ロマンティック消滅

両目洞窟人間

ロマンティック消滅

 私のロマンティックは数年前に死んでしまった。

 音もなく死んでいったから、当分の間は気がつかなかった。

 私は気がつかぬ間にロマンティック未亡人になっていた。

 ロマンティックは私の元から去ったのだ。


「井上さん、彼氏いないんですか?」はいはいはいーきたよこの手の質問。と、会社の後輩の高木さんから言われた時も「うん。まあねー」と受け流す。

 ロマンティックが死んでしまった私には彼氏なんていない。

 というかそもそもいない。


 好きな人は昔いた。笑い声がロバート・デ・ニーロそっくりだったデ・ニーロくんのことが好きだった。

 大学時代のことだ。後輩の男の子だった。

 私はデ・ニーロくんのことが好きだったけども、デ・ニーロくんは私のことが好きではなかった。

「井上さんは違うんです。お姉さんって感じなんです。彼女じゃないです」と二、三回抱かれた後に言われた。

 じゃあお姉さんを抱くんじゃねえよ。何、タブー侵してんだよ。神に背いてんじゃねえよって思ったけども、あっはい、わかりましたーって引き下がってしまった。

 だってデ・ニーロくんのことが好きだったので、好きな人のことは一番優先したかった。

 それが、私のことが嫌いというのが一番優先すべきことなら、そうしましょう。はい、しましょう。ってことで、私はデ・ニーロくんから身を引いた。

 あの頃まではまだロマンティックは生きていた。でも、あのらへんから、ロマンティックはだんだん息しなくなっていって、就活を経た頃には完全に心肺停止。

 そして、就職してからは消えてしまった。

 宇宙の藻屑になった私のロマンティック。

 ロマンティックが完全消滅して早数年。私はロマンティック無しでも生きてはいける。



 高木さんに彼氏がいないということを伝えると、高木さんは「えー!もったいないー」と勝手に損得を図られて、絶対作った方がいいですよー!とわいわいやられて、気がついた頃には合コンの頭数に入れられていて、私はつぎの土曜日には合コンに向かっている。

 嫌だなあ。という思いが浮かぶ。

 でも、断らなかったのは、私だってロマンティックを生き返らせたいという気持ちがあったからだ。

 ロマンティックが消えてから、それでも生きていけたけども、それはなんとか一人でやっていけてるって意味で、本当は私だってロマンティックでドラマティックな世界に浸りたいのだ。

 私の今の生活はロマンティックでもドラマティックでもない。

 何にもない生活。

 空気。

 生活というより空気。

 それを楽しむのには限界があった。

  だから、あわよくばって気持ちがあった。誰かにロマンティックを蘇生してもらいたい。

 誰かとドラマティックな日々を作り上げたい。



「杉山先生知ってる?そう。ハイゾーーンの。アニメ見てた!?詳しいねえー!えっ、ファン?まじで!?俺さ、杉山先生の編集で。そうまじで。ハイゾーーンの1話から関わっててさ。杉山先生とは、もう編集者と作家って関係を超えて、友人、いや、親友かな?もうそんな関係なの。杉山先生がいい話が書けた時は俺も嬉しいし、杉山先生が煮詰まってる時は俺も悲しい。だから、俺って、もはや杉山先生なの。うん、同化しちゃってんだよね。ははは」 と目の前で週刊マンガ雑誌の編集者だという男は早口で話し続ける。

 私はずっと引きつった笑いを浮かべながら、聴き続ける。

 高木さんともう一人の一緒に来た女の子はずっと「すごーーい!」「えー!本当ーー?」と相槌をタイミングよく入れ続ける。

 そのタイミングがあまりにリズミカルなので、編集者の話は熱気を帯びていく。

 ぶわわわわわわわ。

 ぶわわわわわわわ。

 昔、羽の綺麗な鳥はその羽を広げてメスの鳥に求婚すると聞いた。

 じゃあ、編集者にとって綺麗な羽は「ハイゾーーン」と「杉山先生」なのだ。

 ぶわわわわわわわ。

 ぶわわわわわわわ。

 私たちは今、求婚されている。

 編集者はちらりと私を見る。

 品定めをするような目。

 しばらくして、彼は私を見なくなる。

 私は彼のように綺麗な羽を持っていないので話す事もない。だからただただ彼の綺麗な羽を見続けた。そしてそれからはみんなの綺麗な羽を。

 どこかへ行った旅行の話。過去にやった凄い出来事。こんな人が友人にいて。凄い景色。遠い夢。こんなことを思ってる。渾身のジョーク。

 全てが私の向こうを通り過ぎていく。

 私はどの話もできなくて、ひたすら聴き続けた。私は透明人間になった気分だった。

 この場にいる誰もが私のことなんて必要なくて、この場にいる誰も私のことなんて気にしてなくて。

いてもいなくてもおんなじだ。

形式的に連絡先だけ交換して、形式的に挨拶だけやってきたけども、でも、何も起こらない。

私のロマンティックは蘇生されることない。



 次の日、高木さんが昨日の合コンの感想戦を私に話しかける。あの人はああでしたよね。こうでしたよね。あの編集者の人、暑苦しかったですよね。

  沢山溢れ出る他人への評価の数々に私は気圧されてる。

 他人のことをどう思っているかのグラデーションが高木さんは細かいなと思った。

 私はそんな風に思えないから、高木さんは凄い。

 高木さんはロマンティックが死んでなさそうだ。どうやったら死なずにすんだんだろう、私のロマンティック。



 それから相変わらずロマンティックが死んだ日々が続いて、それでも生活は続いていた頃に突然デ・ニーロくんから連絡があって「久しぶりに会いませんか」なんてきて、私は悩むがそれでもかつて好きだった人だったから私は再び会うことにする。

「お久しぶりです」

デ・ニーロくん。かつて私が好きだった人。

久しぶりに会ったデ・ニーロくんは相変わらずのロバート・デ・ニーロみたいな笑い方をして、相変わらず私のことをちゃんと見て話してくれる。

私はそれが楽しい。私は透明人間になってない。

自分の羽を見せびらかすような話をしないから、デ・ニーロくんの話が好きだったことを私は思い直す。 かつて好きだった人。

だから私はこの前の合コンの話をする。

デ・ニーロくんなら、わかってもらえると思ったからだった。

一通りの愚痴を言う。

後輩の女の子に誘われて行ったこと。

でも羽の見せびらかし合いに疲れ果てたこと。

私のロマンティックは死んだままだということ。

「井上さん。それはどこかで選り好みしてるんじゃないですか?」

  一通り話を聞いた後のデ・ニーロくんからの強いパンチに私はよろめく。ロマンティックが死んだなんて言って、私はただ選り好みをしていただけだったの?

 私は選ばれる立場だってことを忘れて選り好みしていただけ?

 ロマンティックが死んだ、それでもドラマティックな日々を過ごしたいとか言いながら、本当に遠ざけていたのは私自身だったの?

 はあ?え?わけわかんない。え?理解できない。

 落ち込み混乱する私の手をデ・ニーロくんが繋いでくる。無言で私を見つめるデ・ニーロくん。

「井上さん…」とデ・ニーロくんは私を見つめて呟く。

  あ、気持ち悪い。

 デ・ニーロくんが気持ち悪い。

 手を離してほしい。

 かつて好きだったデ・ニーロくん。

 でもそんな人に手を繋がれても、もう気持ち悪いとしか思えない。

 これも選り好みしているの?

 違う。

 単純に気持ち悪い。

 このタイミングで手を繋いできたデ・ニーロくんが気持ち悪い。

 手を繋がれてもロマンティックは復活しない。蘇生しない。

 かつて好きだった人は、"かつて好きだった人"に本当になってしまった。この瞬間なってしまった。

 私は「あー、だめだ」と言って、手を離して、立ち上がってお金を置いて立ち去る。

 後ろからデ・ニーロくんの呼び止める声が聞こえるけども無視をする。走り去る。

 私は逃げ去る。

 ロマンティックなんてどうでもいい。

 とにかく気持ち悪いから逃げる。逃げる。逃げ去る。



「昨日はすいませんでした。」ってLINEがデ・ニーロくんから入ってるのを既読スルーして、私は私の生活に戻る。

 もうロマンティックは蘇生しないんだ。って私はさとる。

 私のロマンティックはどこかで死んだのだ。本当に死んでしまってたんだ。

 そしてそのロマンティックは誰かによって復活するとかそういうことじゃないのだ。

 選り好みでロマンティックが復活しないのなら、もうそれはそれでいい。

 私は見知らぬ誰かによってロマンティックを蘇生させなきゃいけないほど、ロマンティックに困っているわけじゃない。

 羽の見せびらかしも、かつての好きな人も、私には必要ない。

 だから、生きてる。まだ生きてる。ロマンティックがなくても生きてる。

 私にはロマンティックは必要ない。

 ありがとうロマンティック。

 かつての私の生活をドラマティックにしてくれて。

 でも、今はさようなら。

 復活することはあるのかな。

 多分ないでしょう。

 誰かに復活してもらえるのを待つなんて、それはとても悲しいことだ。

 私はロマンティックなんて、もう追い求めずに生きていく。

 ロマンティックもドラマティックもない世界を生きていく。

 それがなくても生きてやる。

 私は私で幸せになる。

 もしその過程で、ロマンティックが復活したらその時はこころよく受け入れよう。  

 でも、それまではさようなら。

 もう二度と帰ってこなくてもさびしくない。

 私のロマンティックは消滅してしまった。

 私はロマンティック消滅以降の時間を、生きている。

 さようなら。

 さようなら。

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