第9話
その頃、オクタヴィオはと言うと、建物の屋根の上を走り回っていた。
「さて、ここまで来れば大丈夫だろう」
オクタヴィオは追っ手がいないことを確認すると、安堵の息を吐いた。
それから周囲を見回すと、遠くの方で煙が上がっているのが見えた。爆発後の煙がまだ消えていないのだろう。
「やれやれ、面倒な事になったもんだ」
オクタヴィオは頭を掻きむしりながら嘆息した。
(とりあえず、ユイエ達の所に戻るか)
そう思い立つと、オクタヴィオはゾルダートが追ってこない事を確実に確認しながら、屋根伝いに移動を開始した。
時にカラスに頭を突つかれながら、時に野良猫達に追いかけられながら、這々の体でレステ・ソルシエールまで戻ってきた。
中に入るなり真っ先に出迎えてくれたのは、微塵も心配そうな顔をしていないユイエだった。彼女はいつもと変わらない調子で言った。
「お帰りなさい、遅かったわね」
「いや、まあ、ちょっと色々あってな……」
歯切れの悪い返事をするオクタヴィオに対して怪訝そうな表情を浮かべるユイエだったが、それ以上追及することはなかった。
代わりに話題を変えようと口を開くと、別の質問をしてくる。
「それで、どこまで行ってきたのかひら?」
「ちょっとアルテインの所までな」
「あそこに行くなんて珍しい事もあるものね」
そう言って腕を組むユイエに対して苦笑いを返すしかないオクタヴィオであった。
確かに普段はあまり近寄らない場所である事は確かだったからだ。
「まあいいわ、それより早く中に入ってちょうだい」
「あ、ああ、わかった」
オクタヴィオは促されるままに店内に入ると、いつもの席に腰掛けた。
ユイエはカウンターの向こう側に行くと、紅茶を淹れ始める。
湯気が立ち上るカップをオクタヴィオの前に置くと、自分も向かい側の席に座る。
オクタヴィオは礼を言うと、早速口をつけることにした。
一口飲むと、口の中に爽やかな風味が広がるのを感じた。
相変わらず美味いと思いながら味わっていると、ユイエが話しかけてきた。
「ねぇ、オクタヴィオ?」
「ん?」
「さっき不審者がいたって通報があったんだけどーーー」
「俺じゃない」
オクタヴィオは即答していた。何が悲しくてゾルダートと同じように不審者として見られなければならないのか、誠に遺憾の意であった。
しかし、オクタヴィオはそこまで言ってふと気がつく。
「あ……」
「やっぱり、厄介事に巻き込まれたんでしょう? オクタヴィオの様子を見ればわかるわ」
「いや、これはだな……」
「何も言わなくていいわ。 どうせまたろくでもない輩にでも目をつけられたんでしょう?」
図星だった。
オクタヴィオは何も言い返せず黙り込むしかなかった。その様子を見たユイエは大きく溜め息を吐くと言った。
「まったく、あなたって人は……」
呆れ顔のユイエに対して、オクタヴィオはバツが悪そうに頬を掻いている。
そんなオクタヴィオに対してユイエは釘を刺すように言った。
「でも、1人で行動していたのがいけなかったんでしょうね。 次からはなるべく1人にならないように気をつけなさい」
「……はい」
オクタヴィオは素直に頷くと頭を下げた。それを見て満足そうに頷くユイエだったが、すぐに真剣な表情に戻ると忠告してきた。
「いい? くれぐれも無茶だけはしないように」
「わかってるよ」
そう言って肩を竦めるオクタヴィオだったが、内心ではそう簡単にいかないことがよくわかっていた。
何故なら相手はあのゾルダートだからだ。もし鉢合わせでもしたら今度こそ戦いは避けられないだろう。
(参ったな……こりゃ当分の間単独行動は避けた方が良さそうだ)
心の中で呟くと、オクタヴィオは改めて投げに徹する決意を固めるのだった。
その後、暫くして落ち着いたところで話を戻すことにする。
「ところでベルナデッタは?」
オクタヴィオが疑問を口にすると、ユイエは答えた。
「あら、あの子ならそこにいるわよ」
そう言ってユイエが指差す先へとオクタヴィオは視線を向ける。
するとそこには確かにベルナデッタの姿があったのだがーーー何故か彼女はロープでぐるぐる巻きになっていたのだ。
「んむーーっ!!!」
しかも口に猿轡をはめられており喋る事も出来ない状態だ。必死に何かを訴えかけているようだが、何を言っているのかさっぱりわからない。
そんな様子を眺めながら、オクタヴィオは思ったことをそのまま口にする事にした。
「なあ、これどういう状況なんだ?」
そう問いかけるも、返ってきた答えは簡潔なものだった。
「見ての通りだけど?」
さも当然の事のように答えるユイエだったが、それは答えになってないんだよなぁと思いつつも、オクタヴィオは敢えて突っ込まざるを得なかった。
「いやいや、見て分からないから聞いてるんだが?」
「あら、そうだったかしら?」
とぼけるように言うユイエだったが、その顔には笑みが浮かんでおり、明らかに確信犯である事が窺えた。
それに対してオクタヴィオは大きな溜め息を漏らすと、額に手を当てながら言った。
「はぁ……まあいいけどさ。 それより、この拘束解いてやらないと可哀想じゃないか?」
「駄目よ、こっちが解いたら魔力制御の練習にならないわ」
「そういうもんなのか?」
「ええ、そういうものよ」
「んむむーっ!!」
断言するユイエを見て、オクタヴィオは思わず苦笑するしか無かった。
どうやら何を言っても無駄らしいと思い至ったオクタヴィオは諦めて受け入れる事にしたようだ。
そして、ベルナデッタが芋虫のようにモゾモゾと転がるのを見守る事数十分。
「……むむっ? むっ……むぅっ!」
一際大きな声をあげたかと思うと、ベルナデッタに絡みついていた縄が1人でに解けていく。
縄の周りに薄い光が纏っているところを見るに、しっかりと魔力を流せているらしい。
その後は魔力操作によって縄を動かして解く事ができたようだ。
それを見たオクタヴィオは感嘆の声を漏らしていた。
まさか本当に自力で脱出できるとは思っていなかったからだ。
流石は魔女といったところだろうか。
(へぇ、やるな)
感心しつつ眺めていると、ベルナデッタはそのまま地面にへたり込んでしまった。
相当疲れているらしく肩で息をしているのがわかる。余程消耗したのだろうと思われた。
しかしそれも無理はない話だ。
何せ魔力制御を昨日今日でやっているのだ。
その反動は決して小さいものではないのだから。
「大丈夫か?」
心配して声をかけると、荒い呼吸を繰り返していたベルナデッタはゆっくりと顔を上げ、こちらを向いてきた。
その顔は死にかけており、どれだけ疲れているのかが手に取るようにわかるくらいだった。
「はあっ、はあ、はあぁ」
大きく深呼吸を繰り返すことで息を整えようとしているようだ。
やがてベルナデッタは落ち着きを取り戻したようで、オクタヴィオを見据えてくるとおもむろに口を開いた。
「魔力操作って……こんなにも……疲れるんですね……!」
その問いを聞いていたユイエは正直に答えた。
「それはそうよ。 何でも全力を込めれば何とかなると思ったら大間違いよ」
「ひどいっ!?」
即答されてショックを受けたのか、口をあんぐり開けて固まってしまうベルナデッタだったが、すぐさま我に帰ると反論してくる。
「だ、大丈夫ですよ! これで魔力制御ができるようになったから私は強くなってーーー」
「「ない(わ)」」
オクタヴィオとユイエからの即答がベルナデッタの心に突き刺さる。2人から否定された事で涙目になりながら訴えかけるベルナデッタだったが、2人は取り合うことなく話を進めていった。
「そ、そんなぁ〜!? じゃあ、どうすればいいんですか!?」
「簡単な話でしょう? あなたは今まで通り魔法を練習すればいいのよ。 そうすれば自然と上達していくはずよ」
それを聞いて安心した様子のベルナデッタだったが、ふとある事に気付くと不安そうに尋ねてきた。
「あ、あのぉ……もし仮にですよ? 私がちゃんと魔法のコントロールができないと……」
恐る恐るといった様子で質問を投げかける彼女に、ユイエは微笑みで答えて見せた。
「目の前で大爆発が起きるわよ」
それを聞いた瞬間、ベルナデッタの表情が絶望に染まるのが見えた。
それを見て満足したのか、彼女は楽しそうに笑うと言葉を続けた。
「ふふ、冗談よ。 安心なさいな。 あそこまでロープが外せるならそれなりのものになっているわよ」
そう言ってフォローを入れるユイエだったが、それでも不安そうな表情のまま黙り込んでしまった。
そんなベルナデッタを見兼ねてか、今度は彼女の方から提案を持ちかけてきたのだった。
「そうね……それならこうしましょう。 今から魔法を使ってみなさい」
「えっ!?」
突然の提案に驚くベルナデッタだったが、すぐに冷静さを取り戻すと聞き返した。
「あの、でも私まだ自分の力がわからなくて……それで、あの、危ないかもですし……」
しどろもどろになりつつも何とか断ろうとするベルナデッタだったが、そんな彼女に対してユイエは笑顔で言った。
「大丈夫よ、危なくなったら助けてあげるから」
そう言ってウインクしてみせるユイエだったが、ベルナデッタは心配そうな表情を浮かべていた。
「そ、そうですか……? ならやってみますけど……もし失敗しても怒らないでくださいね?」
「わかってるわよ」
念を押すように確認を取るベルナデッタに対し、ユイエは苦笑しながら答えると、指をパチンと鳴らした。
するとベルナデッタの目の前に魔力で作られた人型が作り出される。
「……んん?」
その人型は途方もなく精巧であった。
ただ魔力を練って造られた人形とは一線も二線も画すような完成度を誇っていた。
ソレは茶髪をオールバックにして、やる気のなさそうな空色の瞳をベルナデッタに向けている。
服装は黄土色のブレザーに赤いシャツ、黄色のネクタイを付け、黄緑のズボンに改造ブーツを履いてその場に佇んでいる。
「あのー……これって……」
それはどうしようもないほど本物と瓜二つのーーーオクタヴィオであった。
「……ユイエ?」
「何かしら?」
オクタヴィオの視線もどこ吹く風と、ユイエはオクタヴィオもどきを見つめている。
心なしかその完成度に満足しているような表情のユイエを横目に、オクタヴィオは目の前のナニカに視線を向けた。
『どうもお嬢さん、オレはオクタヴィオ。 すぐに消えちまうがよろしくな!』
しかも喋っているし動いているのだ。これには流石のベルナデッタやオクタヴィオも動揺を隠しきれない様子である。
だがそれも当然の反応だろう。
何しろ今ベルナデッタとオクタヴィオが見ているのは本物そっくりのダミーなのだから。
困惑しながらもなんとか言葉を絞り出そうとするベルナデッタであったが、その前に目の前のオクタヴィオにそっくりな存在が喋り始めた。
『ほれほれ、惚けるのはいいから魔法を使って見ろって』
その言葉に我に返ったベルナデッタは慌てて頷くと、手の平を前に構えて意識を集中し始めた。
「は、はい! わかりました! いきますよ〜!」
そう言うとベルナデッタは目を閉じて精神を集中させ始める。
その様子をオクタヴィオとユイエは黙って見守っていた。
しばらくしてベルナデッタが目を開けると同時に、彼女の足元に淡い光が展開立ち昇っていく。
それは眩い光を放ちながら徐々に光度を増していき、やがて目を開ける事すらできない程の輝きを放った。
「きゃっ!?」
思わず悲鳴を上げるベルナデッタだったが、次の瞬間には何事も無かったかのように光が収まっていた。
そして、オクタヴィオもどきの体の周りには薄く光が張っていて、ただ立っているだけなのに威圧感、肌を刺すようなプレッシャーを感じるほどだった。
やる気がない表情をしているのに異様な雰囲気を纏っているのが何とも言えないギャップである。
何はともあれ、魔法は無事に発動して成功したらしい。
その証拠にベルナデッタは汗だくになっており、息も絶え絶えになっていた。
「はぁ、はぁ、ど、どうでしたか……?」
心配そうに尋ねるベルナデッタに対して、ユイエは感心した様子で頷いてみせた。
「ええ、それなりの出来栄えね。 魔法効果もダミーを使ったおかげでよくわかったわ」
その言葉を聞いた途端、ベルナデッタの表情がぱぁっと明るくなるのがわかった。
「本当ですか!? やったぁ!」
嬉しそうに飛び跳ねる彼女を見て、オクタヴィオは思わず苦笑してしまった。
「おいおい、喜ぶにはまだ早いぜ?」
「うっ、確かにそうですよね……すみません、浮かれてしまって……」
しゅんとするベルナデッタだったが、そんな彼女に対してオクタヴィオはすぐにフォローを入れた。
「気にすんなって。 どんな魔法かわかっただけでも良かったじゃないか」
「そうですね! えへへ、ありがとうございます〜」
ぺこりと頭を下げるベルナデッタだったが、不意に何かを思いついたように顔を上げるとオクタヴィオに向かって問い掛けてきた。
「ところでなんですけど、私が使った魔法って何なんですか?」
どうやらベルナデッタは自分が使用した魔法の事が気になったようだ。
ユイエは指を立てながら答えた。
「貴女が使った魔法を名前に落とし込めるなら……そうね、差し詰め『獣の魔法』と言うべきかしら」
それを聞いて首を傾げるベルナデッタだったが、すぐに気を取り直したように質問を投げかける。
「それってどういう効果があるんですか?」
その問いにユイエは少し考えた後で説明を始めた。
「簡単に言えば身体強化魔法ね。 効果は単純に身体能力を向上させるというものよ」
「なるほど、だからオクタヴィオ君の身体の周りに魔力が留まっていたってことですね」
納得した様子のベルナデッタだったが、そこへ更に補足するように付け加える。
「ただし欠点もあるわ。 発動するたびに使用者の精神、身体状態が大きく影響を受けるようね。 さっきみたいに疲れるという事がそれに当たるかしら」
それを聞いて不安そうにするベルナデッタだったが、それに対してユイエは微笑みながら答えた。
「大丈夫よ、最初は誰だってそんなものよ。 むしろ最初から完璧に使いこなせる方が珍しいくらいだもの。 私だってそうだったわ」
「そうなんですか?」
意外そうに聞き返すベルナデッタに対して、ユイエは大きく頷いた。
「そうよ、初めて魔法を使った時は大変だったんだから。 それこそ暴発させて身体中傷だらけになったこともあったしね」
そう言って苦笑するユイエだったが、その表情からは懐かしさが感じられた。
「へぇ〜、なんだか想像できませんね……」
「まあ、あの頃の私はまだ若かったから」
遠い目をしながら呟く彼女だったが、すぐに表情を引き締めると話を元に戻した。
「とにかく、効果についてはまだ他にもあるけれどまずは自分の限界を知ることね。 そこから始めましょう」
「はいっ! 頑張りますっ!!」
元気よく返事をするベルナデッタに対し、オクタヴィオは小さくため息をつくと肩をすくめた。そして呆れたように口を開く。
「まったく、調子がいいな君は……。 まあいいか、とりあえず今日はここまでにしようぜ?」
そう言われて時計を見ると既に日が暮れ始めていた事に気付く。
それを見て慌てたように立ち上がるベルナデッタだったが、ふと何かを思い出したかのように動きを止めたかと思うとオクタヴィオ達の方に向き直り頭を下げた。
「あ、あの……! 今日は本当にありがとうございました! おかげさまで何とかなりそうです!」
その様子を見た二人は顔を見合わせると揃って苦笑したのだった。
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