白い光

@suigetsu-namikawa

第1話

 秋も大分深まってきて、人肌恋しくなるような冷たさの風が舞い始めた時刻、遠州灘の浜沿いに居並ぶ茶屋の一軒のひと椅子に、ほかに沢山席が空いているのに、男が二人坐っていた。ひとりは長剣三度笠、もうひとりはどこか大店の番頭風。まあ、どう見ても連れではない。

 三度笠が最後のひと飲みを飲み終え、深々とため息をつき、

「さあて・・・」

 と後を口ごもると、

「シマを変えますか」

と、隣の番頭風が言葉を続けた。ぎょっとした風に三度笠が見返すと、番頭は頭を掻いて、

「すみません、余計な事を。商売柄人様の気をつい読んでしまいまして、あたしの場合はそれが言葉に出てしまいまして、気に障ったのなら、ご勘弁願います。この通りでさあ」

 三度笠はじっと番頭を見ていた。三度、五度頭を下げていた番頭が見返すと、三度笠は破顔一笑、

「いやあ、凄いもんだな。商人というのはそういうもんか。いや、驚きいった」

どうも、この三度笠、言葉の使い方が滅茶苦茶である。番頭は改めて笠の下の顔を覗き込んだ。

 (どう見ても二十歳そこそこや、まあ渡世人やさかい教養は必要ないやろけどなあ)

 三度笠が席を立って、

「婆さん、茶代ここに置いとくぜ」

慌てて、番頭も、

「わたしのも、置いたからねえ」

と席を立って三度笠に追いすがり、

「どうです、行くあてがないのなら、いっそこのまま、あてと京都に行きませんか。私は白木屋で四番番頭をしている常吉と申します」

よんばんとはっきり聞こえるように言う。なかなかの役職なのだろう。

(さて、あてがないことは確かだし、この先何も見えていないことも。この白木屋の番頭に附いていけば、番所も問題なく通れるわけだが、)

 三度笠歩みをとめて、笠を持ち上げて沖合いをじっと見据えた。海上で星がひとつまたたいた。

「一度京都を見てみるか」

「でしょう。そうなさいまし、白木屋けっしてご損はさせません」

 商売用語でしっかり締めて、意気揚々と三度笠の後を追った。二人が後にする砂浜は沖からの風が強まり、足元から砂を舞い上げて、茶屋提灯が飛ばされそうに揺れていた。


 事件は宿について荷物をほどく間もなく起きた。

「いたなあ、白木屋。娘を返せえ」

 常吉は三度笠の後ろにへばりついた。場所は旅籠の二階、階段を上がりしなの相部屋で、見ると暴漢は履物も脱いでいない。

「こういう事か。俺が処置して構わんかね」

「お願いします」

 蚊の泣くような声である。立ち会うと相手は石蔵より頭がひとつ抜け出ている。異常夫と言っていい。

「なんだあ、貴様は、」

正対して相手が刀を振り上げた瞬間、三度笠は相手の懐に飛び込み、刀の頭を鞘ごと丹田に突き入れた。相手はもんどりうって倒れ、ピクリとも動かなくなった。刀を腰帯にねじ戻して、目で宿の番頭を見透かすと、

「このひとは下の土間に筵でもしいて寝かせてやってくれ、もどすかも知れんので。お役人はそれからでいいだろう、あたしは他の宿に移る。何しろ脛に傷あり、障子に目ありなんで」

 見渡すと皆頷いてくれた。

「良かった。それじゃ、常吉さん、宿が決まったら知らせるから」

「と言っても旅人さん。まだ名前を伺っちゃいねえんですが、」

「ああそうか、私の名は石蔵、武州川越だ」

いうなり荷物を引っつかんで外へ飛びした。表で役人の声が聞こえ始めた。


 ひと夜明け、石蔵は旅籠外れの辻地蔵の傍らで待った。まだ明けは浅く、闇の冷たさが足に纏わりついた。石蔵は己の泊まった宿へ引き返した。

「駄目だ、寒くていかん。中で待たせてくれ」

「どうぞどうぞ。今、茶を持ってまいりますケニ。何でございますよ、大店の番頭さんは、わしらとは時が違うておりましょうから、万事ゆったりなのとちゃいますか」

 昨日の騒動とその大よその中身はすでに旅籠中に広まっていた。

「あ、茶をすまぬ、ふむ、暖まる。なるほどな、しかし、」

石蔵は茶碗を両手で包んで、碗の中のたゆたう茶柱を目で追いながら、知り合って以来の常吉特有の小動物的しぐさの有りようを思い返してみた。頭を静かに横に振った。

「番頭さん、俺にはとてもそうは思えん」

 そんなこんなで腹も茶腹になりそうな頃、番頭が外を指差した。

「あ、あそこで手を振っておられますよ」

見ると常吉が地蔵の前に立ってしきりに手を挙げていた。

「じゃあな、帰りにはまた寄るから」

 番頭に言い置いて、石蔵は慌てて飛び出した。並んで歩き出すと、常吉はそれを待っていたように、

「全くここの役人どもときたら、頭にきてしまいますよ」

「そうか、昨日の件の後処理か。どうなったね」

「へい、私がかまわないと言っているのだから、剛右衛門は、あ、かの者の名です。剛右衛門は放してやってくれと、それを、手続き上は、とか、前例がないとか、もう頭にきまして、エエイ、わたしゃ天下の白木屋の番頭だ、その気になれば、あんたらの首ねっこのひとつやふたつ、なんとでもなりますよ」

「いやあ、言ったか」

「いえ、まあそういった風の事を筋道立てて、分かりやすく、」

「なるほど、手間取るはずだ」

常吉はひと息ついて、

「ま、これで剛右衛門も家に帰れるようになったので、懐に十両ねじり込んでやりました。泣いてましたよ、、、何ですかその顔は、私は女衒じゃありません」

「はい、あんたは白木屋の、と何番だっけ」

「四番です、もういいでしょう。という訳で今私の財布はすっからかんです。石蔵さん、よろしく」

「何、おいおい、京都までの路銀など持ち合わせておらんぞ」

「はは、冗談ですがな。えーと、この先の興津に白木屋の出店が有りますから、そこに寄れば金は融通できます、心配はあらしまへん」

「なんだ、驚かさんでくれ、また、刀狩りに逆もどりかと、あせったぞ」

「刀狩り、」

「いや、話せば長くなるんで、おいおいと」

 二人は坂道に踏み入った。道は黒々と波を打ち、その先は稲妻ごとくに立ち上がっていた。

「ここは、」  

「有名な薩タ峠ですがな、こっからひと汗かきまっせ。ほな、いきまひょか」

二人は黙々と登り始まった。足元から風が背中を抜けていく。肌着が背中に張り付いて、冷たかった。

「しかし、何だぞ、わしの泊まった宿の番頭が言っておったぞ。かの、剛右衛門の娘は評判の美人だそうだな、おかの、とか言ったな、吉原でも指折りの茶屋に身入りが決まって、あんなにひどい貧乏浪人の親爺がいる境涯から抜け出せて、あれはめっけものだ、と申しておったぞ」

「おみの、でさ」

ぼそっと、呟くと、指先でずすりと鼻を擦り上げた。鼻の頭が赤くなっている。

「もう十五になっておりましたんで、実際はもう無理なんでございますが、まあ、そこが蛇の道は蛇で、ちょうどその店の亭主が私の知り合いだったもんで、何とか折り合いを付けさしていただきました」

 後は無言で二人とも道の究めに集中した。とにかくきつくて会話どころではなかった。峠の先が見えてきた。白く光っていた。

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