何も残らなかった。何も無くなった。

さんまぐ

第1話

何も残らなかった。

何も無くなった。


ウチは大所帯で俺はそれが嫌だった。


世界の縮図に思える食卓。

会話の内容は下世話な噂話に、タチの悪い品評会。


「裏の娘さん」

「ああ、あの子?」

「ピアノ始めたんだって、最近よくジャンジャン聞こえてくるのよね」

「聞こえてくるのはそれか〜。上手くないわよね〜」

「女の子といえば勝子の所の太郎、彼女ができたけど、彼女のお兄さんが痴漢で捕まったんだって」

「あら、それはダメね。今度やめなさいって言ってあげなきゃ」


日々、飽きる事なく続き、日々新しい話題で食卓が埋まる。

子供の頃は気にしていなかったが、小学校の高学年になった頃にとても気持ち悪く感じるようになった。


よく兄貴と比べられた。

年子なので兄と弟と言うより同い年の人間に思えていた。

だからこそ兄貴からすれば生意気なのだろう。


そんな兄貴と比べられる。

兄貴は下世話な話が大好きで、学校の話を持ってくる。


誰と誰が好きな子の前で格好つけていたとか、先生の失敗なんかを持って帰って来て食卓に添える。


何も持ってこない俺は、本当にこの家の子か?と言われる。

家族相手でも容赦ない言い方。


兄貴と顔が似ている事を理由にしたが「そんなものは育った環境でいくらでも似る」と言われて、流れで母が不貞を働いたんじゃないかと盛り上がる。


母は怒ることなく話題に乗っかって「やだ、似た顔の人にしたのに」と、父似の男と不貞を働いたと言っていた。

嘘だとは思うが、どうしても信用できない気持ちになった。


中学になって兄貴に彼女が出来た時、周りは大騒ぎで彼女を見てみたいと言い、運動会に家族総出で現れる。


友達に「お前の家、応援凄いな」と言われたが応援ではない。彼女を見るために来ただけで、彼女はどこにでもいる子だったが帰ってから兄貴は地獄を見た。


兄貴は愚かにも、自分だけは言われないと思ったのだろうか?


「あの子、目が離れすぎじゃない?」

「鼻だけ大きい」

「下膨れ」

「ちんちくりん」


次々に止め処なく出てくる、好き勝手に出てくる悪口に、顔を引き攣らせて青ざめていく。

そして最後に出てきた「まあお前だとあのくらいなのかもね」と言った言葉で、兄貴は食事も摂れずに最後には寝込んでしまった。


翌週、何もないのに彼女とお別れしたと言う兄貴に、また周りは好き勝手言っていた。



それを見て、彼女を作ろうなんて微塵も思わなくなった。

彼女がいない事を悪く言われるより、彼女を悪く言われる方が何倍も嫌だった。


兄貴は前以上に人を悪く言うようになった。

よくもまあそこまで言えるなと呆れてしまう。

そして何としてでも兄の威厳を保とうとしたのか、俺を片っ端から悪く言った。


興味から始めた美術部も、描いた絵を審査員のように見ては悪く言われた。

だが絵心なんてない兄貴の評価はただ雑音だったがそれでも煩かった。


高校はやりたい事で選んだら、兄貴は偏差値で勝ったと心底喜びそればかりを擦るようになり、部活で選んだ写真部にしても、兄貴はわざわざ帰宅部をやめて、自分の学校の写真部に入って当て擦るようになった。



もう疲れてしまった。

大学は特に興味が無かったが、学校から勧められるままに入試を受けて合格をした。


この頃になると大所帯の食卓は閑散としていた。

悪口が何よりのオカズだった連中は、皆虹の橋を渡って行っていて、現世から脱退していた。

メインのメンバーが脱退していなくなると、残りのメンバーが「悪口ばかりで嫌だった」と聖人アピールを始めるが、見た感じは極悪人が悪人になっただけで、決して聖人では無かった。


だが兄貴だけは変わらなかった。

もう一挙手一投足をチェックされている感じで、写真部としてコンテストに応募して佳作だが賞まで貰った写真は、突き詰める事をやめて趣味未満、どこか出かける時に持ち出してスナップ写真を撮って友達に配る程度にした。

絵の方もたまに描いていたのだが、描いた絵よりも「描いている事」を悪く言われるのが嫌になって辞めてしまった。


大学で彼女が出来た。

偉そうに聞こえるが取捨選択はしたつもりだったし、悪く言わせないような子を選ぶ。

だが評価基準が普通ではないので人間性には難があったと思う。


当然だろう。

見た目も性格もいいなんて夢みたいな人間が居ても、努力をしない自分に来るわけがない。


悪く言われない見た目を優先した。

だから仕方がなかった。

だから苦労もした。


見た目を悪く言われない子にしないで、性格良しの子にしたら背負わなかった苦労をした。


ウチには連れて来なかったが、写真を見せた時の兄貴の顔は凄かった。

悪口の用意をしていて、悪く言いたかったのだろうが、言わせなかった。

写真も2人で写る正面のもの、彼女単体の別角度のもので「写真写り」とは言わせなかった。



就職活動はやりたい仕事があったわけではなかったので、完全に兄貴とはジャンルを分けた。


もうこの頃には兄貴の顔色ばかりを気にして、悪く言われない事ばかりに注力していた。

結局彼女とは別れるタイミングを逃して結婚をした。


この頃になると絵や写真を仕事にしていればどうなっただろうかと夢想するようになっていた。

箸にも棒にも当たらずに野垂れ死ぬ可能性もある。

だが、今みたいに終わらない流れ作業のように1日を、1週間を、1ヶ月を、1年を過ごす事はなくて、周りからの批評品評を無視して性格だけで選んだパートナーが居たら日々明るかったのではないか?

そんな事を思いながら、まだ人生半分も生きていないと思ったある日、兄貴が自殺をした。


初めはタチの悪い冗談かと思ったが嘘ではなかった。


兄貴が何を思って死を選んだのか分からなかった。

遺書も何も無かった。


周りからは「何で遺書も残さずに」なんて声が聞こえてきたがわかる。遺書すら批評品評のネタにされると思ったからだ。

仮に「悪口が怖くて」と書いても「言いがかり」「思い込み」と言われてしまう。

なら何も書かないのが正解だ。


だが兄貴の死は親たちに影を落とした。

何もわからないのは辛いから、親達は納得できる理由を求めた。


結論、親たちは「お前のせいだ」と言い出した。

意味がわからなかったが、美術部で絵を描いた事から、写真部で佳作をもらった事、彼女と結婚をした事の全てが兄貴を追い詰めていたんだと言われ、話にならないと判断してそのまま没交渉にした。



そうなってふと思う。

何も残らなかった。

何も無くなった。


心機一転、写真を撮ってみたがかつての感動も何も無かった。

あの時佳作を貰った写真はもう撮れなさそうだった。

絵までダメだった時のことを考えたら、怖くてキャンパスに向かえず絵筆も握れなかった。


今ならわかる。

兄貴は何もない事が、何もないまま年を経ていく事が怖かったんだ。

だから選べるうちに死を選んでいた。



兄貴の事を考える度に、ロープを見る度に考えてしまう。

なんとか考えないように、自分を強く保たなければと思いながらも、自分の中に芯が無いことに気付くと揺らいでしまう。

人の評価なんて気にしていなければ、そう思いながら1人で眠る夜の部屋で震えていた。

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何も残らなかった。何も無くなった。 さんまぐ @sanma_to_magro

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