人間は誰しもが罪深い。
罪を犯し、罰を受け、それによって傷を受け、自身の所業を悔やむ。
そして、寛大なる神の御心によって赦された途端、再び同じ罪を犯す。
喉元過ぎれば熱さを忘れてしまう、これは人間の宿命なのだろう。
しかし、その事実は決して、その人の「悔しさ」が小さいことを証明するわけではない。
むしろ、後になって仮に同じ罪を犯すとしても――懺悔の瞬間だけは、血涙が流れる程に苦しんでいないと、誰が証明できるのか。
私達は並々ならぬ知能を手に入れた。それは文明を始めとした恵みを与えた半面、
「人間がいるから、宇宙が今の姿を保っているのだ」と多少傲慢とも呼べるような、人間中心の宇宙論を生み出すほどの増長をも生み出した。
だが、それでもやはり我々は儚く、脆い。
一生物としての摂理・現象には逆らえないのだ。
この咎人を見よ。そして苦渋に満ちた告解に耳を傾けよ――