第53話

 窓に背を向け、廊下の方を見る。部屋はひどい有様だった。割れたベニヤが床を塞ぎ、その先には僕に踏みつけられた段ボールが散乱している。

 さらに奥の廊下には壁から外されたドアが横たわって、段ボールから零れた書類が散らばる。


 ずいぶん暴れたものだと思う。だが、まだ足りない。僕は最後にもう一暴れしてやる。過去の僕を殺して、すべてを終わらせる。『始めさせない』と言うべきか。

 まぁどちらでもいい、やるならすぐにやらなければ。今からするのは自殺だ。思い切りが大事になる。時間が空けば……ないとは思うが、死ぬのが怖くならないとも限らない。


 右手に残された彼女の靴を窓枠に安置し、先ほど放り投げた金槌を拾い上げる。そして、左手に軽く打ち付けてみた。結構な質量があり、本気でやれば簡単に骨を折ることが出来そうだ。

 次に、同じことを頭にしてみる。するとそれだけでも、かなりの衝撃とわずかな痛みが頭蓋に走った。

 この分なら、人を殺めるのも容易だろう。

 そんなことを思いながら、僕は部屋の出口へと歩を進める。そして進めながら、改めて覚悟する。死ぬのは僕だ、と。


 ブーーー……ブーーー……


 しかしもうすぐ廊下へ着こうという時、どこからか振動音がした。スマホのバイブの様だ。

 一体どこに、と思ったが、これだけ散らかっている部屋でスマホを見つけるのは簡単なことではない。無視して進むことにする。


 だが部屋の外に出ても、音は消えなかった。どうやら僕がその原因を持っているらしい。スマホなど持っていただろうかと、ズボンのポケットを触って確かめる。

 前の二つからはじめて右後ろのポケットに手をかけた時、硬い感触が走った。少しの間を置いてから、振動が伝わる。


 取り出してみると、それは僕のスマホだった。しかしそれはおかしなことだ。僕はブレイザーからお金を借りてから一度もこれを使っていないし、電源を切ってホテルの金庫に入れていたはずだ。

 なぜ、それがこんなところにあるのか。


 混乱しながら、画面に表示された番号に眼をやる。080……見覚えのない番号だ。といっても大抵は登録された名前を見るから、知ってる人間の番号であっても見覚えはないのだが。

 いずれにしても名前ではなく番号が表示されたということは、このスマホに登録されていない人間からかかってきたということだ。

 まだ高校生である僕に、それもこんな時間に電話をかけてくるとは、どんな人間なのか。出るべきか悩む。コール数はまもなく10を迎えようとしており、切れるのは時間の問題だ。

 結果として僕は、出ることを選んだ。通話開始のアイコンをスワイプし、耳に当てる。


「今の気分は?」

 出るとすぐに、相手が言った。声質からして、中年の男のようだ。しかし、何者なのかわからない。間違い電話だろうか。

「あの、貴方は?人違いでは……」

「いや、あってる。君は湯川成章だ」

 間違いだと指摘しようとすると、驚くことに彼はそう続けた。一体なぜ僕の名前を知っているのか。なぜこんな時間に電話をかけてきたのか。彼は何者なのか。

 たくさんの疑問が浮かんできて、思わず僕は返答を滞らせる。

「……違う?もし違っていたら…………困るな」

 すると、彼は少し焦った様子で言った。僕が湯川であることを確認したいらしい。それは僕の目的とも一致していたので、「どうして僕の名前を?」と聞いてみる。

「なんだあってたのか、よかった。ならそんなことはどうでもいいんだ」

「どうでもいいことないです。貴方は何者なんですか?」

 はぐらかそうとした彼に、僕はそう詰める。しかし彼は「いずれわかる」とだけ言って、答えようとしない。ならもういい。彼が何者なのか知らないが、付き合っている時間などない。僕は今から死ななければならないのだ。電話を切ろう。


「待って、まだダメ。あとほんの5秒で良いんだ。ちょっと待ってくれないか」

 だがスマホを耳から話そうとした時、彼が声量を大きくして言った。

「なんなんですか!今こっちがどんな気持ちで……」

「時間だ。もういい、自殺でもなんでもしなさい」


 流石に頭に来て文句を言ってやろうとするが、男はそれを逆撫でするように放ち、電話を切った。不通音が響く。

 …………。まあいいさ、これで邪魔はない。言われずとも死んでやる。

 僕は怒りを抑えてそう決意し、スマホをその場に投げ捨てた。そして金槌をしっかりと握りしめ、教室のある4階へと移動する。


 電灯の着いた廊下には人の姿がなかったが、そうとは思えないほどに騒がしかった。教室のドアと壁を越えて、生徒たちの混乱が伝わってくる。それを横に見ながら僕は自分の教室に向かい、後ろ側の入り口に立った。

 ここのドアは先ほどの部屋とは違い、クリーム色の化粧板に大きな覗き窓の着いた引き戸だ。ただ窓には紙が貼られているので、向こうから見られたりこちらから中が見えたりすることはない。

 僕がここを開けるまで、中の生徒に僕の存在は悟られない。


 棒状のノブに手をかけ、記憶を呼び起こす。今日この日、この時間。僕はどこで何をしていたか。彼女が飛び降りてからの時間的に、もう雄大の拘束は解かれているだろう。

 そうなれば僕は今、自分の机で項垂れているはずだ。僕の席は前から5番目、一番後ろ。ドアを開けて一直線に向かえば、すぐに攻撃できる距離だ。

 恐怖なのか武者震いなのか、僕の手は震え、脈は早まる。


 「よし、行くぞ」

 僕はそれを押し殺してそう呟き、ノブを持った左手に力を……


「あきら!!」


 入れようとした時、後ろから声がした。僕は動きを止め、後ろを振り向く。そこにいたのは、一人の女性だった。

 彼女はスラっとした細見で背が高く、肩まで伸びた長髪に、くっきりとした二重の下にブラウンの虹彩が覗く眼を持っていた。


 彼女のことを、僕はよく知っている。

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