第2話 妊婦
またか。
ベージュ色の石畳に立っている自分の足元を見た。見覚えのある茶色いローファーを履いていたので、大好きなオレンジ色のスニーカーになればいいなと思ったけど、夢だというのに衣装チェンジは出来なかった。
ローファーは嫌い。重いし、砂が入ったら分解も出来ないのに手入れしないとカビていくし、しばらく靴屋で放っておかれた「特売」を買うとすぐに裏地がとれちゃうし、オーダーメイドのいいやつならそんなことないのかもだけど、スニーカーみたいに紐で形を変化することも出来ず、どっかの誰かの足のカタチに全部が出来てて、「わたしのではない」って感じがずっとしている。いざ走るとなると、開き過ぎた足の甲の形状で、足の甲を曲げた瞬間に脱げるし、縫い目が硬いし、本当に「校則」とやらでなければ、購入すらしていない足手まといな相棒だと思う。
ここは夢の中。高校三年生。わたしはここにいる人間(?)などに、道案内をして、読めない文字の書かれた羊皮紙がいっぱい貼られた路地に行かねばならないっていうルールのある夢を、何度も見ている。
声をかけた人が満足したら、この砂煙の大量に発生している砂漠の街から、抜けだせることができる。早く目覚めるためにも、なにかを探す人に声をかけなければ。
うずくまっている人がいた。気になる。
周りの健康そうな人のほうがいいとわかっているのに、もしかして病気とかだったら、どうしようとかかんがえてしまう。私には、とにかく危険な方へ行きたがる性質がある。危機感を持ったから、話しかける相手はもう、決まっちゃった。
「あの」
うずくまっている人に声をかけると、女性は、バッと顔をあげて、にへー!っと笑った。目の下にほくろがある、インド系の美人。パッと立ち上がって全身を覆うだぶだぶの布の砂を払うと、妊婦さんだった。大きなおなかを重そうに抱えて、わたしをニコニコとみている。
危機感は薄まった。(あれ~?)と思った。自分が持ってる危機感知能力がスゴイ高いって言う自意識を疑う。危機感知能力ってなに。どうせなら、回避がいい。
いつもみたいに歩き出すと、その女性の横に、何だっけ、ロバじゃなくて、こぶがあって、顔がスゴイカッコいい…ドラァグクイーンみたいなお顔をした動物の綱をもって、駆けてきた男性がいた。なにか女性に声をかけているけど、何語かわからない。多分、その動物に乗れとかいってるのかな?っておもった。
知り合いかなって言う距離で、女性もその男性の事を、無視してるようなどうでもいいような態度だから、むしろ親密に見える。面倒くさい親とか、兄妹かも、などと勝手に思った。
いつもならすぐにつくのに、羊皮紙の貼られた壁にたどり着くことが無かった。迷子感がつよい。
右に行っても左に行っても、ただの建物の脇を歩いてる感じで、空は青いし風は砂埃。
妊婦さんも疲れ気味で、カッコいい顔の動物の綱を持った男性が、わたしに対してつばを飛ばす勢いで、すげえ怒ってくるので、道行は最悪。
(怒鳴り声を聞くと、効率が20%さがるんだっけ)
わたしが悪いわけじゃないのに、わたしがわるいみたいなことをいってることがわかる。知らない言葉の怒鳴り声が怖すぎて、次に声をかけることがあったら、男性は気を付けようと思うぐらい。この男性だけだってことはわかってんだけど、女性を守ろうとする姿ってこともわかるんだけど、怒鳴り声って、地味に生命力を削られ句。私の生命力を奪ってさけんでいるのでは?とおもうくらい、超こわい。
女性が、男性に大きな声を出して、男性がびくっとした。なんか、言ってるっぽいけど全然わからない。身振り手振りからすると、もしかして「どっか行け!」て言ってるのかも??というかんじだった。
そんで、その男性はこっちを伺いながら、とりあえず遠巻きになって、こっちをみてるっぽかった。けど、妊婦さんがわたしの肩を叩いて、走り出したので、とっさに理解して、わたしも一生懸命走った。砂が入りまくったローファーはこういうのに向いてなくて、すげえきつかった。脱げた。でも、もういっそ捨てた。夢の中だから、学校指定の靴だってもういらないのでは!?と思って。5600円のローファーは砂の中に消えて行った。
砂を巻き上げて、わたしたちは、その男性を巻くことに成功した。
成功したとわかったのは、ちゃんと羊皮紙の貼られた壁にたどり着いたから。
カッコいい動物の綱を持った男性が、邪魔者だったことがわかった。
見つけた羊皮紙を、抱きしめて、涙を流しながらお腹をさする妊婦さんに、──ただ重くてさすってるのかもだけど──もしかして、おなかのこの父親の行く先が書いてあったのかなと思った。砂の入った靴下がうざかったけど、良かったなぁともらい泣きしそうになる。
その女性は泣きながらも満面の笑みで、ジェスチャーでお礼を言っているようだった。わたしの肩を2回バンバン叩いて、頭をぎこちなく下げて、おなかを指さして、羊皮紙を指さして、グッと親指を中に入れて、空中をパンチして、その羊皮紙にチュッとキスをして、わたしに手を振って歩き出した。
わたしは、たぶんなにかを案内したんだろうけど、元気が出たっぽい女性の後姿にこっちも元気を貰った気がして、へへッと笑いがこみあげてきた。
:::::::::::::::::::
目が覚めると、自室の天井。
電気をつけっぱなしに、服も着替えず、投げ出した丸ペン軸の先に指をさされて、「いてー!」と言いながら起きた。
駆け出しの漫画家というわけではなく、ただの趣味の同人漫画作品を作っている最中に寝落ちしたっぽかった。高校生でもない。大学生で、妊婦さんとの接点は……たぶん、先日、道にうずくまっていた妊婦さんと一緒に救急車に乗って出産まで付き添い、「親族ですか!?」と聞かれ「大学生です」と言ったら欠席届を貰えて、半日潰れたことがあったから、その印象が強いのかもとか
──、あと、少しだけストーカーにあってるからかもと思った。
(おなかの子は”守らなきゃいけないもの”があるって象徴かな?)
働いているコンビニによく来るお客さんが、「わたしがいない土日にも買い物をしてやるから、土日にも働かせろ」とオーナーに問い詰めたり、大学に「何時から学校なんだ、自分が買い物をする時間にコンビニで働かせるために融通をしろ」と問い合わせの電話をしたりするくらいで、つきまといはなかった。
学費を稼がなければならないので、働かざるを得ない。コンビニにも迷惑をかけているというのに、「わたしがやめたら困ると」オーナーは言ってくれているし、大学も「セキュリティに気を付ける」と言ってくれていて、自分にもそこまで被害がないので、おざなりになっていたが、もしかして、心の底では、いやだったのかもしれない。
別の働き口を探すのが面倒だったが、新天地を目指すか!と、陽気に駆けだす妊婦さんのような気持ちになって、楽しくなった。
もしかして、自分では案内人のつもりだが、あちらに案内されているような感じなのだろうか?
夢占いのような気持ちを勝手に分析して、起き上がって同人作品の続きを書き始めた。
「そうか、ラクダだ」
カッコいい顔の動物の名前を思い出して、夢の中って色々記憶が欠乏するよなあとぼんやり笑った。ラクダの性質を思わず調べたら、そこまで暑さに強いわけでもなくただ体力がものすごい強いということを知って、ひとつ知恵がついた。
その日は朝まで眠ることはなく、原稿を無事に、自費出版の印刷所へ送り届けた。電車の中で、原稿用紙を抱きしめている時間が好きで、帰りの電車ではなんとなく、宝物を置いて来てしまったような、忘れ物をしているような気持ちになった。
部屋に帰っても砂時計をひっくり返すことはなく、砂に埋もれたままのジオラマの街と、すっかり砂が落ちているジオラマの街が、上下に見つめ合っているような形になっていた。バタンとベッドに寝そべっただけだったのに、それから17時間ほど目を覚ますことがなく、気付いた時に、大学の必修を取り逃したと思ったわたしはあわてて原付に乗り込み、教授の元へ走ったのだった。
砂時計の掲示板 梶井スパナ @kaziisupana
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