3周忌

しどろ

3周忌

 バイクの単独事故で死んだ友人の3周忌に、私は勝浦の海を眺めながらガードレールに花束を添えた。彼女の名は守野玲佳といい、私の中学からの友人だった。東京から千葉に引っ越してから、町の雰囲気の違いに怖気づいていた私に、最初に話しかけてくれたのが彼女であった。

 守野はなんにでもあだ名を付ける癖があった。私のことは「ナーギィ」と呼び、学校の途中にいた野良猫は「ノコギリ」と呼び(耳の先端がカットされていたためだ)、挙げ句の果て私の机にまで名前を付けていた。名前は「ナーチョ」だった。教室が変わったらどうすんのと言ったら、翌年私の机は「ナーチョ2号」になった。休み時間には守野が私の机の上に乗っかり、「ナーチョはあんたより私のほうが好きに決まってる」なんてよく言っていた。

 守野があだ名を付けるのは、彼女自身が物を覚えるために必要なことでもあった。極度に物覚えの悪い彼女は、すぐにあらゆることを忘れていた。昨日したこと、明日すること、今抱えていることだって覚えることができなかった。だから宿題だってたくさん忘れていたし、それで怒られたことも忘れていたし、私と遊ぶ約束もたくさん忘れていた。それでも遊ぶ予定の場所にあだ名を付ければ覚えていてくれた。いつしか私は彼女と一緒にあだ名を考えるようになった。

 高校に上がってから、彼女はすぐにバイクの免許を取り、中古のバイクを自慢してきた。3ヶ月後に私も数万円だけ高いバイクを買って自慢してやった。当時は男子でもあまりバイクを持っている人はいなかったから、少しの間クラスの人気者の気分を味わえた。

 それから守野と私は一緒にバイクで出かけるようになった。バイク通学は禁止だったが、放課後や休日に時間を見つけては遊んでいた。40キロ制限の狭い2車線道路で、会話もせずただ走るだけ。何度も現れる信号機。海沿いの道でありながら、山やトンネルに遮られ見えないことのほうが多い海。それでも、高校生活の憂さ晴らしには十分だった。休憩のたびにたくさん喋って、気が済んだらまた走り出す。一緒に話したい気分のときは二人乗りだった。水族館に行くことも多かったし、夏は何より海水浴場によく行った。近場にたくさんあったからだ。

 都市部に行くこともあったが、かなり遠いし100キロ近く毎回同じ道路を通ることになるので、あまり頻繁には行かなかった。その目的ならおしゃれ着で外房線に乗ることのほうが多かった。

 そうして1年も経つと、私達は気が大きくなって、だんだん危険なこともできるようになってきた。例えば、夜間にバイクで出かけるようになった。田舎らしい暗闇の中、女子二人で出かけるのはとても怖かったが、そのスリルが楽しかったし、真っ黒な海を眺めながら、小さな星を眺めながら、夜が明けるまでなんでもない会話をするのは本当に楽しかった。何度かお巡りさんに怒られたり、近所の人に悪い噂を立てられたりしたが、別に気にしていなかった。

 彼女がよくする話の一つに怪談があった。鏡を2枚持ってきて「合わせ鏡」をしてきたり(もちろん暗くて何も見えなかった)、丑三つ時には霊界への扉が開くなんてこともよく話していた。霊界なんてものは信じていなかったが、真っ暗闇になると空も海も地面も、全てが一つに繋がっている気がして、その瞬間は守野も私もブルブルと震えていたものだ。

 そんなふうにして、守野とよく駄弁っていた岬があった。海に突き出たカーブのさらに外側に駐車できる小さなスペースがあって、汚れたベンチが置かれていた。守野はここを「クルベ岬」と呼んでいた。本当の名前は知らない。彼女が死んだのはこの近くだった。

 ある夏の日の夜のことだった。彼女から見せたいものがある、クルベ岬に来いと連絡があった。深夜の1時にである。大学受験の勉強でもしていればよいものを、私はホイホイと誘いに乗り、30分ほどかけてクルベ岬に向かった。だが、目的地に彼女はいなかった。何度も彼女にメッセージを送ったが、返信は無かった。彼女の両親にも連絡した。夜中急にいなくなることはよくあるから、と口では言っていたが、やはり心配なようで、その後何度も私の元に「見つかったか」と電話がかかってきた。

 翌日、私は学校へ行った。守野は学校に来ていなかった。守野の安否不明の噂は既に出回っており、何人も私に何があったのか尋ねてきた。警察の捜索も始まっているらしかった。二限の授業中に私は警察の人に呼び出され、事情聴取を受けた。ありのまま伝えると、私の聴取を担当した白髪のおじさんはすぐに一緒に見に行こうと言い、私はパトカーに乗せられた。学校を離れるとき、私は昨日まで学校の裏に保管されていた七夕の笹が無くなっていることに気づいた。そして、守野がこの笹に妙に興味を抱いていたことを思い出した。

 パトカーの中で、おじさんは守野に変わったことが無かったか、私とどういう関係だったのかとかを色々聞いてきた。私はといえば、このおじさん見たことないなぁということばかり考えていた。夜間にパトロールしてる顔見知りの警官は近所の交番の人だったけど、こういう捜索は特別に他所の地域から人が集められているのかもしれない。

 クルベ岬に着くとやはり何もなかった。だが、そこに向かう道というのが大きなヒントになったらしく、おじさんは近くの道を調べようと言った。そうして辺りを見回して走っていると、ついにガードレールが大きくひん曲がっている場所を見つけた。崖の下を見ると、木々で見えづらかったが、彼女の愛車「スズル」と、そして彼女が間違いなくそこに落ちていた。クルベ岬から200mくらい離れた場所だ。頭を強く打ったようで血まみれで死んでいた。すぐに応援が呼ばれ、辺りは警官でいっぱいになった。何度も事情聴取されたり葬儀に参加させられたりして正直その時のことはよく覚えていない。通夜で涙が止まらず、守野の母親に何度も頭を撫でられたことは覚えている。塩味の夜ご飯を吐きそうになりながら食べたことも覚えている。

 1週間くらい経って、彼女の単独事故であることが確定した。警察によれば、死体の近くの茂みから短冊のついた笹が見つかって、監視カメラの映像から、深夜に彼女が学校の笹を持ち出し、担ぎながらバイクでクルベ岬に向かう途中でバランスを崩し、ガードレールに衝突して転落したと考えられるのだという。そんなアホな死に方があるのかと驚いたものだ。

 彼女がいなくなってから、私と私のバイクはひとりぼっちになってしまった。他の友達から遊びに誘われることもあったが、どうにも気分が乗らず全部断っていた。高校2年の終わり頃から、気を紛らわせるために受験勉強を頑張り始めた。忙しいからと言い訳して1周忌に私は何もしなかった。適当な大学に合格して適当に引っ越して適当に通い始めてからも、やはり忙しいからと彼女のことを考えないようにしていた。実家の裏に寝かせていたバイクはいつの間にか盗まれて無くなっていた。

 そうして迎えた3周忌である。心の整理が付き始めて、ようやく花を手向ける気になったのだった。市原にある彼女の墓には何度か行っていたものの、何か憑いてたら嫌だなと思ってクルベ岬の近くは避けていたから、ここに来るのは本当に久しぶりだった。事故現場はあのひん曲がったガードレールだけ新品に交換され、周りから浮いてピカピカしていたからすぐに分かった。ついでに安全啓発看板と反射材がいくつか増えていた。

 崖の下はもう元通りだった。深い茂みなので少し躊躇ったが、私は新しいバイクをガードレールの外側に停め、下に降りて何か無いか探してみた。笹でもスズルの破片でも、何か私に残してくれたものがないか探してみた。そしてついに何も見つけられなかった。全部雨か潮水で流されてしまったのだろうか。あるいは、警察に持って行かれてしまったのか。今になって気になるのは、守野の「見せたいもの」とは何だったのか、ということである。笹を担いでクルベ岬で何がしたかったのだろう。気になり始めたら止まらなくなって、私は通っていた高校に向けて走り出した。

 日曜日だ。人には見つかりにくい。顔を覚えている人も学校の近くにはいないだろう。学校に着くと、やはり学校裏には今年使われた七夕の笹が置き捨てられていた。白昼堂々、私はそれを盗み出し、肩に担いでまた走り出した。何度かヘンゼルとグレーテルのように次々と短冊が道端に落ちて行ったが、すぐにそれは道の端に、あるいは海に飛ばされて見えなくなった。これは中々気持ちよかった。サラサラと音を立てながら色とりどりの短冊をぶち撒いて走っているのだ。試すまで絶対にこの楽しさに気づくことはなかっただろう。アホだと思っていた自分に少し反省した。流石に事故を起こすこともなくクルベ岬まで辿り着き、そして気がつくと空は朱くなり、日は山の奥に消えてしまった。

 私はクルベ岬の先端に、灰色のパイプが上向きに生えているのを知っていた。守野はいつもそこに石やらゴミやらを入れて遊んでいた。彼女はバカなので自分の鍵をそこに落としたこともあった。ふと、この笹はここに立てるためにあるんじゃないかと気がついた。きっと彼女ならそうすると思った。パイプに突き立てると、思ったとおりぴったりと嵌まり、笹は海に向かって頭を垂れた。

 私はボロベンチに座り海を眺めた。潮風が吹くたびに、生徒たちの願いを乗せた短冊は宙を待って海に消えていった。バカだと思う。バカだと思うけど、守野はこの紙を全部海に捨てれば、海と空の境界が消える時間に、天の川まで届くと思ったのかもしれない。

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