第10話


 それから次の日、オクタヴィオはアルテインがいる店に訪れていた。

 コンコンというノックの音に反応して中から返事が聞こえてくる。

 扉を開けて中に入ると、そこには相変わらず書類の山に埋もれているアルテインの姿があった。


「おはようさん」


「ん、おはよう。 時間通りだな、感心感心」


 そう言いながらも手を止めない辺り、それなりに忙しいのだろうということが窺える。


「依頼の情報は纏めてある。 そこの机の上にある封筒を確認してみてくれ」


「これか?」


 言われた通り確認すると中には数枚の紙が入っていた。

 それを手に持って目を通すと、そこに書かれていた内容に目を疑うことになる。


「おい、これは本当なのか……?」


 思わずそう尋ねずにはいられなかった。しかしそれも無理はないことだろう。

 何故ならそこに書かれていた内容があまりにも突拍子もないものだったからだ。

 だが、アルテインは手を動かしながら、どこ吹く風といった様子で平然と答える。


「ああ、本当だとも」


「いや、でもさ……流石に冗談だろ?」


 困惑気味に尋ねるオクタヴィオだったが、そんな彼に対してアルテインは事も無げに言い放った。


「ベルナデッタと言ったかな? その娘は調べれば調べるほど異質だったよ。 世間を知らず、魔女として生きてきたと聞けば、あまりにも魔力扱いがお粗末だ。 魔法の暴発でお前の家もちょっと壊れたんだって?」


「そりゃ、そうだけどさ……」


 反論できずに口籠るオクタヴィオだったが、そこでアルテインは思い出したように付け加えた。


「あぁ、それともう一つ伝えておくことがある」


「なんだよ?」


 訝しげな視線を向けるオクタヴィオに対して、アルテインは淡々とした口調で告げた。


「彼女の事と関連があるかまだ確定じゃないが最近、きな臭い動きをしている組織があるから忘れるな」


 その言葉にオクタヴィオの表情が曇った。それを見たアルテインは小さく息をつくと言葉を続ける。


「……ま、あくまで可能性の話だがね」


(水面下で動いている組織、ねぇ?)


 心の中で呟きながらオクタヴィオは考えを巡らせる。


「まぁ、どうせ碌でもない連中だろうけどな……」


 オクタヴィオはため息混じりに呟くと、改めて渡された資料に目を通した。

 改めて一通り読み終えたオクタヴィオは感心したように頷くと、そのまま紙を封筒へと戻した。


「参考になったかい?」


「ああ、充分だよ」


 アルテインの問いかけに短く答えると、オクタヴィオはそのまま踵を返すと店を後にした。


「さて、どうしたもんかね……」


 オクタヴィオは家へと戻る道すがら思考を巡らせていた。

 するとそこへユイエがやってくるのが見えたので声を掛けることにする。


「よう、お疲れさん」


「あら、オクタヴィオこそお疲れ様」


 笑顔で労いの言葉を掛けてくるオクタヴィオに対して、ユイエも微笑み返す。


「それで、どうだったの?」


「情報は得られた。 ただ、少し面倒なことになってる」


 深刻そうな表情を浮かべるオクタヴィオを見て、ユイエは眉を顰める。


「面倒って?」


「ああ、実は──」


 オクタヴィオが言いかけたその時だった。突然背後から殺気を感じ取ると同時に咄嗟に身を翻し、ユイエを抱えてその場から飛び退く。

 その直後、先ほどまで立っていた場所に何かが突き刺さった。


「何だ!?」


 それは一本のナイフであった。


 何の変哲もないナイフだが、オクタヴィオはつい最近見たことが有るような既視感に襲われていた。


「あれ、このナイフどこかで見たような……」


 記憶を探りつつ周囲を見回すも人影らしきものは見えない。

 警戒しつつも視線を戻すと、ちょうどこちらに向けて投げられた次のナイフが飛んでくるところだった。


 今度は二本同時である。


 オクタヴィオはそれらを間一髪躱すと再び飛んできた方向へ視線を向けたが、やはりそこには誰もいなかった。


「……また避けられましたかぁ」


 どこからか声が聞こえてくる。この間延びしたような喋り方には聞き覚えがあった。

 思い出したくもない昨日の一件、あのヘドロのような声の主をオクタヴィオは知っている。

 オクタヴィオはすぐに周囲を警戒するがどこにも姿は見当たらない。


「一体どこに隠れてやがる……?」


 注意深く観察していると、不意に頭上から気配を感じ取ったため即座にその場から離れることにした。

 直後、先程までいた場所に数本のナイフが突き刺さるのが見えた。


「上かっ!?」


 見上げると屋根の上には一人の男性が立っているのが見えた。

 間延びした声、ナイフ、もうそれだけでオクタヴィオは襲撃してきた人物の正体を察した。


「お前、まさか──ッ!?」


 言い終わる前に、その人物ーーーゾルダートは屋根から飛び降りてきた。

 そして空中で体勢を整えると、地面に着地する前に手に持っていたナイフを投げつけてくる。


「くっ……!」


 オクタヴィオはそれをベティで撃ち落とすことに成功するが、そこへ更に追撃が加わる。


「うふふ、流石ですねぇ〜」


 楽しそうに笑いながら、ゾルダートはこちらに向かって走ってきたのだ。

 オクタヴィオはベティを構え直すと、ゾルダートの足元に向かって発砲した。

 しかし、ゾルダートはまるでステップを踏むかのように軽やかな動きで避けると一気に距離を詰めてくる。


(こいつ、やはり早い……!)


 その動きを見たオクタヴィオは内心舌打ちをする。このままでは不味いと判断したオクタヴィオは、相手の動きを予測しながら1発ゾルダートへ向けて撃ち放つ。

 だが、それでも尚、ゾルダートの動きを止めることは出来なかった。


(くそっ! 近づかせないようにするのは無理か!)


 ならばと距離を取ろうと後ろに下がるも、それに合わせてゾルダートもまた追いかけてくる始末だ。

 このままでは埒が明かないと判断したオクタヴィオは、状況が押されていることにどうしたものかと思案始める。


「(どうする……? 前に突貫しても駄目、後ろに逃げては追いかけられる、か)」


 頭を回転させながら打開策を考えるオクタヴィオだったが、そんな余裕すら与えないとばかりにゾルダートは攻撃を仕掛けてくる。


「──っ!」


 ユイエ守る為に紙一重で避けたものの、僅かに頰が切れてしまい血が滲む。それを見てゾルダートは嬉しそうに微笑んだ。


「ふふ、綺麗な顔なのに勿体無いですねぇ」


 ゾルダートは嗜虐的な笑みを浮かべると、そのまま連続で斬りかかってくる。

 オクタヴィオはユイエを抱えたままそれを避けながら反撃の機会を窺っていたが、ゾルダートの攻撃は苛烈さを増していき徐々に追い詰められていった。


「ほらほらぁ、どうしたんですかぁ?」


 そう言いながら次々と斬撃を浴びせかけてくるゾルダートに対し、オクタヴィオは防戦一方となっていた。


(このままじゃまずいな……)


 内心でそう思いながらも攻撃に転じることが出来ないまま時間だけが過ぎていく。その間も休むことなく繰り出される斬撃によってじわじわと体力を奪われつつあった。


「はぁ、はぁっ……」


息が上がり始めていることを自覚しながら耐えるオクタヴィオだったが、ついに限界が訪れたのか足が縺れてバランスを崩しかける。


「オクタヴィオ!」


 オクタヴィオの腕の中にいるユイエが叫ぶ。

 その声で我に返ったオクタヴィオは、ハッと顔を上げるとその場から飛び退いた。

 ゾルダートのナイフが先ほどまでオクタヴィオがいた場所を通過すると、そのまま地面を抉っていく。

 その光景を目にしたオクタヴィオは冷や汗を流した。

 もしあのまま倒れていたらと思うとゾッとする思いだった。


「おや、惜しいですねぇ」


 さして残念でもなさそうに言いながら、ゾルダートは再び距離を詰めようとしてくる。

 それを阻止すべくオクタヴィオは銃弾を撃ち込もうとするが、ゾルダートはその場でピタリと動きを止めた。


「……時間ですかぁ」


 ゾルダートは小さく呟くと、後ろステップを踏んでオクタヴィオ達から離れた。

 ゾルダートの謎の動きに何かあるのではないかと警戒していたオクタヴィオであったが、特に何かが起こるわけでもなく、拍子抜けして思わず首を傾げてしまった。


「どういうつもりだ?」


 訝しげな表情を浮かべながらも問いかけるオクタヴィオに対して、ゾルダートはくすくすと笑う。


「いえ、別にぃ? ただ、これ以上続ける必要がなくなっただけですよぉ」


 そう言うと、ゾルダートは指を打ち鳴らした。

 すると彼の背後に空間の歪みのようなものが現れる。その空間の歪みから出てきたものを見たオクタヴィオは思わず目を見開いた。


「これは……」


「はい、私達ーーー魔女協会が探していた魔女ですよぅ」


 そう言ってにこやかに笑うゾルダートを見て、オクタヴィオは歯噛みした。どうやらまんまとしてやられたらしい。


「いやっ! 離してください!」


 ゾルダートの腕の中で暴れるベルナデッタ。

 それを視界に収めながら、オクタヴィオはゾルダートを睨みつける。


「お前、最初からベルナデッタが狙いだったのか?」


 オクタヴィオの問いかけに、ゾルダートはにやりと笑うと頷いた。


「ええ、そうですよぉ」


 悪びれもせずに言い放つゾルダートに対して、オクタヴィオは怒りを覚えたものの、今はそれよりも優先すべきことがあると思い直し、ベルナデッタへと視線を向ける。

 彼女は未だに抵抗を続けていたが、それも長くは続かないだろう。

 何せ相手はあのゾルダートなのだ。そう簡単に抜け出せるはずがない。


「本当にっ! 離してください!」


 そう叫びながらじたばたともがくものの、全く意味を成さないことに苛立ちを覚えるベルナデッタだったが、やがて疲れてしまったのか動きが鈍くなっていくのがわかった。


 そんな様子を見ていたゾルダートは再び指をパチンと鳴らすと、今度は彼女を拘束している鎖のようなものが光り輝き始めた。


 それと同時に彼女の身体が宙に浮き上がると、そのままふわふわと漂い始めてしまう。

 それを見たオクタヴィオは慌てて駆け寄ろうとするが、見えない壁に阻まれてしまったかのように進むことが出来なかった。


「くそっ! 待てっ!」


 悪態を吐くオクタヴィオを尻目に、ゾルダートは楽しそうに笑いながらベルナデッタを連れてその場を後にするのだった。

 残されたオクタヴィオはしばらくの間呆然としていたが、我に帰ると急いで後を追いかけようとするものの既に手遅れであることは明白であった。


「……ちくしょうめ」


 苦々しげに吐き捨てると、オクタヴィオはそのまま地面に倒れ込んだ。ユイエが側で淡々とオクタヴィオを見つめているが、それに答える気力もない程疲弊しきっていた。


「大丈夫? 生きてるかしら?」


「ああ、大丈夫だ。 問題ない……」


 心配するユイエに対して力なく笑いかけるオクタヴィオだったが、その表情は明らかに無理をしている事が見て取れた。


「標的を見つけてからの行動、かなり早かったわね。 何処かで監視されていたと考えるべきかしら」


 顎に手を当てながら思案するユイエだったが、すぐに首を振って思考を中断させるとオクタヴィオの元へ駆け寄った。


「とりあえず、傷の手当てをしましょう」


 そう言って手を差し伸べてくるユイエの手を取りながら立ち上がると、二人は急ぎ帰路につくことにした。

 途中、何度か休憩を挟みつつゆっくりと進んでいく。

 幸いにも帰り道では襲われる事はなく無事に帰り着くことが出来た。


「ーーーふぅ……家に着いたか」


「オクタヴィオ、傷を見せてみなさい」


 自宅に戻った二人が一息ついていると、ユイエが声をかける。

 オクタヴィオは言われるままに上着を脱いで上半身裸になると、ユイエは傷口をじっと見つめた後、そっと手を伸ばしてきた。


「ちょっと染みるわよ」


 ユイエは手の平をオクタヴィオの背中へ添えた。ピリッとした痛みが走り、オクタヴィオは思わず顔をしかめる。


「我慢しなさい」


 ユイエはそう言うと、手に魔力を込めてオクタヴィオに送り込む。深い闇色の魔力がオクタヴィオの身体を包んでいくと、時間が巻き戻るかのように傷が消えていく。


「これでよし、っと……」


 満足げに頷くと、ユイエはゆっくりと立ち上がった。


「ありがとうな、助かったぜ」


 礼を言うオクタヴィオに対して小さく微笑むと、ユイエは踵を返した。


「どういたしまして。 それじゃあ私は夕食の準備でもしてくるわ」


 そう言い残して台所へと向かう彼女を見送った後、オクタヴィオは再びソファへと腰掛けるのだった。

 それからしばらくして料理が完成したらしく、テーブルに皿を並べ始めるユイエを眺めながら、オクタヴィオは大きく伸びをした。


「まずは食べよう。 話はそれからだ」


 そう言って立ち上がるオクタヴィオを見て、ユイエは小さく笑った。


「そうね、冷めないうちに頂きましょう」


 そうして二人揃ってテーブルに着くと、食事を始めるのだった。


「それで、この後どうするのかしら?」


 食事をしながらユイエが問い掛けてきたので、オクタヴィオはそれに答えた。


「ベルナデッタを取り返す」


 それを聞いたユイエは少し考え込むような仕草を見せた後に言った。


「どうやって? もう彼女は連れて行かれちゃったのよ? それとも何か当てがあるのかしら?」


 その言葉に黙り込んでしまうオクタヴィオだったが、やがて意を決して口を開いた。


「ゾルダートは最後に『魔女協会』と言っていた。 連れていくならそこしか無いだろうよ」


 それを聞いて頷くユイエだったが、その表情はあまり芳しくはなかった。


「でも、それは難しいと思うわ」


「なんでだよ?」


 怪訝な表情を浮かべるオクタヴィオに対し、ユイエは答えた。


「だってそうでしょう? 魔女協会の本部なんてどこにあるかもわからないし、そもそもそこに辿り着くまでに妨害される可能性が高いわ。 仮に辿り着けたとしても、果たして素直に返してくれるかどうか怪しいところね」


 それを聞いてオクタヴィオも納得したのか腕を組んで考え込んでしまった。

 確かにユイエの言う通りである。

 普通に考えれば無謀としか言いようがない作戦ではあるが、それでも行かなければならない理由があるのだ。

 何故ならベルナデッタはオクタヴィオ達の依頼主なのだ。

 だからこそ何としてでも助け出さねばならないのである。

 オクタヴィオは覚悟を決めると、ユイエに向かって宣言した。


「それでも行くしかないだろう」


 それに対してユイエも頷くしかなかったようだ。


「……貴方もお人好しね」


 こうして二人の次の目的地が決まったのだった。

 オクタヴィオ達は準備を済ませると早速出発する事にした。


「さて、行くとするか」


「ええ、早く行かないと見失ってしまうわ」


 そうして二人は家を出ると、街の外へ向けて歩き出した。

 暫く歩いていると、前方に人影が見えた。どうやら何者かがいるようだ。

 オクタヴィオはベティを抜き放ち、警戒しつつ近づいていくと、そこには見覚えのある人物が立っていた。

 その人物はオクタヴィオの姿を見つけると、手を振ってきたのだった。


「やあ、ここにいれば通ると思っていたよ。 情報、いるんだろう?」


 そう言ってやってきたのは情報屋の男、アルテインだった。

 彼は初めて会った時と同じように相変わらず笑みを浮かべている。

 オクタヴィオは彼の姿を一瞥すると、ベティを仕舞った。

 そしてオクタヴィオは口を開く。


「アルテイン、何でここに……ってそんなこと言ってる場合じゃないか。 ああ、欲しい情報は一つだけだ」


 そう言うと、アルテインの表情が僅かに変化したように見えた。

 だがそれも一瞬のことで、次の瞬間にはいつもの顔に戻っていた。

 気のせいだったのかもしれないと思い直すと、オクタヴィオは本題に入ることにした。


「ベルナデッタの居場所について知りたいんだ」


 それを聞くと、アルテインはすぐに一枚のメモ用紙を取り出して渡してきた。

 それを受け取ると、オクタヴィオは内容を確認した。


「こいつは……」


 書かれていた場所を見て訝しげな顔をするオクタヴィオに、アルテインは言った。


「君が依頼をしてきた時点でこうなるだろうと予想しててね。 その場所に行けば、君の求めている人がいるはずだよ」


「助かる」


 そんなアルテインの言葉を聞いたオクタヴィオは礼を述べると、足早にその場を後にしたのだった。

 残されたアルテインは去っていく二人を見送ると、小さな声で呟いた。


「やれやれ、本当に世話の焼ける人達だな……」


 そう呟くアルテインの口元は微かに緩んでいた。

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魔女と共に在る者《ワン・ウィズ・ザ・ウィッチ》 N/2 @Gunslinger

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