人生近道クーポン
旗尾 鉄
第1話
その男に会うのは、三十五年ぶりだった。
ほとんど顔は忘れかけていた。
だが、濃い
男もこちらに気づいたようだ。私に軽く会釈をして、懐かしそうに近づいてくる。
「やあ、お久しぶりですねえ。その後、いかがですか?」
私はすっかりおっさんだというのに、男の容貌はそれほど変わっていなかった。
私は往来の人目もはばからず、万感の思いを込めて、男の胸ぐらをつかんだ。
「おい! 騙したな!」
男はひどく驚いたようだったが、平静を保って俺に言った。
「どうしたんです? とにかく、落ち着いて話をしましょう」
たしかに、道路の真ん中で掴み合いをするわけにもいかない。私たちは
この男に初めて会ったのは、私が大学生の時だった。
私は子供のころから、やることなすこと、どうもうまくいかなかった。
どうにも間が悪い、要領が悪いというやつだ。
大学にはなんとか二浪して潜り込んだが、就職活動がうまくいかない。
コネや口先三寸の面接テクニックで内定をもらう友人たちを横目にしながら、なんで俺だけこんな苦労するんだチクショー! と心の中で叫んでいた。
そんなとき、男がアパートを訪ねてきたのだ。
「どうしても、運の悪い人っているんですよ。これはもう生まれつきっていうか、ランダムなんです。でも、それじゃやる気なくなりますよね。それで、救済措置としてこれを無料配布してるんです」
そう言って男が差し出したのは、「人生近道クーポン券」と書かれた、宝クジぐらいの大きさのチケットだった。
新手の詐欺商法だと思ったが、無料だというので遊びのつもりで試しに券を切ってみたのである。
その翌日、内定通知が届いた。
彼女ができて、彼女いない歴=年齢から脱出できた。
この年が、私の人生のピークだった。
俺の人生は変わった!
そう思ったのは、ほんの一年ほどだった。
入社後、私の人生はふたたび低め安定に戻ってしまった。彼女とはすぐに別れることになり、出世は遅れ、なにかとアンラッキーが多かった。
私は公園のベンチで男にこれらを話し、インチキだと抗議した。
こんなことがなければ、まだ諦めもついたのだ。人生なんてこんなもんだ、と。
だが一年だけとはいえ、おいしい思いをしてから突き落とされるのはキツイ。
話を聞き終えた男は、けげんな表情になった。
「おかしいですねえ。人生近道クーポン券は、一生有効なはずですよ。たった一年で期限切れになるなんて、そんなことは普通ありえないんですが」
「だって、実際そうなったじゃないか」
「うーん。あ、あなたもしかして、犯罪を犯したんじゃないですか? 故意による違法行為をおこなった場合は、ただちに失効ですよ」
「そんなことしてないぞ!」
私は思わず声を荒げた。
「わかりました。ちょっと確認します」
男は鞄からタブレットを取りだし、操作し始める。
やがて、困った顔をした。
「あなたの名前、記録にありませんね。三十五年前ですよね? これはマズイなあ」
「どういうことだよ?」
「申し上げにくいのですが、あなたの記録が残ってません。つまり、あなたは人生近道クーポン券を使っていないことになってます」
「そんなわけない、たしかに使ったぞ?」
「ええ。それで一年間は効果を実感されている。しかも三十五年前に。ということはですね」
「ということは、なに?」
「こちらのミスですね。この国では、年の数え方がときどき変わるでしょ。今は令和でしたっけ」
「まさか」
「ええ。昭和から平成に変わるとき、ミスで記録が引き継がれなかったようです。困るんですよね、こういうの。グローバルスタンダードに合わせてほしいなあ」
「そんな……」
「補償として、人生近道クーポン券をもう一枚差し上げます。このたびはご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
頭を下げてクーポン券を差し出す男の手から、私はそれをひったくった。
「謝罪して済むかよ! こうなったら今からでも、たっぷりいい思いさせてもらうからな!」
「あ、その前に注意事項を……」
男の言葉など無視して、私は券を切った。
その瞬間、心臓がドクンと飛び跳ねるような感覚があった。汗が噴き出てきて、頭痛がする。私は座っていられず、ベンチに寝転がった。
男がすぐに、救急車を呼んだ。
「だから注意事項を聞いてくださいと言ったのに。たぶんメタボが原因の高血圧ですね。中高年の方や持病のある方には注意喚起しているんですよ。人生を近道するってことは、病気や寿命に向かって近道することにもなるんです。救急車、すぐ来ますから。どうぞお大事に」
人生近道クーポン 旗尾 鉄 @hatao_iron
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