運命はいたずら

香久山 ゆみ

運命はいたずら

 ほんの思い出作りのつもりだった。どうにかしようなんて考えてもみなかった。なのに。

 彼が町中ひっくり返して私を探していると聞いた時には、震えた。恐ろしくて。

 私はひとり屋根裏部屋で小さくなっていたけれど、町の女たちは皆色めき立っていた。ねえさんなんて「つま先を切り落としてでも履いてみせる」だなんて、みっともない。このお祭り騒ぎに私だけが蚊帳の外。名乗り出るつもりもなかった。なのに。ガラスの靴は町中のどの女の足にも合わなかった。そうして、困った従者が、この町で唯一まだ靴を合わせていない私を見つけて引っ張り出した。でもどうせ合うはずないと祈っていた。その日も一日中働いて足はぱんぱんにむくんでいたし。なのに、ガラスの靴はぴったりと私の足に収まった。周囲のいかんともしがたいどよめきの中心にあって私は消えてしまいたかった。消え入る声で「何かの間違いです」と訴えたものの、聞き入れられなかった。無理矢理馬車に乗せられお城まで連れて行かれた。これからどうなってしまうのか。王子様は失望するに違いない。あの夜、お城での舞踏会は零時に解けるただの夢幻ゆめまぼろしだった。私は美しくもなく何の取り柄もないつまらない娘だ。王子様とひと時ダンスしただけでも奇跡なのだ。あの魔法使い、ドレスに催淫剤でも仕込んだのでは? と疑っているほど。

 しかし、そんな不安と恐怖をよそに、王子は喜色満面で私を迎え入れてくれた。ぴったりとガラスの靴を履いた私を見て、ぼろぼろの身なりにも関わらず、ぎゅっと抱き締めてくださった。「ずっと君を探していた。会いたかったよ」、その言葉に、私はすっかり安心して、涙まで流して、ああこの方となら。愛してくださる。幸せになれる。そう思った。なのに。

 私は正室として迎え入れられることはなかった。王子は王様が選んだ隣国の姫を妃とし、周囲の助言で私は足フェチ王子の第二夫人として郊外の古い城へと住まわされた。

 それでも私は。ただ幸せになりたくて。自分の居場所がほしくて。城で働く使用人たちと同等に隔てなく接し、笑顔や挨拶は絶やさず、炊事洗濯も積極的に手伝った。まあ得意ですし。なのに。彼らが私に打ち解けることはなく、それどころか。親切にしすぎたのだろうか。舐められて、見くびられて。そうして、頼りにしていた永遠の愛はどこへやら、じきに王子のお出でも遠のき。すると、ますます私は孤独になった。なのに、ここから逃げることもできない。

 私は、忘れ去られてしまったのだ。王子から。世間から。世界から。

 しかし。ずいぶん経ったある日、彼が久々に訪ねていらっしゃった。今や王となった彼が、若い娘を連れて。

 少女は妃との間にもうけた娘であるという。訳あってしばらく私に面倒を見てほしいのだと。愛らしい女の子。薔薇が咲いたような唇に、艶やかな黒髪、なによりその雪のように白い肌。私は彼との間に子を授からなかった。だから彼女を引き取り育てることで、少女が私の生きがいになるのだと信じた。なのに。

 本当に愛らしい娘。無垢で純真、天真爛漫で、残酷。生まれながらのお姫様は、すぐにこの城の「女王」になった。私は少女を我が子として、実の母のように接したかったのに、少女はそれを頑として認めなかった。私のことを「あの人」と呼び、さらに陰では平気で「継母」と言う。城の者たちはもはや皆、少女の信奉者だ。

 しかし、少女を引き取ったことで、彼は今までよりも頻繁にうちを訪ねるようになった。けれど、すべては少女のためで、そこに私の存在する余地などない。訪ねてくるや、私に挨拶もせず、さっさと少女のもとへ。そして夜更けまで「娘」と二人きりで部屋にこもって。何をしているのやら。本当に娘なのかと疑ってしまう。自己嫌悪。

 そんな私を唯一認めてくれたのが、城に出入りするきこりの男。サーカスで働いていたことがあるとか、鯨に飲み込まれたことがあるとか、そのうえ幼少時は木人形だったのだとか、うそつきで、しようもない男。でも彼だけが、私の存在を認めてくれた。愛しいと、言ってくれた。だから、いけないと分かっていながら、いつしか私は。それでも、私の孤独は消えなかった。私がそんな不安を吐露できるのは男の腕の中だけだった。

 だから、確かに私のせいなのかもしれない。「あの娘をどこかへやってほしい」と溢した。だから樵は娘を。

 少女の姿が消えて、城中が騒然とした。あの人も駆けつけた。

 誰か目撃していたのか、すぐに樵が王の前に引き出された。

 私は広間の隅で息を呑んだ。樵はきっと罪を認めるだろう。私を庇って、一人で罪を。死罪となるかもしれない。彼が。そんなことさせやしない。今や彼だけが私の拠り所なのだ。だから。私も名乗り出よう、いえ、私こそが真犯人なのだと。彼さえ生きてくれれば、私は――。

 王の詰問に、ついに樵が口を開いた。

「いえいえ王様、あっしは何も。あっしのせいではございません。すべてはあの女の命令でして」

 樵は躊躇うことなく真っ直ぐに私を指差した。皆の鋭い視線が私に向かう。もちろんこの中に私を守ってくれる人なんて、誰もいない。

「あの女に姫様を殺せと命ぜられたんですがね、さすがにあっしもそんなことはできねえと、姫様を連れて森の方にね、へっへ。だからぜったい生きてらっしゃるはず……」

 樵は上目遣いに下卑た声で言い訳を続ける。ぐーんと鼻の下が伸びている。うそつきの証拠。ああ、もしかしたら森であの娘といたしたのかもしれない。それで逃がしたのか。

 馬鹿なことを考えている間に、すっかり衛兵に捕えられた。

 幸い、なのかどうか、外聞や、また姫が生きているらしいということもあり、死罪は免れた。そして、私は城から追放された。

 町へ下りるも、ニュースはすでに小さな国を駆け巡り、行く先々で罵声を浴び、石を投げつけられた。

 どこにも居場所がない。私は身を窶して森へと逃れた。

 ふらふらと森の奥に進み、ああもう消えてしまいたい。すると、私の目の前に。幾年ぶりだろうか。魔法使いが現れた。

「元気かい?」

 緑の瞳を細めて魔法使いが笑いかける。微笑を返す気力さえない。そんな私の様子を見て、魔法使いはおもむろにローブの中から取り出したものを、差し出した。

 林檎。毒々しいまでに、真っ赤な。

「さあ、好きに使いな」にやりと笑みを浮かべて、魔法使いは姿を消した。

 私の手にたった一つの毒林檎を残して。これは、希望だ。私がこのつらい世界から旅立つための。

 最期にふさわしい美しい場所を求めて森を進んだ。

 途中で小さな家を見つけた。小人の家だろうか、ふと足を止めたところ、その家の扉が開いた。出てきた住人は思いがけず人がいたことに驚いた様子だが、私はもっと驚いた。扉から顔を出したのは、あの愛らしい姫だった。

 立ち尽くす私に、娘が「あらどうも、おばあさん」と朗らかに言う。髪もばさばさで身を隠すために襤褸を着ているので、私だと気付かないのだろう。そしてこんなぼろぼろは年寄りに違いないとみて無邪気に「おばあさん」に話掛ける。

「あら? おばあさん。美味しそうな林檎ね。頂戴よ」

「だめだよ。これはたった一つしかない、私のものなんだから」

 思わず掠れた声が出て、まるで本当におばあさんだ。しかし、娘は「たった一つしかない特別な林檎」と聞いて、目を光らせた。

「ねえ。いいじゃない。頂戴。ずっと甘い物食べてないの。ビタミン摂らなきゃお肌も荒れちゃうし。年寄りにはもう必要ないでしょ。ね」

 強引に私の手から林檎をひったくる。バランスを崩し尻餅ついた私に見向きもしない。小さな口をいっぱいに開けて、白い歯でガリッと林檎を噛んだ。滴る果汁が娘の唇を妖しく濡らす。

 ――と。

「ぐっ」

 小さな呻き声を上げて、娘の体が倒れた。慌てて駆け寄る。息をしていない。とっさに心臓マッサージを試みようと娘の体に覆いかぶさるようなかたちになったところ、

「だれだ!」

「姫が! 死んでいる!」

「お前が殺したのか!」

「牧場の牛を殺したのもお前だな!」

「悪い魔女!」

「人殺し!」

「よくも!」

 振り返ると小人たちが鬼の形相でこちらを睨みつけている。じりじりと近づいてくる手には、斧や鎌や鶴嘴が。ギャアギャアと森の動物たちの声がこだまする。ぎゅっと目を閉じて、開けてみる。夢はまだ覚めない――。










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