「表現の自由」をテーマにした鋭い評論。
「みんなが自由」ということは、自分のやりたいことが出来る反面、反対意見を持つ人と会ったり、批判を受けたりするケースは当然ありうるのだが、
なぜか自分に関しては手厚く守られているべきだという意識を持つ人がいる。
この評論を読んで思ったことがある。
長編作品の中で辛い展開があったりすると「創作にまで現実世界を持ち出すな」という意見のもと、読むのを打ち切ったり、評価を取り下げたりするといった流れがあった。
現実で既に辛い目に遭っていて、創作では「やさしいせかい」を求めているのに、これ以上辛い目に遭わせないでくれと。
上記は読者目線の話であるが、作者(表現者)目線でも同じことが起こっているのではないかと思った。
それがこのレビューのタイトルである。
創作とは現実の自分が持つ感性、イメージを表現するための場なのか。
それとも、創作を通じて、現実の自分と独立した第二の自分を作りたいのか。
もしも後者だとするなら、創作界隈に「やさしいせかい」を求めているのかもしれない。
現代は良くも悪くもすべてがごちゃごちゃだ。
荒らしにも等しい罵詈雑言が、下手すればファンよりもよっぽど深く読み解かれている批評と同列に置かれている。
目的も経験値もまったくバラバラな人達が同じ場にいる。
どうあるべきなのか。それを問いただす評論だった。