餓鬼はおどる
きみどり
餓鬼はおどる
中学校からの帰り道、ふと気配を感じて目をやった。
視線の先にいたのは仔犬。段ボールに入れられ、潤んだ瞳で僕を見上げている――
「で、どうして拾ってきたの!?」
犬なんて飼えないのに! と鬼のように怒る母。
しかし僕は小皿を舐める仔犬に夢中だった。よほど空腹だったのか、連れ帰ってから延々とミルクを舐め続けている。
「だって、可愛かったから」
「可愛いだけで動物は飼えないの!」
母は額に手を当て、大きくため息をついた。
結局、犬は別の家にもらわれていった。
片付けを言いつけられた僕は、空っぽの段ボールから、敷物にされていた新聞紙をつまみ上げる。糞尿がついていなかったのが、ホッとすると同時に寂しい。
と、新聞紙の隙間からはらりと何かが落ちた。
「なんだこれ。人生近道クーポン券?」
その夜からだ。不思議な夢を見るようになったのは。
目の前には小さな寺のような建物。中には年季の入った山車みたいな雰囲気の八角柱。それの中心には、天井と床とを繋ぐ軸が通っていた。
「いらっしゃいませ」
陰から嗄れた声がした。目を凝らせば、腹だけが西瓜のように膨れ、それ以外はガリガリに痩せこけた化物が佇んでいる。
「何になさいますか?」
「えっ?」
お互いに目をしばたたかせて見つめ合う。それから化物は、鋭い歯の並ぶ口をニィと歪めた。
「初めてのご利用ですね。では、ご説明致します。まずはこちらをご覧ください」
言いながら化物は八角柱に近寄り、側面のひとつに触れた。観音開きの戸になっていたらしく、パカッと開いて何も入っていない棚が露になる。
「これは知識を与えてくれるましーんです。努力せずとも、文字すら読めねど、欲しい情報の詰まった品をこの棚に入れ、欲しい欲しいと念じながらひと回しすれば、その品が持つのと同じ知識を得ることができるのです」
「……どういうこと?」
「まずは試してみるのが早いでしょう。ほら、無料くーぽんもお持ちですし」
えっと思ったが、僕は自分が何か握っていることに気づいた。四枚綴りの紙切れ、人生近道クーポン券。
「学生の本分と言えば勉学。どうです、この棚に教科書を入れ、ひと回ししてみませんか。さすれば、忽ち書いてある内容が頭の中に入り、教科書を熟読、勉強したのと同じ効果が得られますよ」
「つまり……勉強しなくても頭が良くなるってこと?」
こくりと頷いた化物に、僕は「やる!」と叫んでいた。
夢の中なので、都合良く足元に教科書が現れる。それを化物が棚に入れ、「さあ」と促した。
進み出ると、八角柱からは神輿の担ぎ棒みたいなものが突き出ていた。
それを掴み、「テストで百点、テストで百点」と念じながら一回転させる。
何の実感もわかないまま、教科書と残りのクーポンを持って、僕は夢を後にした。
そして、僕は全てのテストで百点をとった。
「いらっしゃいませ」
「すごいよ、本当に頭が良くなった!」
それから僕は、毎晩夢の中で八角柱を回した。
中学の教科書の次は兄の高校の教科書。その次はそのまた兄の大学の教科書。
毎日完璧に授業やテストをこなし、中学生には解けるはずのない問題を解いてみせ、僕は学校でも家でも持て囃された。
でも、もっともっと。
「ねえ、本以外も回せるの?」
「もちろんです」
じゃあ、と言いかけたときには、学年で一番人気の男子が傍らに現れていた。真っ直ぐ立っているのに、両目は閉じられている。
情報源となる彼を、いつものように化物が棚に入れてくれたので、ひと回しする。
返却された彼はなおも寝ているような状態で、仕方がないので、僕が手を引いて一緒に夢から出た。
ファッションや会話のセンスをインストールされた僕は垢抜けて、友達にからかわれることもなくなったし、むしろ憧れの眼差しで見られるようになった。
「良かった! クーポンがなくなったから、もう来られないかと思った!」
「滅相もない。くーぽんはお得なさーびすを受けられる券というだけですので、お持ちでなくたって勿論回せますよ」
五度目の夢の中。僕の隣には同じクラスの女子が現れた。四度目の男子と同じで、寝ているような状態だ。
僕はその子のことが好きだった。
この夢のお陰で勉強もできるようになったし、見た目も良くなった。だから、思い切って告白してみようと思っている。
でも、その前に彼女のことをもっと知りたい。何が好きで、何が嫌いで、どういうことを考えているのか。
付き合う前から彼女の全てを理解していれば、告白の成功率は高まるし、完璧な彼氏になれる。
いつものように化物が棚に
ガリガリごりガリ。
やった!
僕は逸る気持ちを抑えつつ、化物が八角柱から彼女を出してくれるのを待った。しかし、開いた戸の奥に彼女の姿はない。
棚からとろーっと赤いものが溢れ落ちるのが見えた。
這いつくばった化物が延々とそれを舐め続ける。僕はただ呆然とそれを見つめることしかできなかった。
餓鬼はおどる きみどり @kimid0r1
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