Nと記念日(第九回課題)
「あの人が、五年前のカレンダーを置いていた理由を知りたいんです」
この度持ち込まれた依頼は、例に漏れず相変わらず些細なことに焦点が当てられていた。
自分たちの事務所では、些細な、ともすれば誰にも相手をされないような、思い込みすぎた不安から出てくる悩みのようなものを主に取り扱っている。例えば、きつかった会社の上司が飛び降り自殺をしてしまったことは自分のせいじゃないか、とか、定期的に通っている定食屋で、毎回座る席の醤油が切れているのは店からの来るなというメッセージではないか、とか。思い込みと被害妄想の間にあるような依頼が多いのは、もちろんこの事務所の代表がそういった依頼を好んでいるせいだ。
事務所の代表である
今回の依頼主はN。清楚な服装をした女性。ここでは、依頼主の名前を聞くことはしない。何が心に引っかかっていて、どうしてそれを解きほぐしてもらいたいのかが説明できれば十分だ。
自分は少し離れたところで、依頼内容をパソコンに打ち込んでいる。
「あの人……ミニマリストというか、必要の無いものや使い終わったものはきちんと処分する人だったんです。それなのに五年も前のカレンダーを部屋に置いていたなんて、ちょっと不思議で。それになんだか変な感じがして。でもこんなこと誰にも取り合ってもらえませんし、自分でもうまく説明ができないんですけど……」
「なるほど、なるほど。確かにそうした直感はあまり言葉にはできませんよね。ですが、心残りがあっては次にも進みにくい。たとえお相手が亡くなっていたとしても、そうしたしこりはふとした時に顔を出すものです」
Nは、妙な迫力のある所長の言葉に頷きながら、視線をあちこちにさまよわせている。まだ気持ちが落ち着かないのか、それともここに来たことを後悔し始めているのか。それは分からない。
これまでの話を整理すると、まずNの婚約者が一ヶ月前に殺されてしまった。宅配業者だと思ってドアを開けたところ、業者に扮した強盗に頭部を殴打されて亡くなったのだ。
Nも婚約者の死を悲しみつつ、後日相手側の家に自分の荷物を引き取りに行った際に、部屋にそぐわない五年前のカレンダーを見つけ、心がざわついてしまったらしい。
それは取り立てて珍しいカレンダーでもなかった。会社名の入った、よくあるクラフト紙の卓上カレンダーだ。しかし、記載された会社の名前は婚約者と関わりのあるものではなく、しかも婚約者が殺された日に、四つ葉のクローバーの小さなシールが貼られていた。それがNの不安を余計にかき立てており、様々な相談や占いに行った結果、この事務所へメールを送るに至ったというわけだ。
「彼はどうして、五年前のカレンダーを残していたんでしょうか」
一通り話して、最初の問いに戻る。Nの声は心細く、ぎゅっと握られた手には悲壮さが漂っている。
そこには何か良からぬ不安や想像があることが窺えた。一方で、所長が喜んでいるのが、顔を見なくてもよく分かる。漠然とした人の不安や恐怖といった感情をのぞき見るためにこの仕事をしているのだから当然だ。
所長が、更に細かく経緯や婚約者の人となりを掘り下げていく。
故人に交友関係や会社でのトラブルはなく、几帳面で穏やかな人となり。過去に別れた恋人がいるとは聞いているが、そうした人の影を感じることもなかった。故人となってから、婚約者の知らない一面を知ってしまった感覚がある、とNは言う。
話を受け、所長は姿勢を正した。
「お話ありがとうございます。では、調査結果を報告致します。N様の婚約者の方は、N様とお付き合いされる以前、別の女性とお付き合いをされていたことはご存じなのですね」
所長が念押しをするように問いかける。頷くN。
「では、その女性が五年前に失踪されていることは?」
度肝を抜かれたようにぎょっとした表情をすることから、Nは知らなかったことが推察される。演技だったら分からないが。そうした細かいことも打ち込んでいくので、依頼主がいる間は忙しない。
「ご依頼を受け、N様の婚約者だった佐藤様について、まずは五年前の交友関係などから調べました。その中で、当時の恋人だった石川つぼみさんの消息がつかめなかったので、カレンダーに印のあった日の前後含めての行方不明者を調べてみました。すると、カレンダーの印の日に石川つぼみさんが家に帰らないと家族から通報があったそうです。その後失踪届が出されている。また、石川さんの近しい方々にお話を聞いたところ、カレンダーに印のあった日は、佐藤様と石川さんの記念日だったようです」
「じゃあ……」
口元を手で覆うN。意味深長に頷き、所長は結論を告げる。
「石川さんはまだ見つかっていません。佐藤様はおそらく、失踪された石川さんとの思い出をなかなか忘れることができなかったのでしょう。他のものを処分しても、最後にたった一つカレンダーだけを残していたのは、石川さんの無事を祈る気持ちを忘れないためではないでしょうか」
今回の依頼は、存外と穏やかに終わった。依頼主Nはしばらく静かに涙ぐんでいたが、やがて晴れやかな表情で事務所を去って行った。
「んふふふふ」
依頼主がいなくなり、大きくのびをした所長が怪しげな笑みをこぼす。
「助手、これを見たまえ」
差し出されたタブレットに示されているのは、身元不明遺体発見の新聞記事。それから渡された紙には、その遺体が埋められていた山の持ち主が書かれている。
「この身元不明死体は女性。発見されたのは二年前。死亡推定日時は、五年前の二月から四月の間と見られている。加えて、この山の持ち主は、先程話題に出た
所長はえらくご満悦だ。妄想の余地がありすぎる案件に当たって嬉しいのだろう。自分は特に思うことはないので「はぁ」と適当に返事をする。
「もしも、この死体が石川つぼみで、佐藤竜太が五年前に恋人だった石川つぼみを殺してこの山に遺棄していたとしたら、彼女を埋めた日を忘れないためにカレンダーを残していたのかもしれないよな」
「メモでいいなら手帳とかでも良かったのでは?」
「石川つぼみが持ってきたカレンダーには、彼女が貼ったシールがついている。自分で記録するより、彼女の思い出だと言って残しておいた方が都合が良かったんじゃないか。自分で記録したら、それは彼の中で事実になってしまうのだからな」
所長の言い方に、自分は首をひねる。
「それが事実だったなら、記録しなくても事実になるのでは?」
「まさか。第三者に正しく観測されない出来事は存在しないことになる。現代において、人は自分にとっての真実を選べるようになってしまったから尚更さ。何より、人には忘却という機能がついている」
「観測されるよう通報したらどうですか。証拠はもう見つからないかもしれませんが、遺族くらいは見つかるかもしれません」
「いつも言っているが、それをやるのは警察様の仕事だろう。私の仕事じゃないし、私が考えていることなんて、金で買った情報をつなぎ合わせただけの、私が楽しむためだけの都合のいい妄想なんだ。妄想の検証なんてやる方が、バカだ」
いつものように所長は軽やかに嘯き、その長く艶のある黒髪を一つに結ぶ。そうして思い出したように振り返った。
「ちなみに、Nと佐藤竜太が婚約した日は、石川つぼみが失踪し、佐藤竜太が殺された日だったようだぞ」
Nは最後までそのことを口にしなかった。
「それは、所長の妄想が捗りますね」
「そうだろう、そうだろう」
にかっと満足そうな笑みを浮かべると、所長は「ジム行ってくる!」と元気よく事務所を出て行ってしまった。
自分は再びパソコンに向き直り、今回の所長の妄想を所感として記入する。電源を落としたパソコン画面には、自分ののっぺりとした表情が写っていて、そういえば時給値上げの交渉するのを忘れたな、と他人事のように思い出した。
課題作品 藤島 @karayakkyou
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