いつも心に寂しさを

株と飯

いつも心に寂しさを

「お仕事です、先輩」


 今来ないで欲しい。集中して事に当たらなくては、いつ全てが終わってもおかしくないのだ。

 その場合、僕は瞬時に周囲に御陀仏南無阿弥陀仏やら古今東西アルティメットごめんなさいしないといけなくなる。


「わたしはあなたの監視役兼熱狂的ファン兼警護兼指導者兼ストーカーです」


「そう」


 僕はこの──チョロチョロ流れるスッキリ感に集中しなきゃならないのに。


「それはそうと」


「うん?」


 やめろ、覗き込むな。

 『彼女』が小便器と僕の間に顔を突っ込もうとする。


「案外小さいですね、ハンコみたい」


「ペットボトルと言え」


 大体何だよ、その格好。


「これですか? 先輩好きでしたよね、メイド服」


「まあ好きだけども」


「ほら、すごくないですか? 胸元寒いくらい開いてんですよ」


 こんな薄汚れた便所で見たくなかったかな。


「で、時間は?」



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



「~♪」


 ポケットに突っ込んだ手は冷えないのだ。手袋もして用意周到にしたからな。

 いつどこで誰から学んだのか。日常の過ごし方すら、覚え方を思い出せないのに。


「──いやポケットなんかじゃムリ。さぁぶい」


 高架下の道は風が吹き抜けて寒さを募らせる。まあ、一個学びを得たってことでチャラになりますように。


「お」


 見えてきた。


「んにゃよ、びぃるはいいいいい、な、な!」


 千鳥足で彷徨く目標は、自販機に抱きつきながら、同意を求めていた。

 仕事を頑張っても、誰にも褒められない。

 子供の学費を稼ぐために残業を増やしても、家庭との距離は遠のくばかり。

 そんな血の滲むような頑張りを知ってか知らずか、子供はチャランポランな若者とつるむのを止めない。

 貯めた学費がバレ、妻に少しずつ抜かれて不倫に走られ。

 怒らず甘やかして育てたせいか、娘は全く言うことを聞かずに日夜遊び歩く。


 ……望んだ方法で使われるのかすら危うかったのは、頭では分かっていたのだ。引っ込み思案な自分を引っ張りあげてくれた妻には感謝している。けれど、


「……ずっ、づっ、ど! 頑張っ、できたっのに!! 信頼し、し、しでさ! 期待をさ! したんだよ!!


 だから、誤ったのだ。


「そんなのって……、あんまり過ぎんだろうがよぉおお!!!!」


 だから、謝ったのだ。


「俺のこれまでを無駄にしたんだからさぁぁ!!」


 だから──、


「返せってさぁぁぁ!?」




       殺めたのだ。




 妻と、子供と、チャランポランと、上司と、妻と寝た後輩と、妻と、子供と、チャランポランと、上司と、妻と寝た後輩と、妻と、子供と、チャランポランと、上司と、妻と寝た後輩と、妻と、子供と、チャランポランと、上司と、妻と寝た後輩と、妻と、子供と、チャランポランと、上司と、妻と寝た後輩と、妻と、子供と、チャランポランと、上司と、妻と寝た後輩と、妻を!! 子供を!! チャランポランを!! 上司を!! 妻と寝た後輩を!!






「なあ、おっさん」


 僕は幼気に話し掛ける。手袋はもう外した。


「あああん?」


 男にはもう選択肢が一つしかなかった。


「楽しかったっすか?」


「たのしいだあ? ああ。さいっこううう!!!」


 満面の笑みでこっちを向いたかと思うと、手を振り上げてばんざーいのポーズを取る。

 手放した自販機はべっとりと赤く彩られていて、必然的に男にも、各所に生物的な意匠が見受けられた。


 ボトッと男のコートからこぶし大の腎臓が落ちてきた。輸尿管もセットだ。

 もちろん男の物ではない、赤の他人の腎臓だ。


「あー、落ちんなって、マミコ。全く、お前はいつも一人で突っ走って、お父さんビビるよ」


 和気藹々とした思い出で男は──。


「ははははははははは、うわあああああああんんん!!」


 一人でどうしようもなく破けていた。


 事情を知らない人が通りすがれば悪酔いした親父が荒れているんだなとしか思えないだろう。最悪、持ち金目当てに声を掛けるかもしれない。

 今までそうなってなかったのは今の彼の外見のせいか。


「……」


「なあ、にいちゃんも飲むかー? ここあったかいんだぜー!」


「──」


 言葉は万物を彩れるが、塗り手は自分勝手に、そして無邪気にぶちまけるのだ。


 『彼女』が教えてくれた。


 だから。


「ごめんなさい」


 ただ殺めるのだ。


「あえ?」


 言葉の代わりになるように、僕は男の頭で鈍い音を奏でる。

 責任は負いたくないから、僕はふらつく男を捕まえると、首をねじ切った。

 『彼女』が教えてくれたように、僕は男の最期の景色が少しでも良くなるよう、笑みを浮かべる。


「先輩、終わりましたか」


「ああ。長かったかな」


「いいえそんな。偉いですよ」


 年下に撫でられるのは悪くない。それも『彼女』なら尚更だ。


「では、いただきます」


「……」


 人間は自分の首を締める生き方しか出来ない。

 さっきの男のように、根本的にほどき方が理解できない種なのだ。それは、僕にも当てはまることで。

 取り留めもなく、僕の心は罪悪感で溢れかえっている。まだ決壊していないのは『彼女』の温もりが守ってくれているからだろう。




















 『彼女』たちは唐突に現れた。空から降ってくるように、地面から突き出るように、壁から生えてくるように、これでもかと体液を流してしまい、既に生物として取り返しがつかないところまで果ててしまっても、『彼女』は起きてしまった。


 僕が行っているのは、懺悔なのか。いくら懊悩したところで、終わって抱え込んでしまったものは切り捨てられない。罪悪感の根源はそこだ。


 これは『彼女』たちを守るためなのか、はたまた殺すためなのか。

 一人一人の意識は共有され、一人食べると一人減る。

 『彼女』たちが何か人類に特別悪さをしていることはない。見た感じ無害だ。だが僕はほどきたい。

 人間はがんじがらめに制限されるからこそ、伸びをしたくなるのだ。


「ごちそうさま」


「……お粗末様でした」


「せーんぱい、暗そうな顔は、あたし嫌いですよ?」


「ん、ああ、すまない。もう『君』には会えないと思うと寂しくて」


「……先輩って、ホントかわいいですね」


 抱き締められた。これが『彼女』の最大級の愛情表現なのはよく知っているつもりだ。セックスとかよりもロマンがあるとか言っていた。


 嫌悪感を押し殺す。気付けば獲物の血で染まっていた『彼女』の肉体は今にも崩れそうだ。


「…先輩、だ、……いす、、、、……き」


「……ああ、僕もだよ」



 もう、名前を呼んでくれないのは、寂しいよ。




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