最終話
その疑問はしばらく付きまとったが、いつの日か忘れて20年が経過した。この頃僕の肉体は41歳を迎えていた。彼女も同様だ。
すでに教授の救出も坂口さんの指の治療も終え、自衛隊の下タイムマシン研究の仕事をするだけの日々を送っている。
ある日のこと、僕はしばらくぶりに実家を訪れた。家財を整理するというので、手伝いに来たのだ。まずは本を捨てるか持ち帰るか決めてほしいとのことで、それらの詰まったいくつかの段ボール箱を渡された。そこには児童向け漫画から大学の参考書まで、様々なものが詰まっていた。懐かしいと感じつつも、ほとんどの物は要らないのでビニール紐でまとめていく。
そんな時、あるものを見つけた。大学受験で使った過去問だ。思えばあの頃は大変だった。タイムマシンの研究に関わるために、死に者狂いで勉強していたのだから。
手で埃を掃い、中を開く。流石に本業なだけあって理系科目は簡単に解けそうだったが、文系科目は厳しそうだった。今受けたら落ちるかもしれない。いや、逆にあの時が幸運だったのだ。冷静に考えて、高校生の頃あれだけ怠惰だった僕が名門大学に受かるはずがない。
そんなことを思いながら、なんとなく本を裏返した。すると、マジックで何やら書いてあることに気付く。掠れてよく見えないが、名前だろうか。でも僕はこんなものにわざわざ名前を書くほど几帳面ではない。となると、これは……。
僕は眼を凝らして、その文字をなぞる。安留……和葉……?
『安留 和葉』読み取れたその名前に心当たりはなく、首をかしげる。だが少しして、思い出した。高校3年生の時、模試で過去問を取り違えたのだった。つまり今ここに残っているのは、見ず知らずの他人のものというわけだ。
……ん?
そこまで考えて、僕はまた新たな壁に衝突する。確かその時は、一年古いものを掴まされたはずだ。しかしこの表紙にはハッキリと『2020年度用』と書かれている。僕が受験したのはこの歳で合っているはずだが。
そして、気付く。約20年前、僕はカンニングをしたのだと。
それに連想して浮かんだ可能性を確かめるべく、僕は本の整理を投げ出して洗面所に走る。
「どうしたの、急にドタドタと」という母の声を無視して、鏡に映る自分の顔を見る。
……似ている。似ているのだ。20年前、僕にタイムマシンの話を持ち掛け、僕が受ける年の問題が入った過去問をプレゼントしてきたあの教師に。
白いメッシュの入った髪、左手に残る火傷跡を隠すための手袋。もう少し髪を伸ばして眼鏡をかければ、僕は彼そっくりになる。
試しに声も録音して聞いてみると、その声は彼とそっくりだった。そして、それは自分を殺そうとした時にかかってきた電話とも一致していた。
思えばあの日、千尋の到着が1秒でも遅れていたら、あるいは僕の行動が1秒でも早く行われていたら、僕は教室のドアを開け放って過去の自分を殺していた。
そんな僕を止めるために、止めさせるために、わずか数秒の乱数調整を未来の僕が行ったのだろう。
すぐにそのことを報告すると、自衛隊はすぐに支援体制を整えてくれた。というより、彼らはもう知っていた。この作戦は20年前、その頃の僕や千尋にバレないように進行していたのだと言う。
もっとも、彼らがその準備を出来た理由の起点には今の僕がいるのだが。
そんなことを通じて3日後、僕は準備を整えて基地に入った。これから教師として1年間、2020年へ出張に行くことになる。
「それじゃあ、気を付けて行って来てね。1年間こっちのことは任せて頂戴」
見送りに来た千尋が、胸を張って言う。
「タイムマシンで行くんだから、千尋まで1年を感じることはないよ。10分後には帰ってくるさ」
過去への出張というものは、通常の出張とは異なる。出張期間が1年だとすれば、行く側の人間はその期間を体感するが、帰るときに時間を操作して10分後に到着してしまえば、置いていかれる側はその期間を感じることはない。
だが彼女は、その申し出を断った。
「今までずっと同い年で来たのに、1年とはいえ、今さら年齢差ができるのは関係が対等ではなくなるような気がして嫌だ」とのことらしい。
「……なるほどね」
そんな惚気とも取れる発言を多くの関係者がいる中でされるのは恥ずかしく、僕は小声でそう答えることしかできなかった。
逃げるようにマシンに乗り込み、席に着く。このマシンは2人まで乗れるが、過去に送る人員は最小限にされているため僕以外の乗員はいない。
乗り心地は……正直あまり良くない。軍用仕様になっているため座席のクッションは綿のヘタった座布団の様に硬く、揺れも音もひどい。坂口さんのマシンが恋しい。こんなことなら、設計段階で何か理由を付けて乗り心地をよくしておけばよかった。…………予算が降りないか。
それでも間違いなく改良はされていて、20年という長い時間にも関わらず1時間程度で到着した。
「湯川さん、長旅お疲れ様です」
到着を知らせるベルが鳴ると、外からドアが開かれ、礼服を来た体格のいい男性に出迎えられた。彼は野口という名前で、20年後にはかなりの高官になっている。
「おお、流石にお若いですね。ご無沙汰……ではなく、はじめましてと言うべきですね」
「ええ、今の僕にとってはそうですからね。よろしくお願いします。あと、敬語はやめてください。貴方の方が歳も階級も上なのですから」
握手を求めて言うと、彼はそれに応じつつ困り顔をした。
「未来では貴方がどちらも上ですよ」
「おお、それは喜ばしい限りです。私のポストはなんです?」
「それはご自分の人生で」
「ええ、言われずともそうさせていただくつもりです」
冗談はそこそこにして場所を移動し、本題に移る。そこで偽の身分証や教員免許状、そして最も重要と言える、1年後の過去問を渡された。
そして僕は2020年の4月から、母校の物理講師に着任した。
高校生に勉強を教えることなどできるのかと不安だったが、やってみるとそこまで難しいことではなかった。大体、僕の本業はタイムマシンの研究者、物理学者だ。
高校の物理など簡単にやれるし、わからないところはない。授業が生徒にとってわかりやすいかどうかは、また別の話だが。
その日々は思いのほか早く進み、あっという間に半年が経過した。10月13日を迎え、一時限目に僕はいつもの様に授業を行う。ただまるっきりいつも通りというわけではなく、意図的に早く切り上げて、授業時間を15分ほど余らせた。
自習にする旨を伝え、教卓の前、教壇に置いた椅子に座って生徒たちを眺める。ある生徒は難しい顔をして教科書を眺め、またある生徒はノートに何かを熱心に書き込んでいる。
そんな中僕だけは頬杖を突いて、ぼうっと窓の外を見ていた。今の彼は、自分がこれから難関大学を目指し、そこに合格することになるなんて想像もしないだろう。
ふと時計に眼をやると、千尋の飛ぶ時間が迫っていることに気付く。そろそろかと、僕は教壇に手をついて立ち上がった。
周囲を見渡して確認すると、誰一人として僕の行動に興味を示していない。あるいは、気付いていないのかもしれない。
そんな中僕は深呼吸をしてから、声を発した。
「皆さんは、時間を遡ることが出来たら、何がしたいですか?」
僕は君のために時を、時は僕のために君を 葉式徹 @cordite
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