第55話

 そこにいたのは、斎藤だった。なぜ死んだはずの彼女がここにいるのかわからず、僕は混乱する。

 それを他所に彼女は駆けだして、 僕に思い切り飛びついてきた。金槌を持った僕を止めるためにしたのかと思ったが、すぐにそうではないことに気付く。彼女は僕に抱き着いていたのだから。

 ますます、何が何なのかわからなくなる。死んだはずの友人が何故か生きていて、僕と同じく過去に来ている。そして酒井が飛び降りたと同時に現れて、僕に抱き着いている。

 だがそんな時、僕が今包まれているこの感覚に気付く。視覚か触覚か、あるいは嗅覚か。どの部分で感じているのかはわからない。でも間違いなく何かを感じている。ひどく安心するような、幸せを感じる感覚だ。


「酒井……なのか?」


 9割の確信と1割の疑念を込めて、そう訊ねる。すると彼女は顔を胸元にうずめたまま、もぞもぞと首を二度振ってみせた。

 一見すると、それは信じられないことだった。でも僕は疑うどころか、ひどく納得した。むしろ、なぜ今まで気が付かなかったのかとさえ思った。

 この2年半、僕は何度か彼女に惚れそうになった。そのたびに『僕には酒井がいる』と振り払ってきたが、考えてみればそれは当然のことだったのだ。眼の前にいたのは、ずっと想い続けていた彼女だったのだから。


 僕は彼女の背中と頭に手を回し、強く抱き寄せた。冷たくなっていた心臓は熱を取り戻し、悲しみにくれていた心は、喜びや幸せと言った前向きな感情で満たされていく。今の僕に、教室の僕の心は届かない。



「顔とか背とか、色々変わっちゃったけどまだ好きでいてくれる?」

 生徒に見つからないよう屋上に移動した時、彼女が言った。

「当然だよ。僕が惚れたのは見た目だとかそういうものじゃない。逆に、酒井は僕をまだ好きでいてくれるの?」

「3年も一緒にいて気付いてくれなかったしなぁ~。もうやることも終わってこの外見はモテるし…………他の人に乗り換えちゃおうかな?」

 そう訊き返すと彼女は口角を上げて眼を泳がせ、冗談めかして答える。

「千尋を失って、眼の前が見えなくなっていたんだ。なんとか許してもらえないかな」

「あ、名前!これまで絶対にそう呼んでくれなかったのに!どうして?」

「先送りにしているといついなくなるとも限らないからね。それに……五十嶺に怒られたんだ」

 テンションを高くした彼女に、そう説明する。もう奥手に行くのはやめようと思ったのだ。うかうかしていると、いついなくなってしまうとも限らないから。

「……許す。大体、気付かないのは最初から決まっていたことだしね。今後離れないでいてくれたらいいよ」

 彼女はそう言って僕の腕を抱き、頭を肩にもたげてきた。2年半ぶりにする『恋人らしいこと』のひとつらしい。


「気になったんだけど、斎藤ひかりっていう人物は実在するの?高校生の頃から知っていたみたいだけど」

「するよ。大学も見た目も違うけどね。私が借りたのは名前だけ」

「もしかしてだけど、彼女にも五十嶺と同じような内容の手紙を送った?」

「うん、送った。内容は少し違うけどね」

「え。それじゃあ、彼女の中で僕は親友の仇になっているんじゃ……」

「そうなるね」

 彼女はさも当然というように答える。まったくひどい話だ。面識のない他人とは言え、少しは僕の名誉も考えてほしい。

 だが文句を言おうとしたとき、言葉に詰まった。考えてみると、僕が助けようなどと思わなければ彼女はこんなことせずに済んだのだった。…………僕が撒いた種なのに、彼女を責めるのも酷だろう。

「まぁ、いいか」

「あら、ずいぶん物分かりのいいことで」

 彼女は意外とでもいうように答える。

「僕の撒いた種だしね」

「そう?私が飛びおりたせいかもよ?」

「飛び降りは僕のせいだろう」

「卵と鶏だね」

「間違いない」



 それから生徒が帰宅するまで、彼女と屋上で過ごした。

 飛び降りの後彼女に起きたことを聞いたり、彼女のいない生活が如何に色のないものだったかを話したりした。

 でもどの話よりも楽しかったのは、高校での思い出話だった。卒業式の日は彼女を失った悲しみからさっさと帰ってしまったので、ロクにできていなかったのだ。

 なるべく長い時間学校に居座って居座って、最後に別れを悲しみながら帰る。それは、僕がしてみたかったことだった。

 欲を言えばここに雄大も呼びたかったが、あいにく、彼はまだ高校生だ。彼と会うのは未来に戻ってからにしよう。


 その後、僕は彼女が拠点にしているという場所に案内された。驚いたことに、そこは自衛隊の施設だった。聞くところによると、彼らにタイムマシンを供与することを条件に、警察の捜査の偽装、新しい戸籍の発行、救急隊の手配などといった協力を取り付けたらしい。


「やぁ。体感としては半年ぶりくらいかな?」

 そこの休憩室のような場所に通された時、椅子に腰かけた坂口さんに話しかけられた。彼までグルだったのかと、少し驚く。

「貴方まで僕をだましていたんですか」

 若干頭にも来たので、軽く怒りを込めて言う。

「まぁまぁ。そう怒らないでよ。もうこれで全部だからさ。水野も加藤も、笹近もグルじゃない。それに、僕だって彼女に巻き込まれたんだよ?」

「……どういうこと?」

 彼が千尋のことを指したので、僕は彼女の方を向く。すると彼女は私もわからない、とばかりに肩をすくめた。

「私も知らないの。話を聞く限りだと、もう少し歳をとった私が未来の医療を携えてやってきて、坂口さんを引き込んだみたい」

「医療?」

「これだよ」

 そう訊くと、彼は僕の前に手を出した。

「……?何もおかしい所は……あ」そこまで口にして、僕は気付く。彼は事故で指を失ったと言っていた。なのに、彼の手にはすべての指が揃っている。切断された指をくっつけることは出来ても、完全に失った指を元に戻すことはできないはずだ。

 となると、これは未来の技術か。


「未来にまで仕事があるなんて大変だね……」

「もちろん二人にも手伝ってもらうよ?まずは私がここに来るためのタイムマシンの製造でしょ?次に教授たちの救出、それに自衛隊さんへの協力も……」

 彼女への同情を込めつつ言った僕に畳みかけるように、彼女はこれからすることを列挙した。わかってはいたことだが、僕にもまだまだやるべきことがあるようだ。

「まだまだ大変そうですね」

「間違いない。まぁ、気長にやろうか」

 酒井に気付かれないよう小声で坂口さんに言うと、彼はけだるそうに答えた。



 とりあえず今日することはないらしく、泊めてもらえるという部屋に案内された。色々とあって疲れていた僕はベッドに飛び込んで、これまでのことを思い返す。するとこれまでのある種不可解なできごとはすべて、未来の僕と千尋の存在、タイムマシンの存在で説明できることに気が付いた。


…………いや、すべてではない。あとひとつ、ひとつだけ、ピースがはまらない部分があった。それは今日、僕に電話をかけてきた男だ。

 ベッドから起き上がり、千尋に電話で訊いてみる。しかし彼女は知らないという。

 なら彼は一体何者なのか。口ぶりからして、タイムマシンに従事する人間なのは間違いがない。

 でもあの声は教授のものでも、一番歳の近そうな庄司さんのものでもなかった。そうなるとまた別の未来人……ということになるのだろうか。

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