最終章

第54話

 髪を染めなおした。今度は、元の黒色に白いメッシュを一本入れただけのシンプルなものだ。

 そもそも、以前の明るすぎるブラウンは『私』には合わない。私にふさわしいのは黒のはずなんだ。きっと彼もそれを望んでいるから。



 今から3年前、高校3年生の10月。私は自殺した。正確には未遂だが、成功したということになっている。

 自殺の原因は……親友の死だ。そうしておかなければならない。でないときっと彼は、湯川成章は責任を感じてしまうから。

 ベッドで眼を覚ました私は、綺麗な女性に話しかけられた。モデルのように細い体躯に、目尻が上がっていながらも温かい印象を持たせる眼をした人だ。女性があこがれる女性でありながら、男性ウケも良さそうだな、と思ったのを覚えている。


 そして、私は伝えられた。その女性が『私』であることと、未来に即した行動をしなければならないことを。不思議と、すぐに納得できた。既に未来の彼と会っていたから、未来の自分と会うこともあるだろうなと思ったのだ。

 『未来は変えられない』という事実にも、すでに辿り着いていた。


 その後私は自殺未遂で傷の残った顔を手術して、今の私になった。身長も、骨折等の影響で7㎝近く伸びた。顔を変え、背丈を変え、性格も変えた。すべては私がやるべき責務のためだ。

 友達の名前を借りて大学に入学し、元彼氏のそばで一緒に研究をした。正直、寂しかった。私は彼の恋人のはずなのに、友達としての振る舞いをしなくてはならず、一緒にいても恋人らしいことをできないのだから。

 寂しさに耐えきれず告白してしまったことは反省している。あれでもし成功していたら、過去が変わってしまうところだった。いや、変わることはないから成功しなかったのか。

 その一方で、嬉しい面もあった。正直、『斎藤ひかり』としての私はかなり可愛いと思う。見た目は言うことがないし、正確も明るく意識していた。何より、複数の男性から何度も言い寄られた。

 しかし彼は、そんな私に全くなびかなかった。酒井千尋がいなくなっても、ずっと好きでいてくれた。良い彼氏を持ったものだ、と思う。

 ……あんなに近くにいて気付かないのもどうかと思うけれど。


 いずれにしても、今日は記念すべき日だ。やっと、この日が来た。今日は私が迎える二回目の10月13日。彼は先にタイムマシンに乗って、この日に来ている。

 今日、私はまた『酒井千尋』として彼の前に現れるんだ。


 高校生の私を助けるための救急隊を手配してから、一足先に学校の正門へ向かう。懐かしい。ここに来るのは一回目の10月13日以来になる。時系列が一部重なるのでややこしいが、3年弱ぶりだ。

 時刻は9時15分。そろそろ私が飛ぶ頃だろうと、入り口の守衛に見つからないよう塀の外から屋上に眼をやる。すると安全柵を越え、パラペットの端に踵を合わせて立つ私が見えた。

 この時の心境がどうだったか思い出そうとしてみたが、どうにもダメだ。ぼんやりとしていて、輪郭が見えない。きっとこの時の私は色々と思い詰めていたから、キチンと記憶できていないのだろう。幸い、痛かったという記憶もない。飛び降りてしまえば、次にはベッドの上にいる。過去の私がそうしたように、今の彼女もそうしなければいけないんだ。


 数秒後、彼女は身体を後ろに傾け、そのまま落ちていった。塀の影に入ったので、落下地点は見えない。何かが破裂するような、大きな音が響く。私が落ちた時、こんな音を出していたのかと思うと少し怖くなる。よく助かったな、とも思う。


 それを聞きつけてか、守衛が駆けていく。正門横の守衛室はカラになり私の侵入を拒むものがいなくなった。

 当初の予定通り、私は正門から堂々と侵入した。私が落ちたあたりの校舎を見ると先ほどの守衛と、外にいたのであろう教師が集まっていて、窓からはたくさんの生徒が顔を覗かせていた。

 そしてその中には、彼の姿もあった。ひどい姿になったであろう私を見ながら、涙を浮かべて今にも飛び降りそうなほどに身を乗り出している。その姿を見て、つい私も泣きそうになる。

 突然に大事な人を失った人間はあんな顔をするのか、と心に突き刺さった。こんなことなら、飛び降りるのではなかった。と一瞬頭をよぎる。もっとも、抗うことはできないのだけれど。


 そんなことを考えながら、私は校舎に足を踏み入れた。彼のもとに向かう途中何人かの教師とすれ違ったが、全く咎められなかった。きっと『私』のことで頭がいっぱいなんだろう。

 3階まで登った時、廊下に立つ彼の姿が見えた。意外だった。4階で再会するつもりだったのに、この階にいるとは。

 よくよく見ると、どうにも様子がおかしかった。ドアに手をかけているし、右手に持っているのは……金槌の様だ。それを見て悟った。彼が過去の自分を殺そうとしていると。やめさせなくては。


「あきら!!」


 考えるより先に、そう声を出していた。壁一枚向こうの生徒に気付かれないとも限らないのに、叫んでいた。


 彼は驚いたのか、こちらを振り向いて眼を丸くする。私はそれを無視して駆け寄って、彼の胸に思い切り飛びついた。

 ふわふわとした幸せな感覚に、安心する感覚に、私は包まれる。3年間、ずっとこうしたかったんだ。

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