旅立ちの刻

つるよしの

旅立ちの刻

 知勇吉チューきちは腹を括った。ここが己の死地であると。

 

 さっきまで自分の横にいたはずの旅の連れ、伊芸太郎イケたろうの気配は微塵も感じない。きっと己を見捨てて逃げたのだろう。門番の虎の牙は鋭く、ぎらり光る牙の隙間からは荒い息が髭をくすぐる。思わず知勇吉は、自分が今に至るまでの経緯いきさつを脳裏に浮かべた。すべてはあの無謀な一言がいけなかったのだ――。

 

 

「私もこの国の王に、立候補したく存じます」

 

 知勇吉の発言に、鼠国そこくの重鎮たちは嗤い声を上げた。

 鼠国は動物の国には珍しく、合議制の国家である。王も各々の立候補で決める。しかし重鎮たちは失笑した。まさか知勇吉のような弱腰鼠が立候補するとは。父から過大な期待をかけられた名前倒れの若者。それが鼠国における知勇吉の立ち位置だ。先に立候補の声を上げていた伊芸太郎とは、家柄も頭脳も力も、何もかも見劣りする。

 

 しかし知勇吉は必死だった。分不相応な発言とは重々承知している。だが、彼は愛する女鼠のためにそうせざるを得なかった。

 

 彼の求婚に彼女は、ちゅちゅう、と冷たく笑った。なんなら、私をこの国の王妃様にでもしてみてよ。あんたにそれができるの? できるならしてやってもいいけど。

 

 そんなわけで知勇吉は重鎮の前で新王に名乗りを上げたわけだが、化けの皮とはあっけなく剥がれるもので、次の重鎮の一言に彼は途端に尻尾をふるふる震わせた。

 

「どちらが王に相応しいか試さねばならぬな」

「ではこうしよう。ちょうど今、我が国には千年に一度の奇病が流行っておる」

「この病は陽の落ちる山脈の洞窟にある薬草でしか治せない。これを持ち帰った者を王とするのはどうか」

 

 知勇吉が震えたのも無理はない。陽の落ちる山脈は獣が支配する地。鼠国の者がそうそう向かうことはない。思わず彼は、ご無体な、と語を零した。

 が、その言葉は空に舞った。

 

「その役目、私めが引き受けましょう」

 

 伊芸太郎が不敵な笑みを湛えてそう言ったのだ。こうなれば知勇吉の退路は絶たれたのも同じだ。彼も渋々伊芸太郎と共に旅立つことを承諾するしかなかった。

 それが六日ほど前の話だ。二匹はいま、まさに陽の落ちる山脈に辿り着いていた。そして洞窟のある山に向かう橋のある谷に差し掛かったところ、早々に、虎に襲われたのだった――。


「儂はこの地を守る将軍虎兵衛トラべえじゃ。薬草を狙ってのことだろうがここまでじゃな」

 

 虎兵衛は唸り声を放ち、知勇吉の喉に向かって牙を差し出す。知勇吉の心にひたひたと諦観が広がる。

 

 ところが思わぬことが起こった。次の瞬間、虎兵衛の背後に大きな黒い影が現れるやいなや、そいつが虎に齧り付いたのだ。

 熊だった。

 それから数分、唖然とする知勇吉の目前で、熊と虎の乱闘が繰り広げられた。そして、決着がついた。もうもうと上がる砂埃のなかから姿を現した勝者は、熊であった。

 

 呆然とする知勇吉の目前を悠々と熊は歩き、橋を渡っていく。

 瞬間、知勇吉は跳んだ。熊の背に。そしてしがみつく。熊は知勇吉には気づかず谷を渡って行く。どうやら目指す地は同じ洞窟のようだ。知勇吉は息を潜めて、熊の背中から落ちぬよう念じるばかりだった。


 やがて着いた洞窟の入り口は、思った以上にちいさなものだった。熊は立ち止まり、どうしたものか思案している。いまだ、と知勇吉は熊の背を駆け降りた。ところがそれに気付かぬ熊ではなかった。

 

「そこのちいさいの、俺の背中に乗っていたな」

「ひっ」

 

 一難去ってまた一難である。知勇吉は、今度は熊の爪に喉を押さえつけられていた。だが、彼は必死の思いで熊に頼む。

 

「見逃してくれ、僕はそこの洞窟にある薬草を取ってきたいだけで!」

「薬草? 鼠国でも病が流行っているのか?」

 

 熊が意外そうに知勇吉を見やる。どうやら、熊国でも病が蔓延しているらしい。これはチャンスだ。知勇吉の胸に名案が閃いた。

 

「そうだ。あの洞窟は君の身体では入れないだろう。だから僕が代わりに薬草を取ってくるよ。いっしょに山分けしよう、だから僕を助けておくれ!」

 

 一か八かの勝負だった。そして、ややもって熊がこう言った時、彼は自分が賭けに勝ったことを知る。

 

「よし、その案に乗ろう。だが薬草を持って逃げたら命はないぞ」

 

 知勇吉は頷くと、一も二もなく洞窟に飛び込んだ。そして薬草を手に戻り、熊と約束通りそれを山分けした。

 

 そのあと彼が意気揚々と鼠国に凱旋したのは、言うまでもない。

 


 伊芸太郎はむしゃくしゃしていた。

 わかっている。知勇吉を見捨てて逃げた己が悪いのだ。だがあれは魔が差しただけであって、本来なら知勇吉などに負ける俺ではないのだ。なのに、いまや奴は新王の座につき、密かに狙っていた女鼠を妃に迎え、意気揚々と日々を過ごしている。だがこうとなっても、宮廷官吏たる自分の責務は果たさねばならない。

 

「そこで朕は熊をグサっと槍でひと突きしてだのう」

「まぁ、陛下ったら勇壮でございますこと」


 伊芸太郎の執務室は王の居室に近い。今日も新王が妃に語る、嘘か誠かも分からぬ自慢話が聞こえてくる。憎たらしくてため息が出る。伊芸太郎は顰めっ面をしながら、仕事の続きをするべく手元の外交資料に目を向ける。そしてそこに思わぬ文が綴られているのを見る。


「なに、虎国ここくから虎兵衛将軍が追放されただと?」

 


 一週間後、鼠国の国境を超えた草原で、伊芸太郎は密かに虎兵衛将軍に接触し、密談を交わしていた。熊に橋を突破された罪をもって国を追放された虎兵衛将軍は、苦々しい顔で伊芸太郎の提案を聞いている。

 

「俺は王になりたい。知勇吉に一泡ふかせてやる。そのために貴殿の力が必要なのだ」

「儂になにをしろというのだ」

「手土産を持って国に帰らせてやる。我が国に伝わる秘宝の地図を貴殿にやる。そのかわり、奴、そして、俺と決闘をするんだ」

「決闘だと? 鼠風情に負ける儂ではないぞ」

「無論、芝居だ。奴は好きにして良いが、俺を勝たせろ。悪い条件ではなかろう」

 

 暫しの沈黙ののち、虎兵衛は伊芸太郎の提案をのんだ。鼠と取引するなどとは虎にとっては屈辱でしかなかったが、彼もまた故国には未練があったのだ。


 数日後、虎兵衛将軍は密約通り、鼠国の境を越え、暴れ回った。その報を聞いた鼠国の民は震え上がった。それは、知勇吉も同様であった。そして、顔をこわばらせた彼の前に、恭しげに現れたのは、伊芸太郎である。

 彼は口上を述べた。

 

「陛下、虎兵衛将軍は陛下に決闘を申し込んでおります。どうぞこの国の民をお救いなさいませ」

 


 決闘は鼠国の王都にある広場で行われた。鼠国の民は、華麗な鎧を身に纏った新王を褒め称えた。なんせ、熊と勇猛果敢に戦ってきたと口にする王だ。きっと救国の英雄となってくれるであろうと。

 一方、知勇吉は虎兵衛将軍に睨まれただけで、尻尾も足も、そして剣を持つ手もふるふる震える有様だ。かつて、虎将軍に牙を剥かれた日の記憶が脳裏を過ぎる。

 

 哀れなことだ、とそれを見て虎兵衛将軍は密かに息を吐いた。しかし、こうとなっては、情けをかけているいとまもない。銅鑼が広場に響き渡ると同時に、虎兵衛将軍は知勇吉に躍りかかる。

 鼠国の紋章を刻んだ剣が、空高く跳ね飛ばされたのを観客は見た。ついで、土にまみれる王の姿も。

 

「陛下、助太刀致す!」

 

 そして突如広場に飛び込んできた伊芸太郎が声高く叫び、虎兵衛将軍に掴みかかる。あっけなく虎が無様に倒れたのを見て、観客は歓声を上げた。

 そして、暫しの静寂のあと、伊芸太郎を讃える声が広場に大きく木霊する。同時に、王を降ろせ、代わりに伊芸太郎を王に据えよ、という怒声が広がる。すべては計画通りにことは運んだのだ。


「どうだ、知勇吉。お前はやっぱり名前倒れだな」


 地に仰向けに倒れた知勇吉の目に、伊芸太郎の禍々しい笑顔が映る。その瞳に湛えられた悪意のひかりを見て、知勇吉はことの次第を悟った。


「謀ったな! 伊芸太郎」

「そうだ、虎は俺の味方だ。だがもう遅い。今日から俺がこの国の王だ」

「なんだと!」


 知勇吉は怒りのあまり、泥にまみれた身体をふらふらと立ち上がらせながら観客席に向かって叫んだ。


「これは虎と伊芸太郎による陰謀だ! 皆の衆、これは謀反だ!」

「何を言う」


 対して伊芸太郎の表情は余裕に満ちている。そして彼はこう言い放った。


「ならば、俺に勝ってみろ! 知勇吉よ!」


 知勇吉はその声にええい、ままよとばかりに伊芸太郎に掴み掛かった。だが、力の差はなお歴然だった。難なく知勇吉を躱した伊芸太郎は、赤子を捻る如く相手を再び地に叩きつける。

 知勇吉に残された道は、罵声を浴びながら、鼠国を逃げ出すことしか、なかった。

 


 国を出てからもう幾日が経過しただろう。知勇吉はどことも知れぬ草原を彷徨い続けていた。そして、遂に、どう、と倒れた。僕にはこんな最期が相応しいのかもな。そんなことを遠ざかる意識のなか、思いながら。

 すると、自分を助け起こすものがいる。瞼を持ち上げてみれば、そこには思わぬ顔があった。

 虎兵衛だった。

 

「儂も故国には帰れなかった。鼠と取引した愚か者と、なじられてな」


 知勇吉は虎兵衛の言葉に息をのむ。その言葉にはなんとも言い得ぬ寂しさがあった。そして暫くのち、虎兵衛はこう呟いた。


「我らは同じような境遇だ。もはや互いに国には帰れぬ。ならば、ともに新しい土地を目指さぬか」


 いつしか、知勇吉は泣いていた。

 すべてを失ったと思った自分にも、このような出会いが待っていた。そのことが堪らなく嬉しかった。その喜びは王になった時のそれより遥かに大きかった。

 

 やがて虎兵衛はそっと身をかがめた。そして視線で自分の背へ乗るよう知勇吉に促す。

 知勇吉が背に乗ると、虎兵衛はゆっくり歩き出した。


「どこに向かうんだ」

 

 その問いに虎兵衛は静かに答える。

 

「儂は丁度いい地図を持っている。それを辿るのも一興かと思ってな」


 大小ふたつの影が草原の向こうに溶けゆく。

 

 それが、鼠国と虎国双方で後世語り継がれる、新しい伝説の始まりだった。

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旅立ちの刻 つるよしの @tsuru_yoshino

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