[7] 授業

 野焼を連れて森を歩く。深くは立ち入らない。まずは村の近くの浅いところで十分用は足りる。

「言葉で教えられることは教える。けれども言葉では教えられないこと、言葉で教えるより実際に動いて見せた方がわかりやすいことというのはある。そのあたりは横からでも後ろからでもいいから、自分で見て学んでくれ」

「よっしゃ、まかせとけ。ばっちり盗み取ってやるぜ」

「まったく頼もしいことだな」

 別に皮肉で言っているわけではない。そのぐらいやる気があった方がこっちも楽でいい。


「早速だけど、質問質問」

「なんだ?」

「どうしてこんな森の浅い所うろうろしてんの?」

 説明するといったくせに早くも説明してなかったことがあった。

 やはり自分は人にものを教えるのの向いていないのかもしれない。反省。いや諦めるのが早すぎるか。もうちょっと頑張ってみよう

 さて説明するのはいいとしてどうやって話を組み立てたものだろうか?


「生き残るためにはできる限り早く危険を察知することが重要だ。危険を察知するのは早ければ早いほどいい。戦うにしろ逃げるにしろ対処にあたって選択肢が増える。結果として正面から戦うことになったとしても、いきなりその事態に陥った場合と比べてできる準備の量が違う。いかに早く危険を察知してそれに対する方法を組み立てられるかが、「冒険者としての資質のひとつに数え上げられる」

 と少なくとも蜩は考える。頭の中で何通りか組立てた末に一番基礎の部分から話を始めることにした。

 結論に至るまでにそれなりの段階を踏むが、まあわかってくれるだろう。わかってくれなかったらわかった部分だけでもわかってくれればそれでいい。


 話をつづける。

「ではどうやって素早く危険を察知するのか? アプローチは大きく分けて2つ。といってもその2つは対立するものではなく互いに補うものだ。どちらか一方だけに頼っている冒険者はいないと言っていいだろう」

 振り返って野焼がちゃんとついてきているのか確認する。問題なし。

 話の方についてこれてるかはちょっと確認できない。まあこいつの性格ならついてこれなくなったら止めてくれるだろう。話終わった後で相手にまったく伝わってなかった、なんてことになればぐっとくたびれる。


「1つは感覚を鋭くさせること、直感だ。これは誰でも持っている、けれども人によって感度がまるで違う。日々の生活の中で多少向上させることはできるものではあるが、生来の才能に大きく左右される。生まれついて感覚の非常に鋭敏な人間というのは存在する。冒険者をやってく中で何人か出会ったこともある。理解できないレベルで彼らはその状況に存在する何かを感じ取っていた。多分その感覚は持っていない者には理解できない何かだ」

 蜩はそれを持ち合わせていない。日々の訓練のおかげでそれなりの鋭敏さを保っているが、そうした異常感覚者にはどうやってもかなわないと理解している。

 野焼はどうだろうか? 現時点ではわからない。ある日ひょいと覚醒することもあり得る。


「仮にそうした感覚を持ち合わせていても、それに依存しすぎるのはよくない。感覚は劣化する。年齢とともにどうやっても衰えていくのを避けられない。これは天才であろうと凡人であろうと変わらない事実だ。感覚だけに頼るのは若いうちはいいがいずれ行き詰る。長くつづけたいのならもう一つのアプローチも大事にすべきだ」

 ようやく話が本題に近づいてきた感じがある。

 野焼が黙って聞いているのはわかっているのかわかっていないのか不安になる。といって相槌をうたれたところで理解しているかは明確に推し量ることはできない。

 まあいいや気にせず話すだけ話してしまおう。


「もう1つのアプローチとはは何か――経験だ。違和感の正体とは突き詰めれば、想定していた状況と違うということだ。要するに間違い探し。この時、想定していた絵が鮮明であればあるほど間違い探しは簡単になる。例えば家に帰って来た時椅子の位置が1センチだけずれていることに気づくには、以前の正常な状況をはっきり記憶しておくことが重要だ。景色の中ですぐに危険を察知するには、常日頃からその環境のことを知り尽くしておく必要がある」

「でもその方法はよく知っている場所でしか使えないんじゃねーの?」

 質問が飛んできた。質問自体も的外れじゃない。どうやらちゃんと聞いてくれてたらしい。よかった。とてもうれしい。


「そんなことはない。はじめて訪れた森でも歩きなれた森ほどではないが、ある程度の予測はたてられる。知っている森をもとに知らない森の姿を類推しているわけだ。もちろんそれは予測であって知らない場所での危機察知能力は知っている場所に比べて落ちることになるが、それなりに使い物になる。こうした経験は蓄積されるものであり、加齢によって多少の損失はあるものの、基本的には増加していく。年寄りの方が有利というわけだ」

 まあそれでずば抜けた感覚を持った若者に匹敵するかと言えばそんなことはないけれど。おっさんにはおっさんなりの戦い方があって、そしてそれはいずれおっさんになる若者にも十分に役に立つというわけだ。


「そういうことだから村の近くの森をゆっくりと丹念に歩いている。どこに何があってどのような警戒をすべきか、戦いとなればどう利用できるか、逃げるとなればどんなルートをとればいいのか、そんなことを想定しながら歩け」

 やっと話が結論にたどりついた、長かった。

 すべてを理解させられたとは思っていない。半分伝わっていればそれはすごいことだ。

 始めに言ったように言葉によって伝えられるものなどそもそも部分的なものだ。教えられる限りは教えるが残りは勝手に学んで勝手に自分の中で組み立てていくしかない。

 その組み立てるところで自分なりのやり方に最適化されていく。だからそれは必要な過程だ。すべてを教えることはできない。またできたとしてもあまり意味がない。

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追放された中年冒険者は辺境へと旅立つ 緑窓六角祭 @checkup

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