青春の間借り

十余一

青春の間借り

 真夏の殺人光線は分け隔てなく降りそそぐ。マウンドもバッターボックスも内外野も客席も、等しく地獄だ。百年近い歴史を誇る球場にはドームなんて無い。その日差しにじりじりと焼かれながら、俺は固唾を飲んで見守っていた。

 打った! が、ボテボテのゴロだ。しかし打者は一塁に向かって勢いよくヘッドスライディングをぶちかます。どう見たって間に合わないタイミングなのに、そうせざるを得ないのだろう。アウトの合図の後、向かいの応援席から大きな歓声が上がった。一塁に伏せた選手は、そのまま暫く顔を上げることができない。

 九回裏、三人目の打者が打ち取られ試合が終わった。スコアは五対二。二回裏に二点を取ったきり打線はふるわなかったのに、最後に審判が腕を振り上げるその瞬間まで勝つと信じていた。勝利する未来しか見えていなかった。


 そんなことを思い出しながら、今はクーラーの効いた部屋でテレビ中継を見ている。たった数年前のことだというのに既に懐かしい。青春に懐古というフィルターがかかり、画面に映る球児たちがやけに輝いて見えた。

 攻守交替のわずかな間に、テレビには学校旗を掲げる旗手とアナウンサーが映し出される。身の丈をゆうに超える臙脂えんじ色の旗が風にはためくが、旗手は微動だにしない。旗の重さだとか旗手の意気込みだとか、選手たちへのエールだとかを話している。

 最後列でじっと耐える旗手も最前列で力強く踊る応援団も、ベンチ入り出来なかった選手で構成されている。部員百人超えも珍しくない強豪校の中で、母校の野球部は六十人ほどだ。個々人にきめ細やかな指導がしたいという監督の意向で少数精鋭になっている。しかし、それでも背番号を勝ち取るのは難しい。ユニフォームではなく応援用のTシャツを着る彼らの心中は如何いかほどか。

 と、ここまで語っておいてアレだが、俺自身に白球を追いかけた記憶はない。そもそも野球部を志したこともない。吹奏楽部でもないし、ましてやチア部でもない。ただ応援に行っただけの一般生徒だ。更に言うなら、野球部には一人の知り合いも居なかった。なんなら運動部コワーとか思っていた。寮や野球場も学校から少し離れたところにあったから、彼ら自身のことも積みあげた努力も存じ上げない。

 例えるならば、石の下でうごめいているダンゴムシが陽の元に引き出されたようなものだ。陽キャのフィールドに来てしまった陰キャだ。出席日数のために全校応援に参加した。

 俺は、放課後に一時間ほど楽器を演奏して、あとはお茶とお菓子を楽しむ緩すぎる青春に満足していた。吹奏楽部のよう筋トレしたりガチでコンクールを目指したりしない、ラクで楽しい軽音部。しかし、それはそれとして。

 スポーツ漫画のような熱さにてられてしまった。一生懸命な姿が眩しくて、憧れた。

 そうして、自分が送らなかった「汗がキラめく青春」とやらの一欠片ひとかけらをお裾分けしてもらったのだ。打者の指先が一塁ベースに届かなかったとき、夏という季節そのものが終わってしまったかのような錯覚に陥った。夏真っ盛りの八月上旬に、まだろくに宿題に手も付けていなかった夏休み真っ只中に。

 もっとも今では、「結局のところ、テレビで見るのが一番の特等席なんだよ」なんて悟ったようなことをのたまって、涼しい部屋でスイカを頬張りながら観戦しているが。スイカうめえな。

 問題は、来年に控えた教育実習だ。俺は教育実習生として母校に戻る。初夏に、たった二週間。その僅かな期間に、鮮烈な憧れがぶり返してしまったらどうしよう。また、あの炎天下に飛び出したくなったらどうしよう。

 ところで、高校野球にはよく謎のおじさんが出没する。

 平日の真昼間、観客もまばらな一回戦からずっと応援に来る謎のおじさん。神妙な面持ちで観戦し「もしかして、スカウトの人……?」と思わせるような迫力がある謎のおじさん(スカウトの人ではない)。自身が野球部だったわけでもないのに全身を応援グッズで固めてやたら熱心に応援する謎のおじさん。

 数十年後、俺もその仲間入りをしているのかもしれない。謎のおじさん達が何を思って足しげく球場に通うのかは知らないが、少なくとも俺は、あの日の光景が忘れられないから行くのだろう。真夏の日差し、球場を震わすほどの応援、最後まで諦めない球児、皆が釘付けになる白球。青春の象徴だ。

 間借りした青春にすがる中年のあはれをに想いを馳せながら、もう一口、スイカをかじった。今年の夏はもう少しだけ続くようだ。


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