第8話


 王都の中で特に人通りの少ない所を歩いていると、オクタヴィオは不意に足を止めて周囲を見渡し始めた。

 そして誰もいない筈の空間に向けて声を掛けた。


「さっきから追ってきてるんだろう? 姿を見せたらどうだい?」


 そう言いながら後ろを振り返ると、そこには誰もいなかった──はずだったのだが、物陰から人影が現れた。

 その人物はフード付きのローブを身に纏っており、顔は見えない。

 体格や身長からして恐らく男性であろうと思われるが、それ以上のことは分からなかった。

 オクタヴィオが訝しげな表情を浮かべていると、ローブの人物はゆっくりと口を開いた。


「流石ですねぇ、気配は完全に消していたつもりなのですがねぇ?」


 その声はヘドロのようにドロリとした粘着さがあり、それでいて果てしなく耳障りの悪いものだった。

 オクタヴィオは一瞬顔を顰めたが、直ぐに平静を取り戻すと相手の出方を窺っていた。


(こいつ、何者だ……?)


 オクタヴィオがそんな疑問を抱いている間にも相手は一方的に話し続ける。


「おっと失礼、申し遅れましたねぇ。 私の名前はゾルダートと申します。 以後、お見知りおきをお願い致しますよぉ」


 芝居掛かった口調で喋るゾルダートに対し、オクタヴィオは少し苛立ちを覚えたものの冷静さを保つように努めていた。

 このタイミングで接触してくる不審な人物と言えば、十中八九ベルナデッタ関連の者と言えるだろう。


 しかし問題はそれが何処まで知っているのかという事だ。

 仮にこちらの素性が知られているとしたらかなり厄介だし、何より下手に刺激して暴れられても困るからだ。


 だからこそ慎重に対応する必要があると判断したのである。

 そこでまずは相手の正体を探るべく探りを入れてみることにした。


「あんたが俺を尾行してた奴か」


 そう尋ねると、ゾルダートと名乗る男はニヤリと笑う。


「おや、気づいておいででしたかぁ? いやはや素晴らしい洞察力をお持ちのようで感心致しましたぞぉ?」


 耳の奥に残るような不快な喋り方ではあったが、それ以上に気になることがあったのでオクタヴィオは質問を投げかける事にした。


「それで、あんたは一体何をしに来たんだ?」


 その問いにゾルダートは待っていましたと言わんばかりに答える。


「私が此処にいる事でおわかりなのではありませんかぁ?」


「なるほど、つまりあんたの目的は──」


 オクタヴィオがそこまで言いかけた時、ゾルダートは言葉を遮るようにして言った。


「おっと、その先は言わなくても結構ですよぉ? 私は貴方に警告をしにきただけですからねぇ」


 その言葉にオクタヴィオは眉をひそめる。


「……警告だって?」


「そのままの意味ですよぉ? 貴方はこの件から手を引くべきなのです」


 その言葉を聞いた瞬間、オクタヴィオはほんの少し怒りを覚えた。


 何故自分が狙われなければならないのだろうか?

 そもそもこいつは何者なのか?


 そういった疑問が次々と湧いてくる中で、オクタヴィオは思考を巡らせていった。


(ここで俺が引くわけにはいかないし、かといって戦闘になれば間違いなく周囲に被害が出るな……)


 オクタヴィオは悩んだ末に決断を下した。


「悪いが断るぜ、女の子からの依頼は断れないんでな」


 それを聞いたゾルダートはやれやれといった様子で肩をすくめると、呆れたように溜め息を吐いた。


「仕方ありませんねぇ、では少々強引に行かせてもらいますよ」


 ゾルダートの言葉と同時に彼の体から威圧感が増した。どうやらこの場で戦うつもりのようだ。

 そんな姿を見てオクタヴィオは深い溜息を吐かずにはいられなかった。

 

 何故ならゾルダートがこれから行おうとしているのは紛れもなく殺し合いだからだ。

 だがそれでも逃げるわけにはいかないため、オクタヴィオは覚悟を決める。

 幸いにも周囲には人気がない為、目撃者が出ないという点だけは救いだったかもしれない。

 

「一応聞くけど、見逃してくれる気は無いんだよな?」


 念のためオクタヴィオがゾルダートに確認してみると、案の定と言うべきか即答されてしまった。


「無論ですとも、むしろ貴方のような強者と戦う機会を逃すわけにはいきませんからねぇ……!」


「こっちは戦いたいわけじゃないんだけどなぁ……」


 そう言ってゾルダートは一気に距離を詰めてきたかと思うと拳を振り上げてきた。

 咄嗟に後ろに飛び退くことで回避に成功するが、直後に蹴りが飛んでくるのが見えたのでオクタヴィオは両腕をクロスさせて防御姿勢を取る。


「うぐぅっ!?」

 

 重い一撃だったがなんとか防ぎきる事ができたようだ。


(こいつ、見た目以上にパワーがあるみたいだな……!)


 オクタヴィオは内心驚きつつも、冷静に対処しようと考えていた。

 何しろ、ゾルダートの攻撃をまともに受ければただでは済まないだろうからである。

 オクタヴィオは反撃の機会を窺うべく、ゾルダートの動きを観察することにした。


「ほらほらどうしましたぁ? 動きが緩慢ですよぉ?」


 ゾルダートの攻撃は速く、そして重かった。一撃一撃の威力が高い上に、隙が少ないのだ。

 おまけに動きが素早く、動き回って撹乱しようとしてもすぐに追いつかれてしまう始末であった。

 しかも厄介な事にゾルダートは銃の扱いをよく熟知しているのか、オクタヴィオが銃を抜こうとしても即座に阻止されてしまうのだった。


「ちぃっ! 戦いたくないってのに面倒なことを……!」


 これでは埒が明かないと思ったオクタヴィオは一旦距離を取ろうとバックステップで後退を試みるが、ゾルダートはそれを読んでいたかのように一気に距離を詰めてくると回し蹴りを放ってきた。

 間一髪で回避したオクタヴィオだったが、その際に体勢を崩してしまい地面に倒れ込んでしまった。

 そこに追撃を仕掛けるようにゾルダートが拳を振り上げている姿が見えた。


「しまっ─」


 慌てて起き上がるが間に合わないと判断し、両腕でガードの姿勢を取った。

 その直後、腹部に強い衝撃が走ると共に体が跳ね返り宙に浮く感覚があった。

 そして背中から地面に落ちた事で息が詰まり、一瞬呼吸が止まる。


「ぐはっ!」


 あまりの痛みに苦悶の表情を浮かべるオクタヴィオだったが、休む暇もなくゾルダートの追撃が襲いかかってきた。


「そらっ、まだまだ行きますよぉ!!」


 ゾルダートはオクタヴィオの首を掴もうと手を伸ばしてくる。

 それを紙一重で回避すると、今度は足払いを掛けようとしてくる。

 オクタヴィオは手を使って体を浮かせ、それをジャンプして避けると、空中で体勢を整えてから着地する。

 その勢いのままゾルダートに向かって駆け出すと、オクタヴィオは銃をーーー愛用のリボルバー【ベティ】を抜いて発砲しようとする。

 しかし、ホルスターまで伸びた手はそこで止まってしまう。


 オクタヴィオの手はホルスターの入り口を開ける事なく、その周りを泳いでいる。


「おやおやぁ? どうしたんですかぁ、絶好の射撃チャンスだったじゃないですーーーかっ!」


 その様子を見たゾルダートはニヤリと笑うと再び拳を振り下ろしてきた。

 咄嗟に腕を交差させて受け止めようとするが、弾き飛ばされてしまった。

 地面を転がるように吹き飛ばされながらも、何とか受け身を取って立ち上がることに成功したものの、既にボロボロの状態になっていた。


(どうしようかねぇ……)


 オクタヴィオは打開策を考えるが何も思い浮かばない。

 どんどん追い詰められているのは間違いではない。


(このままじゃ不味いな)


 そう思いながらも、何かないかとオクタヴィオは周囲を見渡す。

 すると、ふとある物が視界に入った。それは大きな木箱であり、中には幾つかの弾薬が入っていた。

 それを見たオクタヴィオは何かを思いついたらしく、にやりと笑みを浮かべるのだった。


「あれあれ、どうしたんです? もう終わりですかぁ?」


 そう言いながらも容赦なく攻撃を続けるゾルダートに対し、オクタヴィオは再び距離を取るために後ろへ下がるしかなかった。


 だが、今回は先程とは違い、きちんと作戦を考えての行動だ。


 その証拠に、彼はゾルダートを見つめながら笑みを浮かべているのだった。

 それを見てゾルダートは警戒したのか動きを止めると様子を伺うように睨みつけてきた。


「何ですその顔は、余裕を見せつけているつもりですかぁ?」


 ゾルダートの言葉にオクタヴィオは肩を竦めて答える。


「まさか、そんなわけないだろ?」


「だったら何故笑っているのです? 馬鹿にされているようで不快ですよぉ」


 ゾルダートは不機嫌そうに顔を歪めながら吐き捨てるように言った。


「別に馬鹿にしたつもりはないんだけどな」


 オクタヴィオは苦笑しながら答える。


「ただ、この状況をどうにかする算段がついただけだよ」


 それを聞いたゾルダートは鼻で笑うと言った。


「ふぅん、そうですか。 ならば見せてもらいましょうか、貴方の言う方法とやらをね」


「ああ、言われなくてもそうさせてもらうさ」


 そう言うと、オクタヴィオはゆっくりと深呼吸をしてから呼吸を整え始めた。

 その様子を訝しげに見つめるゾルダートだったが、やがて何をしようとしているのか理解したのかニヤけた視線をオクタヴィオに向けた。


「全く面白い人ですねぇ」


 ゾルダートの反応を見たオクタヴィオはニヤリと笑みを浮かべると、オクタヴィオは後ろに引きながらベティを取り出して引き金を引いた。


 狙う先は先程の弾薬が入った箱。

 その瞬間、爆発音が鳴り響き、眩い閃光が周囲を包み込んだかと思うと爆風が巻き起こった。

 至近距離にいたゾルダートは思わず顔を背けると、腕で顔を庇うような姿勢を取った。


「ーーーぐぅっ!?」


 やがて風が収まると、ゾルダートはゆっくりと目を開けていった。

 そして最初に目に映った光景は、先程まであったはずの木箱の残骸だった。辺りには木片が飛び散っており、地面も抉れている箇所がいくつか見られた。


「結構派手にやってくれましたねぇ……!!」


 その光景を目にしたゾルダートはヘラヘラと笑っていたが、すぐに冷静さを取り戻すと周囲に視線を巡らせる事にした。


「何処に行きました……?」


 ゾルダートはオクタヴィオの姿を探すため注意深く辺りを見回すが、オクタヴィオは影も形も見当たらない。

 爆発に乗じてまんまと逃げ仰せたらしい。


「ちっ、逃がしましたか……」


 舌打ちをすると、ゾルダートは踵を返してその場を後にするのだった。

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