなで簡単ではありません。霧島さんは怯えているのかもしれません。私だってそうです。しかしずっと怯えていたら世界は閉ざされたままでしょう。

 そんな世界は、もう卒業です。

 人間は格好悪くても誰かに頼ったり頼られたりしなければ生きていけません。

 私はちょっと勉強ができるだけの、卑屈で妄想癖があって友だちの少ない、両親に心配をかけまくりな人間です。それに気づいたら、あとは一歩前に進めばいいだけです。

「霧島さん。だから、その、プライベートな話はプライベートな場所で話しませんか?」

「どういう意味かしら?」

「要約すると『私の家で語り明かしませんか?』という意味になります」

「……えっ?」

 次の瞬間。

「え――――――――――っ!」

 まるでブレイクダンスしている雪男を発見したような驚き具合でした。霧島さんは私を見つめて来ます。未確認生物と間違えられたくらいでは私は動じません。

「私の家に霧島さんを友だちとして招待したいのです」

「友だち? 私が?」

「はい」

「……友だち……」

 呟きながら霧島さんは顔を伏せました。友だち。青臭い響きのある言葉ですが、口にしてみると案外いいものです。私は怒涛の波状攻撃を仕掛けました。

「霧島さん、友だちになりましょう」

「そうね」

 霧島さんは首を縦に振りました。やや照れた表情で続けます。

「じゃあ、雨宮さんのこと里依紗って呼んでいいかしら?」

「え? はい、もちろんいいです」

 里依紗なんて親以外から呼ばれたのは久しぶりかもしれません。

「私は霧島さんのことをなんて呼べばいいですか?」

「うーん、別に霧島のままでいいわ」

「それは不公平です」

 私はきっぱりと告げました。拒否できる強い精神を手に入れたのです。

「残念ながら私は霧島さんの名前を知らないので教えてください」

 調べればすぐわかることですが、ここで不穏な行動を取る必要はないでしょう。目の前にいる本人から直接聞けば済むことです。霧島さんは恥ずかしそうに答えてくれました。。

「笑わないでね。中華の華に東西南北の南で華南よ」

「カナじゃなくてカナンなのですか?」

 霧島華南。

「なんか芸名みたいで苦手だわ」

 霧島さんは深い溜め息を漏らしました。私は格好いい名前だと思います。

「華南。これで大丈夫でしょうか?」

「そうね。ところで里依紗、本当に家へ遊びに行っていいの?」

「全然問題ありません。きっと両親も大喜びするはずです」

「あらそう」

 心なしか華南さんの表情が緩みました。長いツン期を終えてデレ期が到来したのかもしれません。私は小躍りしたい気分をなんとか抑制しました。

「なにか必要な物はあるかしら?」

「手ぶらでいいと思いますよ」

「菓子折りとか果物の籠盛りとかいらないかしら?」

「必要ありません。帰りに私たち用のお菓子や飲み物を買うくらいじゃないですか?」

「そうね、そういうものかもしれないわ」

 どうも落ち着かない様子の華南でした。友だちの家を訪問したことがないのかもしれません。つまり初体験なのでしょう。意識すると私も照れ臭くなります。

「…………」

「…………」

 示し合わせたわけでもないのに、私と華南はしばらく無言で見つめ合いました。

「抱き合うところかしら?」

「違います」

 こういった会話も、仲のいい友だちみたいで素敵です。いえ、みたいじゃなくてもう友だちなのでしょう。勇気を持って一歩踏み出せば、いろいろな変化が起こるのです。たまには喧嘩もしながら、私たちはより友だちらしい関係を築いていくことでしょう。

「悪くないですね」

「なにが?」

 私の漏らした言葉に華南が反応します。思ったことを全部は伝えられないので「友だちって悪くないですね」と要約することにしました。

「里依紗は恥ずかしいことを平気で口にするのね」

「そ、そうでしょうか?」

 改めて指摘されると恥ずかしいです。それでも後悔はありません。

 人は独りでは生きていけません。

 家族も友人も顔を見たことすらない人々でさえも、きっと私が私であるために必要な存在なのでしょう。そんな当たり前で大切なことをユウさんは教えてくれました。

 今ここにいないことは残念ですが、きっと新しい旅に出発しているのでしょう。

 そんなことを考えてると、華南はぽんっと手を叩きました。

「あ、そうそう。忘れていたわ」

「なにを忘れていたのですか?」

「これよ、これ」

 そう言って、華南は一枚の用紙を差し出して来ました。軽音部の入部届です。

 正直、わけがわかりません。私は入部届を突き返しながら説明を求めました。

「これがどうかしたのですか?」

「一緒に頑張りましょう」

 無茶ぶりでした。軽音を軽い音楽と侮ってはいけません。

「……楽器なんて扱えませんよ?」

「モノサシストがなにを言っているのかしら?」

 嫌な予感がします。華南は軽音の意味を間違って認識しているおそれがあります。

「朝のうちに部員募集ポスターを掲示板に貼って置いたわ。醤油ちゅるちゅるギターと日用品ドラムが早急に見つかるといいわね」

 認識を間違えているわけではありませんでした。本気で日用品バンドを結成するつもりみたいです。果たして学校側は認めてくれるのでしょうか?

「許可は取ったのですか?」

「部員さえ集めれば軽音部の発足を認めてくれるらしいわ」

 その「軽音」の意味を巡って双方で齟齬が生じていないことを願うばかりです。

 とはいえ、なにかを始めるのは大賛成です。ここから新たな物語が始まるのです。

 新しい世界で、新しい出会いがあるかもしれません。

 私は入部希望欄に名前を書き込みました。

「それじゃあ、今日の放課後から部室で練習しましょう。それに少なくても午後四時までは入部希望者が来るかもしれないから部室を空けられないのよ」

「部活を立ち上げるのも大変なのですね」

「まあ、そうね。とりあえず入部届は部長である私が預かっておくわ」

 入部届を受け取ると、華南は悪巧みが成功したような笑みを浮かべました。

「これで最低部員数を達成したわ。これより軽音部は正式な部に昇格よ」

「え?」

 私は驚きを隠せませんでした。たしか部の立ち上げには三名の部員が必要です。ということは、すでにもう一名確保していることになります。この流れには期待感を抱かざるを得ません。

「ほかにも入部希望者がいるのですか?」

「まあね」

 いいです。いい感じです。鼓動が高鳴ってきました。

「あと一人は誰なのですか?」

「インターネットで知り合った仲だから詳しくは知らないんだけど、こっちに引っ越してくるみたいだったから、なんとなく『ほかに興味のある高校がなかったらうちへ転校してきたら?』と社交辞令で伝えた人がいるのよ」

「その人が入部希望者なのですね?」

「ええ、そうよ」

「ひゃっほい!」

 急にテンションの上がった私に華南は少し引いていました。しかしそんな些細なことは気にしていられません。私に必要なのは転校生の情報です。

「男の人ですか?」

「……里依紗ってそういうキャラだったかしら?」

 困惑する華南でした。私は構わずに詰問します。

「どっちですか?」

「男子よ」

「イエス! イエス! イエス!」

 私はスーパーハイテンションになりました。

「あのっ! どんな人か詳しく教えてください!」

「だから詳しくは知らないと言ったでしょう?」

「些細な情報でもいいのです! とにかく知っていることを全部教えてください!」

 華南は私の勢いに気圧されていました。しぶしぶといった感じで前置きをします。

「サイトの管理人紹介であるような、好きな本、好きな映画、好きな音楽みたいなことしか知らないわよ? でもまあ、ホースホルンの使い手であることは確かね」

 華南は記憶の引き出しに残された自己紹介の項目を語ってくれました。

 好きなものが私と一致しています。完全に被っていると言っても過言ではありません。

 これから私の新しい物語が始まります。そのための一歩を踏み出しました。

 日用品で音を奏でる軽い部活に入部したのです。そこで私はあの人と再会することになるかもしれません。窓から風が舞い込んできたので、私の意識はそちらへ向かいました。

 教室の外には蒼穹が広がっていました。

 雲一つない青空です。鬼語で描かれていたイラストは青鬼でした。

「華南、何気に占いとか好きですよね?」

「まあ、そうね」

「今日の私のラッキーカラーは何色でしょうか?」

「たしか青だったわ」

 即答する華南でした。おそらく私の結果も調べてくれていたのでしょう。

 ラッキカラーはブルー。いくらなんでも出来過ぎでしょう。

 残された問題はあと一つです。私は大きく深呼吸してから質問を投げかけました。

「部活内の恋愛はありでしょうか?」

 華南は訝しげな顔で私を見ました。その気持ちはわからなくもありません。

「特に禁止する予定はないわ」

 雨宮里依紗の青春は、恋に部活に忙しいことになりそうです。

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