七夕の雨に

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七夕の雨に

 夜の帳が下りる。

 空には一面の闇が広がり、やがて星がまたたき始める。

 夜が深まり、闇が広がる中、一筋の輝きが夜空に浮かび上がってきた。

 それは天の川、星たちの輝きが集まって織りなす美しい光の帯。

 その輝きは、時の経過とともに移り変わる。

 一瞬一瞬が煌めき、次第に姿を変えていく。それは、まるで宇宙の詩のようであり、見る者の心を魅了していく。

 今日の天の川が一際、美しく映るのは今日が七夕だからだろうか。星たちが密集し、無数の光が織りなす美しい光景が目の前に広がっている。

 この空に広がる星の数だけ物語があるのだろう。

 そう思うと、心が熱くなるものがあった。

 畳のある居間から、畳に転がり、しどけない寝姿で天の川をみつめる女性の姿があった。

 年齢にして20歳あたり。

 色白な肌は雪のように透き通り雫が転がるように滑らかで、艶やかな黒髪は烏の濡羽色のようにしっとりとしていた。

 その黒髪セミロングをシニヨンに結い上げてお団子を作り、ゆるっとした後れ毛を耳横に垂らしている様は、なんとも色っぽい雰囲気があった。

 背丈はやや高めだが、すらりとした体型のため長身という程でもない。

 同性の者ですら魅了されそうな美貌を持つ女性の姿は、花に例えるなら百合の花のように気品と優美を持っていた。

 名前を天神あまがみ弥生やよいと言った。

 薄紫の柔らかな色合いの浴衣に身を包み、天に輝く星々を眺めている彼女は、どこか憂いを帯びているように見えた。

 縁側には七夕の笹飾りがあり、そこには色紙で作った提灯、三角飾り、貝飾り、吹き流し、網飾り、輪飾りなどが飾られていた。

 時折吹く優しい風に揺られて、色とりどりの七夕飾りたちはゆらゆらと揺らめく。

 そこへ一人の少年が姿を現す。

 身長は170cm程。

 育ちのいい近ごろの子供からすれば、決して高い方ではない。

 痩せた体つきをしていたが、ひ弱な印象はない。

 樹木が持つ柔らかで、温もりを感じさせるせいだろうか。どことなく大きく、根が張ったような落ち着きが感じられるのだ。

 顔立ちは整っているが、表情がない。

 無表情という訳では無い。

 顔も姿も含めて直感的なものを、あえて言葉にするなら巌、だろうか・・・・。

 四季が移り変ろうと、雲が流れようとも、霧に包まれても、雪に覆われても、動かない、動じない。

 そんな静けさと力強さを感じさせた。

 少年の名前を、天神あまがみ聖治せいじと言った。

 聖治は、紺色の無地の浴衣を少しぎこちなく着こなしていた。

 短めの裾から伸びる脚は長く、鍛えられたしなやかな筋肉が付いていることが窺える。

「だらしないな姉貴」

 聖治は寝そべり、くつろいでいる姉に向かって言った。

 すると、弥生は上半身を起こして、 ゆっくりと口を開く。

 艶のある唇が動き、言葉を紡ぐ。

 その声は鈴の音のような響きを持ち、聴く者を癒すかのような優しさに満ちていた。

 それでいて凛とした意志の強さを感じる声でもあった。

「浴衣の着こなしが、だらしない聖治に言われたくないわね」

 弥生は起き上がって聖治の傍に寄ると、慣れた手付きで弟の浴衣の乱れを整える。

 弥生は聖治の右脇のあき口から手を入れ、襟を引く。次に帯の下からえり先を引いて帯に挟み、胸元を整えて襟元を整えた。

 聖治の身体に身を寄せながら、弥生は弟の成長を感じていた。

 弥生は思う。

 幼い頃、近所の男の子たちにからかわれたとき、喧嘩になってケガをしたとき、いじめられそうになったとき、いつも助けに入ってくれたことを思い出す。

 普段はあまり喋らないくせに、いざとなったら頼りになるところが大好きだった。

(本当、いつの間にか大きくなって……)

 弟を見つめる姉の眼差しはとても優しかった。

 しかし、すぐにその表情は厳しいものへと変わる。

 なぜなら、弟は昔から人を惹きつけるから。

 学校で告白されたり、ラブレターを貰ったり、バレンタインデーにはチョコをたくさん貰っていたことを、弥生は知っている。

 しかも、その全てを断っていたことも知っていた。

 何故なら、全部見ていたから。

 弟が断るたびにホッとしていた自分がいる。

 自分の中にある独占欲を自覚したのはいつ頃だったか。

 もう覚えていない。

 弟は誰かと結婚し、天神家を継ぐべき家庭を築くだろう。

 その時が来たら祝福してあげなければならない。それが姉としての役目だ。

 だから、それまではせめて傍にいたい。

 弥生はそう思うようになっていた。

 聖治はそんな思いを知ってか知らずか、いつものように淡々とした口調で言う。

 表情は相変わらず変化しない。

 ただ、少しだけ呆れた感じはあるかもしれない。

 聖治はぶっきらぼうに言う。

「ありがとう姉貴。でもさ、別にそこまでしなくてもいいんだよ。もう子供じゃないんだし……」

 その言葉にムッとする弥生だったが、敢えて平静を装って返す。

「子供じゃない。ってのは、子供が言う言葉よ」

 そして心の中で思うのだった。

 なぜ、自分が聖治の浴衣の乱れを治したのか理解していない。身を寄せ合う理由が欲しかっただけ。

 それが分からないのか、と。

(まったく鈍感なんだから……)

 そう思いながらも顔に出さないよう努める弥生であった。

「はい。これで良いわよ。天神の者なら、和服くらい着こなしなさい」

 弥生は、聖治の胸をポンと叩く。

 叩かれた聖治は、やれやれといった様子で頭を掻く。

「俺は姉貴と違って、和服は着慣れていないんだよ」

 悪態をつく聖治。

 浴衣の着こなしなんて、どうでもいい。

 浴衣を着るくらいなら、洋服の方が楽でいい。

 それに、夏祭りがあるわけでなし、わざわざ浴衣を着なくてもいいじゃないかと思う。

 しかし、そんなことを言えばまた面倒なことになるので、言わないことにする。

「ところで、どうして寝転がってたんだ?

 尋ねる聖治に弥生は縁側から見える夜空に目を向ける。

「天の川を見ていたのよ。今頃、織姫さまと彦星さまは逢えてるかな?」

 そんなことを思いながら、弥生は縁側に座り目を閉じる。

 瞼の裏には、星空に浮かぶ恋人たちの姿が浮かんでいた。

 弥生の声を聞きながら、聖治は思った。

 聖治の目に映る姉の姿は、星空と相まって幻想的な美しさを放っていた。

 それはまさに絵になる光景だった。

 思わず見惚れてしまうほどに……。

 聖治は咳払いをして気持ちを切り替えてから、姉の質問に答える。

 彼は言葉を選びながら、丁寧に答える。

「今日は晴れているからな、逢えているさ」

 そう言ってから、聖治は弥生と同じ空を見上げようと縁側へと座る。

 夜空には満天の星々が輝いている。

 夏の大三角形を中心にして、多くの星が瞬いていた。

 その中でも一際、目を引く星がある。

 それは青白い光を放つ一等星だ。

 その名をベガとアルタイルと言う。

 七夕伝説の二人の主人公、織姫(ベガ)と彦星(アルタイル)の二つの星は、近くの星を結ぶと、それぞれが星座の形が出来上がる。

 ベガを用いて星を結べば琴座となる。

 アルタイルを用いて結べば鷲座となる。

 聖治は、弥生の方を見ると、鷲座の形を指でなぞりながら呟く。

「信じるだけじゃ不安なら、俺達で逢わせてやろうぜ」

 そう言った、聖治の指先からは微かな霊気が漏れ、空中に線を描くように流れていく。

 指の動きに合わせて描かれた線は、やがて一つの図形となって浮かび上がる。

 そこに現れたのは、鷲の姿だった。

 弥生は聖治が何をしたいのか分かり、弟の側に寄ると、空にある織姫星に向かって指を伸ばし、琴座の形を指でなぞる。指先から流れる霊気が線を描き、琴座が浮かび上がる。

 霊気で作られた2つの星座が、聖治と弥生の前にあった。

 二人は申し合わせたように視線を交わす。

 指を振って、それぞれが霊気で作った鷲座と琴座を開放すると、二つの星座は引き寄せ合い、重なり合って、一つになり、新たな形を作っていく。

 そして、完成した形はカササギとなる。

 その形に満足した弥生は、満足げな表情で、弟を見る。

 その視線に気づいた聖治は、姉に微笑み返す。

 姉弟の間に和やかな空気が流れる。

 カササギは羽ばたき、宙を飛び回る。

 2人の作った星座の中を自在に駆け巡っていた。自由を得たカササギは夜空へと舞い上がっていく。

 カササギは星の海へと吸い込まれていった。

 七夕の伝説では、織姫と彦星は天帝によって天の川の端と端に離されているが、年に一度、七月七日の夜だけは、川を渡ることを許される。

 この夜は心優しいカササギが羽を広げ、天の川に橋をかけて、二人の逢瀬を助けてくれるのだ。

 霊力を用いた、些細な遊びだ。

 天神家は、古神道(日本において外来宗教の影響を受ける以前に存在していたとされる宗教)の行法を代々継承してきた家系である。

 古来より続く由緒ある家であり、祖先には皇族の元で活躍した人物もいるとかいないとか。

 だが、今の時代では、そのような格式ばったことをしている者は誰もいない。

 いまはひっそりと、受け継いだ古神道を守っていく。

「二人は逢えているわよね。絶対に……」

 弥生はそう言って微笑んだ。

「そうだな」

 聖治も頷き、弥生は傍らに居る弟を見た。聖治はどこか遠くを見つめているようだった。

「じゃあ。七夕の仕上げに短冊に願い事を書くか」

 聖治は縁側から立ち上がると、居間にある座卓に座る。

 弥生も縁側から立ち上がり、弟の後を追う。

 座卓に座った二人は、短冊を前に筆ペンを手にする。

「姉貴は、何を願うんだ?」

 聖治の問いに弥生は少し考えてから答える。

「笹に飾った後に見てみたら」

 そう言って、弥生は願い事を書き終えた短冊を笹の葉に吊るす。

 それを見て、聖治も書くことにした。

 聖治も書いた短冊を、自分の目の前に吊るした。

 お互いの願い事が気になったのか、二人は同時に、それぞれの短冊を見る。

 そこには、こう書かれていた。


《ずっと一緒に暮らせますように 聖治》

《ずっと一緒にいられますように 弥生》


 お互いの顔を見て、思わず吹き出す二人であった。

(まったく、聖治たら……)

(姉貴らしいな……)

 そんな思いを抱きながら、二人は笑った。

(でも……本当にそうならいいのに……)

 弥生は心の中で、そう思った。

 聖治も同じ思いを抱いているだろう。

「少し遅くなったけど、夕飯にしましょうか。今夜は、そうめんよ」

 そう言うと、弥生は台所からガラスの器に入った、冷えたそうめんを持ってきた。

 繊細な白さを纏ったそうめんが、容器に美しく盛り付けられていた。

 その透明なガラスの器には、涼やかな夏の風情が漂っている。そうめんの麺は、糸のように細く、繊細さと軽さを感じさせる。せせらぎの流れを思わせる麺の姿は、まるで川の清流を流れる水のようだ。その透明感あふれる姿を見ていると、夏を感じることができるのだった。

 そうめんの端に青もみじを添えて、見た目を美しく演出していた。

「うまそう」

 聖治は思わず声を漏らす。

 彼の好物の一つが、そうめんだ。

 特に、冷たくて喉越しが良いのがいいのだ。それに、さっぱりとした味わいが好みだ。もちろん、味だけではなく、食感も大事だと思っている。つるっとした舌触りや、歯ごたえのある細さが好ましいと思うのだ。

 また、薬味としてネギとおろし生姜を乗せて食べるとさらに美味しい。

「待ってて。後は、麺つゆを持ってくるから」

 そう言って、弥生は席を立つ。

 だが、弥生は中々戻ってこなかった。

 聖治は気になって台所の暖簾のれんを潜ると、戸棚を探している弥生の姿があった。

「どうしたんだ姉貴?」

 声をかけると、弥生は困ったような顔で振り返る。

「ごめんなさい。ストックがあると思ってたのに、麺つゆ切らしてたみたい」

 弥生は申し訳なさそうに言う。

 それを聞いた聖治は驚く。

 まさか、こんな日に限って、麺つゆを切らしているとは思わなかったからだ。

「仕方ない。俺が買って来るよ。まだ商店街は開いてる時間だし、急げば間に合うだろ」

 そう言った、聖治に弥生は申し訳なさそうな顔をする。

 だが、聖治は財布を手に取ると、玄関へと向かった。

「聖治、私も行くわ。ついでに買っておきたい食材もあるし」

 弥生はそう言って、桐下駄を履く。

 二人は家を出て、近くの商店街に向かうことにする。

 天神の家は、郊外の山裾に建てられている一軒家である。

 近くには民家もない静かな場所だ。

 街灯もなく、夜になると真っ暗になる場所である。

 二人は林を抜け、カエルの鳴く田園風景を抜けていく。

 夜の風はまだ涼しい。

 昼間の暑さが嘘のようだった。

 街灯の明かりに照らされた道を、二人は並んで歩く。

 アスファルトの道を踏みしめるたびに、乾いた下駄の音が辺りに響いていた。

 もうじき梅雨が明ける時期だ。

 本格的な夏はこれから始まる。

 夜空を見上げると、雲一つない空に浮かぶ満月が見えた。

 月の光を浴びて、星が瞬いている。

 聖治が、ふと隣を見ると、姉の横顔があった。

 弥生の顔は整っていて美しい。白い肌には染み一つなく、艶やかな後れ毛が風に揺れている。その瞳は優しげで、見る者を安心させるような雰囲気を纏っている。

 その視線に弥生は気づく。

「ん? どうかしたの」

 そう言って首を傾げる仕草をする弥生の姿に、聖治は益々、そう思うのだ。

 動揺もなく自然の美しさに魅せられたように、何気ない口調で答える。

「いや。月明かりの下の姉貴もキレイだなと思って……」

 その言葉に、今度は弥生の方がドキッとした。

 頬が赤く染まり、心臓が早鐘を打つ。

 思わず胸に手を当てて、鼓動を鎮めようとするが上手くいかない。

(もう。 なんでこの子はこういうセリフを言うのかしら)

 そんなことを考えつつ、横目で弟を見る。

 彼は何事もなかったかのように歩いている。

(ホント……天然なんだから……)

 内心で溜息をつくと、姉弟は再び歩き出す。

 しばらく歩いていくと、やがて商店街が見えてきた。

 この時間でも営業している店が多いので、人通りは多い。

 食品を取り扱っている店主に、あいさつを交わして買い物をする。

 聖治は麺つゆをてにするが、弥生は生姜しょうがや豆腐などを買い物カゴに入れていく。

 四半刻(約30分)にも満たない時間での買い物をしていると、突然の雨音に外の様子をうかがう。

 さっきまで晴れていた空に黒い雲がかかり、大粒の雨が降り注いでくるのが見えた。

「そんな。さっきまで、晴れていたのに」

 弥生は残念そうに呟く。

 天気予報では、雨が降るとは言っていなかっただけに、二人は降雨に驚いていた。

 傘もないことに困っていると、店主が傘の貸出を申し出てくれた。

「天神さんには、いつもお世話になってるからね」

 恰幅のいいおじさんは、そう言って傘を貸してくれた。

 二本差し出してくれた店主だが、弥生は一本だけにした。

「他のお客さんも傘を持っていないですし、私達は帰る方向は一緒ですから」

 二人は礼を言い、借り受けた傘をさして帰ることにした。

 帰り道。

 二人は身を寄せ合って歩いていた。

 聖治は左手に傘を右手に買い物を手にする。

 弥生は聖治の左に位置取りをしていた。

 借りたビニール傘は、二人で使うには少し小さかったため、肩を寄せ合う形になる。

 二人の身長差を考えると、自然とそうなってしまうのだ。

「七夕の夜なのに、雨だなんてな……」

 聖治は左手に傘を、右手に買い物を手に、少し残念そうな声で言う。

「そうね。伝え聞く話しだと七夕の日に雨が降ると天の川の水かさが増して、渡ることができず会えないって聞くわ。

 でも、七夕の雨には催涙雨さいるいうって名前があるの」

 そう言うと、弥生は歩きながら語り始めた。


催涙雨さいるいう

 七夕の伝説によると、織姫と彦星は愛し合っていたが、お互いに仕事を疎かにしたために天帝によって引き離されてしまった。

 だが、それにより二人はひどく落ち込み、ますます仕事をしなくなったので、天帝は「一年に一度会わせてあげよう」と二人に約束し、それが七月七日だと言われ、今伝えられている七夕の伝説となっている。

 だが、その日に雨が降ると天の川が氾濫し、二人は会えないという。

 この日に降る雨を催涙雨(洒涙雨)と呼ぶ。

 これはまた様々な説があり、七夕の日に雨が降り、そのために二人が会えないので悲しみの涙を流しているとか、または雨でも空の上の二人は会うことができ再会を果たした喜びから流す嬉し涙、その別れの時に流している涙とも言われている。


「聖治は、この催涙雨をどう思う」

 弥生の問いに、聖治はほんの少し思案して答える。

「さっきまで晴れてたんだ。俺は、再会を果たした喜びから流す嬉し涙だと思うよ」

 それを聞いた弥生は思わず笑みをこぼす。

 同じ意見だったから。

「私も、そう思うな。一年に一度しか会うことを許されないのに、雨の為に会えないなんて悲し過ぎるわ。私も聖治と同じで、嬉し涙だと思うわ」

 弥生は、空を見上げながら語る。

 その表情は、とても嬉しそうだった。

「でも。こうも突然降られると、人間の身としては困るな」

 そう言いながら、聖治は肩をすくめる。

 その様子を見て、弥生は苦笑する。

 確かにそうだ。

 雨の為に傘を差さなければならなくなった。

 傘の小ささに二人は弥生は、少し窮屈な思いをしていたが、それでも文句は言わなかった。

 それよりも、こうして姉弟の温もりを感じながら歩けることが嬉しかったのだ。

 そう思えば、七夕の雨も悪くないと思えた。

 ふと、弥生は先程の仕返しをしたくなった。

「ねえ。聖治、もう少し傘の中に入れて欲しいわ」

 そう言って、聖治に寄りかかるように身体を預ける。

「入れろって。肩と肩を当たっているのに、これ以上どう入れろって言うんだ」

 困った顔をする弟に、姉はさらに追い打ちをかけるように身体を押し付けてくる。

 そして耳元で囁くように告げる。

「もっと密着しないと濡れちゃうでしょ?」

 その言葉を聞き、聖治は顔を赤くして黙り込む。

 姉である弥生が嫌いなわけではないが、それでも異性には違いない。

 弥生は傘を握る聖治の手に自分の手を重ねると、そのまま指を絡ませるように握った。

 互いの腕を一つにすることで、弥生は傘の中により入り込むことができるようになるが、聖治は姉に体を押しつけられる。

 柔らかい感触が伝わってくると同時に、甘い香りが鼻孔をくすぐる。

 動揺する弟を尻目に、弥生はイタズラっぽく微笑し、そのまま歩き続ける。

 動揺する弟の顔を見て楽しんでいた。

「どう? これなら濡れないでしょ?」

 勝ち誇ったように言う弥生に対して、聖治は苦虫を噛み潰したような表情で、ただ歩くことしかできなかった。

 家に帰り着いてしばらくすると、すっかり雨が止んでいた。

「にわか雨かよ」

 恨めしそうに言う聖治に対し、弥生は微笑みながら返す。

 その言葉に含まれた感情を読み取っていたのだ。

(でも……私としては嬉しい誤算だったかな)

 心の中でそんなことを思いつつ、二人でそうめんを食べ終える。

 二人は縁側に座り、夜風に当たることにした。

 軒下に吊された風鈴が涼やかな音色を奏で、夏の夜の風情を感じさせる。

 冷えた麦茶を飲みながら、二人はくつろいでいた。

 夜空に浮かぶ天の川が浮かんでいる。

 まるで、二人を祝うかのように、星々が輝き、美しい光景が広がっていた。

 その光景を見ながら、弥生は呟く。

 それは、願いではなく誓いの言葉。

 これからの人生に向けて、決意を込めて言葉にした。

「──これからも、ずっと一緒にいられますように」

 と。

 七夕の夜に願う、ふたりの想い。

 そんな二人を祝福するかのように、天の川は煌めき続ける。

 弥生は、肩と肩を触れ合わせ、聖治の肩に、そっと頭をもたれかける。

「おい……」

 聖治は、それに反応する。

「いいでしょ。今夜は七夕なんだから、人恋しくなるのよ」

 弥生は甘えるような声を出すと、聖治はそれ以上何も言わなかった。

 七夕の夜。

 ふたりだけの時間が流れていく。

 短冊に書かれた願いは、叶えられたのか、それとも──。

 星空の下、二人はいつまでも寄り添っていた。

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